第32話 燐光 空が落ちる

文字数 13,202文字



 北宋の時代、疫病が全土に蔓延した。
 朝廷は万策尽き、最後の手段として、竜虎山に住む仙人、張天師に祈祷を依頼した。都から、洪信(こうしん)が派遣された。
 洪信は仙術に翻弄されながらも、すでに張天師が都へ発ったことを知った。師は朝廷の依頼を承知していたのだ。
 翌朝、洪信は、「伏魔殿」と記された、厳重に封印された扉を目にした。伝説によれば唐の時代に、天界を追放された百八の魔星を封印した場所だという。興味を持った洪信は権力を振りかざし、周囲の反対を押し切って、扉を開けさせた。中には石碑があり、それを動かすと、突如閃光がほとばしった。
 かくて三十六の天罡星(てんこうせい)と、七十二の地煞星(ちさつせい)が天空の彼方へと飛び去っていった。

                            「水滸伝」

二〇二五年七月十五日 火曜日深夜0時

「耀―AKARU―」の東京大崩壊予言

 屋上へ上がると、ライトアップされ、まばゆく白く輝く「天守閣」が目の前に聳え立っている。
 風が強い。雲の流れが速く、群れ成して飛び去っていく。正面には、真っ赤な東京タワーが周囲に赤々とした光のオーラを送り出していた。
「ここで朝まで過ごそうぜ。七時になれば、作業員が出入りする。そこに紛れて脱出だ」
 やれやれ、純白の天守閣の足元に隠れて、朝まで一晩明かさなきゃならないとは――。ま、それも一興。
「慌てたってしょうがない。待つときは待つ。こいつを見上げながら、どれ、酒でも飲もうぜ」
 藪は、ジーンズのポケットからサントリー・オールド・ウイスキーの入ったチタン・スキットルを取り出した。男のロマン用品であるが、藪はいつもこんなものを持ち歩いていたのだろうか。意外だ。
「俺も、二人で令司の誕生日を祝おうと思ってよ」
「それは―――サンキュ」
 世界一の大都会の無数の光には、悲喜こもごも、それぞれの人間の営みがある――自分たちがどんなに特殊な体験をしていても、その中の一つに過ぎない。
「おや、動画がアップされてるぞ。さっそく雅が編集してくれたみたいだな」
「そうか。よかった」
「東伝会で残ったのは、真知子先生と雅と、――俺とお前だ」
「人狼狩りの結果かな」
「今や俺たち二人も風前の灯火だけどな……それとも、どっちかが本当に人狼なのか? お前か?」
「ははは、まさか。それって『遊星からの物体X』のラストシーンじゃないか」
「あぁ、あの映画、ものすごく人狼ゲームだな。人間の中にXが混じってる。それを、血液検査で見抜くんだぜ」
「あぁ」
 たった二人きりで酒を飲み、お互いを探り合う。今の自分たちだ。
「そのスリルと言ったら、衆人監視下であれほどの恐怖は他にないんだぜ。でも前から思ってたんだけど、遊星ってなんなんだ?」
「知らん」
 スマホで検索してみると、昔の「惑星」の表記らしい。
「ならよ、あの宇宙船どっから来たんだ?」
「宇宙のかなただろ」
「でもタイトルからしたら、太陽系のどっかの惑星から来たはずだ。だから遊星からの、と」
「あぁ……」
「一体誰がそれを知り得るんだ、あの登場人物の中で?」
「……知っているのは物体X当人だけだ」
「じゃタイトルはXの……」
「独白だ」
 怖ェ。
 ―――と思ったが、英語の原題は「THE THING」。どこにも遊星の表記はない。邦題に適当に付け足しただけか、あるいは日本人の中にXがいたか、映画関係者の中にもぐりこんだかだ。そいつが太陽系のどこからかやってきたと告白した。すでに太陽系中の惑星がXに浸食され、最後に残った地球に飛来したのかもしれない。
「それにしても美しいな」
「見事な夜景だ」
「百万ドルの? 昔、東京砂漠って誰かが歌ってた。でも俺たちにとっては生まれついてから存在した町だ。だから俺には砂漠の意味が分からない。いつ見ても光のオアシスみたいだ。たまらなく美しいぜ」
「うん。一見して、こんなに豊かで平和で、犯罪も少ない町は地球上どこにも存在しない」
 人と人との関係が希薄な都会の諸相。誰かがそれを、「砂漠」と言ったのだろう。
 ここでこっそり二人で隠れて一晩明かす。
 高揚感と若干のアルコールのせいか、眠くはなかった。
 明りが現れ、警備員が歩いてきた。一人だった。こちらを疑っている様子はなかった。
 屋上なら安泰かと思えば、そうではない。時折巡回している警備員に身を隠す必要がある。やがて、警備員は立ち去った。
「さっきの話だが、どうやら始まろうとしているな、ネオ東京が」
 二人で、スマフォで撮影した社内パソコンの画面を見返す。
「第三夢の島で? 確かにネオ東京と同じく埋立地だけど」
「一九五九年七月、『ネオ・トウキョウ・プラン』というのが立案された。東京湾を、二億坪埋め立てする勧告で、約四兆円の投資が予定された。東京湾に、『人工のマンハッタン』を作り出す計画だ」
「土はどっから持ってくる? ゴミだけじゃ到底埋まらんぞ」
「千葉の低山を削って、東京湾を埋める予定だった。結局、予算が膨大ということで、計画は流れた」
 房総の自然は守れた。
「立案したのは一体誰だ?」
「東京産業計画会議だ。東都電力を始めとする全国の電力会社を創設した電力王が主催したシンクタンクで、メンバーは政財界のトップで固められた。事実上の政府の諮問機関だった。ネオ東京自体は没になったが、一九五七年には、北海道の開発、一九五八年に高速道路の整備を勧告し、東名高速道路が造られた。一九五八年、国鉄の分割民営化を勧告。これは後のJRになった。もう一つは、原油輸入の自由化。これで石炭から石油への燃料が転換した」
「勧告のほとんどが実現したのか!」
「そして第七次勧告が東京湾埋め立てだった」
「しかし、実現しなかった、と……」
「いや、その残滓が東京湾アクアラインであり、『海ほたる』って訳だ」
「なるほど……」
「結局、神奈川と千葉はつながり、現在木更津の発展は著しい。江東区や港区の埋め立て地一帯を、『東京24』って呼ぶこともあるらしい。そこが東京オリンピックとともに再開発されてきた、アニメ『耀―AKARU―』に出てくるネオ東京の一部なんだろうな、――と、俺は思っている」
 しかし、民間企業のオーナーが作った一シンクタンクが、なぜそれほどの巨大な権力を持っているのか。
「現在も続いている。東山財閥の東山光政が主催者だ」
 東山……光政。それが、新宿の「幻想皇帝」の名前なのかもしれない。
「すると、その江東区のビルは一体何なんだ?」
「ストで休工って書いてあるけど、実はそれだけじゃねぇ。別の理由で進まないんだろ」
「結局、大神開発の技術は東山組に盗まれたんだろうか?」
「先端プレハブ技術の肝心な部分は、おそらくまだ父親たちが隠し持っている。プレハブを量産する大型3Dプリンターの技術だったらしい。だから江東区の建設予定地には、基礎工事が済んだだけで、それ以上進んでないんだ」
 大神開発のプレハブ技術、その中枢の3Dプリンターには、PMが関与しているに違いない。令司は何となく直感した。
「敷地には建設途中のプレハブだけが寂しく建っている。計画は一時中断されているだけみたいだが、何かトンでもない代物が建設されるという」
「またスミドラシルみたいなものかな? 下町にできた上級都民のベルリンの――」
「……あぁおそらくそんなんだろう。―――思い出したんだが、夢の島にもキョウコ伝説ってあったよな」
「そういえば―――。一九六〇年代に遡る。あの頃と言えば安保改正に関する大規模なデモ――」
 令司は十連歌デモのとき、キョウコから安保闘争についてずいぶんと詳しい話を聞かされたのだ。キョウコは、当時の記憶として物語ったのかもしれない。まだそのことを、誰にも言っていなかった。
「当時ゴミだらけだった夢の島だが、徐々に整備されたエリアには、視界の果てまで茫漠とした砂漠が広がっていた」
「この東京に、不思議な景色だったろうな。あっ、それが東京砂漠か?」
「そうだろうよ、文字通りの。むろん、無人化に最適な空間だ。―――多分、安保に関する決闘だったんだと考えられる」
「その時の大斗会の一方の当事者が、キョウコだった―――」
 「デモの意味」はその時を境に、百八十度変わった。左翼運動は国民の理解を得られず、先鋭化し、急速にしぼんでいく。
 令司は、さっき鉄球が飛んできたのを目撃した気がする。キョウコは神出鬼没だ。ここにも彼女は来ているのもかもしれない。あのあたりの暗がりに、長い髪の若い女性が潜んでいる――そう考えるとぞっとした。
 令司の父を殺したのはキョウコに違いない。藪の父の失踪も東京伝説の本丸・大斗会が関係しているとのかもしれない。東京でひそかに続けられてきた代理戦争が。
「渋谷事変といい、キョウコの怨念が、俺達を察知したのかもしれん」
「そうだな……俺たちは、東京伝説を観察しているようで、東京伝説に観察されているのかもしれない。たしか、マックス先輩がそんなことを言っていた」
 こちらが観察しているようで、向こうに観察されている。とくに、キョウコに……。
 令司は自分の運命をあきらめた。
「今度できた西新宿ホテルの東京城ってのは、戦後、高度経済成長期に次ぐ、東京オリンピック前後の二十年間で行われている第三の東京大改造のかなめなんだ。これらがすべて整備されたとき―――」
「さっき言った『耀―AKARU―』のネオ東京? いや、しかし……」
「お前、『耀―AKARU―』は観たことあるか?」
「あぁ……しかし、超能力がテーマだし。そんなにリアルな話とも思えないが」
「もうリアルな現実だろ! PM力ってのは超能力そのものじゃないか」
 そうだった。令司はそれをまざまざと体感したのだ。
「あれは予言漫画家が書いた本物の東京予言書だよ。ジョージ・オーエルの『1984年』と同じだよ。『耀―AKARU―(アキラ)』が上映されたのは、一九八八年、ちょうど日本経済がバブル期に差し掛かった頃だ。『耀―AKARU―』には色々な噂がある。『耀―AKARU―』の舞台は、二〇二〇年に東京オリンピックが開催される予定の二〇一九年……。そして二〇二〇年にオリンピックは開催されなかった。加えて、過激なデモ隊の描写だよ。東京でも二〇一〇年代からデモが盛んになった。二〇一九年当時は、香港デモと当局の熾烈な戦いが盛んだった。現在の東京はどうだ?」
「……十連歌デモか!」
「そうだろ? 今や百万人に達しそうな大規模デモ隊だ。ガンドッグによる取り締まりも年々激しくなってる。ネオ東京って社会は、貧富の差が極端に激しい格差社会だ。主人公はドロップアウト組の暴走族だし、十連歌みたいなものかな」
「ははぁ、なるほど」
 東伝研はハロウィン以来、十連歌デモとはずっと距離を取ってきた。だが、令司が純子と接触した事で、そうでもなくなっていた。
「その町をよ、耀の超能力が滅ぼしたって訳じゃないか。封印された巨大な力が目覚めたんだ。あれは、一説には3.11の福島第一原発の事故のことだとか言われているが、それだけじゃない。――PMだよ。ひょっとすると、あの時以上の出来事が起こるかも」
「まさか」
「いやそのまさかだ。漫画の方は読んだか?」
「いや」
「ネオ東京で反政府ゲリラと軍が戦う。漫画では荒廃したネオ東京の焼け跡に誕生するんだよ、大東京帝国ってのが!」
「大東京帝国……。つまりその、東京産業計画会議って……」
「東京帝国だ! それが、東京華族なんだろう」
「東京帝国ね……小夜王純子が言って奴だ」
「本部は新宿。それが上級都民の上部組織なのさ。幻のネオ東京プロジェクトを政府に勧告した者達、それこそ東京を動かす黒幕の真相だ。アクアラインはその名残だ。あとは漫画の要素ではアーミーのクーデターと民衆蜂起、十連歌だな」
「自衛隊蜂起なんて全然現実的じゃないけどな。一九六五年に、劇作家の月島伊織(いおり)事件があったけど」
「マックス先輩が、自衛隊は戦後もっとも矛盾をはらんだ存在だと言っていた。彼は、その矛盾に耐えられなかったんだろうな。月島が炊きつけたんだが、自衛隊は蜂起しなかった」
 どうしてあんな事件が起こったのか、日本中の評論家や歴史家が今日も頭を悩ませている。
「そういや東大全協闘も月島と討論してたな。映画も話題になった」
「うん」
 その事件は、『帝都伝承』にも登場する。
「月島はその前に二ツ橋大で、こう言ってた。『一対一の決闘で、政敵の暗殺もいとわない』って」
「え? それって――」
「あぁ、大斗会のことだ」
「知ってたのか? 月島は」
「ついポロッとしゃべってしまったんだろうな。だが月島は大斗会に参加したのか、しなかったのか知らないが、切羽詰まって内乱を起こすことにした」
 驚愕の真相である。東京の裏の顔、大斗会。それに、かの月島伊織が関わっていたとしても、何ら不思議ではないと令司は感じていた。
「刀だけで近代軍隊である陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地を乗っ取り、クーデターを起こすなんて、またぞろ日本刀最強説が浮上する話だ」
 それは、社会に激震を起こした。でも世の中は内戦になだれ込むことはなかったし、警察は一貫して全協闘を内乱とは扱わなかった。
「ところでさ月島は、なぜ日本刀を持ち歩けたんだろ? 銃刀法をどうやってすり抜けた? 職質を受けたら一発でアウトだ」
「――あの刀はPM製かもな。月島は、決戦においては、日本刀でなければならないとも言っている」
「あるいはな。だが、あの時代の月島が持っているとは思えない。二十年前、柴咲教授のPMテクノロジーが流出したと、三輪彌千香は言っていた」
「月島は自衛隊と親しかった。公式に帯刀を認めていた訳じゃあないが、入館するとき顔パスで、結果的に許してしまったんじゃないか」
「しかし今時、自衛隊がクーデターなんて起こすと思うか? 現実の自衛隊内で、『耀―AKARU―』でクーデターを起こす真島大佐に相当する人物は?」
「ま……ありえんだろうな」
「なんにせよ、『耀―AKARU―』みたいに自衛隊まで出てきたら収拾がつかなくなる」
「宗教団体が武装するとかも。―――主人公が暴走族ってトコがまた時代がかってる。今時、巨大暴走族なんて存在しない。知ってるか? 吾妻先生のライダースーツ姿なんかモロ暴走族の女総長って感じなんだぜ」
「いや、あれは高峰富士子だろう」
「なるほど、そっちだ! まいっちんぐマツコ教諭とかって冗談で言ってたが、よく考えるとズバリ富士子って言った方がイメージ通りだ」
「顔のイメージがもっと上品だがな。後は、『耀―AKARU―』に登場するような、かっこいいバイクか!」
「先生のバイク、自動で両手離しても運転できる新型なんだ」
「本当かよ――」
「いよいよピースが揃ってきた。十連歌、鬼兵隊、三輪教……東伝会の俺たちは八犬士を気取ってるが、こいつらこそ二十一世紀の、現実の八犬伝だ。自衛隊までクーデター起こしたらこの国はオシマイだろうけどよ」
「なんで予言できたんだろう?」
「一連の出来事を考えてみると、原作者の大朋勝矢も、人狼グループの人狼なのかもしれない。一九八五年のキョウコ目撃情報と、何か関係がある人物なのかも」
 あるいは、月島伊織も――。
「人狼やケルベロスにこだわってんのはむしろ、アニメ監督の引井攻(ひきいおさむ)だろ」
「あぁなるほど」
 人狼と関係しそうな漫画家や作家は、意外と多いのかもしれない。

東京トライアングル

 煌煌と赤く輝く東京タワーを見つめながら、令司はポツリと言った。
「確か、タワーの足元に秘密結社の日本総本部が存在するはずだ」
「フリーギルドだ。すべてアメリカの帝国財団とつながってる。東京帝国もかな?」
「東京タワーと何か関係あんのか?」
「東京タワーを作れと命じたのは、GHQだ。当然ダグラス・マッカーサーは、フリーギルドの一員だった」
「世界を裏から支配しているっていう伝説、あれはどう思う?」
 令司は今なら何でも信じられる気がした。
「フリーギルドの上層部は、よみがえるシリウスの光団っていう。シリウスの光の団の源流はエジプト、さらにメソポタミアにさかのぼる。今から六千年前、古代バビロニア帝国のバベルの塔の時代を源流としている。バベルの塔ってのは、最古の古文書によると千メートルを超える塔だった」
「千メートル? 東京スミドラシルみたいだ」
「あぁ……偶然なのかそうでないのか。いやおそらく必然なんだと思う。古代にその工法を知っていたのが、フリーギルドの源流だ。それが東京タワー前に支部を置いてたのも偶然じゃないし、この建物も」
 まさかアレが日本の地に建ったバベルの塔だなんて、誰が知るだろうか。
 赤い東京タワーと、青い東京スミドラシル天空楼。陰陽の対なす見慣れた二つの東京のランドマークも、スミドラシル戦の後だと、何か別のモノに見えてくる。スミドラシル開業後、東京タワーはFMラジオだけをただ続けているわけではあるまい。
「六千年ぶりの光景を、俺たちは見ているんだな」
「そのころ、シュメール人はシリウスから来た半魚人系のオアンネスという種族に文明を授けられたっていう」
「フーム。それで、よみがえるシリウスの光団か?」
「ま、そういうこと」
 新宿の、NYのエンパイア・ステート・ビルを模したと言われている大手携帯会社の本社ビルを見やった。高さは二百七十二メートルある。そこから緑色のレーザーが水平に発射されていた。
「レーザーだ。向こうに小さく見える緑色にライトアップされたビル……あれは、新宿エンパイアタワーから出てる」
「エンパイアっていうのは『帝王』だ。幻想皇帝……。やっぱ新宿は帝王の―――おい、レーザーがスミドラシルにつながったぞ!」
 そう藪が叫んだ瞬間、スミドラシルから東京タワーに青いレーザーが送られてきた。さらに、東京タワーはエンパイアに赤いレーザーを発した。
「三つの塔が、東京上空でレーザーでつながっただって!?」
 東京上空に大三角が出現した。
「赤、青、緑といえば光の三原色……まるで海老川トライアングルだぜ! この東京に三つの塔で三角形を作っている!!」
「いったい何が始まるんだ!?」
 レーザーは何かの像を結びつつあった。

 玉虫色に光彩がきらめき、四方八方に移動していった。
 漆黒に大小の星が群れを成して飛び、瑠璃色や虹色の光彩が取り巻く。七色の虹が輝きとなって跳ね返ってゆく。夜空が、宇宙そのものに変わった。
 星一つ見えない東京の夜空で、巨大な銀河が出現した。二人は今、宇宙の誕生を目撃しているようだった。
「この三角のレーザーは、気象兵器のデモンストレーションか? 破滅の未来が来る予兆だ……」
 藪はうめいた。
「撮ってるよな? この景色は俺たちだけのお宝だ」
「まるで、曜変天目みたいじゃないか、今宵の夜空はさ―――」
 東山京子の家に、なぜか世界で四つ目の曜変天目茶碗がある。どうしてそんなところにあるのかは、令司は知らない。
 ザアアァーッと、七色の巨大火球が四方八方、東京中に散らばった。
「星に願いを――藪、お前は何を願う?」
「ここでたとえ俺たちが倒れたとしても、必ず仲間が奴を追い詰める! あいつらなら絶対。東京のみんなの幸せは必ず守る! 今日までの俺たちは無駄じゃない!!」
「あぁ俺も、何もしないで死ぬよりも、何かして倒れる方が好きだ」
「その通りだ、俺が信じるのは俺自身だ!」
 音のない花火のように。普通、火球は音がするはずだが、音がなく、何だったんだのかと、しばらく考える。
「ところで曜変天目って? 急にシブいな」
「……実はな、今まで東伝会で言わなかったことがある」
 令司は松濤に住む女子高生・東山京子のことを語った。
「彼女は、渋谷鹿鳴館っていう豪邸に住んでるんだ。ひょっとすると彼女は上級都民だ。曜変天目の茶碗まで持っているし」
「フ~ン」
「八犬伝になぞらえると二十年前に八つの火球が東京中に飛び散った、つまり『火球』が、『下級』の俺たちに宿ったとか、そういうことなんじゃないの?」
「お前って、大概ロマンチストだな! さすがは作家志望」
 「水滸伝」では、宋江の夢の中に九天玄女が現れる。九天玄女は、かつてこの世界に百八つの魔星が解き放たれ転生した姿が自分たちであることを宋江につげた。元居た天界に戻るためには民を援け、忠義を全うし、前世の罪業を償わなければならないと説いた。
 その瞬間を目撃しているのだという興奮が、実感を伴って沸いてきた。まるで曜変天目の夜空が、「今がその時だ!」と叫んでいるようだった。
 最後にオーロラのカーテンが発生した。
「東京にオーロラなんて聞いたことないぞ」
「江戸時代には、京都に出現した記録があったはずだ」
 美しさに目を奪われていると、十五分程度で消えた。
「こ、これも、ひょっとしてホログラムだったんだろうか―――」
「いくら何でも巨大すぎる」
 雲に投影しているのかもしれない。もはや、一つの町を映写機で変えた、渋谷や秋葉のような規模ではない。
「ブルーレーザー計画だ! そうに違いない」
 藪の言うブルーレーザー計画とは、米軍が開発した巨大なホログラムで、人類を洗脳する自作自演の「終末劇」といわれている。宇宙人の襲来を演出し、それに対する防衛として自分たちの世界支配を正統化する。
「それは、海老川のか?」
「だってビームが三角形なんだぜ」
 このタワーは、港区の上級都民どもの結界を作っている。
 東京の別の原理が働いたサインだ。
 東京においてタワーとかスカイツリー、東京のランドマーク(権力の象徴)として彼らから注目されている。三つの塔は影の権力者にとって、都民に知られる姿とは別の意味がある。
「隠れろ!!」
 令司は藪の体を抑えた。東京タワーの展望台から、何者かが覗いていた。長い髪の……キョウコ!?
「まさか、勘づかれたか?」
「――人形館の蝋人形では? ピクリとも動かん」
「で、ソレがなぜあんなトコに移動してるんだ?」
 二人が謎の流星群に目を奪われている間、ずっと東京タワーからキョウコがこっちを視ていたのかもしれない。いや、ブルーレーザーが呼んだのか。
「いない!?」
「消えたか」
 令司が安心していると、藪はポンと令司の肩を叩いた。
 藪は天守閣の左側を指さした。
 キョウコの姿が暗闇に浮かび上がっている。彼女は、こっちを見下ろしていた。
 ――瞬間移動!!

 翌朝七時になった。
 二人は無事、作業口から作業員の流れに隠れて脱出に成功した。屋上にキョウコの姿を確認してから、二人は下の階に降りざるを得なくなった。キョウコは、テレポーテーションできるのかもしれない。資材置き場のブルーシートに隠れた。そんなところに隠れても、いつ見つかるか知れたものじゃないが、幸い、日が高くなると人気が消えた。
 二人はアルコールが入っているので自動運転しかできずにいた。車はアルコールはむろん、バイオフィードバックで眠気や病気など、運転手の身体の不調を感じると自動化する。もしも5Gコントロールされたらオシマイだ。
「尾行されてるぞ」
「えっ」
「左の黒塗りの車を見ろ……いや待て、それとなくだ―――!」
「……ウソだろ」
「つけられてるぜ。さっきから。あの公用車……二十一世紀のウェスタン警察こと、東京地検特捜部機動隊・新番組だ。あの五百旗頭とかいう特捜検事が。俺たちは、ついに不法侵入までやらかした」
 ここまでか?
「やっぱりマークされてるよな」
「俺は何度も観ている。言わなかったけど。井伊克真(かつま)検事長と、その部下・五百旗頭藤吉検事。新番組に、俺たち東京伝説研究会はすっかり眼の敵にされている。まー、東京地検の顧客ってトコだ」
 心底、捕まりたくなかった。
「あいつらなぁ、人殺しもいとわないぞ」
「特捜検事が?」
「そうだ。俺は知ってる。親父から聞いた。ガンドッグの暗殺は政治家、官僚、学者、ジャーナリストにも及んでる」
 小夜王純子が言ってた。特別会計にメスを入れようとした政治家、官僚。……すべて粛清されてきたのだと。
「東京地検の井伊克真長官は、ガンドッグを使って、意に反したものを片っ端から粛清している。内乱罪および、内乱予備罪・内乱陰謀罪などを利用して、ガンドッグ、つまり猟犬が狩りを行う――。我々が在野の狼なら、連中は権力に飼われた犬だな!」
「俺はまだ殺されたくない」
「オレもさ!」
 硝子のUSBメモリを刺し、どうやら手動に切り替えると、やけっぱちなカーチェイスをして、逃げ切った。
「クソッ、こんな事になるなんてヨ……」
「あいつらは町中のカメラを一瞬で掌握できる。さっきだって、あえて泳がせている可能性がある」
「今もだ。本気じゃなかった。その気になれば、車に戻ったとたん速攻で捕まえに来るかもしれん」
 いつでも捕まえられる……そういう脅しで、姿を見せたのかもしれない。
「……」

 二人は依然港区にとどまって屋台で飲んでいた。店舗型の店はダメだ。こういうローテクなところがいい。
「みんな、いなくなっちまったなぁ……」
「次は俺だ」
 令司は藪の顔を見た。
「分かるんだ。伝説を探ろうとすると消される。おそらくは父も。令司、お前は特別だから大丈夫だと思う。―――すまなかったな。無念だよ。お前を誘ったのは俺なのにな」
「いや……別に構わない。いつか、社会と向き合った小説を書くつもりだったんだ。たとえ、社会とぶつかろうともね。ライターの中には命懸けでネタを取りに行く人だっている。戦場ジャーナリストとか、麻薬の黄金三角地帯に潜入したり。遅かれ早かれだったんだ……。どうせ俺も、図書館と家を行ったり来たりするだけのニートみたいな生活だったし、そのままじゃ、ぬるま湯につかったまんま、ただの世間知らずが一人出来上がっただけだ」
「小説を書いてるんなら、ニートとは言わねェ。本物のニートのサトミンに失礼だぜ」
 ニートとは、就学・就労をせず、職業訓練も受けない人種のことを指す。
「どっちが失礼だ?」
「吾妻先生とも親睦を深めることができたし」
「そりゃそうだな。ハハハハ……」
「ま、荒木部長の変貌振りにはびっくりしたけどな」
「あぁ! 俺もだ。ファッションが変わるだけで、同一人物とは思えんものだな。女というのは。まったくね」
「やっぱりキョウコは死んでない。確かに渋谷で観たのは、伝説のキョウコだったんだと思う。不死身の。しかし、秋葉でモニターから貞子のように現れたキョウコは、ARのプログラムでしかなかった」
「けどお前は、東京伝説のキョウコそっくりの女の子の家庭教師をしてるってか?」
 藪は興味なさげに、剣菱の熱燗を見つめていた。
「あぁ、そういう事」
「フーン。しっかしよぉー……この港区は大使館や東京タワー、品川、六本木、湾岸道路と、思いつくだけでも上級都民の領地だなハハハ」
 藪はおでんの卵をつまんだ。
「この辺もヤバイぜ。諸田江亜美のいる應慶だって近いし、白金高輪といえば上級都民の閨閥組織の『高輪会』っていうコンパがあるって聞いたことがある。若手官僚と政財官界の要人の令嬢が、合コンする。――つっても、居酒屋や屋台なんかじゃない」
「だろうな」
 令司は何か引っかかりを感じた。
「ホテルを借りての見合いパーティか?」
「あ、そうそう。社交界だな。社交ダンスしたり。ほんとその、鹿鳴館てやつか。ま今時ありえんわな。東京伝説の中でも」
「―――あ! そうか。それがあれか」
「どうかした?」
「社交界……いや、現在は海老川の白金会っていうはずだ」
 令司は海老川雅弓の「社交界」に誘われ、上級都民の合コンをたっぷりと味わった。社交ダンスさえ体験しなかったものの、ミラーボール下のダンスも社交ダンスの一種といえる。
「そうだよお前! 海老川の合コンに誘われたんだった。でも、一見して普通の合コンだったんじゃなかったっけ?」
「トンでもない! スケールが段違いだ。海老川グループ本社の門山白金で、巨大なシャンパンタワーのピラミッドもあったし、どこもかしこも死ぬほど、目が回るほど金がかかっていた」
「ブッ、そうかそうか! ハハハハハ、オマエもつくづく東京伝説に愛される男よの、ワハハハハハ!」
 藪がゲラゲラ笑った。
 友人と馬鹿話をする――ストレス発散だ。
「あ、そうだ、今から泉岳寺に行こうぜ」
「赤穂浪士に墓墓参りか?」
「うん。同じ浪人同志。ここも、さっさと離れた方がいいってことよ!」
 にしては声が大きい。藪は酒で大分気が大きくなっていた。
 完全自動運転に切り替えて走っていると、黒い車の気配が続いていた。

泉岳寺・赤穂浪士墓前

「新選組かぶれの東京地検特捜部機動隊が、忠臣蔵そのものの大神設計にかかわってたなんてな、やれやれ! 新選組といやあ、赤穂浪士にあこがれてダンダラ羽織背負ってたってーのにヨ」
 藪も、きっと忠臣蔵事件との因縁を感じているのだ。
「やられっぱなしじゃない。忠臣蔵だって、やりかえしたじゃないか。このまま、上級都民にやられっぱなしでいい訳ない。君も、君の親父さんも」
「あぁ……まぁ……そうだな。倍返しか? しかし俺に力があればなぁ! お前のような才能がうらやましいよ。なぁ令司よ。今回の東京伝説の動画、『南総里見派遣伝』なんてタイトルでどうだ? えぇ? ヘヘヘヘ」
 藪はやけになっている。令司はそう感じていた。
「彼らは本懐を遂げた。それで、十分だったかもしれないな」
 赤穂浪士は最後自決した。たった一人の生き残りが、すべてを伝えた。その後歌舞伎に、ドラマに映画になった赤穂浪士は江戸の庶民のヒーローとなる。そして――狼だった。令司もそのために書いている。歴史の証人として。
「彼らを尊敬した新選組も、幕府側ながら狼集団だったしな」
 また、新番組のことを思い出して嫌な気分に浸る。
<こっちです! 鷹城君……>
 彌千香の声が急に響いて、令司はあたりを見回した。藪は気づいていない。
<こちらです! 鷹城君……。後ろを見てください>
 背後に、白いアオザイかチャイナドレスを着た三輪彌千香が立っていた。
「鷹城君」
 二人ともまるで彼女の気配に気がつかなかった。
「赤穂浪士のお墓参りですか?」
「君もか?」
 言葉が、令司の頭に浮かんだ? 藪は気づいてなかったらしい。
「一緒に三ノ輪の本部へ来てもらえますか。ただし、令司さんおひとりで」
 彌千香の後ろに、白く長大なリムジンが停まっている。
「令司、こいつは三輪教教主だぞ」
「知っている。俺に何の用だ?」
 東京地検特捜部機動隊・新番組の車は立ち止まって様子を見ていた。五百旗頭たちの車だ。二人はギョッとした。
「ヤバイ……」
 運転席に銭形花音、助手席に五百旗頭。花音は、牛乳パックを片手にあんパンを黙々と食べている!
「あなたに身の危険が迫っています。泉岳寺は囲まれています。車に乗ってください!」
「令司……やっぱまた忘れていたらしい。俺たち、高輪がどんな土地かってことを」
 藪は後ずさった。上級都民が「反乱分子」の二人を見逃すはずがなかったのだ。
「急いでッ!」
 サイレンが近づいてくる。墓地の周囲に、二十台もパトカーが停まった。
「とっとと港区を離れるべきだった……墓参りなんか、してる場合じゃなかった!」
 二人が車から降りてきた。令司に近づいてくるのが見えた。
「港区に建設中の建物内で、不法侵入者の通報がありました」
 銭形花音は言った。
 警備員が通報し、ガンドッグはAIカメラから二人の位置情報を割り出し、ずっと追っていたらしい。
「懲りないわね、あなたたちも」
 花音はゆっくりと十手を取り出した。
「港区で何をかぎまわっているの? あれほど忠告したはずなのに。今度こそ覚悟することね。自身のなした行為は、自分で償わなくてはならない」
 令司は動けずにいた。
「な、なんだよ、俺たちが白金高輪あたりを歩いてたらそれだけで不審者扱いかよ!」
 よせばいいのに、藪は花音に突っかかった。
「彼らは協定があるから私たちには手を出せない」
 彌千香は言った。
「その通りです。だから我々はあなた方三輪教に、正式に大斗会を申し込む予定です」
「あなたの狙いは分かっています、花音さん。――その時は受けて立ちます!」
「……」
 花音はじっと彌千香を見た。一触即発。
「彼らは鷹城君を狙っているんです。だけどあなたは逃げ切れる。私が守る。ここを今すぐ離れてください。私を信じてください! 令司さん、あなたの父親に関わる事です」
 彌千香は叫んだ。
「また何か、父の秘密を知ってるのか?」
「急いでください。早く!」
「わかった」
「十分気をつけろよ……三輪教は東京帝国とつながってるって噂だ」
 藪は、泉岳寺の墓から令司を乗せたリムジンを見送った。
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