第13話 東大人狼ゲーム「桜田人外の変」

文字数 11,130文字



人狼ゲーム

 プレイヤーは村人と人狼に分かれ、村人に化けて人を欺く人狼と、それを暴く村人と駆け引きをしながら相手を見極めるテーブルトークRPG。
 「昼」には人狼容疑者一名を全員の投票で決定し、「夜」には人狼により村人の襲撃が行われる。人狼をすべて処刑すれば村人の勝利となり、村人を人狼と同数まで減らせば人狼の勝利となる。
 プレイヤーには、霊能者や占い師など様々な役職があるが、誰がどの役職かは分からない。駆け引きが重要な勝敗のカギとなる。

二〇二五年六月二十八日 土曜日

 駒場大講堂一号館。
 本郷にある植田講堂と対を成す、時計塔のそびえ立つ東都帝国大学を象徴するゴシック様式建築。このアーチ形階段教室の109教室を貸し切りにした理Ⅰ二年の海老川雅弓は、大学内で絶大な権力を有する学生といえる。個人は無論のことだが、本来サークルであっても五号館と七号館の教室しか使用を許可されない。海老川は特別なのだ。
 入室してまず目に飛び込んできたのは、天井から吊るされた、白い紙シェードランプだ。紙片をパズルのように組み合わせて、いくつもぶら下がっていた。こんなものを、勝手に……。
 壇上に並んだパイプ椅子と長テーブルに、倶楽部のメンバーがずらりと座っていた。
 中央に海老川雅弓。
 首席入学、理学部数学科専攻予定の東大学生自治会長、模擬国会倶楽部の部長にして、東京学生連合会会長、そこでも模擬国連、模擬裁判も行っていると、事前に聴かされている。今日も、贅沢が服を着て歩いているようなファッションだ。
 その右に水友正二、左に銭形花音。令司がコンパで見た何人かの学生が肩を並べている。あのパリピ共が自治会としてクソまじめな顔して……。合計九名。これが、デルタフォースだ。
 一方、聴講生側の椅子には四名。
 東京伝説研究会の鷹城令司、新田真実のほか、同日、本郷に居た決闘者・小夜王純子、三輪彌千香も同席していた。
 時間が来て、中央に座った司会の海老川が話し始めた。
「本年六月一日日曜日、桜田総長が永田町で、不慮の事故で亡くなられました。―――警察当局には、街路樹に突っ込んだ自損事故と片付けられましたが、あの事故には、不審な点が数々あると聞いています」
 海老川は、なぜそんなことを知っているのか。
「その日――本郷キャンパスにおいて、桜田総長の奇妙な行動が報告されていました。教授は、何かの事件に巻き込まれた。総合的に考えて、単なる事故でない可能性が強いのです」
 海老川はゆっくりと説明を始めた。
 腕には、銀時計が光っている。海老川は首席入学で、すでに銀時計をもらった女だと、今日ここに来るまでに令司は新田から聞いた。次元が異なる。
「桜田総長が亡くなられた直後から、東大で不可解な事件が頻繁しています。植田講堂前に日本刀が置かれて、キャンパスから人影が消えて、果し合いが行われた――。実は駒場でも、同様に日本刀が置かれる事件が発生したと警備から伺っています」
 海老川は四人をじっと観た。
「それだけではありません。発表されていませんが、二十年前、奇しくも工学部の柴咲政志教授が本郷で亡くなられた前後にも、同様に奇妙なことが起こっていたそうです。東大という密室の中で、――何か恐ろしいことが起こっている」
 海老川はしばらく沈黙した。
「この東大で、誰にも死んでほしくなんかなかった……」
 海老川は目をつぶり、唇をかんだ。だいぶ芝居がかっているように令司には見えたが、だとしたら迫真の演技だ。なぜ一学生がそんなに責任を感じるのか、よく分からなかった。
「このようなことが二度と起こらぬよう、私はやむなく、学生自治会長として立ち上がることにしました。桜田総長の不審死と、その後の出来事の謎を解明するために、本日、人狼ゲームを開催いたします。――この東大の中に、人狼が潜んでいる。学友の皮をかぶった人狼の仲間たちが――。どこに潜んでいるのかはまだ分かりません。でも夜になれば、次の行動を必ず起こすでしょう。そうなる前に、私たちの学生の力で、何としても学内に潜む人狼たちを暴き出し、一匹一匹退治していかなければならないのです。今日、当日本郷にいらっしゃった四名の関係者の皆様に来ていただきましたのは、人狼を探り当てて、東大の皆さまを、そして東大を救うためにです」
 海老川は、学内に人狼が存在する前提として、論を進めていた。
『酷くねェか……あの女』
 新田はにらみつけた。
『ああ……人を人狼呼ばわりとは』
 学生自治会は、桜田総長の死を、本郷に人狼が出現した事件の一環として認識していた。死者を冒涜するような物言いに聴こえた。
「私が代表を務める東京学生連合会の調査によりますと、他大学でも同様に、不審な事件が起こっているそうです」
 海老川は言葉を区切った。資料に目を通している。
「それに加えて、都内各地で不穏な動きが――不可解な事件が続いています。昨年の渋谷ハロウィン暴動をきっかけに、都内各地でのデモが騒々しくなっている。また著名人や要人の襲撃事件の勃発。桜田総長の死と、何か関係があるのやら――」
 海老川の、細く小さな右手の拳がギュッと握られている。
「人狼は、社会を破壊するテロリストです。彼らは暗躍し、潜んでいる。この東京で、毎日、善良な都民が食われているのです。それは東大内だけでなく、外の世界にも広がっている。人狼とは人の皮をかぶった狼、つまり『人食い狼』です。我々の社会に挑戦する反乱分子です。彼らは普段、一般学生や普通の都民のフリをしていますが、我々の人間社会に潜んで牙を磨いている。芽は、小さいうちに摘み取らねば」
 海老川が右手を開くと、手のひらの中に黄金の三角定規が現れた。最初から持っていたらしい。
 海老川がクルッと定規を回す度、縁がキラッと光った。やはり仕込みナイフだ。手のひらサイズなのに、令司には巨大なものに見えている。刃渡り六センチ以下なら銃刀法に違反しない。が……ひょっとするとそれ以上あるかもしれない。上級都民は、帯剣でも許可されているのか?
「何を言い出すかと思えば……テロ犯だって? ずいぶん乱暴な論理じゃないか。つまりあの日、俺たちはただ本郷に居たってだけで」
 令司の問いに、隣の水友が節くれだった細長い指で、眼鏡をクイッとして答えた。
「『人狼ゲーム』という建前を使わないと、大学の使用許可が下りないのでネ」
 水友はニヤッとした。
「つまり事件の真相を、ゲームを使ってあぶりだそうっていうのか? これは、模擬裁判か何かか」
 東伝会の皆が言ったことは本当だった。
 人狼ゲームなどと偽って、ずっとこんなことをしていたのだ、海老川たちは。令司はとたんに胸糞が悪くなった。
「警察に任せるのが筋だろ、そんなもの」
 新田は小さくつぶやいた。
 五百旗頭検事は当初、東大とはいえ、事件の真相解明に忖度は許さない姿勢だった。ところがその後、新番組の姿はキャンパスに姿を現さなかった。
 水友は、メンソレータムを唇にキュキュッと塗りながら、
「必要とあれば、ね。―――でも忘れちゃ困るのは、大学には自治権がある」
 と言った。
「総長の永田町の自損事故は、プライべートでのことだ。学外の問題じゃないか?」
「大学は今、微妙な時期なのが分かりませんか、鷹城君。学内の自主独立を守らなくちゃいけない。大学は今、有馬総長の新体制で出発している。総長選と絡めた事故報道や噂が独り歩きすると、困るんだ」
「大手マスコミなんて、東大が抑えてんじゃないのか?」
 マスコミは一斉に事故と報道し、総長選との絡みも一般的な書き方で、事件性と絡めている記事など存在しない。
「週刊誌という、別な狼が獲物を狙ってるんでね。真相究明と、学内の平和のため、ご協力をお願いしたい」
 水友が言っていることは事実ではない。「週刊実談」・「自由談」をはじめとする週刊誌を含め、マスコミは一丸となって、だんまりを決め込んでいる。事件は隠蔽されている気がしてならない。
 海老川が続ける。
「警察と仰いましたが――、本日人狼ゲームの範疇内で語られた真実は、今でしたら学校内部の問題として処理する事ができる……という話です。当事者の人狼たちにとっても、我々はそのための最善の援助ができると思っています。もしここでゲームへの参加を断るのでしたら、私としては平穏な学生生活を保障することはできかねますが」
「脅しか」
「私は、人狼が次の事件を起こす前に、我々の学友が食われる前にあぶり出し、対応していかねばなりません」
「人狼ゲームだと『処刑』だろ?」
「言い方はナンですけどね、夜の人狼のターンが再び訪れる前に、昼の都民ターンが来た今だからこそ――。言いかえればテロ事件の真相を握る人狼たちをあぶり出し、共に学内から追放しましょうと、そういうことです」
「ばかばかしいな、ハハハ! 現実とゲームをごっちゃにしている」
 新田が嘲笑した。
「俺たちが集められたのだって、全員逮捕されてっから、全員に人狼の容疑がかかってるって話だろ?」
 新田は睨みつけた。
 デルタフォースは、一瞬沈黙した。やはりそうだ。
「いいですか、人狼であるかどうかは、ゲームの中で明らかにすることができると言っているのです」
 嘘くさい。四人は、この上、学生裁判に付き合う義理などなかった。
「踏み絵か? それとも血液検査か?」
「あなた方には、レベル4のDNA研への建造物侵入罪の疑いがかけられていますね?」
「……」
「あなた方を、いいえ東大生を守れるか守れないか――。私は、もはや学生の自治の限界を感じています。皆様は逮捕された。このままでは大学を離れ、検事の介入を許し、徹底的な捜査が行われ、起訴される可能性がある。だからこそ今日、事件の全貌を明らかにした上で、人狼と判明した方にはそれを公にしない代わりに、我々が速やかに自主退学を勧めて済ませることができる、と考えています」
 一体どこが学生を守る話なのだろう。
 証拠を握って、相手を追放する。海老川は過去そうやって大学内の敵を抹殺してきたのだ。
「それを脅しというんだよ!!」
「いえ、私はあなた方を同じ学び舎で学ぶ者同士として守りたいと言っているのですが」
 これが上級都民の伝説の実体だ。
 スクールカーストばりばりの現実で、下等な学生を、自分勝手な法のもとに裁くことができる。この女は大岡越前か、遠山の金さんか、暴れん坊将軍か、それとも銭形……平次……。海老川の左側には銭形花音、百八十二センチのバレーボール選手が座っているが。
「なぜ大学でなく学生自治会の君らがやるんだ? 筋が違うだろう、筋がさ」
「私は、できるだけ学生の問題は自分たちで解決するべきだと思っています。事を大きくしたくないという、我々の意図が理解できませんか?」
 令司の隣に座る小夜王純子も、ゲームマスターの海老川を睨んでいたが、口を開いた。
「ほぉ~、人狼による止らぬテロに対して、もはや切捨て御免ってか? さすがは明治の廃刀令以降の事実上の『刀』である『法』、学内の法を完全支配する海老川雅弓様だ――。たいした女王様ぶりね!」
 純子はニヤニヤと、壇上の面々を観た。
 しかし、学生自治会の権限とはどのようなものだろう。令司はこれまで接してきたことがないから分からない。もしかすると、大学より一任されている部分があるかもしれない。だが、いくらなんでも――。
 純子の隣に座る三輪彌千香も、静かに口を開く。
「あのぅ純子さん、これ、もうすでに人狼ゲームに入っているのではないでしょうか? いつの間にやら始まったのか定かではありませんが……。だって、海老川さんのおっしゃっている事は、あまりにも荒唐無稽です」
 今日は黒いシックなワンピースを着ていた。
「フッ、言えてる……」

 海老川は純子をじっと見た。
「では、一人ひとりお話を伺いますか。経済学部の小夜王純子さん。最初に言っておきますが、人狼は嘘をついて人間のフリをします。しかし、私にウソは通じません。それを、今から論理で暴いていきますので」
「ふ~んなるほどネ。で、役職カードは配らないの?」
 純子がそう言うと、海老川は黙って微笑んだ。
 しばらく二人の女のにらみ合いが続いた。
「そんなの、ある訳ないでしょう? なぜってこれは、『事実』と格闘するゲームなんですから。第一私はまだ、この中の誰が人狼なのか分からないのですよ?」
 この人狼ゲームは、学内で起こった実際の事件とシンクロしている。本人はゲームじゃないと言うが、配役はこれから海老川がゲームの中で勝手に決めつける。本物の人狼が――居たと仮定して――ゲームマスターの海老川が処罰するのだ。それが人狼裁判だ。
「まぁいいわ。で、なんであたしが呼ばれたんだっけ?」
 純子は、赤い招待状をピラピラと振った。
「小夜王さん、あなたはなぜ、あの日、本郷に居らしたのです?」
「はぁっ!? 犬の散歩してる近所の人だっているのに、なんで東大生が本郷キャンパス歩いてちゃいけないのよ?」
「歩いちゃいけないなんて言っていませんケド……。二年生の貴女が、授業がある駒場なら分かります。一応、訊いているのです。なぜ逮捕されたあの日、本郷に行ってらしたのか」
「あたしはオーディション前で練習してただけだけど。あっちの方が広いし。――いけないの?」
「しかし学内で届出のない演奏は、基本的に禁じられているはずです。キャンパスは、上野公園ではないんですからね。サークル活動だったら、届け出が必要です。当日、届出はなされてなかったと、事務局から貰っていますが」
「あっそ」
 純子は投げやりに窓を見た。ブーツを履いた両足をドンと机の上に乗せる。いちいちポーズがセクシーで、およそ東大女子のオーラを放っていない。
「足をしまってくださる?」
「イヤだ」
「貴女って……」
 海老川は、不愉快そうに眉をひそめた。
「だからって人狼じゃないんだけど。そんなの誰も真面目に届けやしないわよ。皆やってるわ。アンタが知らないことだってある」
「おみ足をしまって!」
「――足をしまう代わりにお願いがあるの。あたしさ、明後日もオーディションがあるから忙しいのよね! そろそろ帰っていいカナ?」
 純子はゆっくり足をしまった。
「純子さん、なんだかあなたって、全然東大生らしくないのね、進路間違えてない? 藝大でも行った方がよろしかったんじゃありません?」
「藝大なんて行かせてもらえないわよッ! 医学部なんか行かないって言ったらその代わりに、経済学ならいいって通わせてもらったんだ。それ以外は一切援助なしの方針なんだから。アンタ等と違ってウチ金がないんでねー。アパートの中じゃ演奏できやしないし、スタジオ代だって馬鹿になんない。カラオケ屋も、とうとう追い出されちゃったし!」
「ロックは反骨精神の象徴、というのを地で行ってるという訳ですか。今時どこの芸能界が理解を示してくれるかしら? それなら、デビューなんて考えないで、U-Tubeで勝手になさればよい」
「ま、あんたの言う通り、今更メジャーからデビューする意味なんてないのかもしれない。けど、十連歌を追い出したこの世の体制を変えるには、体制の中から突き動かすことも意味がある。そのための権力を得るために、あたしはデビューするんだよ。あんたらみたいな奴らと戦うために」
「サークルには?」
「そんな暇あるか。学費稼いでるし、サークル活動やるにもお金かかるし、バイトだってしなきゃだし。ま、そうやって貧乏人を馬鹿にしてろよ。ちょうどいいワ、デビューしたら今日のお前たちのことギッタギタに書いてやる!」
「止めときなさい。十連歌気取りは――」
「十連歌こそロックの原点だろ。反体制、反上級都民、反芸能界の十人の反乱者。メディアを追われ、U-Tubeのみでずっと社会を動かしてきた。けど、最近じゃU-Tubeのチャンネルさえも、圧力でBANされた。十連歌を追放した芸能界も、メディアも私は許さない」
「やっぱりね。たぶん好きなんじゃないかと思った。私の趣味じゃないけど。あなたがデモに参加していることは存じています」
「フンッ」
 デモに参加すると海老川が目をつけるのか。――なぜだ? 純子はファッションのためなのか、特に青いものは身に着けていない。
「獣連歌なんて、文字通り『獣』臭いわね」
「あからさまに字を間違えるな!」
「あんな雑音、私は音楽と呼びたくない」
「雑音?」
「他人への批判を歌詞にするなんて、ただの誹謗中傷です。根拠もないことをでっちあげ、名誉棄損、業務妨害、肖像権の侵害。メディアから追い出されて当然だわ」
「自分は頭がいいと思ってる頭でっかちの馬鹿ほど、手に負えないバカはいない。素直じゃないからな。大事なことに気づくのに、こっちは十回くらい言わないといけない。時には相手のレベルに合わせて、落さないと」
「十回で済めば早い方だ」
 新田が付け加える。
「――それを持ち上げるなんて、あなたにも十分、人狼の疑いがあると言わざるを得ないですわね」
「勝手に言ってなよ」
 純子の目があざ笑っている。令司はハラハラした。
「まぁいいでしょう。――それで純子さんは、桜田総長が亡くなったことについて、どうお考えですか?」
「……」
 純子はうつむいた。
「亡くなったことで今、総長選が行われてるのは事実だ。実は経済学部長の林教授は事故の前、ある問題を抱えていた。経済論文で総長と揉めていたんだ」
「そうでしたわね」
「大学の方針と会わない論文だったから、桜田総長に弾圧されたんだ。いずれ、すべてを明らかにすると言っていた。でも、事故が起こってそれどころじゃなくなった」
「それであなたは、林学部長とどういったご関係?」
「知らない」
「もう少し協力的になってくれないかしら」
「嫌よ」
「貴女の態度は、非常に問題ね。だけど、恣意的なものを感じるわ。何かを隠そうとしている」
「だりーっ!」
 純子はバッと立ち上がった。
「帰るわ」
「お待ちなさい! 今ならあなたが何者でも、すべてを丸く収めることができると、そう言ったはずよ。誰も傷つくことなく、あなた方にもメリットがあるというのに」
 海老川は左肘で三角を作り、スーッと右手の人差し指でなぞった。左手には、黄金三角が光っている。
「……」
「いいや、彼女の言うとおりだな、さ、みんなで帰ろう。ばかばかしい。海老川さん、この間はわざわざ丸いおにぎりを棚に戻した上、サンドイッチをおごってくれてありがとう。それに、上級都民の合コンにも誘ってくれて。でもそれが、こんなゲームに参加させる罠だったとは、知らなかったよ」
 令司は立ち上がった。
「おい、令司――」
 新田が制した。
「よせ、ここに並んでいる連中をよく見ろ。彼らは、総合試験対策委員会の面々なんだぞ」
「え? なんだって――」
 新田によれば、シケ長(試験対策委員長)は、先日のコンパ長だった水友だ。それに銭形花音も。
 東大生は組織的に、授業のプリントを製作し、回覧している。どこの大学でもやってるが、東大は徹底的に組織化されていた。
 試験対策委員会のRINEグループで、指定の授業の「プリントを作れ」と司令が来る。試験対策プリント、通称「シケプリ」は多いもので、一科目につき数百ページ作る人もあり、教授の授業より分かりやすい場合もある。
 一つのプリントを制作すれば、全部のプリントがあるアプリに入ることができるのだが、無視すると「除籍しますよ?」と言われる。委員会に逆らうことはできず、皆、単位習得のために指定の授業にまじめに出席し、コツコツとノートを製作する。忙しかろうが何だろうがだ。
 学年や年齢は関係なく、東大では年下でも勉強ができる学生がヒエラルキーの上位にいた。
 そして海老川たちは、通常は百人程度でしかない委員会を、すべての授業を網羅するスケールへと拡大し、完全なヒエラルキーを構築していた。どの教授よりも、東大の知を集約したとさえ言われている。
 デルタフォース。
 海老川雅弓はなぜ、三角形にこだわるのか。それは、偏差値ピラミッド社会の頂点に自分たちが位置するからだと、令司は直感した。
『それ、ガチのヤツ(伝説)じゃないか!』
 RINE上層部が誰なのかは知らなかった。実物を見たのは、令司も初めてだった。
「やっと気づいたか…… ここは、おしらすだ」
 新田はあきらめた調子で言った。
「どーせ俺は、シケプリがなきゃ進学できやしねェ。留年する金なんぞ、親から許されてねーし。いずれおさらばだ……この大学とも」
 もしも海老川たちに逆らえば、今後、東大生としては生きていけなくなる。高まる無言の圧力――。
 特に、専攻が分かれる三年生以降が厳しくなる。一気に専門性が高まって、単位習得に試験対策委員会のアプリが必要不可欠になるからである。
 一瞬の重い沈黙を、純子が破った。高笑いが教室内に響き渡る。
「はははは! あんた達ってバッカみたい。あんたもあんたも――、皆、試験対策委員会のアプリにアクセスできなくなるのがそんなに怖いんだ!? あたしは自力で勉強してるから要らないけど!」
 純子の物言いに、令司と新田は押し黙る。ハッキリ言わないで欲しい。
 アクセスできなくなったら正直困る。まれに自力で頑張る学生もいるが、ほとんどの東大生はシケプリを使っていた。小夜王純子は困らないらしい。彌千香も平然と黙っている。しかしそれ以前に、海老川のやり方は度が過ぎる。
「純子さんにはもう少しお話を伺いたいところですが――、次に行きましょう。三輪彌千香さんは、ずっと五十六池に居たそうですね?」
「はい。釣り糸を垂れていました」
 彌千香は静かに言った。
「釣りしてたんですか?」
「一般の人でも、誰でも本郷キャンパスに出入りすることは出来ます。犬の散歩をしたり、絵を描いたり、学食で食事を摂ったり―――五十六池で釣りをしている人も、特に珍しくありません」
「公の立場では認められませんよ。厳密には池の魚も東大のものですから。飼ってる訳じゃありませんけど、研究対象になることもあります。生態系維持のためにも、無断で釣る行為は禁じられているのです」
「なぜあなた方の許可を取らないといけないんですか?」
「あなたも純子さんと同じことを言うんですね。で、何か釣れたのですか?」
「釣ってはいません。鯉は友達です。釣る訳がありません」
 ポエムっぽいしゃべり方だと、令司は気になった。
「友達? ほぅ、というと」
「――あなたに言って理解できるか分からないけど、あれは吉凶を占う行事です。糸には針がついていませんでした。このお二人が目撃しています」
 彌千香は、令司と新田を観た。
「確かに?」
「あぁ、釣ったところは見ていない」
「他の人もやっている、とおっしゃいましたが……、当日キャンパスに、人はいなかったそうですね。東伝会の動画で証言されています。この二人と純子さん以外に、人影を見ませんでしたか?」
「それ以外には警備の方を。――いいえ、正確には、もう一人女の人を見ました。日が暮れて、確かに一瞬ですが、キャンパスに誰も歩いていない時間帯がありました。けど、女性が歩いていたんです」
「純子さんのことでは?」
「――純子さんではないです。黒髪が腰まで伸びた女(ひと)です」
「それは――」
 まさか、東京伝説のキョウコが? もしかしたら、本郷に現れていた――。
「そうですか。なら、完全な無人だったという訳でもなさそうですね。で、東伝会の動画によると、純子さんと彌千香さんはキャンパスで、日本刀を振って決闘をしていたと? それと、医科学研究所へ侵入した」
「不法侵入については謝罪いたします」
 彌千香は頭を下げた。
 純子が話を継ぐ。
「あたしたちは知り合いだった。あたしも彼女も、高校時代に居合をやってたんだ。だから、ギターの練習次いでに、彼女も用があるっていうから約束してて――。けど、あたしたちは殺し合いなんかしてない。あたしたちは高校の全国大会で、お互いの名を知っていた。東大で初めて会って、本郷キャンパスでお手合わせ願ったって訳さ」
 二人と異なり、令司が習っていた夢想新陰流は、親戚の老人から個人的に習ったもので、試合に出たことはない。
「キャンパスで居合? それもまた無許可でですか」
「そうよ」
「あきれた言い訳だこと。あなた方、キャンパスをなんだと思ってるの? 演奏したり釣りをしたり、決闘したり――」
「決闘じゃない、試合だ! 中山法華経寺の骨董市で、五千円で買った模擬刀だよ。文句あるの?」
「私のも模擬刀よ。本郷のキャンパスから一歩でも出たら違法でしょうけど、警察にもそう届けたわ。聞いてもらえばわかる」
 おとなしそうな顔をして、彌千香は言った。
 違う。明らかに彼女たちは示し合わせて嘘をついている。令司たちが見たモノは、真剣だった。しかもあれは、「型」なんてシロモノじゃなかった。一歩間違えば命を落とす。あの時の彌千香は、すさまじい剣撃だった。人間業とは思えない破壊力を見せつけ、二人は超人だった。つまり、強化兵。
「模擬刀? たとえそうでも、金属で先端が尖ったものは銃刀法に違反します。なぜって、刺せば相手は死ぬじゃない」
 雅弓は、子供に言い聞かせるように言う。
「海老川さん、あんた居合ってモノがなんだか全然分かってないな。居合で使う居合刀の先端は、確かに尖っている。でも、ちゃんと型があるんだよ。立ち合いの型は、通常二人でするものだ」
「どこまで型の試合で押し通せるものかしら? 決闘罪スレスレの行為を」
「フッ、試合は、真剣にやるものだろ」
『なぁ……あの刀?』
 令司は新田に声を潜めて言った。
『うん、確かに本物だった。決闘の時、真剣とすり替わっていた』
 警察には、きっと模擬刀で届けたんだろう。しかし、彼女らは数百人の警官に取り押さえられていた。いつの間に知り替えた?
「かといってキャンパス全体で振り回すなんて、常識を外れた行為でしょ。御殿上の道場を使えば善(よ)かったはず」
「最初はその予定だったんだ。けど、彌千香が池で儀式があるとかなんとか、訳の分からないことを言うんで、あたしも時間がなかったし――、ギターの練習してて。その都合で、持ってきた模擬刀を植田講堂前に置きっぱにして、時間になったら二人とも手に取ることにしたんだ。その後、つい興が乗ってヒートアップしてしまったことは認めるけど、屋上に上がったのは警備員を避けて移動してたからってだけで――」
 純子は相変わらず、ヘラヘラしている。デルタフォースを前にして、とんでもなく度胸の据わった女だ。
「もしも人が居なければ、御殿上記念館の道場でやるのと何も変わりないわ。誰にも迷惑をかけない。道場の拡大。いわば、二人きりの運動会……」
 彌千香は淡々と、ロボットのような口調で答えた。
「動画にある通り、総裁選を決する決闘だったのかしら?」
「そんなの知らないよ。この二人が勝手に作った都市伝説だろ? ある訳ないじゃん」
 純子は興味なさげに答えた。
「当日、一瞬無人地帯になったのは?」
「それも知らないけど、確かに人は少なかったな。結果的に、居合の練習にはもってこいだった。広々と使用することができた。ま、警備員に通報されて、捕まったけどね」
 純子は頭の後ろに手を組んで、天井から吊るされた紙シェードランプをじっと見つめている。
「駒場の刀も、あなた方?」
「知らない」
「私も、知らない。誰かが真似して置いたんじゃないかしら……」
 必然的に東伝会の動画が、模倣犯を作り出したという結論に至った。
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