第26話 渋谷事変 アンモ・ナイト

文字数 12,118文字



 四元はセンター街の角にある「渋谷スパイダー」というB1地下店に、メンバーを誘導した。
 狭い道の両側に、飲食店、雑貨屋が並んでいる。外は狭いが中は広い。そして広大な渋谷駅の、地下バックヤードエリアとつながっていると、四元律はまことしやかに語った。
 「本日はレイヴ・アンモ・ナイト」と手書き看板が出ている。
 鷹城二十歳になったので、お酒の飲める店だった。他のメンバーは全員二十歳以上、四年生の四元が最年長である。
 薄暗い店内はシックな黒檀色で統一され、青や黄色い間接照明が神秘的な雰囲気を漂わせている。
 壁面の巨大水槽の中で赤金色のアロワナが四頭、ブラックライトに照らされて悠々と泳いでいる。怪物級の巨大さだ。
 マックス先輩が予約してくれた奥の楕円テーブル席には、機械的で生物的な意匠の不気味な椅子が六脚並んでいた。映画「エイリアン」にそっくりだ。
「H.R.ギーガーのデザインだ」
 マックス四元律がドヤ顔でニヤッと笑った。
 青白いレーザー光が飛び交うステージで、黒いヘッドフォンをしたパンダの着ぐるみがターンテーブルを回していた。一九〇センチはあり、ヌオッと立っていて全然かわいくない。DJ.サイバー・パンダというらしい。恐ろしげな爪が、五センチも伸びているが、あれでよくスイッチャーを操作できるものだと感心する。
「飲もうよ、飲もうよ~」
 里実は慣れてるらしく、店の雰囲気にのまれることなく、楽しそうに令司に飲み物メニューを渡した。
「あぁ……うん」
 出された誕生日ケーキの代わりは、オレンジリキュールケーキ。他にも酒まんじゅうや、ウイスキーボンボン類。すべてアルコール入り。こ……これはこれで意外と後で酔いそうだ。
 五時開店のOPをサイバー・パンダが飾った直後、DJは下がり、静かなチルアウト・テクノ系BGMに代わった。すでに客席は半数くらい埋まっている。
「BGMタイムは飲み放題なんだ。二千円ぽっきり」
 いつもDJが音楽をガンガンかけてる訳じゃない。それはダンスタイムだけらしい。
「じゃ学生の懐にも優しいじゃん? さっすがマックス先輩!」
 令司は里実に勧められて、イリュージョンティー・サワーを選んだ。ミルクピッチャーに入った液体を加えると、紅茶サワーの色がみるみるブルーからピンクへと代わっていく。女子しか飲まないような代物だ。
「ところで……みんなも知ってのとおり、新田君とは連絡がつかない。副部長として、重々責任を感じている」
 マックスこと四元律は静かに言った。
「吾妻教授を入れて八人、最初に八犬士だって俺たちは部室で祝杯を挙げた。それが次第に減っている。事実上二人も。まことに残念だ」
 令司のハタチの誕生日をささやかに祝う宴は、神妙に幕を開けた。
「またガンドッグが、十連歌のリサイクル企業を襲撃したらしいぞ」
「強制捜査という名の、粛清だな」
「あの新選組気取りが!」
 何が新番組だ! 何が銭形花音だ! 令司は一人ナーバスになっている。
「こいつも大斗会の結果か?」
「そういうことだな」
「そんな……猫も杓子も決闘の結果なんて、無理やりなこじつけじゃ……」
「令司君が目撃したように、確かにこの東京で、決闘はあると言わざるを得ない。東京の表の世界と、裏の世界はつながっている」
「陰謀論……ですよね」
「そうだよ。アーバン・レジェンド(都市伝説)から、コンスピラシー(陰謀論)への流れは、もはや止められそうもない。原稿は進んでいるかい?」
 四元は令司を気遣っている。
「ええ……でもこのまま進んでいいのか正直悩んでいます」
「あぁ……。あれから、新田君について本当に何も情報はないのか?」
「連絡がつきません。警察に行っても面会謝絶です」
「そうか……」
 四元はコークハイのコップをタン!と、黒いテーブルの上に置いた。
「だが、これまでの取材で、令司君しか部長の意思を継ぐ人はいないと僕は確信した!」
 マックス先輩は明るく言った。
「確かに立派なもんだな! 今日までの活動は、部長が居た頃に匹敵する。いや、ある意味それ以上かもしれない」
 藪が叫ぶ。
「俺も賛成だ。ようやく、俺たちの活動を世間に問う時が来た――。いや、すでにU-Tubeでやってもらってはいるが」
「それに必ずカメラで撮影して、U-Tubeにアップしている。とてもとても、ガッツがなきゃできん」
「何があってもカメラブレしてませんしね」
 雅はつまみを食べている。
「君が完成させる事を期待する」
「そうなんですが……」
「もっと自信を持てよ、お前のやってることは元CIAハッカー、エドガー・ウィザードに匹敵するんだぜ?」
 藪はポンと肩をたたいた。
「ンじゃオレも、ロシアに亡命するかな」
 令司はやけくそに答える。
「あたしも、ボルシチ食べたい。マトリョーシカ欲しい」
 里実は無責任に言う。
「日本でも買えるよ」
「今更だけど、僕でいいんでしょうか?」
 令司は気落ちして訊く。
「もちろん、君が適任だからに決まってる。君は我々の中で一番文章が書ける。君自身は小説を執筆する感覚で構わない。君が言ったとおり、我々のスタンスや部長のやり方に同調する必要はない。ただ一つの要望としては、フィクションではなく、形の上だけでも、君の取材と我々の話をまとめたノンフィクション形式のものにして欲しい、ということだけだ」
「はい」
「お前が来てくれなきゃ、この部は潰れるところだったんだ。部長不在で風前の灯だった部を救ってくれた。ホント感謝するぜ!」
 藪はあえて、景気よくふるまっているのかもしれない。
 応募も投稿サイトも同人誌も考えたことがあるだけで、実行に移したことはない。そんな自分をなぜ、彼らは高く評価してくれるのか。ただ一度文章を発表しただけで、何か、凄い奴だと思われている。思いっきり過大評価され、沈みかかった東伝会という小船の漕ぎ手になれと担ぎ上げられている。
 藪に言われるまでもなく、令司は本気で、東京伝説を一冊にまとめた本をかき上げるつもりだった。両者の方向性は一致していた。ノンフィクションの形式だろうと、一冊の本にまとめるというのは全くいい考えだろう。作家を目指すなら、よい修行になるし、近道でもある。ひょっとしたら、デビューの最短距離を歩んでいる可能性だってある。何も躊躇する必要はない。
だが問題は、伝説の内容が想像した以上に真に迫っているということだ。そのお陰で、関係した人間の失踪が続いている。
 最初は幅広く東京伝説を追及していたつもりが、結局、荒木部長が追及していた伝説にたどり着く運命にあった。東大の黒い霧、東京コードのタブー領域に足を踏み入れたことは間違いない。
「そう……君の本はね……下克上だよ。下級都民のな。状況は極めてシビアだ。引き返すなら今だ。断ったって、誰も君も責めはしない。しかし、やってくれるなら、これ以上うれしいことはないがな」
「大丈夫です。最後まで書きます」
「そうかい。イヤ~そう言ってくれるのを待ってたよ。荒木部長の遺志を継ぐものに乾杯。今日はやけに酒がうまいな!」
 クールでとぼけていて、普段面相を崩さぬマックス先輩の眼鏡越しに、光るものがあった。演技か?
「選ばれし者の恍惚と不安ともに我にあり、ってな!」
 藪はアルコールゼロで目が酔っていた。
「ハチ公は、帰ることのない主人をずっと渋谷駅のあの場所で、待ち続けたんだ。あたしたち東伝会と一緒だよ」
 里実は妙なことを言った。
 確かハチ公が待っていたのは、東大教授だ。
「……」
「おかえり、鷹城令司」
 メンバーはやたらまじめな顔をして、里実の発言にうなずく。その意味がよく分からない。
 令司もほろ酔いのせいなのか、高揚して大分気が大きくなっていた。もう少しで鼻歌が出そうなレベルに。
「新田君の事件……実は前から気になってることがあるんだが。令司君、桜田人外の変についてどう思う? 総長の死と、その後の本郷での二人の決闘は、関係があると思うか?」
「あると思います」
 令司は、自身が体験した数々の決闘について語った。
 本郷大斗会では、取り囲んでいた警官隊が無人化を形成し、外から人が入ってこれないようにした。警官たちは令司が大斗会のルールから外れたとたん、押し寄せてきた。
 東京スミドラシル天空楼も同じだ。久世リカ子と銭形花音の決闘に、五百旗頭検事たちがタワーを取り囲んで、タイミングを見計らってなだれ込んできた。東京地球フォーラムも同様だ。
 本郷地下の第二工学部は、そもそも鍵を持った鷹城令司しか入ることができなかったが。
「小夜王純子が言ってたけど、上級都民を支える裏の法律なんてあるんでしょうか? 本当に代理戦争なんて――。一体、大斗会って何なのか。決闘した彼らと接すれば接するほど、東京の戦争というものが、本当のことだと思えてくるんです」
「紳士協定なんだろう。選挙もそうだが、近代以降、たびたびの政変で、テロや内乱で一般人を巻き込ませないために、権力交代のルールが存在する」
「それが、現代の東京でひそかに決闘を?」
 里実が訊いた。
「うん。代表者を立てて決闘をすることで、戦の代わりとする」
「それが、正しさの基準になるんですか?」
「その昔、ヨーロッパでは決闘裁判が行われた。決闘の結果は『神の審判』だと理解され、正しい裁きが下されるとしたんだ」
「ほえ~」
「一方で、一種のガス抜きの作用もあるだろう。帝政ローマ時代のグラディエーター(剣闘士)によって、市民の政治に対する不満を逸らしたコロシアム。昔から行われてきたことだ。GHQは日本占領のため、国民のエネルギーをそらすため、3S政策を敷いたし」
「ブラウン管テレビのプロレス中継とか?」
「沸いたよね」
 上級都民たちがローマ市民に見えてくる。東京の山の手対下町の戦争は本当だったのかもしれない。
「じゃ、俺たちの動画が、奴らの娯楽に加担したってこと?」
 藪は梅サワーをあおった。
「いや、そうじゃない。連中の謀略を暴露しているんだから、十分やる意義はあった。プロレスだって、力道山が空手チョップで外人レスラーを倒して、逆に敗戦後の日本人に勇気を与えたじゃないか?」
「……でも、3Sなんてアメリカもソウなんじゃないですか? ハリウッドやスーパーボールなんかは」
 雅がマックスに言った。
「もちろん自国民に対して、完全に浸透させているだろう」
 デュエリストについて、マックスは所見を述べる。
「競技場でのスポーツの試合やリングの上なら、ルールに従って戦ってもいいわけだ。しかし正真正銘、命を取り合う決闘となると、これは犯罪だ。どちらかが死ななくても傷害罪や暴行罪は免れない。しかし、だ。無人化の場合、いわば完全犯罪が成立する。5Gカメラでさえ、一斉に消されているのであれば、東京に出現したブラックボックス、いわば密室殺人となる。そこで何が起ころうとも証拠は残らない」
「しかも、リング内や道場でならスパーリングや試合は許される」
「ルール付きでな」
「ところで、リングや道場の範囲がものすごく広かったとしたら?」
「その中では合法かもね。ひょっとしたら」
「果し合いは現代社会でもありうる、ってことだ――」
「じゃ無人化は、ホントに東京のコロシアムってことでアリなの?」
 里実は身を乗り出した。
 警察を使って東京を無人にした空間は、決闘のコロシアムに違いない。その中に入れば、どんな違法行為も見えなくなってしまう。事実上合法化されたともいえる、完全なる無法地帯なのだ。
 海老川の人狼ゲームは茶番だ。最初から決闘者を取り締まるつもりなんかない。決闘は不問で、その前の事故を問題とした。彼女の飼っている銭形花音にして、しかり。
「それが山の手と下町との代理戦争なんだろうよ。藪の紹介した伝説は正しい。東京で戦争をしている複数の巨大勢力は、確かに存在した!」
「では、表の法の決闘罪との関係はどうなるんです?」
「そこなんだが……いくら無人とっても、何か法的根拠があるんじゃないかと思ってね。この二週間、調べていたんだ。法学部の闇を。大斗会という決闘制度に関する不文律の法があるのではないか、と」
 法学部三年のマックス先輩は、法学部のやばい真実に気づいたらしい。いったい、どんなレポートを書いたのか。
「せ、先輩も赤門の開かずの戸を、ですか?」
 四元の言葉は、三輪彌千香の言っていた赤門の謎に直結している。
「そう。近年凋落著しい法学部、常に定員割れだ。誰も官僚や政治家になりたがらんせいだがね」
 マックス先輩は、焼ニンニクをつまんだ。
「でも、先輩も弁護士目指して、正義を貫くんじゃ? 忙しいんでしょ」
「問題ない。レポートはあるが法学部に卒論はないし、資格試験に忙しいからだけど、今はみんなに法律の面白さを知ってもらいたい」
 まさか、司法試験を諦めたのか……。
「……」
「いわゆる、日本における非成典憲法だ」
「……イギリスって、非成典憲法ですね。確か」
「イスラエルや、サウジアラビアもそうだ」
「でも、日本に?」
「そう。それが決闘の法的根拠であり、新田を逮捕した銭形花音のような官吏が、大斗会を取り締まらない理由なんだ」
「そんなものが、あるなんて―――」
「とはいえ、非成典憲法はいろいろな公文書に記載されているだけで、つまり、一つにまとまってないだけの憲法ってことだ。つまり、慣習やら先例が法的根拠になっている。そのため、日本の憲法なんかは改正するための手続きが困難だが、非常に柔軟かつ、弾力的で、融通が効くといえる」
「柔軟……? 弾力……? 融通? 要するになんでもありってことですか?」
「まぁ……慣習について見解の相違が出た場合、議論が沸騰するわけだが、その都度、事態の解決に新たな法律を制定する」
「へぇ~……合理的ですね」
「法律制定に、手間暇がかからない。だから、ケース・バイ・ケースで迅速に対応できるんだよね。時と場合によって、法律が変化することを前提としている」
「時と場合ですか?」
「うん。決闘は禁止とうたった上で、場合によっては決闘してもいい、ということ。日本でも明治以来、不成文憲法が存在するんだと思う。憲法九条がありながら、自衛隊が存在するようなもんだ。解釈次第で、自衛隊は軍隊だとか軍隊でないとか、幅広く言う事ができる。それって、よく考えてみたら非成典憲法じゃないか?」
「自衛隊か――確かに」
 日本国憲法は不磨の大典と化し、変更することはなかなかできない。
「銃刀法がありながら銃を持っているようなもんだね、日本の自衛隊は」
「そう。戦後の自衛隊は最も矛盾をはらんだ存在だ。よく、野党の追及を受けていた。出発点は第九条に照らして違憲だった訳だが、法律もあり、合法的な存在だ。戦争にしたって、ルール無用なんかじゃない。民主主義国家においては攻撃する正当な理由が必要なんだ。国民に説明する前に、いきなり攻撃するって訳にはいかない」
「ははぁ、確かに」
「すべての戦争や闘争にはルールがある。国際人道法上、無用に人体に苦痛を与え、使用が禁止された兵器が存在するのはそれだ。それを無視して戦いに勝てば、全世界から非難轟々だ。それは一国にとって何のメリットもなく、戦後、国際社会から孤立することになる」
 法の裏道は確かに存在するのかもしれない。
「その証拠が、うちの大学の法学部には隠されている。上級忖度・かばい合いには法的根拠がある。俺はついに、その裏法律を発見した!」
 でも、俺の語る法学部の秘密にすぎない。
「教授たちは知ってるんですか?」
「ま、上級都民だしな。同じ穴の狢だよ」
「衝撃ですね」
「でも、コロシアムの決闘空間に行くまでに、武器を所持していくことになりますよね? 職質されたら、どう言い逃れするんでしょうか」
「そこでもう一つ、不文律の可能性があるのが銃刀法だ。銃砲刀剣類所持等取締法。現在につづくものは、戦後GHQの要請で、昭和三十三年、旧日本軍の解体のために施工された。これも、法の抜け道がないか調べてみた。銃刀法のほかに、鉄パイプなんかを持ち歩いてた場合でも、軽犯罪法に引っかかる。『正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他人の生命を害し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯』という奴だ」
「あぁ……問題は『正当な理由』ですね」
「その通り。真剣だって、居合の稽古や試合へ持っていくとか、購入した帰宅時ということになれば、法には引っかからない」
「けど常時持ち歩くとか、昔の侍みたいにはいきませんよね」
「そらそーだ!」
「昔、小学校の校庭を手で掘ってたら戦時中の銃弾が出てきた。よく考えたらあれも銃刀法違反か」
「弾のみの不法所持でも、五年以下の懲役二百万以下の罰金刑ですよ」
「う~んそうなのか。じゃ普通に、小学生の時法を犯していたってわけか!」
「まぁ厳密にはそうなんだ。しかし、一見して武器に見えない、とすれば話が違ってくる」
 小夜王純子の四斧ギター、銭形花音のキャノン砲、久世リカ子の如意バトン。三輪彌千香と純子が本郷で振り回した真剣は、最初見たときは模擬刀だったが決闘時に刃が生えた。花音の十手はギリギリか? 形状が変化する以前なら、彼らは堂々と所持できる。銃刀法は、当然PMの存在を想定していない。
「銃刀法時代の武士の刀……PMは普段別の形に隠されている。所有者の精神がそれを変化させる。現行法で、超能力の存在は想定されてない。精神の内部まで、法は支配できないからな。だが、実際は警察内部で重要事件はすべて超能力者が透視したものを元に捜査を行っているし、PMももはや現実的な問題だ。だから伝統的な法学部の権威は失墜したんだ!」
 四元律は一瞬頭(こうべ)を垂れ、沈黙した。
「決闘制度は東京華族たちの不文律によって、確かに存在する……。しかし俺はもう一つ、恐ろしいものを見つけた。限定内戦法だ」
「えぇっ」
「必要なら限定されたエリアで、この国でホンモノの戦争だって行える。大斗会がもっと拡大すると、合法的内戦なんていう概念もありうるってこと」
「まさか先輩」
「つまり、決闘のチーム戦だよ」
「……」
 キョウコが、その単語を使っていた。
「これはどうやら、今まで施行されたことがないらしいがな」
「あぁ良かった……、って!!」
 地球フォーラムでの大斗会が、チームになったことを先輩は語っているのだろうか? だがしかし、それ以上の大集団となると?
「山の手と下町の戦争と、何か関係がありそうな」
 里実の手が、かすかに震えた。
 恐るべき「未来」の、予言か。
「この非成文憲法の領域に、東京華族に関する数々の特権が隠されていると、俺は睨んでいる」
「それは、表には出てこないんですか」
「絶対に出てこない。だが、今は『ある』とだけ言っておこう――」
 四元は、グビグビと三杯目のコークハイを煽った。
 クール、冷静沈着なマックス四元律をして、酒の力を借りねば話せない、そんな種類のテーマらしい。令司たちの民主主義社会の「常識」が、ガラガラと崩れ去っていった。

荒木影子

「……部長とは、現在に至るまで誰とも連絡を取ってないんですか?」
「荒木部長の情報は完璧に消されている。SNSも、とっくにアカウントを消して、足跡がない」
「ご自分で姿を消したんでしょうか?」
「あるいは、消されたか……」
 沈黙が流れた。
「大学の名簿にも残ってない。あるはずがないんだがな、そんなコト」
「二〇二〇年に5G時代に入ってから、スマート東京が完成して、そこから外されたら存在が抹消されるようになった。都民でなくなる」
 令司は、都民IDカードが使えなかった出来事を思い出した。
 原稿を完成させたとき、自分は部長と同じ運命を辿るのかもしれない。
「もう一人来るはずなんだがなぁ、遅いな」
 マックスは腕時計を観た。
「誰なんです? またもったいぶっちゃって」
 里実は笑った。

 店内がにぎやかになった。
「あ、そろそろ時間だな」
 DJ.サイバー・パンダがパフォーマンスを始めた。
 壁の渦の模様がサイケな色彩を放った。巨大な虹色のアンモナイトだ。
 今宵のレイヴのタイトルは、「アンモ・ナイト」だ。
「鷹城君、今夜君に会わせたい人が居てね。――ようやく到着したようだ」
 スマフォを見ながら、四元は張り切っていた。
「ビッグネームだよ。昨日、久世さんから連絡があってね」
「え――鬼兵隊の?」
「先輩、面識があったんですか」
 令司は血の気が引く感覚を覚えた。
「いや、向こうからいきなり。俺は話したのは初めてだ。――スマンな皆、罠にハメたような格好になってしまって」
 四元のサングラスが光った。
「「「「えぇ?」」」」
 階段の方向から、ハイヒールの音が近づいてきた。

 パーマがかった金髪のミディアム・ウルフカットに、アライグマみたいなキツいアイシャドー、唇に真っ赤なルージュを差し、純子を髣髴とさせるバブル期のような大きなイヤリング。黒のスキニージーンズに、十センチほどのピンヒールを履いた「The渋谷」とでもいうべき、モデル女だった。その女が声をかけてきた。
「新人の鷹城君だね。四元から聞いた。私が東京伝説研究会の部長荒木だ。よろしく」
「……」
 とっさに立ち上がった令司は声が出なかった。他の四人もしばらく棒立ちしている。
「部長!?」
「全然違う」
「まるで、別人……」
 マックス先輩は、微笑んで令司に紹介した。
 ようやく見つかった部長が、……金髪に染め、ウルフカットでけばけばしいいで立ち。失踪前の写真とぜんぜん違う! 荒木英子は、確か苦学生で中華店でコックをやっていたはずだ。
「鷹城令司です……」
「私は今、荒木影子(かげこ)と改名している。その必要があったんでね」
「ぶ……部長……部長! 部長! そうだったんですか? モデルのKAGEKOさんが英子部長だったなんて……ぜんっぜん気づかなかった」
 里実は泣いている。他のメンバーも神妙な貌をしている。令司は唖然とするばかりで、目の前の女性をまじまじと見つめた。
「お久しぶりです」
 マックス先輩・四元律は握った両手こぶしを震わせ、サングラス越しに頬を昂揚させているのが分かる。
「令司君、君が今日、僕たちに執筆をつづけると言ってくれたから、部長はここへ顔を出したんだ。イエスでなければ来なかった―――」
「ご苦労でしたね。四元にこの店を指定したのは私だ」
 影子は四元の肩をポンと叩いた。
 そして、でかい。
「久世リカ子さんと同じくらい?」
「いや、久世は一七二、部長は一七五だ。部長の方が大きい」
 ここに出入りしていることは、東大の上級都民たちも知らないらしい。
 何かが影子の腰元で、カチャカチャと音を立てた。
「それなんですか?」
 里実が眼を丸くしたまま聞いた。
 影子は、チョッパーをまるでガンマンみたいな皮の刃物入れに入れて腰の皮ベルトにぶら下げている。
「……あぁこれ? チョッパーだよ。世話になったコックにもらった。マイ包丁だよ。この後、仕事があるんでね」
「まだコックもやってるんですか」
「あぁ」
「だ、大丈夫なんですか? 見えるところに持ち歩いて」
 調理師免許を提示して、職質を避けているらしい。
「例えば居合道の師範が『別の道場での実技指導で必要だから』って理由で持ち歩くのは有りだよ。私でいえば調理師免許を持っていれば問題ない。あるいは『研ぎに持っていく途中』――。もし職質があればいつでもこれで通す。しかし職質されるかされないかは、いわば人物をまとう気の問題だ。警官は、犯罪者がまとっている気を敏感に察知する。だがそんなものは私はまとわない。だから、職質なんかされたことは一度もない」
「しかし部長、いくら調理師の資格を持ってるとはいえ、ガンマンみたいに包丁を腰にぶら下げて歩くというのは――事実上の帯剣では?」
 四元が切り込んだ。さすがマックス先輩だ!
「この包丁は、謂れがあってね。手放せない。実は、ムラマサを溶かして作ったものだ」
「え? ……妖刀ムラマサの魂を?」
「そう」
「身を亡ぼす剣――じゃなかったですか?」
 村正刀を持った多くの侍が、不幸な死を遂げているという。
「時にはその呪力を糧にすることもできる。私はその方法を知っている。日本刀と同じで、これは生きてるんだよ。私は常に身体に触れていたいんだ」
「部長、そんな危険なモノを……」
「東京を追われて私は感じた。東京の呪いを解くには、この村正チョッパーしかない。幸い、私の気には合っている。私はこいつをコントロールできる。他人が持てば危険でもね」
「呪いをも力に――」
「四元。お前は今呪いと言ったが、それは刀には精神エネルギーがこもることを意味する。妖刀ムラマサ伝説をよく考えろ。なぜ剣に、金属に呪いが宿るのか。なぜ世界中の武器の中で、日本刀だけが魂を持つか分かるか?」
「……いえ、分かりません」
「刀の神に祈りつつ、刀を打つときに魂を込める。刀鍛冶は神事だからだ。日本刀には魂がこもっている。それは日本人が刀を持ったときだけ、真価を発揮する。日本人の気でないとダメなんだ」
 魂がこもること、それとPM先端科学技術研究所で聞いた形状記憶合金の性質。さらになぜ神剣に神気が宿るのか。そこにPMの原理が隠されている。十中八九、影子が持っている村正チョッパーは、PMだ。その影子によると、PMが使えるのは日本人だけということになってしまう。
 影子は東大をやめ、松下村塾大学に編入したらしい。久世リカ子といい、東京の有名モデルたちに、こんな秘密があったとは――。
「リカ子から聞いた。あの時は仕事で大学に居なかったので挨拶できなかった」
「もしかして……鬼兵隊四天王の最後の一人って」
「私だよ。名目上のもので、應援團は実はあまり参加してないけど」
 荒木影子は、東京伝説の本を書き、上級都民の海老川と争いを起こした結果、東大内で眼をつけられ、全社内定全取り消しを喰らった。
 東大退学後、中華料理店のバイトもいったん首になった。5Gの都民IDを抹消され、預金もカードも使えず、チョッパーだけを持って、アパートを出て行かざるを得なかったという。令司が海老川を敵に回したときの状況と全く同じだ。
 影子を救ったのが、バイト先で出会った、東大と古くから交流があった松下村塾大学を影で牛耳る鬼兵隊の団長・久世リカ子だ。
「―――ってことは、新田だけは知ってたんだな」
「そう」
 現在は、モデル兼タレントをし、別の店で中華包丁も握っているらしい。
「そういえば、観たことがある。パルコのポスターに? 全く部長だとは気付かなかったけど」
 藪は言った。
「あぁ、飾られてるよ」
 夜の渋谷が似合う女・影子は笑った。
 令司の前に座し、目のやり場に困る。
「私とリカ子は、いわば戦友だ。キャンペンガール派遣業のハイエスト・リサーチのエージェントとして、レースクイーンの会場で出会った。話をすると、私と全く同じ志を持った同志だと分かった」
 影子は髪を金髪に染めて生まれ変わり、モデル・タレントになった。
 モデルに学歴は不要だ。もともと美人だし、元東大のモデル、タレントというふれこみがなくても影子は仕事にありつけた。というか、とても、元東大生には見えない。
「えっ、IDも新しく取得されたんですか?」
「その辺の詳細は伏せさせていただく」
「部長、彼が、部長の原稿を新しく完成させる研究会のホープです」
 四元は言った。
「U-Tube、観てるよ」
「ありがとうございます」
「よければ彼に、部長の原稿を見せてあげてくれませんか?」
「あたしが書いた原稿は、『暗夜を徘徊せし餓狼』という。コピーも取ってない。私が書いたものは逃亡生活で失ってしまった」
「そうなんですか」
「私は東大を、いや、東京を追放されて0から生まれ変わった。今は別の方法で闘っている。しかし鷹城君、君のことは応援している。もちろん、資料は提供するよ。前に書いたものは、少し情報が古い。だから元資料の方を渡してやろう。東京華族に見つからないように手配するから、それまで待ってなさい」
「は……はい!」
「フォーラムでのチーム戦で引き分けになったとはいえ、前回のリカ子の戦果として、君への面会が叶ったんだ。リカ子の要求はそれだけだ。私はリカ子から派遣された。新田は必ずあたしが救い出す」
 荒木部長は言った。
「で、今新田は?」
「インターン検事の銭形花音が押さえている。もちろん帝国側と大斗会を再戦する。今度は私が」
 商科巽塾大学の久世リカ子は、地球フォーラムで海老川雅弓との大斗会に勝利し、鷹城令司を手にしたことで、渋谷で荒木影子を送り込んだ、ということだ。それを今まで隠していた。
「これからは、松下村塾と手を組んで原稿を完成させろ」
 令司と影子をつなげたのは、久世リカ子だった。
 新田は、そのためのツールにされただけだったと令司は気がついた。つまり荒木影子には、松下と東伝研をつなぐ最終目的があり、リカ子らにとっても新田はそのための道具に過ぎない。
「今こそ君の力が必要な時だ。資料は渡す。実はあるグループの協力で、クラウド上のファイルの復元に成功した。ただし、リカ子たちと一緒に東京を革命することが条件だ。上級都民への我々の復讐―――鷹城令司、私と一緒に来い」
「……」
「ところで、キョウコ伝説はダメだ」
 鷹城がキョウコ伝説と、実際に出会った時の状況を話すと、影子は不思議と怪訝な顔をした。むろん、東山京子のことは伏せている。
 まるでキョウコを受け入れがたいという感じがした。
「私が怪談が嫌いだからじゃない。検索しちゃいけないって言われる東京伝説のキョウコは、それが真実だから検索してはいけないのよ」
「……」
「東京華族どもが狙っている。この渋谷にも、やつらの目が多く光っている。気を付けなよ。お前たちを、ある人物が目を付けたという情報がある」
「東大の女王が、令司君をスカウトしようとしてます」
 マックス先輩は言った。
「違う――そうじゃない。そいつは……」
 影子が何か言いかけたとき、音楽が変わった。
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