第24話 有楽町大斗会 新田対花音、久世対海老川

文字数 12,376文字



 士(さむらい)にホラー映画のごとき不意打ちは通用せず。
 いつにも『死』を想定しながら生きたればこそ。
 士(さむらい)は、不意打ちやたばかり討ちをせず。
 正々堂々と勝負す。
 それが誇りなきチンピラやテロリストやマフィアや
 ホラー映画の怪物との決定的なる違いなり。
 そして常在戦場の境地に至らば、
 不意打ちやたばかり討ちなぞは返り討ちせらる。

                       久世リカ子・文

二〇二五年七月八日 火曜日深夜0時

 海老川の学生サミットの人狼ゲームは、東京裁判だった。
 殺されはしないものの、海老川の松下村塾のもろもろに対する追及は厳しく、松下および下学連に対する要求は過酷なものになると予想された。当然、納得しないリカ子は、海老川に大斗会を申し込んだ。最初からそのつもりでここへ参上したのである。
 花音と対等に張り合えた久世は、海老川を指名した。しかし、令司には華奢な海老川が強化兵だとは到底思えない。
「我らが代理戦争を戦えば、胸くそ悪くじれったい人狼ゲームなど、これ以上続ける必要がない。どちらが勝っても、潔ぎのいい勝敗がつくからな。決着がつけば私もそれを受け止めよう。東京決闘管理委員会も認めてくれるだろう。どうせこの地球フォーラムも、お前たち学生サミットが朝まで丸々貸し切っているのであろう?」
「あら、お察しのよろしいことですね。そんなこともあろうかと――えぇ、その通りですよ。ここは東学連が、念のためスポーツ用途でも許諾を得ています。今回に限り、参加学生は大斗会の立会人として認められている。――結構ですとも。大斗会は、東京でもっとも神聖な代理戦争ですから」
 貸し切りの東京地球フォーラムは、やはり令司にテレビ番組「追跡中」を連想させた。開始時間が九時に設定されていたのは偶然とは思えない。
「我々は人狼であり、私はその代表だ。畜生に堕ちた者が妖魔を狩る。狼が上級都民という吸血鬼をな――」
「人狼ゲームで、自ら進んで人狼と名乗り出るとは……貴女はいい度胸ですね」
 海老川はスッと立ち上がった。
「私が処刑して差し上げます。上のガラス棟へ移動しましょう」
「ちょっ待て! リカ子」
 新田が離席する久世に向かって叫んだ。
「今回は俺がやる。俺にやらせてくれないか―――」
「あなたと私が?」
 海老川は余裕の笑みを浮かべている。
「差し出がましいぞ新田! 君は引っ込んでろ!」
 久世が怒鳴った。
「オイ花音! 俺とお前は戦うことでしかわかり合えん、そういう運命だ!」
 新田が名指ししたのは銭形花音だった。
「久世さんのおっしゃる通りでしょうね、ここは東学連と下学連の会長同士が――」
 海老川は冷ややかに突っぱねた。
「待ってください! 新田がやるというなら私が相手します。海老川さんが出るような相手ではありません」
 隣の銭形花音も進み出た。
「なるほど……けど、皆さん少し落ち着いてください。大斗会は東京決闘管理委員会が管理する東京の神聖な行事だと、たった今申し上げたばかりでしょう? だてにこの国で超法規的扱いではないのです。大斗会は法治国家で、むやみに内戦状態に発展させないためのいわば代理戦争――。ゆえに、決闘者はちゃんとした名目で立つものです。わたしと久世さんには、東京の両学生グループの代表同士としての正当な理由があります。新田さん、あなたには何か正当な理由があるんですか?」
「すべては俺から始まったことだ! このままでは俺は逮捕されるだろう。俺には、自身の潔癖を証明するという正当な理由がある!」
「だったら逮捕した私が相手をすれば、それで丸く収まりますよ」
 銭形がいきり立った。その右手のギブスが重い光を発した。暗く青く輝くそれは、間違いなくPMだった。
「お待ちなさい花音」
 海老川はしばらく目をつぶって考えている。
「―――そうですね、まぁいいでしょう。やれやれ、めったにないことですが、これも、私が決闘管理委員会と懇意にしているからこそ可能なことです。東学連会長として、便宜を図りましょう。でもこれ以上のルール変更は、そもそも決闘が無効になることを意味する、とお考え下さい」
「あぁ、それでいいぜ――俺はお前には手を出さん」
 なぜこうもみんな血気盛んなのか。
 話し合いで決着がつくはずもなく、東京学生サミットというものの、結局東京バトルトワイヤルへ話は収束しようとしていた。
 そこが「コロシアム」だと解釈されれば、決闘者は逮捕されない。一方で事故や、軽犯罪レベルでも街のAIカメラで追跡され、確実に逮捕されてしまう。
「あいつらは決して捕まらない……。なら俺は大斗会に参加して、叩きのめしてやる!」
 新田はそう令司に決心を伝えた。
 スミドラシルの久世対銭形の大斗会は中断したことによって、地球フォーラムの有楽町大斗会へと持ち越されたのだ。上級都民たちはいつも令司だけを手に入れたがっていた。なぜなのか。彌千香が霊能力で察したように、鷹城令司が柴咲雅教授の一子であることにすでに気づいているからだろう。そのためには新田や東伝会が邪魔なのだ。
 恐ろしい東京無人化のコロシアムという現実に、再三直面した東伝会。無人化したエリアでは、5Gカメラも眠っている。
 ここで決闘中に死者が出ても不問に付される。戦いの後、無人化した事実とともに、決闘のすべては消え去る。ガラスの外では、警官の姿がちらちら増え始めていた。最終的にはこの建物を取り囲み、決闘中、中から外へ出られないようにするのだろう。
 花音は三角巾を取った。黒いTシャツに、「GUILT RATE 99.9%」と書かれていた。「有罪率99.9パーセント」の意味。日本の刑事事件の有罪率の高さを示す暗黒社会の数字。



 新田を見ると、汗がダラダラと顔から流れ落ちている。古代ローマのグラディエーターは毎日死と向き合ったというが、花音の戦闘能力を、誰よりも新田は知っていた。あのゼニガネーターこと銭形花音と戦って、果たして勝てるのだろうか。新田の分厚い筋肉だけで、事が済む話ではない。
「新田……お前大丈夫なのか? 顔が青白いぞ」
「フフフ、らしくなってきたじゃねーか! 維新は薩摩の力なくして成しえなかった。戦闘民族薩摩のDNAを見せつけてやるぜ!」
「だが、体調悪いんじゃないのか? なら棄権しろ」
「大丈夫だって、あいつを観ろ。奴は怪我をしている」
 新田は、リカ子から刀を渡されると、上段に構えた。
「薩摩隼人の二大屈辱を知ってるか? 『死ぬのが怖いのか?』と、『理屈を言うのか?』と、言われることだ!」
 ヤバイ、新田はアドレナリン出すぎて、恐怖の感覚がマヒしているんだ。
 令司の隣に、諸田江亜美が歩み寄ってきた。
「新田さんは、気を付けた方がいい。ハイパーソルジャーは腕の再生なんてすぐのはずなんです。特に花音さんは医学部。とっくに完治しているはずです」
「じゃあ、あれは?」
「フェイクのギブスに決まってます。PM兵器の。相手を油断させるために擬態化している」
 花音は、ギブスに武器を仕込んでいる!
 だが新田は雷のごとく撃ち込んだ!!
 花音は、撃たれて交わした十手を思わず床に落した。びっくりして引き下がった。花音も体力には自信があるはずだが、新田の攻撃は予想外だったらしい。十手はまず刀を組み伏せなければ、相手を組み伏せない。
「この太刀筋は――」
 撃たれた十手から煙が出ている。
 久世は令司に言った。
「地顕流だ。抜刀即斬! 一撃の強さで他を圧倒する、幕末最強の剣法だ。剣でブロックすると相手の頭蓋骨にのめり込んだ。新選組では、『最初の一撃は交わせ』と伝令されていた。知らなかったのか?」
 八相の構え。上段に構えながら走って追う。
 新田は反撃を待たずにすかさず第二撃を斬る!!
「キェ――――――ッッッ!!」
 猿叫、上段からの一撃!
 花音はギブスで避けるも、体術で吹っ飛ばされ、壁に骨折した方の腕をぶつけてうずくまる。
「新田……お前……隠してたのか……。薩摩隼人、戦闘民族――だって?」
 花音は必殺の頭突きで反撃開始。だが、新田はトンボの構えで後ろに下がらない。
 新田は、正規の強化兵ではない。本郷のDNA研を探り、スポーツ医学を盗んでそれに近づこうとした。だが努力と根性で、花音と張り合えるものなのか?
「ここで負けたら俺は魂を失うッ! ただ、それだけだ!!」
「魂?」
「駒場に刀を置いたのは俺だ、奴らに決闘を仕掛けるつもりだった」
「――!!」
「令司、見届けろよ。ここが俺の死に場所だ!!」
 花音は打たれ強く、何度新田にぶっ倒されても起き上がった。周りの物は壊れているというのに。
「キェ――スト―――――――ッッッ」
 花音は凄いジャンプ力で避けた。高さ五メートル。動体視力はマシン並。アクロバティックな、体操選手のような動き。



 口から血を吐き出しつつ、花音マルチアタックが炸裂。バレーボールが無限跳弾で壁に跳ね返り続け、生き物のようにターゲットめがけて追ってくる。速度も衰えない。
 だが新田はカエルの目付、百八十度の視界。死角なし!!
 新田の持つ刀が高速回転するボールを捉え、二つに切り裂いた。
 そのとたん、花音の左手は新田の腕をつかみ、右手は胸ぐらをつかんだ。馬鹿力は新田でも敵わない。たちまち壁に押され、刀を床に落とした上、新田は背負い投げを喰らって動かなくなった。
「クソッ」
 新田は負けを認めると、自分に刀を突き立てて切腹しようとした。
「止めさせてッ! 早く!」
 海老川がバッと立ち上がり、叫んだ。
 新田は、花音や醍醐凛也が駆け寄って取り押さえられた。
「死ぬことは許しません、この私が! 江戸時代じゃないんですから。沙汰を決めるのは決闘員会、または私。責任はしかるべき方法で取ってもらいます。ただ、このようなやり方は決して許しません。ちゃんと決闘管理委員会のルールに則って」
「お前は、どうするつもりなんだ、新田を―――」
 令司は海老川の言葉を待った。
「花音が勝つことは最初から分かっていました。でもこの猪は、言ったところで聞かないでしょう。やらないと分からない。だからやらせた。つまり第一回戦です」
「第一回戦?」
「いわば前座。これから第二回戦の本番の決闘を行うのです。私と久世さんで」
「―――なるほどな」
 リカ子は意外そうな顔をした。
「こんなモノを、決闘管理委員会が大斗会として認めるわけがないでしょう? 私たちでなければね」
 建物のすぐそばを選挙カーが走り、選挙演説の声で二人は沈黙した。
「この戦い、都知事選がかかっているのだな?」
「えぇ、そう思っていただいて結構よ。ここにはいないけど、小夜王純子は釈放したわ。彼女の沙汰も、大斗会にかかっている」
「さすがは、東学連を率いるだけのことはあるか」
 久世は不敵に微笑み、戦闘準備に入る。
「つまりチーム戦です。すでに花音が勝利している以上、あなたにできることは私に勝って、一勝一敗で引き分けに持ち越すことしかない。それでも、令司さんは解放してあげますよ」
「いいだろう」
 久世リカ子はスッと席を立つと、地下コンビニで、ウイダーインゼリーを取って一瞬で決済して食べながら戻ってきた。余裕がある。

 鬼兵隊が団旗を振るい、女団長リカ子に向かって、大音響で鬼援エールを開始した。海老川は應援團を見て、再度あからさまに不快な態度を示した。
 突風が吹き、窓ガラスが大きな音を立てた。次第に衝撃波が巨大化し、建物の振動が激しくなっていく。
 應援團の演舞の闘気に対抗し、ずらっと立ち上がった海老川の取り巻きが、全員手に持った鞭をしならせ、床を撃った。東大スポーツウィップ倶楽部の反撃だった。
 宙を舞う鞭と、演舞が見えない闘気をぶつけ合い、すさまじい熱気でガラスがすべて吹っ飛びそうだった。
「騒がしい! 大斗会に応援など無用です! ファッション愛国者ども! やめなければ私のデルタカッターで全員額に犬の字を刻んでやりましょうかッ!」
「リカ子……やるのかよ本当に」
 令司は未知の力を持った海老川雅弓に不安を抱いて、久世に訊いた。
「問題ない、私にとって手合わせこそが、日常だ。私がここで死んでも、この者たちが意思を継ぐ。私は死にざまを通して社会へ訴えかける。だから私は死なない。それが松陰イズムだ!」
「ハハハ、あなたの死体なんて焼却されて、塵になって飛んでいくだけ」
「そんなことはない! 松陰先生は言っている。『身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂』と。……魂は永遠に生き続ける」
 PMをグッと持って見せつけた。
「二十一世紀の日本なんだぜ、武侠じゃあるまいし」
「フン武侠といったか! 強きを挫き、弱きを援ける。私にもあこがれの武侠がいる」
 しまった藪蛇だった。
「梁山泊に一丈青扈三娘というのがいるだろう。あれがそうだ」
「知っている。第五十九位、地慧星の生まれ変わりだ。新田も君のことをそういっていた」
「そうか」
 久世リカ子は確かに「武侠」という人種だった。新田も同様のにおいを漂わせていたのは、彼らが同胞だからだ。
「鷹城よ、これから何が起ころうとも決して目を閉じるな。刮目してろよ。決して上級都民に動揺を見せるな。決して引くな。ここは囲まれている。逃げ場はない。我らは前に進んで道を切り開くのみだ。でなければ私はお前を守れない」
 令司は二人の立会人になった。隣に、小柄な諸田江亜美が立っている。應慶大医学部の海老川の友人は、不安そうな顔をしている。
「こうなるって、分かっていた……」
 江亜美は呟いて、令司をじっと見た。
「ね、ねぇ令司君。そうだ、どっちが勝つか賭けましょうよ」
 江亜美は無理して微笑んでるように見えた。
「こんな時に?」
「うん――、海老川さんは斬り捨て御免を実行しようとしている……あの久世リカ子相手に、相当な自信だと思いません?」
「何が言いたい?」
「彼女にはもともと、法を犯しても決して捕らない自信があるんですよ」
「――だろうな。けど、君もだろ」
 海老川は負けなければ現象維持、世の中を変えるには勝って彼女を死なせなくてはならない。引き分けになっても、人が死ななくても海老川は少しも困らない。
 江亜美は令司を見張っているのだ。――逃げられない。
「あの三角定規は?」
「定規じゃない。見たでしょう、合コンでピザを切る時に。物体に触れずに斬るデルタカッター。巨大化すれば剣になる」
「巨大化?」
 如意バトンと同じPMだ。
「小さくしとけばただのカッターは合法でしょ。いわばあれは、銃刀法時代の帯剣なんです」
「君はどっちが勝つと思っている?」
「分からない。私が見たところ、久世さんは不利かも」
「なら、俺は久世に賭ける」
 ジャキィイーン。
 三角定規は中心に穴があった。その一辺に切れ目が生じ、海老川は知恵の輪のようにぐにゃりと曲げて腰に通した。
 海老川の腰でフラフープのようにデルタカッターを回すうちに、三角定規はみるみる巨大化した。二等辺三角形の底辺が一メートル二十センチに達した。銀色の三角形が、黄色い光を帯びてゆく。
「黄金三角! 彼女はそう呼んでいる」
 海老川はそれを腰から離すと久世に投げた。凄いスナップが効いたデルタカッターは、ブーメランのようにガラス棟内の広大な空間を飛び回った。
 デルタカッターはグルグルと縦に回転しながら宙を飛び、久世に襲いかかかった。三角は青白く光りを発している。
 回転するカッターの威力で、リカ子の羽織は引き裂かれ、宙に舞った。
 久世はバク転してカッターの攻撃を避けると、第二撃を行雲流水のごとく、バトンの回転でいなしていく。リカ子は、どんどんあられのない格好になっていく。
「このバトンの餌食は貴様だ、このバトンには武蔵でも卜伝でも張飛でも黒旋風鉄牛でも敵わん」
「宇宙の原理である三角には勝てませんよ」
「フン……東京華族のご令嬢ごときがッ!」
 久世は流れるように片手でバトンを操った。チアバトンの無限の回転運動はビューンビューンと、甲高いうなり声をあげている。
 頭上で振り回し、空中からの飛込蹴りからのバトン攻撃。相手の武器は砕け落ちる――はずだった。
 カッ! 三角が赤く光った。
「……クッ!」
 海老川デルタフラッシュ。それは、太陽のような猛烈な閃光で、しばらくすべての人間の視界を奪った。
 何も見えない世界で、ブゥンブゥンという低い音が飛び回っている。
 凄い刃で何でも切れるデルタカッターが、久世リカ子の首を狙った。リカ子は、スレスレで交わした。動体視力を超えた判断を、戦闘時の霊感だけで行っているようだ。
 隣に立った口髭にオールバック、白ハチマキの嵐山副団長に、令司は話しかけた。
「君たちの団長は凄いな。あんな小柄な女性なのに――」
「うむ」
「ちょっと目の毒じゃないか?」
「いいや別に」
「本当に? 魅力を感じないのか?」
「……自分なんぞはとてもとても、尊敬すべき師範ですから。それに先生にはもう決まった人がいらっしゃるし」
 その眼差しからは、確かに邪心はうかがえない。
 海老川は建物の構造で三角のあるエリアから別の三角へと移動して逃げ、久世は追いかけながら三角へと誘われている。
 その中に入ると、三角の衝撃波を直接くらい、久世は骨さえ熔かされるのだ。
 久世は三角エリアから海老川を引き出そうとした。久世がフォーラムの三角支柱へ攻撃を加えると、海老川は次の三角エリアに向かって走った。
 リカ子が距離を取ると、海老川は三角条規の力で遠隔で空き缶やごみ箱を操り、宙に放って撃った。PM剣を磁化させ、物を引き寄せて集める。それは、金属とは限らない。
 久世はなんとかバトンの回転力で跳ね返したが、相手の遠隔操作攻撃は何度も繰り返されている。バトンはそのまま黄金三角に吸い寄せられて、久世は動かなくなった。海老川は壁を蹴って飛び、三角蹴りをあびせた。
「これは失礼。なかなか楽しめそうだな」
 かえって久世を本気にさせたらしい。
 久世は腕力だけでバトンを解放し、雅弓のハイヒール・キックを受け止める。
 久世の華麗なるバトンの回転は、幻惑となり、そこから縦横無尽に相手のスキを狙ってくる。グルグルと回すことは、相手へのかく乱となるのだ。
「武と音楽は通じる部分がある! すべてはリズムだッ!!」
 久世は半分破れた羽織を脱ぎ去り、バタバタとはためかせて海老川の方へ投げつけ、その中心へ棒を突き立てた。
 宙でバック転しキック、そのままバック転しキック、三度、四度と繰り返し、蹴りを加え続ける。
 PMバトンはグルグル回転して壁を突き抜け、さらに宙を回転しながら久世の手へ戻ってきた。
「二人の戦いは早すぎて目が追い付かんッ! 彼女らの動体視力はどうなっているんだ? 君には見えて――いないか」
 隣で江亜美が目を回している。
「ぜ、全然―――」
 デルタカッターは、風を切りながら高速回転し、生き物のように久世を追跡した。
 死をもたらすデルタカッターが宙を舞う中、海老川は両手で作った三角形の衝撃波を打って迫ってくる。リカ子の水着が切れてバストがあらわになりそうになった。手ぶらで走りながら、部下の投げたタオルをひっつかんでさらしにして巻いた。
 鬼兵隊の演舞の闘気が海老川に向けられた。彼らの演舞は、三角の放った衝撃波を跳ね返すことができる。
 眺めていた東学連の体育会系が、鬼兵隊に突進した。タックルをくらわそうとした体育会系の連中は、鬼兵隊の演舞に吹っ飛ばされ、床をゴロゴロ転がっていく。
「おぉ汚らわしい! 十メートル以内に近寄らないでちょうだいッ」
 海老川は手で△を造った。




 デルタデルタデルタデルタ――ッ。
 鬼兵隊は、衝撃波を間近に喰らった。海老川は、素手でロケットランチャーを撃てる。侮ってはならない。
 海老川の意識が、應援團へと向けられた隙に、リカ子はエスカレーターを走って上階へ向かった。上で海老川がエレベーターで先回りしていた。
「クソ、地球フォーラムは、三角形だらけだ。渡り廊下が三角形だ! そのためにここを選んだのだなッ!」
 久世は如意バトンを振り回し、何度も何度もデルタカッターを宙で撃ち返した。だが、デルタカッターはそんな久世の努力をあざ笑うかのように、舞い戻ってきた。
 上階は完全に三角の結界が張り巡らされている。東京スミドラシルだけではない。都内要所の建物は、すべてエビガワ・トライアングルが張られていて、守られているのだ。そして海老川の力を何倍にも増幅するのだった。
 さらなる上の階に上がった久世は、走り回って脱出路を探るも、そこには二つの三角を併せて作られた六芒星が――最後にして最強の結界だ!
 デルタの罠。海老川は常に自分で作った三の結界の中から出てこない。
 誘い込まれれば久世の命はない。それを久世は知っている。同じことが三度繰り返されていた。三度……。
「しまっ――(た)!」
 久世は馬鹿力だが、海老川は違う。
 久世に蹴飛ばされて二十メートル吹っ飛ぶも、デルタカッターの凄いパワーで、久世は三角で宙に固定された。
 この地球フォーラムは、トラス構造。三角形で構成される骨組みだ。最初から海老川のエリアの中に入っている。
 三角結界の中に誘い込むと、その中で海老川のデルタのPM力は最強となり、誰も勝てなくなる。しかし海老川の射程距離はあくまで三角の中。つまりそこにいかに罠を作って誘い込むかが海老川の戦略となる。
 しかしもう、久世は三角の結界で脱出できない。
 久世はデルタカッターに対し、如意バトンで避けて歯を食いしばって耐えていた。
「も、もうやめろ!! 見てられん」
 令司は叫んだ。いろいろな意味で。
「刮目し、しっかり見ていろと言っただろ、鷹城令司!! 私の姿を!」
 リカ子の眼が血走っている。
「人間の中には、無限の英知と力が眠っている――」
 この細い身体でとんでもないパワーを発する。
「それが私の終生のテーマなんだ。陰謀とは、新3S政策ばかりではないぞ。人間は無力だと信じ込ませるところにある。人々が力あることに目覚めるのを、上級都民は絶対的に恐れている。私は、消極的に陰謀を暴くばかりじゃない、人間には無限の力があるってことを――体を張って証明する!」
 凄い形相で、バトンを振った結果、支柱にひびが入り始めた。
 ミシ――ミシミシ、ミシミシミシ――……。
 海老川優勢だったが、このままでは無数の窓ガラスが壮大に崩れ落ちる大戦争に発展する。今日立ち合っているだけの一般学生にも被害者が出てしまう。
「ストーップ! これ以上続けると地球フォーラムが壊れるわ。それはコロシアムの範囲が崩れるということ。表の法の介入を受け、神聖な大斗会のルールが成立しなくなってしまう。――いいわ、私の負けで」
「か、会長――」
 デルタフォースの水友正二が愕然としている。
 久世リカ子は、海老川雅弓に勝利した。
 松下村塾は辛くもリベンジを果たし、鷹城令司の自由(争点は、令司に華族学生側に入れという勧誘)だけは無事守ることができた。しかし、それだけだ。フォーラムでの帝国対人狼の大斗会は、一分け一敗である。
 だが、花音に敗北した新田真実(まこと)は、改めて花音に逮捕された。
 新田は連れていかれた。これは、海老川の高等戦術だったか。
「令司、頼んだぜ――。もし俺に何かが起こっても、俺のことは気にしないで、久世の言葉を信じて、必ず原稿を完成させてくれ!」
 元の木阿弥である。

 令司は、コンチネンタルGTに乗り込む海老川雅弓に声をかけた。
「すべてはお前の思惑通りだったのか? お前は久世に勝っていた。この建物を心配していたが、お前は決闘で自分が負けたとしても、一人の人間も死なない道を選んだんじゃないのか? この、自分の好きにできる学生サミットの人狼ゲームで。一体なぜだ?」
「―――バカなこと言わないでちょうだい」
 海老川は不快そうに眉をひそめてドアをバタンと閉めた。
 令司と久世は、苦々しく上級都民を見送った。
「ダメだった……やっぱりあたしには松陰先生の代わりは務まらなかった。私はこんなトコで死んでいる場合じゃない。先生になれないなら長生きするまでだ。生き恥をさらしてでも、女・高杉晋作としての使命を全うせねば―――。お前も決して辞めるなんて考えるなよ。これからも東伝会を続けて原稿を書くんだ。お前にはいずれ、大切な人間と会わせてやる」
「あ、あぁ―――」
 令司は別れ際、リカ子と空の約束をしてしまった。今後も鬼兵隊と関係が続くと思うと、気が重かった。

「私が何とかする。君たちは勝手に動かないでちょうだい」
 東伝会顧問・吾妻真知子は、神妙な顔つきで令司に言った。
 すでに吾妻は、新田真実を釈放しようとして、大学からの圧力を受けていた。新田は、ドライブレコーダーの記録が最終的な証拠となって、しょっ引かれたという。濡れ衣だった。だが、これ以上は教授が危険だ。
「先生、申し訳ありません。俺はまだこの大学を信じているのかもしれない。それは、愚かなことだと分かっています。分かっていても、問いたださなきゃ気が済まないんです、この大学の理事に」
「ちょ―――、令司君!?」
 令司は、天馬雅とともに東大理事会へと向かった。

 廊下まで、テレビの音が漏れ聞こえている。
 丸眼鏡に口ひげを蓄え、明治の文豪・永田風花によく似た面長の町岡理事は、机上に置かれたハード・ビスケットをミルクに浸し、再現ドラマ番組を観て涙ぐんでいた。二人を見ると慌てて、茶色のパイプに煙草を詰めて火をつけた。
「―――何だ君たちは?」
 口髭の下から煙が流れ出る。
「町岡理事、新田君を今すぐ釈放するように新番組に掛け合ってください! 大学に伝えるってあの五百旗頭って特捜検事は、ハッキリ言ってましたよ!」
「え? 誰の事?」
 理事は深々と革製の椅子に座ったまま、目を細め、窓の外を眺めて訊いた。
「新田真実ですよッ! 理事、ご存知なんでしょう? 桜田総長の死と、本郷の決闘事件と総長選には関係がありますよね? 小夜王純子と三輪彌千香が果し合いして、彌千香が勝利した。あなたは桜田総長の側近だった。とぼけるのは止めて下さい!!」
 ぽかんと開いた口髭から、白い煙がゆらゆらと上がっていった。不審者を見るような、その目の奥は暗く、完全に心を閉ざしている。
「あの日、桜田総長はッ! 新田を車内に軟禁し、永田町へ向かう途中に亡くなったんですよッ! 新田は、銃を持った桜田を止めようとして事故の責任を取らされた――。彼を救えるのは、事情を知るあなたしかいないんだ! あなたの学校の一学生の身に危険が迫っているのに、どうしてこんなところで座していられるんだッ!?」
 新田の身の潔白について、令司と天馬雅は詰め寄った。雅はカメラを回している。
「東伝会は、本郷での事件は、表層しか動画でアップしていません。さぁ、全てをここで明らかにしてください!」
「―――そんな事できる訳ないだろ。馬鹿なのか」
 バカラのクリスタル灰皿の横に積み上げられたナッツを、二~三個つまみ上げて、口の中へと放り込んだ。その目は険しく輝く。
「許可なく、こんなところに学生が勝手に入って来ちゃ困る。警備員に追い出される前に自分の足で帰んなさい――さっさと」
「なら表層的なスタンスはもはや今日限りだ。この会話の模様も、全てU-Tubeでアップしますよ。よろしいですね?」
 令司の中に、久世リカ子が乗り移ったような、自分自身の変化を感じた。容赦なく詰め寄ると、理事は突然震え出した。
「ま、待て――」
「聞こえませんね! ではこれで」
「待ちなさい! そ、そんなことをしたら私は消される!! 私は人狼じゃない。もしも人狼と間違えられたら、わ、私は、キョ、キョウコに殺される――言いがかりは止めろ! 私は人狼じゃあ……ないんだ。……ない……んだ……」
 椅子にうずくまり、頭を抱えて何も言わなくなった。
 一瞬前まで横柄に学生を見下す町岡が豹変し、おびえている。
「―――令司君、諦めましょう。なんだか様子がおかしい」
 雅は撮影を中断して、令司を出口に促した。

「オイオイ、ホントに『人狼』って言ったのか?」
 東伝会に令司は、さっき理事が言った言葉が気になった。なんでここで「人狼」が……。キョウコは人狼狩りをしているのだろうか。
「意外だな、あの態度」
 もちろん、桜田総長の死の真相を知っているからこそだろう。だが……何か引っかかる。令司の言葉に、藪が答えた。
「東京華族閨閥は、基本的には小悪党どもの集まりだ。この国に、誰かヒトラーみたいな奴が一人いる訳じゃない。誰も責任を取らず組織全体、国全体が沈んでいく。禊文化がありながら、自分の禊はしない国。この国は大悪人ではなく無数にいる小悪人ばかりが、アメーバみたいに既得権益に群がっている。老害帝国だよ。第一、東大総長の家より海老川の家のほうが東京でのランクが上なんだぜ。――あぁ恐ろしい」
 ひどい言いようだ。
「だが町岡は確かに殺されると言っていた。一体、誰が最後の黒幕なんだろう? この大学で海老川っていうのは分かるけど」
 海老川雅弓は、人の死を嫌う。何かが違う気がした。
「どうもクサいんだよなぁ……さっきの態度」
「何かです?」
「実は演じていただけなのかも」
 心配して部室に顔を出した吾妻真知子は、肩を落として微笑んだ。
「やれやれ、今度からは私の忠告を聞いてね」
 結局、後で怒られるのは吾妻教授である。
「すみません」

 一方、都知事選は、東京華族側の犬養謙候補の勝利に終わった。それが、地球フォーラムで行われた大斗会の反映だった。開票結果は極めて接戦で、新田が名乗りを上げたためチーム戦になってしまい、最終的に引き分けという結果に終わった。
 だが、引き分けということは、松下村塾大学側にとって何の利得にもならない。それは単に、東京華族側の現状維持を意味したからだ。海老川雅弓は何一つ失ってはいない。東京に革命を起こすとするなら、大斗会に勝利しなければならない。
 東京地検特捜新番組は、松下村塾・下学連が応援した候補者を、選挙法違反で強制捜査した。十連歌支援の政治グループも同様に、徹底的な弾圧を受けた。
 新番組の嵐は、松下村塾大学の鬼兵隊にまで押し寄せたのだ。すさまじい戦闘が繰り広げられたが、その事実は大学当局および検察によって伏された。

元治元年六月五日

 京都三条木屋、池田屋に潜伏の長州藩・土佐藩ら尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の新撰組が襲撃。世に池田屋事件として知られるこの出来事を機に、長州藩は一丸となって統幕へと動き出した。
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