第37話 鹿鳴館大斗会 京子対影子、第二回戦

文字数 19,730文字



二〇二五年七月二十七日 日曜日

「嵐が通過する、朝までにはケリをつけます」
 そう京子は令司に宣言した。
 午前十二時ちょうどに嵐が発生し、館の外に出ることすら出来ない状況。あまりにでき過ぎている。どっからどこまでが作られた状況なのか?
 京子は命を狙われていた。これまで彼女をつけ狙った相手なのかもしれない。京子は推理で犯人を追い詰めるという。ここからが勝負だ! などとはりきっているが、命懸けだ。
「歴史上、マスカレードの開催中に、たびたび事件が発生しました。スウェーデン国王グスタフ三世は、マスカレード中にピストルで暗殺された。去年の渋谷ハロウィン暴動も同じ。AI避けの覆面での犯行のために、ハロウィンの仮装パーティが利用されたんです」
 今年から、渋谷のハロウィンでは過度の覆面禁止令が出るという噂だ。
「先日の渋谷事変の時、荒木影子さんはDJK.キョウコさんと決闘を行いましたが、勝利することができませんでした。毒を盛ったのは、荒木影子さんではありませんか? この中に、あなたがいる……」
「誰だって?」
 ヴァンパイアのなりをした男が反応を示した。
「マスカレード・パーティでは、昔から正体が誰か分からない相手の正体を当てるゲームが行われてきた。この中に荒木さんは来ているはずです。彼女がキョウコに扮した私を殺そうとした」
「荒木部長が生きているという根拠は?」
 雅が訊いた。
「中華のオードブルが、私のもともとの発注先と違っています。この業者は、『桃園』の『贅沢オードブル・コース』です。荒木影子さんが働いてらっしゃった中華チェーン店ですよね? 荒木さんが業者の振りして、鬼兵隊と共に入り込んだのではないでしょうか? おそらく荒木さんは、自ら調理して中華料理の仕込みをしたのでしょう。いつでも毒を入れるチャンスがありました。その業者は、外へ出た形跡がありません。そのまま変装してダンスに加わったんです」
 しかし……あのド派手な部長の姿を隠せそうなコスの人物は、二百人の参加者の中に見当たらなかった。
「本当に来ているのか?」
 令司もつい訊いた。
「……理由(わけ)をお話しします。渋谷でキョウコを殺し損ねた彼女は、命を狙っていた。実は先日の渋谷事変は、本当は存在しない事件だったんです。街に大災害をもたらした決闘の破壊は、すべてARのプロジェクション・マッピングでした」
「……」
「でも、実在しない事件は、渋谷事変だけではありません。荒木さんが命を狙っている東京伝説のキョウコは、二十年ごとに連続殺人を犯す存在です。でも、問題の過去の未解決事件が、ことごとく存在しなかったんです」
 京子はリストを見て一つ一つ述べていった。

 一九四五年八月十五日(終戦記念日)、市ヶ谷大本営。連続殺人の現場は、空襲の焼け跡。
 一九六五年八月十五日。夢の島での大量殺人事件。
 一九八五年八月十五日、丸の内での大量殺人事件。
 二〇〇五年八月十五日、東大本郷キャンパス付近での大量殺人事件。

「東京の怨念、終戦直後から続く、二十年ごとに出現した大量殺人事件の犯人キョウコ。……それらは全て、検索エンジンの人工知能がフェイクニュースを誘導し、存在しない事件が検索結果の上位に出現していた。すべてが、捏造されたフェイクニュースだったんです」
 京子が、驚愕の「真実」を語った。
「事件が……もともとない!?」
 雅は唖然とした。
「どうやったら俺たちを騙せるっていうんだ!」
 令司も考え込む。
「マスカレード・レイヴ・パーティを計画してから、私は秋葉にハッキングを要請しました。――それで分かったんです。5Gのハッキングでパソコンもスマホもテレビも操作して、映し出された映像を皆さん向けにカスタマイズできる」
「いや……でも、連続殺人事件の個々のWikipediaだってある……」
「捏造です。フェイクニュースがWikipediaに掲載されていて、それがカスタマイズされて表示されていたんです」
「バカな……」
 Wikipediaはウィキペディアンたちが常に監視し、おかしな人物の編集からガードしていると、一般的には言われている。だがいったい、誰が編集しているのかはっきりとしない。大学では、Wikipediaは情報の導入にはなっても論文で引用するなと指導されている。しかし東大生でも、何かを調べるのにWikipediaしか見てないなんて現象はざらにある。……論文を書く時でさえも。そこに罠があった。
「だけど、動画も観たぞ」
「それも、ディープフェイクのCGニュースです」
 なぜかお勧めに出くる動画。恣意的なアルゴリズムは、お茶の子さいさいだろう。父と一緒に映っていたキョウコの写真も、もしくは――。
「いつからだ……」
「おそらく、令司さん、あなたが東伝会に参加して……東京伝説を調べ始めてから」
 フェイクニュースは昔から存在する。オーソン・ウェルズのラジオドラマ「火星人襲来」がいい例だ。技術の発展と共に次第に巧妙になり、ネットには「ファクトチェッカー」のサイトも存在する。
「しかし誰がそんな出たらめを……」
 京子はその問いに直接答えず、続けた。
「ただし、二十年前だけは違います。柴咲教授はキョウコに殺された。毎回、一人だけ確実に殺している。つまりキョウコは二十年ごとに大斗会を戦っていた。大量殺人事件はなかった。でも、殺人は起こっていた。それは東京帝国が大斗会のことを秘密とするためにカモフラージュした伝説だったんです」
「伝説の真相を、隠そうとした?」
「荒木部長はそれが実在すると、令司さんに証言したのです」
 令司と雅は沈黙した。
「バカバカしいなぁ。彼らを騙すために、東京が総出でわざわざキョウコ伝説の偽情報を流した? ハハハハ。妄想じゃないか?」
 反論してくるヴァンパイア・コスの男に、京子は毅然として言った。
「……荒木さんはそのことに気づいてらしたのですが、令司さんたち東伝会をキョウコさんに近づけさせないために、オカルト的な京子伝説を調べてはならないと言った……。そして渋谷スパイダーで会った時には、キョウコ伝説は真実だから調べてはならないとおっしゃった。荒木さんは大量殺人事件が嘘だと分かっていらっしゃる。つまり、決闘だという真相を知っている人こそが影子さんなんです!」
 京子はじっとヴァンパイアを見据えた。
「先ほどから、キョウコ伝説の真相を語る私を必死に否定しようとしているのが、あなたしかいません」
「……人狼ゲームきどりか? 今度は」
 ヴァンパイアはじりじり後ずさっていく。
「影子さんは、あなたですね!」
「は? なんだそれは」
 しかし、どう見てもそれは男だ。骨格からして違う。
「私は、あなたに毒を盛られましたが、刑事告訴はしません。その代わりに姿を現して、そして令司さんに原稿を渡してください!」
 京子は、相手に取引を持ち掛けた。
 ヴァンパイアの輪郭がぼやけて、代わりに金髪のウルフカットの女が立っていた。正体を現した途端、ケバい外見へと様変わりした。
 荒木影子は、額に絆創膏一枚張っているが、壮健だ。生きていた!
「どういうことだ!? これは――――」
「ARマスカレードです。実体をプロジェクション・マッピングのホログラムのアバターの中に隠す、それが――」
 京子は打ち明けた。なるほど秋葉武麗奴のPMマスクと同じか。この中に実体がいるかどうか、慌てずに荒木本人と確認しないといけない。
「私のは違う。PMインフィニティドレスは変幻自在――。全ての姿を変えることができる」
 自分から実体だと名乗った。
「初めまして荒木さん。私はキョウコではありません。名は東山京子……同名ですが、これは変装なんです、あくまで――」
「部長、僕からも。これは決闘ではないんです……平和的な話し合いですから、ぜひチョッパーを収めたままに聴いてください」
 令司は言った。
「令司さんはあなたの原稿を必要としている。原稿を……お持ちなんですよね? 今日ここで、令司さんに渡してください」
「キョウコ、手に入れた後、令司もろとも始末するつもりだな?」
「そうじゃありません。影子さんも、もう少し令司さんを信頼してあげたら?」
「お前は東京華族の一員にも関わらず、まだ、令司たちの味方だと言うつもりか。彼らの元部長として言おう、キョウコ。部員たちを、かどわかすのは止めろ。鷹城令司よ、キョウコと手を切るか、もしも切らないのであればキョウコと結託している以上、黙って原稿を渡す訳にはいかない」
「私はキョウコじゃありません。だって、これコスプレなんですってば!」
「騙されるものか。自分で青酸カリといいながら、毒が身体に効かない体質なのか? いくら吐き出したとはいえ――。PM力の作用で毒をコントロールしたに決まっている。もう一つ、レイヴ中、お前の操ったボールに、PMを感じた。強く、高領域のヴァイブレーションだった。PM1、PM2……いいや、ひょっとするとそれ以上の。私が渋谷で戦ったヴァイブレーションと同じだ。ごまかしようがない、お前が本物だってことは!」
 令司も感じていた。最初に糸で操ったときには感じなかったが、ダンスに興じると次第にPM力が強まっていった。
「東山京子は、連続殺人を犯しているキョウコだ! 今夜ここで渋谷の決着をつける。私と決闘しろ――」
「待ってください! 私は、あくまで話し合いで解決するために今日この場を――」
 問題のオードブルを挟んで、京子と影子はにらみ合った。
「なら、私との大斗会を再戦して、手に入れな! 私が負ければ潔く原稿を渡そう。もしも私が勝ったら令司は貰う」
「部長、俺が保証します。彼女は俺の生徒なんです。これまでメンバーにも隠していたけど、同じ名前で顔がなんとなく似ているせいで、変な誤解をさせたくなかったんです」
「そ、そうですよ部長――、あたしも、ここでメイドをやっちゃってますが京子ちゃんは、ホントに、普通の女子高生なんですってばッ! 人殺しなんか」
 里実も必死で食い下がる。
 そうこうする間に、影子の手は腰のホルダーのボタンにかかっていた。
 令司は京子の側に立って、もしも部長が襲い掛かったら身を挺して守らなきゃと腹を決めた。
 こんなことになるのなら、吾妻先生を呼ばなくて本当によかった。

立てこもり事件発生



 荒木影子が、ホルダーからスラっとPM刀・チョッパーを抜いた。
 数名が影子のそばへと駆け寄り、黒いPM刀を抜いて構える。正体を現した彼らは、鬼兵隊の法被を羽織った四天王の面々だ。幸い、久世リカ子は不在らしい。
 彼らはPM武装していた。入り口には金属探知機を置いていたが、そんなもので引っかかるのは通常の金属の凶器だけだ。変幻自在のPMには役に立たない。所持していたとして、引っかかるはずもない。
「どうやらダメだったみたいですね、令司さん、里実さん。影子さんは全然聞く耳持ちません」
「―――だから最初から危険だと言ったんだッ!」
 出席者全員が影子の人質になった。
 鬼兵隊は渋谷鹿鳴館をジャックした。影子は令司に取り入っているキョウコの暗殺に失敗し、人質を盾に決闘を申し込んだのだった。
 気づくと出席者全員のARマスカレードが解かれている中、京子は変わらずキョウコ・コスプレのまま突っ立っている―――。
 その中の一人に水友正二がいた。東大駒場の海老川雅弓の取り巻きのデルタフォースの一員は、パーティに惹かれてやってきたのか、さっきまではノリノリでダンスに興じていたが、今や額に汗をかき、沈黙を貫いている。
 あの傲慢な男でも、荒木影子が心底恐ろしいのだ。
 水友は蛇柄のジッポのライターを取り出し、ゆっくりと腰の鞭を抜くと、鞭の先端へライターを巻き付けて、天井の火災報知器に炎を飛ばした。
 影子は炎の軌道に、冷たい視線を送る。
「寝てろッ!!」
 影子が言うが早いか、チョッパーが水友の居たオードブルの大机を真っ二つに割った。四天王の一人が鞭をグイッと引っ張り、水友をひっくり返した。
「や……やめろ、よ、よせぇ!」
「残念ながら火災報知機は作動しない。この館はヒッチコックの映画にでも出てきそうなトリック館だ。インディ・ジョーンズ気取りのバカが、そんなフェイクの火災ではAIが見抜くぞ。――無駄だ!」
「だ、黙れ!! このビッチコックがッ!」
 起き上がった水友はかなりテンパっていた。
 ザシッ! 影子が振り下ろした巨大な包丁は、水友の首をはねた。問答無用。
 吹き出した血液がホールの白壁を染めて、跳んだ首は壁にドンとぶつかって床に転がった。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ…………
「キャアアアアアアーッ!!」
 一瞬の静寂の直後、参加女性の金切り声が吹き抜けのホールに響き渡った。
 水友の生首は、うまいことを言ったような、ニヒルな笑顔のまま表情が凍り付いている。
 誰もが硬直したようにその場に突っ立って、携帯を取り出して警察に通報しようと動く者もいない。
 ところがわずか十秒後に、嵐の音に混じってパトカーのサイレン音が集まってきた。ホールの中の人間たちは物々しい雰囲気に表情を硬くして、誰もが静まった。

      *

 パトカーの列に混じって、東京地検特捜機動隊・ガンドッグの特殊装甲車が渋谷鹿鳴館前に停車した。
「リモート・ビューアーの花音と、5G監視の連動でなきゃ、ここで今夜行われていることに全く気づけなかった。AIカメラを解析し、中のパーティの出席者はだいたい確認が取れた。そいつらは今人質になっている。渋谷鹿鳴館。鉄格子がはめられた窓。まさに『鉄固の部屋』ってか。建物は頑丈に施錠されている――で! こいつの出番だ」
 特殊装甲車・バトルトラックから降りてきた五百旗頭藤吉特捜検事は、グレーの雨合羽をバタバタとはためかせながら、右手でレバーを引っ掴み、車の屋根のクレーン車に吊ったモンケン(鉄球)を操作した。その大きさは直径一メートル。
「あさま山荘を突破した、俺たちの会社(業界)の伝説の兵器のご登場だぜ。シビれるねェ。山荘では立てこもり解決に十日もかかったが、最初からやってりゃ良かったんだ。コイツで正門玄関を破壊し、正面から突入して一気に制圧する。……どうだ、ソソるじゃねぇか?」
 五百旗頭は辺りを見回した。
「ったくカメラは来てねェのか、カメラは! TVの『警察二十四時』なんかじゃあ、格好の突入シーンなんだがなぁ」
『来るわけありませんが』
 スピーカーから女の声が響く。
 運転席から、一人の男性刑事がタブレットを持って降りてきた。
「――ん?」
 本部から送られてきた渋谷鹿鳴館の設計図を眺める、五百旗頭の眉間にしわが寄った。
「建物の構造は三階建て。部屋数は三十室。迷路のような室内……。<レンガ>は信じられねェほど強度が高くて簡単には壊れず、一つでもレンガが壊れれば、あるタイミングで突然全レンガが瓦解する……だとッ!? クソッ」
 それは、東山組からの回答だった。
『やはり、レンガは厄介ですね?』
 スピーカーの声は、「レンガ」と「連歌」をかけている。
「フンッ、この建物は一か所でも破壊すると全壊する。モンケン作戦は見送りだッッ!」
 嗄れ声で警官隊に伝達した直後、車からもう一人降りてきた。スピーカーの声の主である。
「今夜はずっと、嫌な予感がしてました」
「おぅ花音。オメーの花音砲に期待しよう。レンガを一つも壊さず、あそこの窓の鉄格子をぶち抜けるか?」
 身長百八十二センチの銭形花音は、サーチライトで闇夜に浮かび上がった鹿鳴館を見上げた。
「私のサーブも、スナイパーに狙わせるのも、まだどの窓が安全なのが分からない今は、いずれも同結果となりうる危険性があります」
 破壊力には自信があるものの、その破壊は周辺にまで及ぶ。
「フッ、やれやれ……楽な仕事じゃねェってか?」
「ここは私にお任せを。内部構造をリモート・ビューイングで調べます」
 花音はじっと玄関を見つめている。
「あぁ……」
「このセキュリティ・ロックは、電磁的なもののようです。ですが、5G監視と接続していない」
「治外法権ってか。ンなもん送電を切って、一度建物のセキュリティ・ロックを解除するしかねェ。で、催涙ガスを放って突入だ」
「―――大丈夫なので?」
「心配いらねぇ。上の許可は取ってある」
 五百旗頭の指示でガンドッグは送電線を切った。
 建物は停電し、一瞬灯りが消えたが、巨大洋館はすぐに灯った。
「どうした!?」
「自家発電です」
「ダメか……チッ、やっかいな建モンだな」
「なにせ我々の主(あるじ)、東山組ですから」
 花音は顔色を変えずに堅牢な建物を見上げた。
「そんなトコにあの問題児、鷹城令司が出入りしてたとはなー。しかも東山のご令嬢の、家庭教師とは! ゾッとするね」
「深窓の令状ですか?」
「面白くないぞ、さっきから」
 人のことがいえるのか! 自分だって「鉄固の部屋」とか言ってたくせに。
「―――いつから気づいてた?」
「少し前からです。そこに、松下村塾大の鬼兵隊四天王の荒木影子も来ている」
「――何ィ!?」

     *

 明かりが点いたとたん、影子は京子に向かってチョッパーを振った。
 三メートルの巨大包丁は、ガン!! ガシン!! と鉄球と空中衝突を起こした。幾度も幾度も宙で切り結ぶ。
「キョウコッ、令司たちをこっちへ渡せッ!」
「いやです、危険な真似は止めてくださいッ、私はただのコスプレですってば!」
 京子の両手は必死で、宙に浮く鉄球をコントロールしている。
「どう考えても、糸で操っているわけでも、プラスチック製でもない!! お前、いつまでカマトトぶる気だ?」
 客観的にいって、影子のいう事が正しいに違いない。
「今夜、ここで勝負をつけましょう、キョウコ!」
「わかりました―――やむをえません。大斗会、受けて立ちますッ!」
「なっ、バカなッ! 何言ってるんだ京子ッ!」
 令司は躍り出ようとして、女装した雅に止められた。
「危険ですから、令司君下がって」
「令司さんッッ、もう仕方ありません、影子さんとここで決闘し、私は原稿を手に入れます!!」
 さっきの一瞬のブラックアウトが、デュエルの合図となってしまった。影子にとっては対キョウコ第二回戦のつもりだ。
「まだ、策が――」
 外は嵐で、参加者らは取り残され、二人の女の激しいバトルを見守った。両者とも、PM兵器を駆使した戦闘をホール内で繰り広げる。
「そのPM刀は、身を滅ぼしますよ。私令司さんから聴いたんです、妖刀ムラマサを焼き直したチョッパー、ムラマサの霊気が宿っているんでしょ」
「よく知ってるな、そこに価値があるんだよ! 身をもって体験しな!」
 影子のチョッパーが瞬時に巨大化し、京子の首をかすめた。あやうく首が胴体と生き別れるところだった。
 一体荒木部長はなぜこんなに、キョウコを、東山京子を憎んでいるのか。何が部長をそうさせている!? 彼女を突き動かしているものは? あの人を……。
 危なすぎて必死でチョッパーを避けるメンバーと参加者たちは、右往左往してぶつかったり、足を踏んだりの大混乱の舞踏会を繰り広げていた。
 影子は京子の胸ぐらをつかんで両者はグルグルと回転しながら、壁に身体をぶつけ合った。京子が、強化兵相手に互角の格闘を!?
 阿鼻叫喚のパニックの中、荒木影子は上級都民グループを捕らえ、東山京子は逆に、令司たち東伝会のメンバーと人狼グループを引き連れると、バタバタと階段を駆け上がって、二階の書斎へと移動を開始した。
 ズズゥーン。
 漆黒のシャッターが下りた。
「館内の部屋は全部で三十室です。この部屋には、防火シャッターが」
 キョウコは二階の書斎を基地として、自分の「人質」を守った。一方、影子の鬼兵隊はホールを占拠している。お互いが二つのグループを人質に取り、膠着状態に陥った。

 戦慄の一夜。
 京子は部屋のシャッターを少し開け、鉄球を浮かしながら廊下を見張っている。
「さっき一瞬消灯したのは、台風で?」
 令司は京子の後姿を眺めつつ、隣の雅に尋ねた。
「いいえ違います。今、外にガンドッグが来ている――彼らが送電線を切ったんでしょう」
 窓を見下ろし、雅は赤い唇をパクパクさせながら答えた。それを見ていると、なんだか妙な感覚に陥る。女装だということを忘れてしまう。
「ガンドッグで外がいっぱいだ。銭形花音がいる! 水友さんは殺されましたけど、やっぱり誰かが通報したんですよ! もう僕たちはオシマイだ……」
 いや、おそらく花音ならリモート・ビューイングで、こっちを常に監視しているから、事件をあらかじめ予見することも可能だろう。
「だから爆弾低気圧だって。台湾から北上してきた訳じゃない」
 里実が意外と冷静に言った。
「参ったなぁ。こっから脱出するのは至難の業だ」
 荒木影子に人質に取られ、外はガンドッグでいっぱいだ。もしも外へ逃げれば彼らに逮捕される。そこに、天気予報になかった嵐が襲いかかる。風にたたきつけられて、思うように逃げられないまま、すぐに取り押さえられる。あまりにひどすぎる状況だ。
「ははっ、マスカレード・ダイハードだね!」
 里実は奇妙に余裕ぶっていた。
 彼女はこの館内を知り尽くしていた。京子と里実がいる以上、心強い。
 この嵐は東京スミドラシル天空楼の仕業ではないかという発想が、令司の脳裏に浮かんだ。近年、山の手での嵐は減っている。久世リカ子の言う通りだ。ならばなぜスミドラシルが上級都民の花の都・渋谷を攻撃する必要があるのか。あの魔天楼は、下町を沈めるための気象兵器のはずである。
「でも、明かりが点いたぞ」
「ホールにある機械が原因です」
 京子が答えた。
「―――機械って?」
 その問いに、京子は返事をせず、下をうかがっている。
「部長はあまりにひどい……さっきの戦闘で水友さんを殺した。きっとデルタフォースに恨みがあったからだ! もう、僕らの部長じゃない。あの人は、」
 雅はショックを隠せない様子だ。
 決闘のとばっちりで人が死んだ。こんなこと今まで起こらなかったはずだ。
 京子がこの部屋へ「人質」の人狼グループを引き連れて逃げた際、その数は東伝会を含めてわずか十人に満たなかった。あとは巻き込まれて全員死んだのだ。
 下の状況を確認すべきか。一階の上級都民の子弟の人質たちは、荒木影子に恐怖し身を固くしているのか、静まり返っている。二つのグループに分かれ、ここでも東京で起こっている様々な対立の一つを現していた。令司は、諸田江亜美のことが心配だった。
「大丈夫……みんな落ち着いて、死体なんか転がってないはずよ!」
 里実は冷静に言った。
「えぇ?」
 訳知りの京子を先頭に、シャッターから這い出して、令司と雅が続いて下の様子を見に行く。
 一階は、不気味なほど静まりかえっていた。
 ホールには……床を血に染めた水友正二やその他の死体が横たわっている――と思えば死体は消え、血の痕跡も一切残されていない。あれほどたくさん居たホールの人質は、およそ十人程度に過ぎなかった。
「ど、どういうこと!?」
 雅は叫びそうになって自分で口を手で覆った。
「安心してください! これはARマスカレードだといったはずです。今現在だって――」
 京子の表情も冷静だった。
「頭が混乱する……」
「それと!」
 京子は廊下から下のホールをそっと見下ろして、指さした。
「あぁ……あのピタゴラ装置か!?」
 静かなホールのピタゴラ装置が、コトコトと規則正しく動き続けている。消灯前までは確か止まっていたはずだ。天井を見ると、ミラーボールが消えている。灯りが切れたタイミングで天井からミラーボールが落ちてきて、動き出したらしい。
「あれは第一種永久機関なんです。あれで、一晩自家発電できるんです」
 部屋に戻ってドアを閉めた京子は言った。
「そんなバカな! 永久機関なんて熱力学第一法則に反するから、存在しないはずですが?」
 雅は当惑気味につぶやく。
「サイキックトロンです」
「決まってる。雅君、あの装置はおそらくPM製だ」
 雅はきれいな顔立ちのまま絶句した。
「京子、さっき君は、非常時に家が丸ごと動くと言ったな?」
「はい。壁のレンガは一つが全体と連動してネットワークを形成しています」
「PMだな」
「はぁ、そうなんですかね? 私が父から聞いてるのは、レンガ同士は接着剤でくっついているのではなく、一種の磁力でつながっているってことです。そうすると、通常のレンガでは想像もつかないほど強固になるし、建築時も自由自在だから、と」
「やっぱりそうだ」
「3.11にも耐えましたし、台風でもビクともしません。でもある瞬間、磁力のバランスが一点で崩れると、あっという間に建物が解体してしまう恐れも――」
「なんだって?」
 令司は確信した。この建物全体がPM製だろう。あのマシンPM以外にも、東山組のPM装置があちこちに仕掛けられている。東伝会以外の人質たちを外へ逃がそうとしても、嵐と、館のPM自動防災・防犯システムが作動したせいで全員、渋谷鹿鳴館という巨大牢に閉じ込められているのだ。
「――で、策ってのはなんだ?」
 書斎に戻ってから、京子は説明した。
「私も秋葉に協力を要請するとき、プロジェクション・マッピングも仕掛けてやろうかな、って思っただけです。それも面白いじゃないですか。荒木さんはそれに気づいたんです。だからアバターだけで偽物の水友さんを斬ったんです」
 彼女自身が渋谷でやっていたことだ。
 生首が飛んだ、と思ったら死んでなかった。これで三度目だ!
「この館全体が?」
 そういえば、大柄のサイバー・パンダもどこかに消えている。
「説明します。つまり、秋葉のAR戦を見て、里実さんの協力で秋葉の協力を要請しました。ARホログラムで影子さんに罠を仕掛ける。それが私の兵法です」
 京子は里実に依頼して、指向性の5GSNSを仕掛け、荒木を呼び寄せた。
「最初から、この館には二十数名しか呼んでいません。ほとんどはARの客ですよ。だって、目的の影子さんたちを呼べればそれいいんですから」
 実は里実は秋葉での戦いの日に、秋葉武麗奴のツールを手に入れたらしい。京子は、ハロウィンをヒントにマスカレードを計画したというよりも、秋葉をヒントにした、と言った方が正確らしい。
「私の武器はトリックしかない。建物全体で戦うんですッ!」
 二人が大斗会を開始したが、館のシステムに加えて京子はただのコスプレなので、ARで対抗するしかないのだという。

     *

 風と雨がますます強くなった。
 五百旗頭は吹き飛ばされそうになりながら、隣で直立不動のゼニガネーター花音と共に洋館を見上げている。
 渋谷鹿鳴館は堅牢な作りで、内部の人間は大丈夫だろうが、外を包囲するガンドッグたちは大変である。早く仕事を終わらせたい。
「こんな嵐の夜にゃあ、PM製のジッポライターでなきゃー火が消えちまう」
 眉間にしわを寄せ、タバコをくゆらせる。
 そうまでして煙草を吸う意味があるのか。叔父にはかわいいところがあると花音は思う。ま、全体の0.1パーセント程度だが。
「張り込みにはアンパンに牛乳では? 東伝会が気にしてましたよ」
「奴らの戯言に付き合うつもりはない。だがまあ……、俺が一番好きなのはタイヤキだから。俺は酒を呑まんから」
 花音は五百旗頭をちらっと見た。
「もっと言うならバームクーヘンを牛乳に浸して食いてェ……」
 前言撤回。想像するとかわいくない。
 五百旗頭は特殊車両に掴まりながら、拡声器で呼びかけた。
「中の立てこもり犯に次ぐー!! オメーらがそこでコソコソ決闘してるのは分かっているが、決闘なら無人空間でなきゃあ有効じゃねーぞ? まして人質が立ち合いなんてなぁ。中の人質を全員解放しなけりゃ、正当な大斗会とは、東京決闘管理委員会は決して認めねからなぁ! おぅ。もしも人質たちを傷つければ、表の法で逮捕するだけだ!」
 花音は怪訝な顔で首を傾げた。
「ずいぶんハッキリおっしゃるんですね。そこは普通、隠すものですよ?」
「分かってる、だがな、時間がねぇんだ……」
 五百旗頭はロレックスをチラッと見た。
「おい聞けヤ! 犯人共! もしも火事になったら、建物にはスプリンクラーもなけりゃあ、迷路の中に閉じ込められて逃げられず、お前たちはホテルネオジャパンの火災の二の舞なんだゾ! コラァ、分かってんのか! 果し合いをするんなら、少なくとも人質だけは逃がしてからしやがれ!」
 嵐の影響で、果たして中に聞こえているかどうかも分からない。
「くそっ、ダメだなこりゃ――」
 一方で嵐の中、仁王立ちを続ける花音は言った。
「五百旗頭さん、中に、諸田江亜美が捕らえられているッ! 海老川さんの、應慶大の親友です。彼女の身の危険が迫っている。もう時間がありません。一刻も早く人質の救出作戦を!」
「何ィ?」

     *

戦闘狂子、DJK

「五百旗頭が言った通りだ。火事にでもなれば煙だけでも俺たちは焼け死ぬな―――」
 令司が言ったとたん、複数の足音が部屋の外からドドドッと響いた。
 消えた死体や壁一面の血の消滅で、AR戦がホール内だけじゃないことに気づいた影子が、階段を駆けあがってきたのだ。
 防火シャッターに激しい攻撃が加わった。大きな音と共に、みるみるひしゃげていく。
「突破されるぞッ!」
 全員でシャッターを抑えにかかる。
「下がって下がって」
 シャッターが割け、チョッパーが襲ってきて、京子は鉄球で食い止めた。
「も、もう一度聞く――、確認だが、本当にフェイクなんだよな!?」
 令司は驚いた。
「は、はい、これもARホログラムですッ!」
 ガシン、ジャキン!
 京子は必死で鉄球を操作し、見事にやり合っていた。
「いや、しかしそうは観えないが――」
「精巧なARなんですッ!! 秋葉で観たでしょう!?」
 あの東山京子がPMで増強した怪力や、跳躍力を身に着け、大鉈を振り回した影子を互角でやり合っている……キョウコの鉄球が何度も宙で受け止めている。それが、令司たちが目撃しているありのままの光景だ。もうARや手品では説明がつかない。
「令司さん、里実さんに続いて先に逃げてください! 私は大丈夫ですから!」
「――了解」
 京子の首を狙ったチョッパーが壁を薄く削った。
「お気を付けください! この建物は強化レンガ構造です、一つでも柱が崩れると全体の柱が崩れる構造です。くれぐれも、その大包丁で建物の壁を破壊したりしないでください。全員死にます」
 この建物は伝統的な建築システムで設計され、一部の破壊は全体の破壊へと導かれる。メンバーはつぶれて死ぬ。だから、玉も剣も壁や柱を傷つけることはできないのだった。
「フ、チョッパーは伸縮自在だ、壁や天井に触れなくても、お前を殺せる!!」
 京子は廊下を下がりながら鉄球チャンバラを繰り広げ、ひるがえって反対方向へと一気に逃げた。影子も走って追跡を開始する。
 京子は一瞬立ち止まり、両手を広げて叫んだ。
「土の精霊たちよー、我が背後の道を閉じたまえ! アースッッ!!」
 その瞬間、廊下の左右の壁が迫り、影子の身体を一瞬でドシャッと押しつぶした。京子は、令司が秋葉で聴いた防御呪文を見事に操っていた。里実が教えたのだろうか。いや、しかし――。

 館内を四散して逃走するうち、令司は仲間たちとはぐれた。アバターとプロジェクション・マッピング(略してPM!)で、混乱しないほうがどうかしていた。もう、館のどこをさまよっているのかも分からない。
 令司は逃走中、ダイニングで曜変天目茶碗を目撃した。手触りといい、これは少なくとも本物だ。―――って、こんな時に何をやってるんだろう。
 さっき通ったか――いや壁に、狼の首の燻製が飾ってある。ゾッとする。初めて入った部屋だ。
「ウ……」
 うめき声が聞こえた。
 部屋の中央のソファの横に、諸田江亜美が倒れていた。
「君、大丈夫か?」
「……あ、令司君」
 革靴の音が響いた。
「荒木さんはどこへ?」
 声は、隣の部屋まで近づいてきた。
「ここではないようだ」
 鬼兵隊がうろついている。
 どうやら、連中は影子を探しているらしい。彼らは、影子が廊下の壁に押しつぶされたことに、まだ気づいていない。
 令司と江亜美は逃げ場を失った。
 江亜美は細い指で冷凍室を指さした。倉庫程度の大きさがある。
 令司はとっさに江亜美を担ぎ上げると、冷凍室のドアを開け、中に入った。

     *

「令司さん、令司さぁん!!」
 京子は焦って叫んだ。
 一行は、影子をつぶした廊下のトラップまで戻ってきた。
「いなくなった……」
 里実は呆然と言った。
「いつから?」
「逃げてる途中に」
「おそらくダイニングあたりだったかな」
 雅が言った。
 京子の顔に、あざが広がっていった。
「さっき……盛られた毒が―――こ、こんな時に……」
 京子は頭部を隠して、膝を屈した。全身から汗がにじみ出る。
「えっ、ホントなの、京子ちゃん!?」
 やはり毒が効いていたのだ。京子は不死身ではない。
「こればっかりは……AR攻撃じゃありません」
 苦しみながら、東山京子のタイムリミットが迫っている!
 荒木影子が押しつぶされた廊下から、バチバチと稲妻が発光した。荒木のチョッパーがニュッと出ている。その稲妻が周囲に炎となって広がっていく。
 ドカッ!
 炎の中から影子が飛び出してきた。
 うずくまる京子に向かって、影子はゆっくりと間合いを詰めていく。
 チョッパーは破壊された壁の中へ残していた。壁からの脱出時に途中で引っかかり、無理に引き出せば建物全体に影響が及ぶことを影子は懸念したらしい。
 影子は京子に向かって強烈なキックをくらわした。瞬間、ギャン!とヒールのピンがシャッと伸び、一メートルの剣になって京子の頭部を狙う。
 ハッとした表情で、京子があざのある顔を上げた。寸でのところでヒールの剣を交わすと、立ち上がって鉄球を浮上させようとするが、その間がなかったのか、横へドッと倒れた。
「マジカル・イリュージョンッ――ナンバー5!」
 京子が倒れている床が円形に光り、五芒星の魔法陣が彼女を包んだ。
 影子のピンピールが再び襲い掛かる寸前、京子の足が影子に伸びた。そのヒールのピンが同じように伸びて、影子の髪をかすめた。
 「南総里見派遣伝」の動画で語られた、矢吹嬢のPMヒールがこんなところで。これも、非正規ルートで入手したに違いない。しかし、雅が観たところ、荒木影子が入手するのはまだ分かるが、強化兵ではない東山京子がそんなものを手に入れられるとは思えないし、使える訳がない。
 唖然と見守る中、二人は足を高く上げてピンヒールのチャンバラを繰り広げている。疑似バトルには見えない。前髪ぱっつんとウルフカットの両者は、コブラ(京子)と、マングース(影子)の宿敵同士に違いなかった。
 すっかり京子は別人と化していた。京子は「キョウコ」のコスプレをしているだけ、といったはずだが、やっぱりあの夜のDJK.キョウコ……なのではないか、という疑念が雅たちの中に膨れ上がっていた。雅と里実は、渋谷大斗会の再現を目撃していたのだ。
 そうこうしているうちに炎は、書斎全体に広がっていった。

     *

「火事か? チィッ」
 五百旗頭は煙草を放った。
「時間がありません! 彼らだけでは外へ出られない。このままじゃ全員火事で焼け死んでしまう」
「ヤレヤレ、ホントに火事が起こりやがった!」
 花音のリモート・ビューイングの結果、二階に犯人グループ、三階に人質が監禁されていると判断した。
「もうらちが明かんな。放っておいても火事で全壊だ。ヨーシ、時間もないし、オーイ、モンケンで正面から強行突入するゾォ!」
「五百旗頭さん―――待ってください。火災より先に建物全壊を早める気ですか?」
 こいつはバカなのか、と花音の顔に書いてあった。
「オメーさんの言う通り、こいつは時間の問題だ。問題はPMのカーストだ。建物に勝てるのは、このモンケンだけだ。で、お前さんのリモート・ビューイングの見解は?」
 モンケンはPM製だった。
「私の見解では三階からの突入が安全です。あそこなら壊れても多分全体は崩れません」
「残念だがこっからだとモンケンはそこまで伸びねェ。嵐でヘリは飛ばせんし、お前の花音砲なら鉄格子の窓を破壊できるのか?」
「バレーボールはPM2製の窓相手では無理です。PM2以上の金属でないと」
「コインはどうだ? 銭形平次の子孫だろ」
「もっとランクが下です」
「じゃあダメだ!」
「しかし、建物が崩れて人質が死んでもいいと?」
「だから! 一か八か、正面からモンケンを使うっつってんだッ! さっきから! 残り僅かで人質を救うには、今はそれしか方法がないってことだッ!」
 雨に混じってつばが飛ぶ。
『この、不良中年が……やりたいだけだろうが!』
 花音はつぶやき、持ち場を離れて、一人隣のマンションの玄関へと入っていった。どの窓なら壊れないか、花音のリモート・ビューイングは分かっていた。

 外の嵐とは別世界の静けさのマンション内に、花音のシューズの足音が響く。
 マンション三階の廊下の窓から、隣の渋谷鹿鳴館の目標の窓まで、およそ五十メートル。しかし、マンションの窓はハメ殺しで開かない。向こうの窓には、PM製鉄格子がハマっている。
 どうせ五百旗頭の考えなど分かっている。この嵐で、三階まで梯子で隊員が上がることさえ躊躇しているのだ。正面玄関からの攻撃など、何一つ思慮もなく、ただただ面倒くさいだけなのだろう。人質もろとも建物が全壊しても、ガンドッグ的には爆弾低気圧や火災のせいにすれば報告書を作成できる。鷹城令司やキョウコ、荒木影子などの関係者が死んでしまうとも、これまでの厄介ごとから解放される。では他の人質は? 東山家のご令嬢は? どんな責任を負えると言うのか。そして、諸田江亜美も。
 気づくと花音の手元にバレーボールはなかった。嵐の中で走っているときに落したらしい。たぶん、路上に転がっている。
 花音は歯を食いしばって、前方の二つの窓ガラスをキッと見据えた。PM強化兵の自分にしか、人質たちを救出することはできない。
「私が行くッ!」
 ガンドッグの上司を見限った瞬間、覚悟が決まっていた。
 パッと視界が黄色く輝き、館の東側から炎が上がった。
「負けない――」
 花音は廊下の壁いっぱいに二メートル引き下がると、思いっきり地面を蹴って助走した。
「ウラァ――――――ッッッ!!」
 花音は頭突きで突撃してマンションのガラスを突破すると、雨風の中、五十メートル先の鉄格子の窓へ、そのままの姿勢で突っ込んでいった。
 花音は足に装備した十手を取り出して、全身の力を込めて鉄格子へ撃ちかかった。十手はPM2製で互角だ。鉄格子が外れかかったのを瞬間的に見極めると、飛び込んだ姿勢のまま、再度ガラス戸へ頭突きをくらわした。
 花音はとっさに受け身を取って廊下に転がったが、壁に激突した。無事館内への侵入を果たした。
 すぐに立ち上がり、左右の廊下を見ると炎が迫っている。目の前には部屋の窓があった。まだここは部屋の中ではなかった。またしてもハメ殺しだ。迷路迷惑構造。
 再度覚悟した花音は、額が割れて流血しながらも躊躇うことはなかった。お構いなしに、短い助走をつけて、ガラス戸へ突進して頭から突っ込んだ。
 すぐに壁があって激突し、花音の身体はまた床に転がった。
 花音はむっくり起き上がると、さらに流れ出た額の血液を十手のPMに当てて瞬間止血し、大股で駆け回る。制限時間が迫る中、眉間の第三の眼でリモート・ビューイングを最大限に働かせながら、館内の捜索を開始した。

     *

 江亜美と合流した令司は、冷凍室に閉じ込められていた。室温はマイナス二十度に保たれていて、長くはもたない。
「……あ……開かない。外からしか……開かない仕組みらしい」
 ドアは強固で、令司がいくら体当たりしても蹴っても、壊れそうになかった。例の京子が語った自動ロックシステムの副作用か。
「もう……ダメです」
「こんな風に……、再会……なんてな。ここで死んだら……、海老川に会わす顔がない……ぜ」
「ごめん、令司君。私がこんなトコに。たとえ……外へ出られたとしても、火事で……死に……死に……ます。レイジ君。でも……、死にたくない。ここを出たい。は、はやく―――寒い」
 令司は食材の入った段ボールを次々剥いて、江亜美の身体にかぶせた。
「あたしがバカでした。――――鬼兵隊が怖くって……」
「……俺だって……怖い……さ」
 荒木影子と鬼兵隊は、東山京子を狙った松下村塾大学の刺客だったらしい。影子部長は、この状況で京子を倒し、令司ら東伝会のメンバーを救うのだと言った。やっぱり京子の計画は無謀だったのだ。
 突然、大きな音が響いて、ドアが外れた。
 進撃の巨人、銭形花音だ。
「鷹城令司……。何でこんなところに? 気配を感じたので、まさかと思ったけども」
「花音、……江亜美を頼む」
 そう言って、令司は床に転がった。
「君も来なさい! まもなくここも炎に包まれる」
 氷結か、炎か、花音か―――。いずにせよ、ゲームは詰んでいる。
 花音が江亜美を担ぎ上げて冷凍室を出ると、部屋は炎が広がっていた。
 江亜美は怪訝な顔で壁を見つめている。
「こ――これは何だ? 炎の模様が壁に」
 令司は直感した。ARの火事だ。
「それに、ドライアイスが!?」
 煙と思ったものが床を這って流れ込んできた。ひんやりと冷たい。
「本当だ」
 考えてみれば炎も水もPMで自在に演出できるではないか、簡単に。
 炎へ突入し、無事隣の部屋へ抜けると、そこも激しく燃え盛っている。
「これも……プロジェクション・マッピング?」
 江亜美は、ぼうっと眺めている。
 二人の身体は瞬く間に温まっていく。
「この火は……ほ、本物だ!! 逃げろ!!」
「ついてきなさい!」
 花音は前髪をフウッと吹いた。イケメン……。
 花音が走ると煙と炎が左右に大きく割けられた。まるでモーゼの紅海真っ二つだ。PM力に違いなかった。
 後ろから、炎が追ってきた。隣部屋に入ったところで、令司はドアを閉めた。
 とたん、天井に設置されたスプリンクラーが噴射した。三人は呆然と突っ立った。この部屋だけらしい。
 天井のスプリンクラーは、十個も取り付けられていた。次々と噴射を開始する。水の勢いで三人は目も開けてられない。壊れているのかもしれない。
 花音がドアボブに手を掛けると、奥のドアは開かなかった。元来たドアも開かない。床は水浸しになり、三人は「水槽」の中に閉じ込められていた。
 すぐに水は胸の高さまでたまってきた。背の低い里実が溺れかかっていた。花音はドアノブからいったん離れて、体当たりした。水の排出と同時に、三人は奥の部屋へと脱出した。
 半壊したドアを開けて隣部屋に躍り込むと、ゴゴゴゴ、と音がして水はあっという間にどこかへ吸い込まれていった。応接室らしい。ペルシャじゅうたんで、ほんの少ししか濡れていない。
 花音はスッと立ち上がって振り向いた。
「さぁ!!」
 二人も追って立ち上がる。
 部屋のシャンデリアの灯りがフッと消えた。赤い非常灯が着く。
 シュー……という音が響いている。
「口を塞いで!! ガスです」
 花音は叫んだ。二人は慌てて両手で口を覆った。
「ラァ――――ッ!!」
 花音は右腕にはめた黒いリストバンドを左腕で握って、力を籠めた。
 空間が球場にゆがんだような、磁力の発生が令司には感じ取れた。
 ……ガスを、PM力ではねのけたのだ。
 花音は助走をつけて、向かいのドアを蹴り上げた。ドアは彼方へ吹っ飛んでいった。
「走って! 早くッ!!」
 この建物はからくり部屋だらけだ。もう、ARなんかじゃない――。京子を守るため、本物のトラップが発動し、侵入者に対し、猛攻撃を仕掛けていた。

「京子!」
 令司は前方に京子の姿を確認した。
 三人は駆け寄った。するとそこへもう一人の京子が現れた。二人の京子が鉢合わせ。どっちかが本物で、もう一人は――。
「伏せて!」
 後から現れた京子が叫んだ。その背後から、鉄球が弾丸のようにすっ飛んできて、手前の京子の頭蓋骨を直撃した。
「死んだか?」
 ズ・ズ・ズ・ズ……。
 死体は徐々に立ち上がった。ARで荒木影子が京子に化けていたらしい。影子は中腰姿勢で京子に猛烈なタックルをくらわし、二人は手すりを破壊して中二階へと落下していった。
 燃える中二階で、二人はピンヒールのチャンバラを繰り広げ続けた。もはや京子がPM使いであることは疑いようがなかった。
「殺されそうだ、京子が! ホラ、部長に隙がある。階段を下りて、今後ろから蹴りを加えれば――!」
「相手にされないわよ」
 花音は制した。
「なら、俺が京子アバターに成り代われば――いやいや、やり方が分からんが!」
 令司はドドドッと階段を駆け下りた。部長のピンヒールがガゼルの角のように後ろから来た令司を狙ったが、鉄球が飛び込んできて金属音とともに跳ね返し、先端をパキンと折った。剣先は手裏剣のように回転して、壁に刺さる。
 京子が操作した鉄球を、影子がぐるりと避けた瞬間、京子のピンヒール剣が冷たく輝いて、影子の胸をドスッと貫いた。荒木影子は胸から血を吹き出し、のけぞって、無言のまま火炎地獄のホールへと落下して、すぐ観えなくなった。
 あまりに炎が激しくて、その死が本物かプロジェクション・マッピングの映し出すアバターか、令司には確かめるすべはない。
 同時に京子の姿も見えなくなった。
 炎の影響で、直接玄関へ降りることはできない。玄関へのルートは、何か所かある。
 そこから先はどこをどう走ったのか。
 花音の後を必死で追ったので、令司は自分でも分からなかった。炎があれば除け、天井が落下すれば引き返し、なんとか建物全体が瓦解する直前に外へ逃れた。

     *

 江亜美を担いだ銭形花音は一階に到着すると、ドアを開けた。
 火災でセキュリティ・ロックが外れたことをリモート・ビューイングで察したが、外の五百旗頭は違った。
 モンケンがヴン!とうなり声を開けて、まさに振り下ろされるところだった。
「おおっと! 花音かッ!」
 五百旗頭はとっさのレバー操作でクレーンを引いた。バレーボール選手の花音は完全に鉄球の軌道を読んでいて、無言で少し顔を傾けただけだった。モンケンは宙を大きく舞い上がって、反対側に停めてあったパトカーをドシャっとつぶした。幸い、中に人は乗っていない。
「急いで!」
 花音は、PM力で炎と煙をはじきながら、いつ崩れるか分からない中、人質を救出しなければならなかった。時間の猶予がない。
 花音の手招きで正面から入った突入部隊は、鬼兵隊が作ったバリケードを破壊しつつ、人質救出と、荒木影子が立てこもる部屋を捜索する。同時に消防隊が入り、消防活動を開始する。
 その直後、建物は崩れ始めた。救助隊は自分たちの避難を開始した。
 突風は続いていたが、台風の眼に入ったように夜空は晴れていた。雲が勢いよく飛び去って行く。
「雅君ッ!」
 ボロボロの赤いドレスをまとった天馬雅が、がれきの中に立っていた。
「やっぱり、彼女は本物のキョウコだった。令司君だけじゃない。僕たち、全員獲りつかれていたんです。東京伝説のキョウコに。本当に」
「あくまで京子がキョウコのふりをして、荒木からみんなを守ろうとしたはず……」
「シュミレーション仮説ってご存じですか? そもそも、この世は何者かの作ったシュミレーションだっていうんです――」
「頭がこんがらがる」
 死んだふりや偽人間。建物も壊されたフリさえできる。このがれきも、何が現実で何がヴァーチャルなのか、人間の脳では見分けがつかない。
「部長が死を偽装して生きていたことが判明し、キョウコは再戦を申し出た。委員会は二人の再戦を決定した――。そういうことですよ」
「里実さんは?」
 令司がそう訊いたとたん、小柄な人影が近づいてきた。
「二人とも……無事だったようね」
 里実は元気なく言った。その顔は、何もかも信じられなくなったという様子だった。
「もう、故郷(くに)へ帰るわ……。東大に入れて浮かれて、東京へ来たのが全部間違いだった。今度こそ連絡しないでね。さよなら」
 二人は、里実を黙って見送るしなかった。
「里実さんはマックス先輩に東伝会に誘われ、引きこもりから脱したんです。でも、もう――」
 雅は力なく言った。
 五百旗頭や花音たちは、人質の救出と逃げ去っていった鬼兵隊の追撃に追われて、こちらに注意を向けていなかった。その隙に、脱出するしかない。
 大斗会は東山京子が勝利した。だが、どこへ行ったのか分からない。生きているのかさえも。
 今度こそ荒木影子は死亡した。
 決闘の結果、荒木部長の原稿はうやむやになった。午前三時、風が吹く中、令司と雅は松濤を離散した。
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