第11話 東大の黒い霧 東大もと暗し

文字数 6,492文字

二〇二五年六月二十五日 水曜日

「こりゃー……赤紙だよ?」
 里実は、令司が見せた真っ赤な人狼ゲームへの招待状をじいっと観て言った。
「東大模擬国会部部長でもある自治会長の海老川さんは、定期的に人狼ゲームをやっている。学内で起こったことを何でもゲームにして決議、いわば人狼狩りをしているって噂だよ。ハレンチ事件を起こしたサークル、アカハラをした教授、SNSでバイトテロをした愚か者とか、すべてを人狼裁判に呼び出して、デルタフォースが調べ上げたことで裁いて、表ざたになる前に学外に追放してる。その権力は、教授陣も恐れるほどの東大の女王なんだよ」
 里実は小声で警告した。
 会はなんだかお通夜のような雰囲気だった。改めて自分たちが、一部の陽キャが支配する東大の中の陰キャ集団なんだと令司は痛感する。
「そうなの?」
 それほどの権力者なら、どおりで一ミクロンも報道もされていない本郷の事件について、知らない訳がないはずだった。
「おいおい、世事に疎いな」
「すまん」
「知っての通り、東大は教授の九割、学生の八割が男だ。だが東大を仕切ってるのは男じゃない。女学生、それも二年生の」
「まさか」
「東大首席入学にして、顔面偏差値七十八。アイドルになれそうな外見、女子力半端ねェ。でもそれだけじゃあ語れない。東学連会長、海老川財閥令嬢。東大のお上、秘密の上級都民様の中でも最上位。上級オブ上級だ」
 藪が言ったことも、今聴くと決して大げさには感じられない。
「しかしまさかお前が、海老川雅弓の合コンに参加してたなんてよ」
「初めてしゃべったけど、あいつ、異常に三角形にこだわっていた」
「タロットで大アルカナ三番目のカードは――女帝だ」
「意味は?」
「富、母性愛、恋愛や結婚。……そう、正位置では華やかで実りが多い。だが、逆位置になると、行動しても得るものが少なくて、思うままにならず、感情的になって暴走する。いずれにせよ女帝は、影響力が強く、実行力のある女性のカードだよ」
 タロットの順では女帝の前が女教皇、後が皇帝である。
「他にも、大学というピラミッド社会の頂点に立っていることの象徴とか」
「ははぁ、なるほどね」
「亡くなった桜田総長と海老川はつながっていたんだ。総長は学内で思想弾圧を行っていた、いわば幕末の井伊直弼みたいな奴だった」
 ルー・ガルーの店長が、東京地検の新番組を評して、井伊直弼の安政の大獄だと言った。偶然だろうか。
「それで人狼ゲームを利用して?」
「そうだ。数学の高峰日子太郎も海老川の手先だぜ。四十代後半の教授なのに……半分以下の年齢の小娘に牛耳られている。彼女は東大の表舞台のアイドルや女帝だけではない。東大の光と闇を背負った象徴的な存在なんだ」
「……」
「こんな話も聞いた。海老川は、京大から来た教授にけんかを売ったことがあるんだ。きっかけは、キャンパス内での京大出の教授たちの些細な雑談だった。彼らは、東京都のことを『ひがし京都』と呼んでいた。もちろん冗談でだがな。するとどっかから聴きつけた海老川が、それだけの理由で人狼ゲームに呼んだらしい」

『ひがし京都? いつまで都ぶるつもり? 一八六八年十月十三日に天皇が東行し、遷都されて今日まで東京が唯一の都でしょ。京都の元は平安京――。それ以前の数々の遷都を経て一時都になった。今は都心から大きく離れたただの田舎の観光地。京都民は時計の針を治した方がいいわね。でなきゃこの世界三大都市の都で、とても生き残れない』

「東京シンドローム?」
 令司はマックス先輩の言った言葉を反芻した。
「そう。東京人であることに異常に誇りを持ちながら、すべてのヒエラルキーの頂点に東京、あるいは東京的なものや価値観を持ってこようとする、究極の自画自賛の精神状態――」
「まさに海老川だな」
 藪は天を仰いだ。大げさな奴だ。
「結局おとがめなしだったそうだが、一説には京大に東大がノーベル賞の数で負けていることを海老川がやっかんだとか。確かに、日本の首都であり世界三大都市はロンドンとNYと東京であり、政治・経済・文化と国内の頂点に立っているのは疑いようもない事実だ。しかし、そればかりで物事を推し量るのは二十一世紀的じゃない。ダイバーシティ、多様性の時代に視野が狭い。むしろ外部のものを積極的に評価し、柔軟に受け入れる。それこそが東京の――いや、昔から日本人のいいところなんだがな」
「まったくだ。ただな、東京自体はブラックホールのようになんでもある。ここだけ見て、すべての物差しにしようという発想が浮かんでくるのも分からんでもない」
「東京で生じた既得権益の――、いやむしろ戦後レジームの総決算としての東京、その利益を享受する東京の支配層……上級都民どもはまさにその東京シンドロームだ」
 京都にはもはや、上級国民的な華族は存在しない。それが存在するのは、この東京である。
「で、合コンの成果は?」
「上級都民の伝説の参考には、なったかもな」
 令司は真面目に答えたつもりだった。
「そうじゃなくてさ、いい女(ひと)はいたかい?」
「あぁ――いいえ、何も。まぁ一人ずっとそばで話してた女性がいたけど」
「その女(ひと)、男性受けを狙ったスカートとか履いてない?」
 里実が言った。でも彼女もそうじゃないか。
「うん」
「足くんだり腕くんだりしてない?」
「そうーだな」
「孤独アピールしてなかった?」
「――そういや、してたかもな。うん」
「やーっぱりぃ! ハニー・トラーップ♪」
 里実は右腕を高く掲げた。
「ハニー・フラッシュみたいに言わないでください」
「それ絶対美人局(つつもたせ)だよその女――。クロスの法則っていうの。手足を交差すると曲線が目立って女性らしくなるんだよ。思わせぶりな言葉。計算高いよ~その女」
 里実は、ツブヤイターで諸田江亜美を検索した。
「SNSトップに自撮り、インスタグラマーか。清楚系ビッチね」
「それは決めつけだろ」
「應慶大っていや、『ペンは剣より強し』だな。マスコミや広告代理店に強い影響力を持った大学だ。しかし上級都民に捕らえられなくてよかったな。確かに彼女は、海老川の罠かもしれんぞ」
 あの後、江亜美の車に乗っていたら……。何が起こっていたのか。ゾッとする。
 お土産にもらったマカロンは、きっちり人数分そろっていた。
 レインボーカラーで全部で八個、「八犬士」と自ら名乗った東伝会の内情が完全に見透かされている。里実がしげしげと見つめるので、胸の球体が上半分丸見えになっていた。
「お前、もう眼をつけられているな。さっそく誘いを受けている。上級都民どもには、くれぐれも気を着けた方がいい。海老川の言うことを決して信じちゃいけない」
 藪は、ピンク色の三角形のマカロンを取り出して言った。
 鷹城は、ずっと「上級都民」なる東京伝説を単なる揶揄だと思い、信じていなかった。しかし海老川が接触してきた事で、謎が謎を呼ぶ、上級都民の東京伝説の真相が令司の前に現しつつあった。
 令司の都民IDの消失と復活には、物凄いセレブ学生というだけでは説明のつかない、海老川雅弓の正体が隠されているのだ。しかしその件に関して、令司はメンバーに口をつぐんだ。
「実はよ、俺も海老川に呼び出されたんだ」
 新田は、テーブルの上に全く同じ赤い封筒を置いた。いつもように新田が御殿上記念館でトレーニングをしていたら、海老川が五~六人の取り巻きをつれて現れ、渡されたらしい。江亜美が言っていたデルタフォースだろう。
「俺たち完全に連中に狙われたな……」
 本郷の事件はもみ消された。誰一人、逮捕されていない。その代わりに、東大学生自治会が動き出したのである。
「みんなに言ってなかったんだが、正直あの日以来、俺は疑われている」
 新田は告白した。
「え、誰に?」
「五百旗頭の手下の特捜検事どもにだ。ずっと後をつけられている。きっと東京地検特捜部機動隊・新番組は、俺たちを内偵捜査している。やっぱり、あのままで済む訳がなかったな」
「そもそもよ、何で特捜部がこんな事件まで首を突っ込むんだろ?」
 藪はマカロンを半分食べて、手が止まった。
「きっと『暴れん坊刑事』とか見過ぎなんだろ!」
「あいつは検事だけど」
「特捜は地方検察の中で、主に東京地域限定だ。それ以外の地域では、普通は公安の仕事になる。警視庁公安は都内にもいるけどな」
 ここは法学部のマックス先輩の出番だ。
「警察でも公安でもなく、特捜部が出張ってくる理由は?」
「東京地検特捜部は、警察に専門知識が乏しい、政治家がらみの汚職や大企業の背任、横領、粉飾決算、談合、インサイダー取引など、ホワイトカラー犯罪などを捜査するのが基本だ。いわゆる『権力者』相手だな。官僚だって奴らに監視され、支配されている。超エリート検事の集団だ」
「しかし、俺たちは学生です。権力者でも上級都民でもない」
「うん。特捜検事の機動隊――新番組は、戦前の特高警察の復活だと噂される。有名な話だが、特高は拷問も行っていた。新宗教も弾圧を受けている。終戦後、GHQは彼らを利用するため、東京地検特捜部を作った。当初の名前は、『隠匿退蔵物資事件捜査部』。つまり目的は旧日本軍の軍需物資や隠し財産を没収することだったんだ」
「そうなんですか?」
「あぁ。彼らはCIAと直結していた。戦後、検察の公安化が進み、それが東京地検特捜部機動隊・新番組になった。官僚組織の頂点に立つ検察の持つ警察力だ。新番組の名は、むろん新選組からの引用で、より検察の捜査力を強化し、専門性の高い武力を有しているんだ」
「ひょっとして、何か、お宝でも探してるのかな?」
「そうかもな。旧日本軍の隠し財産・M資金に、徳川埋蔵金に。この都には埋蔵金のうわさは絶えないぜ」
「つまり、奴らが現れる事件があるところ、東京のお宝が眠っていると?」
「その可能性はある。いよいよ東京伝説らしくなってきたゾ」
「徳川埋蔵金、M資金、それと、廃仏毀釈から逃れた秘密の宝物だとか。――真知子先生が言ってた伝説的な三つのお宝が、東京のどこにか存在する。それらを再び奴らが捜し始めている!」
「えっ、とっくに見つたんじゃなかったんですか?」
「まさか。軍の物資を没収したかどうかは、公式には明かされていない。何を探しているのかは秘密でも、今もお宝を探していることには違いない――」
「東京の開かずの戸の伝説――奴らは、お宝に至る地図を持っているのかもしれない。そうすると後必要なのは、開かずの戸を開ける鍵だ」
「あ、あたしいい事思いついた! その鍵っていうのは、様々な東京伝説の物語の中に隠されているんじゃない!? だから新番組は、あたしたちの前に現れたんじゃないの? 伝説を追いかけることで、三つのお宝に到達できるかもしれないから! あるいはそれ以上のモノが」
「じゃ、もし奴らより先に見つけたら、俺たちは即上級都民だ!」
 誰もが沈黙した。
 そんなものが見つかる可能性の前に、特捜機動隊が立ちはだかっている。伝説を追うことは、常にそのリスクを伴うのだ。
「五百旗頭は、自分たちから逃れることはできないって言っていたが――」
「本郷の取材は、ある意味成功だったと思うんだ。いや――、成功しすぎた。本郷の東大伝説を、丸裸にしてしまった訳だし」
 狙われているのは令司も同じだ。むしろ、海老川が直に接触してきた令司の方が危険かもしれない。マカロンの箱をじっと見つめる。
「なぁ新田よ、お前ら、勝手に医科学研の屋上に上がったのはさすがにマズかったんじゃないの? あれだけは言い逃れできないぜ。動画も消してないし」
 藪は、再度マカロンをかじった。
「いいや、消すべきじゃない。報道されてないんだから、今となっては事件の唯一の証拠だ」
 令司は腕を組んだ。とっさの事とはいえ、あの時の新田の行動には驚かされた。しかしそのおかげで、藪のいった「東京デュエリスト伝説」まで切り込むことができたのだ。当の藪は目が車輪眼になっているが。
「これが東京伝説取材のリアリズムというものだ。あの時、なぜ本郷は無人になったのか。きっとそこにヒントがある。出会った二人の女の子たちは、決闘の当事者だった。ひょっとしたら、二十年前の本郷の無人化の謎も、解き明かすことができるかもしれない。僕はこのまま調査を続けたい」
 令司は、みんなの賛同を得られない気がしつつ、慎重に言葉を選ぶ。
「しかし……」
 部室に重苦しい空気が支配した。
「上級都民の伝説を提案したのは、確かにこの俺だ。しかし、君に一つ知っておいてもらいたいことがある。荒木部長は失踪する前、海老川の人狼ゲームに呼び出されていたんだ」
 マックス先輩は言った。
「――そうなんですか?」
 みんな黙ってうなずいている。
「消えた理由は、前に東大の黒い霧に迫ったためだと言ったが、どうやら上級都民って本当にいるらしいと、最後に部長は俺に言った。それが、理Ⅰで理学部数学科専攻志望の海老川雅弓。実は部長と彼女は、接点があったんだよ」
 令司と会ったとき、海老川は部長の行方を気にしていた。
「部長は、東大模擬国会の人狼ゲームへと行った。その直後、彼女に抹殺された。俺はそう思っている」
 再び、不気味な沈黙が部室を支配する。
「どうする令司……俺たち。部長みたいに消されるかもしれねーゾ? この前は俺も続けたいとは言ったが、正直迷っている」
 新田は緑のマカロンを見つめながら言った。
「そもそも合コンに誘われるってのがおかしいだろ。大して親しくもない相手からヨ?」
 藪は緑茶のペットボトルを取り、思い直して紅茶を選択する。マカロンには、どちらかというと紅茶だ。
「それは、東京伝説研究会も同じだよ」
 と令司は言った。藪は目をそらした。大して親しくなかった奴が誘ってきたとは、他ならぬ藪重太郎のことだ。
「目をつけられてる、目を付けられてる、あたしたち。キャアアアア――ッ、上級都民に!」
 里実は恐る恐るマカロンの青を手に取る。食欲と格闘しつつ、パクリと咥えた。結局食欲が勝ったらしい。
「この国の階級社会で、俺たちのような下級都民は……上級に逆らえば抹殺される運命なのかもしれん」
 新田の言は、これから二人の運命を占うようだった。
「……確かに東京伝説が本物だと分かって、逃げ出す気持ちも分かります。でも俺は違います。本物であるなら、伝説を追う価値は高まります」
「お前凄いな」
 新田が感心している。
「あいつらだけが別に東大生じゃない。俺たちの無実を証明し、我々の学内での言論の自由を守らなければ」
 令司は、海老川のことを思った。デルタフォースのうわさは聞いた。けど彼らだって一学生にすぎない。
「しっ、声が大きい!」
 新田は異様に周囲を気にし、ここでは話しづらいという感じだった。
「盗聴されてるっていうのか? 一体何を気にする必要があるんだよ。この程度の言論の自由もないっていうつもりか? 上級都民学生たちが?」
「そうそう」
「パンくずみたいな扱いをされている」
「食パンだって、端っこがうまいじゃないか」
「それはドーイ! 特にフランスパン」
「それにドイツパンもだ!」
「だから俺たちはここじゃ、上級都民の学生共に目を着けられないように、おとなしくしているんだ」
 藪は言った。
「――なるほどな」
 令司はしらけた視線を送った。
「それでわざわざ声を潜めているんだな。学校じゃまるでひそひそと陰気で、何なんだと思ったよ」
 昨日の出来事を鑑みても、令司はまだ半信半疑だった。
「分かったろ。ま、そういうこった。ここは今や下級都民学生に対する戒厳令が敷かれている。学内の自由は失われてんだ。いや、もとからそんなものはなかったんだろーな。言わばここは、上級都民の都の治外法権、だからな」
 他の大学でも、上級都民が学生グループのトップを牛耳るところは多いという。それに逆らえば、結局荒木英子部長のような運命が待っている。
 警告を無視すればまた5G監理社会が牙を剥く。すでに令司は脅迫を受けていた。これ以上、危ない橋を渡る必要があるのだろうか。
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