第44話 新宿大斗会 不夜城・帝都の夜明け

文字数 14,659文字

二〇二五年八月十五日 金曜日

 新宿副都心のビルに光差す夜明け。
 闇を切り裂く黄金の矢。
 青く、寒々とした一刻前の世界とはうって代わって金色を帯び始める摩天楼街。誰も居ない。その車道で鷹城令司は待っていた。
 太陽が摩天楼の谷間から昇り、光が差し込んでコンクリートとガラス、アスファルト、そして立っている東大生を照らし出す。
 少女はすでに目の前に立っていた。あの渋谷スパイダーのときの姿のDJK.キョウコだ。まだ生きてる。いつから居たのか分からなかった。
 光線が長い黒髪の輪郭を浮き上がらせる。少女は太陽を背にして立っている。日の出と共にその空間に出現したという感じがした。
 令司は旋律を覚えた。
 風でサラサラとなびく黒く長い髪、黒いビキニにショートパンツにブーツ姿という少女は、令司をなんとも恐ろしい目つきで見ていた。
 大きなアーモンド型の目は、ギラッとした強くで赤い光を令司に向かって発しているようだった。
 両者の間には、百メートル以上の距離がある。だが、令司にははっきりと分かった。
 黄金の太陽は、この世界を黄金一色に塗り替えた。令司がゆっくりと進むと、伝説の少女も近づいてきた。
 二人の距離は十メートルまで縮まった。
 完璧なパッツン前髪のキョウコは、ぬらっとして立っている。
 少女の瞳を見れば、これからの対決のエネルギーを吸い取られそうだった。だが、令司は少女の眼光から眼を離すことができなかった。

 ―――東山―――、京……子!

 「東京」の名を持つ少女。
 俺は、君を追ってきんだ。この東京の「果て」にして「中心」の、「帝都新宿」にまで! 今こそ、すべてを明らかにするために―――。
 光の狭間に陰る京子の輪郭がはっきりとするに従って、ハッとした。目の前に、いつも家庭教師の生徒として会っていた、なじみの京子がそこに居た。では、今まで見えていたのは、いったい「誰」だったのか。
「東山京子」
 令司はやっと声をかけた。
 すでに黄金色に染まった新宿摩天楼は、完全に少女の支配化にあるように令司の目には映っている。太陽はまだ、直視できていた。だが、太陽を背にした分、少女には勝てないと感じた。
「君、東京華族……だったんだな。俺は……すべてを失って――ここへ来た」
 少女はいまだ何も言わなかった。ただ、ギラギラとした眼差しで微笑み、令司の顔をじっと見ていた。令司は身動き一つできなくなっていた。全身がしびれてくる。このまま、メデューサの伝説のように睨まれたまま、石にされてなるものか――。
「そのまま太陽を直視すると失明するわよ!」
 突然、京子は大声で令司に言った。令司は絶句し、急に太陽がまぶしくなったように感じて、すぐ眼を逸らした。京子が言ったとおり、このまま太陽を直視することは危険だった。
 それは視力を奪われるだけでなく、太陽の世界の前に敗北が必至だということだ。令司には、太陽が京子と共にある存在のように感じられた。
 この小宇宙の支配者たる太陽。その太陽の代理人。京子の属する世界というものは、それほどまでに壮大なものなのか。一方で人狼は月の保護下にある。どう見ても自分は月の立場だ。
 しかし令司は今日、歴史の目撃者となり、真実を直視するために来たのである。たとえ眼を潰すような真実だとしても。
 世界は太陽と月に分断され、令司は強制的に月側の住人の代表者としてここのステージに挙げられている。これから太陽側の住人の代表者たる彼女に殺されるために。
 令司はきっとあの鉄球に潰される。
 京子はやはり華族だ。東山京子は東京伝説の少女なのだ。
「あなたが追っていた東京帝国は実在する……これがその、証拠よ」
 京子は誰も居ない町を指し示した。
 新宿を自衛隊がぐるりと囲んでいた。これが市ヶ谷・防衛省から来た東京帝国・帝都新宿方面近衛隊である。
 偽のニュースを流す権力、陸上自衛隊を操る権力。それが帝国だ。

「――で、やっぱり伝説のキョウコは、君だったって訳か?」
 令司の頭の中はまだ混乱していた。収拾がつかない。
「えぇ、その通り」
「曜変天目茶碗。世界に三つしかないはずだが、四つ目が渋谷鹿鳴館にあるなんて、おかしいと思ってたんだ。いくら上級都民でもあれだけは揃えられない」
「サイキック・メタルは、この世のあらゆる物質を超える金属カーストの頂点です。PMがあれば、曜変天目なんて意のままに、簡単に造れます。秋葉武麗奴(アキバブレイド)が乗っ取った、あの日の夜空のようにね!」
 再現不可能と言われたが、東山家では、PMによって自在に再現できている。宇宙にある物質のすべての頂点にあるPM、その支配構造に不可能はない。
「君は、渋谷事変で死を偽装し、渋谷鹿鳴館でも失踪を演じてたんだな? それにしてもだ……」
 対峙している相手は、どう見ても十七歳の少女だった。
「この東京に伝わるキョウコは、二十年ごとに出現し、その都度誰かの命を奪うという東京伝説の少女だ。最初は終戦直後に遡る。いつの時代にも全く歳恰好が変わらないという少女がな」
「そうですケド?」
「今日、日本は戦後八十年を迎えた。そんなヤツがいれば、それは化け物だ。化け物以外には考えられない」
「はぁ――あなたの結論では、私は化け物?」
 京子はおかしそうに言った。
「……いいや、違う。そんな―――、馬鹿なことがある訳ない。君はきっと『キョウコ』を騙っているんだな。だから、俺をからかっているんだろ? おそらくだけど、キョウコと名乗る人間は、過去何人も居た。いろんな時代にな。二十年ごとに現れるキョウコっていうのは、それぞれ全く別の人間だったんだ。まったく、考えてみればどうってことない。そしてキョウコの名で、殺人を行っていた。そして……今日、ここで殺人ショーが行われる。キョウコを名乗る、君によって!」
「まぁそうですケド。私も八十年も生きているわけじゃない。私は、二十年前のキョウコとは全然別人。無論、一九八五年のキョウコとも、さらに一九六五年のキョウコとも違いますよ。それくらい、分かるよネ」
「あぁ……当然だな」
「でも、わたしが伝説通りのキョウコであることは確かなのよ。伝説が語る通り、二十年ごとにこの東京に現れて、誰かを殺す。あなたを殺すのかも。あなたは、今日私に殺されてしまうかもしれないよ? それなのに、なんでここへきたの?」
 「来て」といったのは彼女だ。
「もし今日、本当に新宿にキョウコが現れるなら、君が俺に語ったことは全部真実ってことだ。東京の全ての謎は帝都・新宿―――、東京帝国に繋がる。そしてキョウコに繋がるんだ―――。キョウコ伝説を続けている者は、単に東京に伝わっている非常識な殺人ゲームをやっている訳じゃない。東京帝国に関わる、いいや、東京の秘密そのものに関する重大な秘密につながっている……そのはずなんだ。俺は東京伝説の原稿をまとめて、この新宿に来た。俺はどうしても確信しなければいけなかったからだ。そして君は不発弾撤去が予定されたこの自衛隊の包囲網の中、現れた。だから俺は確信したんだ」
「ウフフフフ……アハハハハハ!」
 京子はいきなり笑い出した。なんというか、テンションが一定でなく調子がおかしい。
「何がおかしい?」
「だってあんまりまじめな顔で話すから。そんなに睨まないでくださいよ」
「……」
「これで本は無事、完成ですね。おめでとう」
「あぁ、ありがとう」
「それで、何を確信したの?」
 首をかしげた京子は、令司が何を言いたいのか分かっているらしかった。京子は令司を試しているのだ。
「ここへ来るまで、自衛隊が街を取り囲んでいるのを横目で見てきた。円の中で、ガス弾撤去の真っ最中……のはずなんだが……中では何も起こってはいない」
 八月十五日のその日、再開発工事で、大戦中の空襲で落とされたガス爆弾が新宿副都心で発見され、新宿は自衛隊によって封鎖されている。今まで日本で発見されたことのない強力な爆弾だという。そんな歴史を、令司はこれまで聴いたことがなかった。
 新宿は東京帝国の帝都だと、複数の情報源から知らされていた。ここに踏み込むことは、敵地に入る事だ。
 摩天楼街は無人で、みんな疎開したことが伺える。世界一の乗車人口を誇る新宿駅前にも誰もいなかった。
 帝国の城と噂される上級都民専用のホテル「東京城」を見上げた。
 今日まで、東京帝国があるのかないのか、確信はしていたが、確証はどこにもなかった。
 誰一人、そこへ立ち入る事は許されない。だが、令司はついに確信に至った。そこに京子は居る。爆弾など元から存在しない。そう、だから東京帝国は存在する。
 新宿には令司と東山京子以外、誰も居なかった。無人化した世界。こんな奇妙な朝を迎えた日は、かつて新宿には存在しなかっただろう。
「だが、俺は包囲する自衛隊に、誰一人とがめられる事なく、無人の副都心に侵入を果すことができた。あり得ないだろ、絶対に。来てみりゃ、渋谷鹿鳴館で死んだはずの君と再会した」
 これから京子、いや伝説のキョウコに殺されるかもしれない。それなのに、悠長に説明している自分が不思議だ。
 再び京子が微笑んでいた。右手をスッと上げた。
 京子の胸に光る勾玉のペンダントヘッドが浮き上がり、グルグルと回転し始めた。その形状はいつか回転する鉄球となった。シルバースフィア。大きさはバレーボールくらいで、黒光りしている。鉄球はキィイイーンと唸り声を上げて、それ自体が意思を持っているように宙を浮き、空へ舞い上がった。
 上野のマンションの金庫の鍵もこれで開けたのだ。
 東山京子と東京伝説のキョウコの二人がつながった。
「やっぱり君なのか……」
 一瞬気が遠くなりかける。
 伝説のキョウコ……、俺は君を愛してしまったんだ。
 京子のほっそりとした指先は、宙を舞う鉄球を、見えない糸で自在に操った。二回転、三回転、四回転……京子の周囲をぐるぐると動き回っている。
 京子の頭上に、鉄球が浮き上がった。
 鉄球は唸り声を上げて、それ自体が意思を持っているように宙を浮き、空を飛ぶ。
 ドローンなのか手品なのかARなのか。いいやそうではない。こんな朝日の中で、ホログラムを本物と見間違えるはずがない。
 鉄球から風圧を感じて、令司は足に震えを感じた。手に力が入らない。
 俺はきっとあの鉄球に潰される。頭を、トマトみたいに、無残に。
 あぁ一体何故、こんな事態になってしまったんだ。分からない。―――いくら考えても!
 美しくて、聡明な東山京子。
 令司と京子、二人の運命がこれから決まろうとしている。令司は鉄球の動きを必死で目で追いかけながら、京子と出会った、あの冷たくて激しい雨が降りしきる最初の夜の出来事を思い出していた。

 不気味な静寂。これから何かが始まろうとしている。
 足元に十連歌のチラシが風で転がってきた。小夜王純子がまいたのかもしれない。
「帝国は人狼たちのように大騒ぎする必要なんかない。裏法律に支えられているから、超法規的措置を自由に行使できる帝国は表の権力を自在に操り、何でもできるからね」
 京子の言った通りだ。彼女がここへ招待した鷹城令司だけは、新宿に難なく通されたのである。
 荒木影子元部長が血相を変えて京子を殺そうとしていたのも、京子が人狼ではなく、帝国側だということを知っていたからだった。
 見事に、東山京子の人狼狩りによってあぶり出された自分、柴咲の子を罠にはめ、そして今日ここで抹殺する為に―――-。
 だが、令司は分かっていても、ここへ来るより他に選択肢はなかった。全ての伝説の真実を知るために。そして東山京子が東京伝説のキョウコである事を確認する為に。
 それが東京伝説研究会のメンバーと東山京子による、「山の手と下町の戦争」に鷹城令司を巻き込む策略だと知ったとき。
 夜明けと共に彼女との対峙は始まった。自分の父を殺した、戦後世界を生き通した女はそこに待っていた。
 憎しみと、これまで一緒に行動を共にしてきた美しい少女への同胞愛とが入り交じった感情。柴咲博士が殺された日、東大には一人の人間も居なかった。その殺しの現場と同じ状況が、この新宿に再現されている。複雑な気分だった。
 月に吠えし者、日陰の人狼を代表して、自分はここに立っているのだ。キョウコによって。選ばれし鷹城令司……。そして光の世界、太陽の代表が彼女だ。東京帝国の女は、両者の代表をここに会わせた。一体なんのために?
「俺を、殺す気なのか……」
「いいえ、私があなたを一方的に殺すわけじゃない」
 ゴオッとビル風が通り過ぎた。十連歌のチラシが空高く舞い上がっていく。
「さんざん体験してきたでしょう? これは代理戦争なのよ」
 京子はいつものように謎めいた眼差しで、東京伝説の少女の真相を語った。
「お前と決闘か?」
 艶のある黒髪が、さらさらと風になびく。
「二十年毎にこの東京では、大斗会が行われて来ました。人狼と帝国、次の二十年間、東京を支配するものを決定するために。それは戊辰戦争みたいな、内戦を回避するための手段だった。戦後、選挙のように公的に定められた制度よ。そして私が東京帝国の代表として長い間、戦ってきました。限定内戦に入ると決闘トーナメントは敗者復活も含めて仕切り直しとなってしまう。そうさせてはならないの。前回の二十年前の大斗会は、無人に配された東大で行われたのです。あなたの父、柴咲博士は、人狼の代表だった」
 東京伝説のキョウコは真実だった。生き通しの化け物。
「あれは一つだけ違うの。私が二十年ごとに殺し合いをしていた……というのは本当。けど毎回『一人』だけなんだけどね。後は全部東京伝説が作り上げたフェイクニュース」
「決闘が……続けられてきたことは事実なんだな、やはり」
「えぇそう。前回の戦い、人狼サイドでトーナメントを勝ち抜いたのは柴咲教授だった」
 決闘制度は、明治二十二年に成立した「決闘罪ニ関スル件」の文章の続きとして記された、作られた百年の伝統ある制度である。「ただし、華族は例外とする」の一文が隠されている。

二〇二五年の大斗会の真相

「これまでの東京の大斗会はトーナメント戦の階梯でした。海老川雅弓さんの人狼ゲームも、その一環だったって訳。そうして、勝ち抜いたのがあなたよ」
 ビル風があおった長い黒髪を、京子は右手でしっかりと抑えた。
「まずは本郷キャンパスでの、十連歌を代表する小夜王純子対三輪教・教主の三輪彌千香の決闘です。東大経済学部三年の純子さんは、十連歌にメンバー入りするために、大斗会を買って出ました。経済学部は、十連歌のデモとつながりを持つ派閥が最大勢力となっていました。純子さんは、経済学部の代表者として決闘に立てば、十連歌のオーディションで優位に立つと誘われたのです」
「その後、二人が医学部の屋上へ押し入ったのが奇妙だった」
「屋上で見ていた私に気づいて、彌千香さんが追ったからです。私を斬ろうとしたんです。彌千香さんが勝利しました」
「その前の、桜田総長の死は?」
「永田町で桜田総長に挽かれそうになったので、私は避けました。新田さんが銃を奪おうとして教授はハンドルを切り間違え、車は横転。樹木に衝突しました。新田さんを救うため、総長は間に合わず―――」
「君がスフィアで車を操作して、殺したんだな?」
「いいえ……」
「人殺しだ! ドライブレコーダーを、PM遠隔操作したな?」
「してません」
 京子は涙ぐんでいるようだった。だが――
「桜田総長は生きていますッ! すぐに東大のDNA研に運んで蘇生手術をいたしました。ほとんどの人はご存じないので、あなたが知らなくてもしょうがないですが。あの時私は、シルバースフィアでなんとか一人の命を救うことが精いっぱいでした」
「……」
「ご本人の意思で、『死んだことにしてくれ』、と――」
 海老川が必死に大斗会での死者を阻止しただけでなく、桜田総長までもが生きている? 亡くなった桜田総長を駒場池で見たという人がいると、海老川は言っていた。人が死ぬミステリーが好きじゃない海老川の言い草ではないが、現時点で、決闘で死んだといえるのは荒木影子だけだった。
「三輪教の工学部部長が東大総長に選ばれ、以後、三輪教は人狼勢力ながら東京帝国とべったりなどと他の人狼勢力から批判されつつ、本郷を支配下に置きました。海老川さんの人狼ゲームのおかげで、負けた純子さんは死ぬこともなく健闘を称えられ、十連歌への道が開けたのです。彼女にしてみれば、十連歌のために参戦するに意味があり、勝敗はどうでもよかったのでしょう―――」
 駒場は海老川が支配し、本郷は三輪教が圧倒し始め、半分占拠していた。それで純子は反三輪教のために、また新ギターを買うための金のために戦った。
 小夜王純子は十連歌のオーディションを勝ち取った。十連歌は、決闘制度で負けた後、独自路線の革命へ突っ走った。
「海老川雅弓になぜ、東京決闘管理委員会を覆せるような権力があるんだ?」
「東大の女王、海老川さんのお宅は、東京帝国御三家の一つだからです。海老川家・鉄菱家・信濃家は、私の家、東山家につかえている―――これが東京の四大財閥です。その中でも海老川家は、かなりの力を持っているんです。あの人の非殺生の論理は、帝国の内部でも異質ですけど」
「そうだろうな」
「彌千香さんは、大斗会の勝利の証として、第二工学部のPM地下研究所で、鍵のDNAを持つ鷹城令司を連れて、PMの残骸を入手しました」
「そこで医学部DNA研の地下研究所から、銭形花音が出てきた。――ものすごいタイミングで」
「彼女は帝国側(上級都民)へ令司さんを誘うために、新番組が送り込んできた人物です。柴咲教授が開発したPM5を手に入れるのが、ガンドッグの使命です。その後花音さんは、令司さんが久世リカ子と手を組むことをリモート・ビューイングで予見し、東京スミドラシル天空楼の大斗会を受けました。帝国は、令司さんだけを手に入れたかったのです。それには新田や東伝会が邪魔でした」
「で、花音は新田を逮捕し――、君が入ってきた」
「はい。あまりの事態の急変についてこれないあなたの立場を自覚してもらおうと思いまして、ね。松下村塾大学は新田さんを通して、令司さんと結託している。ここが重要です。このまま勝利で終わっても、あなたは納得しない可能性があった。花音さんは地球フォーラムで海老川さんの前に引きずり出して、再戦するように仕組んだのです」
 朝日の中で、回転する鉄球は、サンキャッチャーの様にキラキラと輝く。
「地球フォーラムの決闘で、花音さんの戦いに、海老川さんも参戦する形で、海老川さん対リカ子さん、花音さん対新田さんの戦いに――。大斗会は一対一と決まっていますが、初めてのチーム戦でした。海老川さんは令司に部を辞めて、海老川さんの自治会に入れと誘われたでしょ? 結局は令司さんの奪い合いですね……。結果、リカ子さんは海老川さんに勝利し、新田さんは花音さんに敗北しました。松下村塾は辛くもリベンジを果たし、令司さんの自由を手に入れたものの、新田さんは花音さんに連行された。でもリカ子さんからすれば、新田さんもコマの一つに過ぎなかったんです。松下村塾は令司さんを手にしたことで、渋谷で鬼兵隊四天王の、元東伝会部長の荒木影子さんを引き会わせることが叶った」
 社会の見えざる手、それは決闘制度そのものだ。
「そこで、次の人狼グループの対戦相手が、私です。私は渋谷事変で、荒木影子の手からあなたを奪い返しました。チョッパーは強敵で、私も死にかけましたが、花音さんに治してもらいました」
 荒木影子も、渋谷で令司のカギを奪いに来た。それを東山京子が守ったのである。
「ちょっと待て。花音とお前は、最初からグルか?」
「えぇそうです。あの人はスポーツ医学で強化兵を修め、私のメンテナンスのエキスパートです。花音さんが勝っても負けても、次に私がエントリーし、どっちにしろあなたを手に入れます」
 結局、花音&キョウコの東京帝国が、すべての大斗会をコントロールし、最終決戦地へと鷹城令司を導くシナリオだったのだ。
 PMは、強化兵でないと基本的には使えない。
 帝国関係者の京子、海老川、水友、花音は、東大DNA研で。純子は東大 医のコネで強化兵になった。彌千香は、三輪教で独自に。
 新田は本郷をうろついてDNA研の情報を入手していた。独自に研究して強化兵に近づいた。
荒木影子はDNA研の謎も解明し、久世リカ子は、荒木が流した東大のスポーツ医学を松下村塾大学で独自に研究開発――。後は各グループが断片的な情報と武術を組み合わせ、PMなどで精神を鍛練し、自分の身体で開発する。PMと同じだ。
 だがまだ謎が残る。マイッチング・マチコ先生こと吾妻真知子教授だ。
「次は東京三輪教団での大斗会です。無人化した聖地本部で、彌千香さんと私は戦いました。その結果、私が勝利し、令司さんは無事三輪教団からも解放されました」
 本郷で勝利した彌千香には、その時令司と組む権利がまだ存在していた。
「トーナメントの裏では、あなたの知らない決闘も多々ありました。ところがそこで、予期せぬ事態が起こっていました。各地の人狼が暴走したんです。正規の大斗会と無関係に、革命を起こそうという気運が起こってしまったんです。令司さんが体験した十連歌デモや秋葉原武麗奴などがそれです」
 令司に勝手に近づいた十連歌は、ルール違反としてガンドッグの取り締まりを受けた。
「東京決闘管理委員会は、ここで仕切り直すことにしました。それが渋谷鹿鳴館、マスカレード・レイヴ・曜変天目ナイトです」
 浮かんでいるミラーボールは、キョウコの本物のスフィアであり、PMプタゴラ装置を作動させた後、糸で釣った偽スフィアと入れ替わったのだ。
「ARマスカレードで、いろいろなグループが一堂に会しました。前回敗退した彌千香さんは不参戦でしたが、そこでも、私が勝利しました」
「この俺に近づこうとする、目的は一体何なんだ?」
「要は令司さんが持っている鍵、PMの奪い合いです。PM一つで戦局が変わります。たった一つで一個師団(※一万兵)にも匹敵する力です。その鍵は草薙ノ剣のある、岩戸=開かずの戸を開けるんです」
 令司にマンションの鍵が送られ、令司は京子と共にマンションへ行った。そこで金庫を発見し、中から鍵を発見したのである。その鍵を使って彌千香は地下でPMの塊(鏡)を手に入れた。その後、令司の鍵は開かずの戸への道と考えられ、誰もかれもが鍵を得ようと決闘した。
「令司さんが持つ鍵を、海老川さんも、荒木さんも、三輪教団も、十連歌も、令司さんとともに手に入れようと、決闘してきました。各大斗会後の事件や選挙結果などは、表面的なことにすぎないんです。最初の本郷だけは、目的が違いましたけど」
「だが、もしも終戦が決闘の結果なら、それだけ大きな影響力じゃないか」
「はい」
 令司たちの周辺以外でも、東京中で数多くの人狼同士の戦いが繰り広げられた。そのトーナメントに勝ち残ったのが、当初部外者に近かった令司だ。鍵を持ち続けた。
「あなたが持っているその鍵。あなたなしでは発動しません。他人が奪ってもほとんど意味がない。つまり鍵とは、その手に持っている鍵と、あなた自身、あなたのDNAなのです」
 令司を引き込もうとする者と、鍵を奪い抹殺しようとする者。どの開かずの戸に隠されているかも、M資金伝説や徳川埋蔵金などという、「流布」された都市伝説の中にカムフラージュされていたのだ。開かずの戸とは、草薙の剣を保管している秘密の扉のこと。
「一方で帝国のグループは人狼たちとは違って、一枚岩です。最後の帝国の決闘者は最初からキョウコと決まっている……。バラバラな人狼たちには、元々帝国に勝てるわけもない」
「まだ俺は――頭のどこかで信じられないでいる。東京で決闘して世の中を変えようと言う連中がいることに」
「階級社会は確かに『制度』としてこの国に存在し、士族には華士と狼士とが存在している。両勢力は一般人として紛れている場合も多くある」
 京子の語った真実は、頭がクラクラしてくるほど不快な話だった。日本の近代化の歩みは完全に冒涜され、地に堕ちている。
「それが山の手と下町の戦争か?」
「えぇ。人狼と自称しているのが狼士たち。『浪人』の『浪』の字を自分たちで『狼』に置き換えた。彼らは明治維新以後、華士の作った近代社会の中に組み敷かれ、支配されてきた。戊辰戦争終結後、明治政府にたてつくグループは、士族の乱に負けた後、言論や選挙で闘った。それでも収まらずさまざまな事変や事件が起こった。しかし、人狼達はいつかこの世界を再度革命し、自分達を陽の前に戻そうとしている。反乱は、戦後もさまざまな形で現れた。労働争議、学生運動、経済事件、政治、そして重大未解決事件……それらの事件の中にも狼士の反乱がある。でも、その全てに失敗した」
 京子は残念そうに言った。
「それは彼らの誰もが、野心だらけゆえの、元来のまとまりのなさに起因している。表向きの取り締まりや鎮圧はもちろん、裏でも無数の粛清が行われることで秩序は保たれてきました。東京の支配者に不可能はない。でも見えざる戦によって、数多くの死者が出ることは避けられない。徹底弾圧により、虐げられた人狼たちは、抑圧されたエネルギーが暴発寸前になった。帝国側と人狼側の代表は、話し合いの結果、西南戦争以来の大規模な内戦、つまり戊辰戦争の再現を引き起こさないために密約を交わした。それは両者から代表者を出し、少数の犠牲によって戦の決着を着けるという方法でした。それが東京の運命を担う決闘……」
 すべての戦いにはルールがあると、マックス先輩は言った。
「大斗会の勝利者は、東京を合法的に革命することができるわ。決闘制度の制定と、限定内戦法が極秘裏に制定されました。人狼に、自力でこの東京を革命するだけの力はない。人狼が東京を革命しようと思ったら、まずこの決闘の儀式を利用するしかない。でも帝国は、世界大戦を起こし、滅亡へと突っ走った……」
 目の前の少女は、十七だというが、その話しぶりは百年も生きているような錯覚を令司に覚えさせた。令司は今、伝説そのものと対峙しているのだ。
「そして今日、私とあなたが決闘する」
「決闘をするのに、なぜこんな大げさな仕掛けが必要なんだ? 大斗会を行うために、わざわざ新宿で不発弾の撤去が行われるなんてデマを流し、自衛隊を動員して人を退けさせ、この地を無人にして、一体何の意味がある? 教えてくれ」
「歩行者天国、ガス漏れ、テロ、要人セキュリティなんかを口実とすれば、いくらでも交通規制できる。いわば、『決闘者天国』。正式には東京エマージェンシー・エリアという。それは災害が理由とされることが多いからね」
「でも実際は、デュエリストのための東京のコロッセオってことだな」
「ええ……」
 青空の上空を、ジェット機が通過して、二人はしばらく沈黙した。
「幹線道路等で囲まれた住居地域全体に交通規制や安全対策を実施することで、その地域の人が、危険からおびやかされることなく安心して生活できる区域をつくる」
 それは普段は陰に隠れている、東京の秘密が表に出現する瞬間なのだ。
 上級都民、忖度、閨閥、天下り、戦後の未解決事件など、令司は本の中で、東京伝説と関連するのではないか?という仮説を立て論じてきた。だが、全てをはっきりとした結論に置き換えなければならない。まぁ、生きてここを出られたらの話だが。
 一方で、京子は帝国サイドの代表として、人狼代表としての鷹城を新宿へいざなった。全ては人狼の残党の希望、芝崎教授のDNAを抹殺するために。
「オリンピックだって同じでしょ? オリンピックはギリシャを発祥とする。大斗会の舞台装置は、古代ローマのコロシアムだからね。二十年に一度の政治オリンピックみたいなものよ。だからオリンピック同様に用意される。それくらい、東京帝国には簡単なこと」
 ドローンも報道ヘリも飛んでいない完全なる無人。
「三輪彌千香が言っていた。これは神代から続いた戦いだと。本当なのか? 宗教の言うことなんて、と君は言ってたけど」
「それが真実なら、口をつぐまなきゃいけないときだってある訳。荒木影子さんのように。天津神は私たち、東京帝国のこと。つまり太陽。国津神は人狼、すなわち月。それが、『南総里見八犬伝』の中に暗号化されている」
 「八犬伝の暗号」、吾妻教授が授業で語っていた。今日の出来事の予言書だ。
「俺は、知らず知らずのうちに狼の境遇に追い込まれたんだ……」
 徘徊し、行く充てもなく、「暗夜を徘徊せし餓狼」のタイトル通りに。
「でもマンションが与えられていた。生活費も保障されていた。そこで原稿を完成させるためのインフラとしてネ。そして完全に帝国にも見つからない隠れ家として」
 だがすべてはバレバレだった。
「これから行う最後の大斗会は、これまでのようにはいかない。どちらかが必ず死ななければならない。これが国家神道の神聖な儀式である掟。もう海老川さんの介入は許されない。決闘者の二人以外はエリアに入れない。本郷でも渋谷でも無人化は起こったけれど、人が立ち入ったのは、予選に過ぎなかったから」
 京子は一瞬沈黙した。
「二〇二五年の決闘は、これまでとは違う。八十年周期で日本はどん底を経験してきた。一八六六年の幕末、一九四五年敗戦、そして二〇二五年。ここから日本は奇跡の復活を繰り返してきた。未来は明るい。正真正銘の、東京の革命の日となるわ。衆参同日選挙にも影響を及ぼします。下学連や十連歌、三輪教その他の人狼勢力が、夏の衆参同日選挙に大量の候補者を擁立しています。この決闘で、東京が革命されるかされないかが決まる。それを皆、かたずをのんで見守っている」

新宿大斗会のガイダンス

「俺に人殺しなんて、できる訳ないだろ! 君がこれまで殺人を犯してきたキョウコとは別人だったとしても、伝説を継承するだけの殺し屋の素質を持っているに違いない! だが、俺に勝てる見込みは万に一つもないし、殺人なんてしたくもない!」
 京子の頭上に浮かぶシルバースフィアが、高速で回転し始めた。
「この場から逃げ出すことはできない。この街を取り囲んでいる陸上自衛隊に射殺されるだけよ」
 京子は静かに言った。
「まぐれでも受かれば勝ちだって、令司さん言ったじゃない?」
「それは―――」
「人狼の革命は、東京帝国代表のキョウコを倒せばいい。ただし、誰も私に勝ったことがない。でもやってみなきゃ分からない。自分を信じて闘うの。令司さん、東大を目指しなさいって、『高校生』の私に言ってくれたでしょ? たとえ何万分の一の確率でも、受けようと志さなきゃ、受かるわけもないって。宝くじは買わなきゃ当らない。それに居合の達人なんだし」
 京子は女子高生に戻ったような笑顔で言った。
「気休めにもならない―――論理が飛躍してるぞ、君」
 令司は頭を抱えた。
 恐るべき鉄球。
 あんなものを相手にして勝てる武器などない。第一、令司はなんの武器も持っていないのだ。
 殺られる―――。

 時刻は八時を回った。
「これから新宿大斗会の説明をします」
「やらないぞ。俺の気持ちは変わらない」
「戦いは正午十二時の時報と共に開始します。場所はここ、新宿副都心エリアの内部限定。外に脱出することはルール違反となる。その場合は、すぐに私たちを監視している自衛隊のスナイパーによって狙撃される。私に銃撃は通用しないけど、あなたは違うでしょ? どこにいても、網の目のように張り巡らされた監視カメラと、ドローンで発見される。私はその眼にアクセスできる。無駄な考えは、起こさないでね」
 令司は、京子を追って今日、ここに来てしまったことを呪った。
「時間になったら、剣を取りに来てください。十二時に、都庁前の祭壇へ剣を置いておきます」
「本郷と、同じってか……?」
「正午に会いましょう」
 京子は二度と振り返らずに、都庁の上階へと続くエレベータへ消えた。
 令司は一人残され、その場に立ち尽くした。
 正午まで時間は、残り四時間。それまでに、結論を出さなければならない。
 令司は、このゴテゴテした物々しいゴシック建築をいったん離れる事にした。東山京子がいる場所から少しでも離れ、考える時間が欲しい。可能なら新宿摩天楼街のどこかへ逃げ場を求めたかった。
 町の外周を囲んでいる陸自の大部隊の様子はどうだろうか? 隊長は、報道によると長門一等陸佐といった。リーゼントで切れ長の眼を持った、いかつい顔つきの男だ。勝っても負けても、その男に会うことになるのだろう。負けるに決まっているが。攻撃ヘリだって上空を飛んでいるのを行きに目撃した。
 街の外へ逃げ出す隙間はない。道という道は、自衛隊の戦車と装甲車によって切れ目なく非常線が張られて、彼らの銃口は円周の内側を向いている。
 もし非常線を突破しようとすれば、京子に殺されるより確実に一歩死に近づく。地下も同様で、逃げ場がない以上、さらに危険性は増す。東京帝国は、マスコミをも支配下に置いている。
 令司は居合をやっていた経験から、幾つか真剣を手にしたこともある。だが、当然草薙ノ剣など握ったこともない。自分に、使いこなせるとも思えない。
 歴史上、今までキョウコに勝った者は居ない。おそらく、京子のシルバースフィアは狙った獲物を確実に捕えるだろう。今回の京子にも、自分は勝てそうにない。絶対に無理だ。
 もし万が一、ここで京子を殺せば、本当に東京は革命されるのだろうか。そのとき、帝国の戦後以来の支配は幕を閉じ、人狼の時代の幕開けとなるのだろうか。
 足取りがふわふわする。
 視線も定まらない。眠気と疲れ、虚脱感に襲われ、頭痛もひどくなる。
 全てが夢幻のように感じられた。令司はもうずっと、現実と幻想の中を行き来しているような感覚にどっぷり浸かっている。
 最初に出会ったとき、土砂降りの夜道に倒れた京子を抱き上げた瞬間から全ては始まった。
 平穏な東京の日常は、凶暴なコロシアムへと豹変し、令司を戦慄の真相へといざなった。もう後戻りはできない。
『革命を起こすんだ』
 そう、純子や、彌千香や、久世リカ子たちの熱い思いを聴いた。
 まだ二十歳だ。
 俺は死にたくない。
 けれど彌千香や純子たち強化兵のような、華麗で人間離れした技は持ち合わせていない。

 空は青かった。
 雲一つない。
 時より、強い風が吹いている。四方の摩天楼から吹き降ろしてきた。
 信号機はすべて消えている。駅前は、烏の天下となっていた。彼らは、無人化した東京でゴミをあさっていた。
 半径一キロメートル、都庁を中心に陸上自衛隊の包囲網。
 待ち合わせ場所として有名な、深紅の「LOVE」オブジェや、高速バスが眠るバスタ新宿。新宿パークタワー辺りをうろつく。
 令司がここまで持参した鍵。最初にそれを渡されたとき、手になじんだ。手がその質感を覚えていた。家に置いてあったそれを、幼い頃に手にしたことがあるのかもしれないと、ふと思った。そういえば我妻教授の部屋で食べた柚子水ようかんも、どこかで食べたことがある味だ。なんでそれを今思い出したのか分からないが。
 父は、二十年前の決闘の人狼の代表者だった。京子に殺され、そして今自分がここにいる。
 しょせん、京子から逃げることは出来ない。令司は囚われたのだ。いや、今日令司は囚われに来たのだ。

 正午が近い。
 高い太陽がアスファルトに照りつける。令司は逃げることを止めた。どこかへ隠れようと、同じことだ。包囲網を抜け出すことはできない。正午まで、都庁前で京子が出てくるのを待つことにした。
 この百年間、十七才の少女として生き続けている化け物は、自分の父親を殺した敵(かたき)だ。令司は京子を、時折疑いの目で見ながらも、そんな悪女なはずがないと思ってきた。
 超常的な雰囲気を漂わせていたが、いつもあどけないかわいらしい少女だった。
 だが彼が知っている東山京子は、仮の姿にすぎなかったのだ。
 京子は都庁の上の階で、何をしているのか。戦いの前にくつろいでいるのだろうか。いったい、何を考えているのだろう。
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