第40話 死・灰・射(しはいしゃ) 階級都市

文字数 5,651文字


 東京駅は海の底。
 海の底。
 海の底。

 ……海の、底――。

二〇二五年八月五日 火曜日

 到着したのは、東京駅構内のホテルのレストラン「バミューダ・トライアングル」。このお店の名は……。
「どうぞ。おなかすいたでしょ。A5ランクの神戸牛ステーキよ」
「お前の家の店なのか? ここ」
「えぇ――」
「相変わらず店名にまで、三にこだわるんだな」
「三は高次元を現す。天地創造の青写真だからよ。それに日本では、三本足はヤタガラスでしょ。道を指し示す役割」
「それは分かった。だが、なぜだ?」
「まもなく、彌勒の世が来る」
「ミロク?」
「3・6・9よ。日月神示に記されている」
 今度は彌千香がもたらした情報に、近づいていた。
 海老川が三にこだわるなら、三輪教の教義は無視できないはずだった。だから彼らは三輪教に一目置き、海老川は東大鞭倶楽部の争いを慌てて阻止した。
 産地情報やミディアム・レアーがお勧め、味付けなどについて、ペラペラと海老川はしゃべった。令司は半分も聞いていない。
「いい気なもんだな。どこまで俺を追い詰めて楽しむ気だ?」
 食べ盛りの二十歳。本当は、腹が減って死にそうだ。
 巨大なシェルピンスキーのガスケットが、海老川の後ろにあった。金色の三角形のフラクタル構造がファイヤーゴールドに光っている。目が回りそうなデザインだ。魔術的な効果がありそうなPM力が発せられている。これで洗脳でもしようって魂胆だろう。空腹に相乗効果で、やられそうだった。
「俺が……こんなモンにつられて、お前の……言いなりになると思うのか?」
 ギュルルルル……。おなかが鳴った。
「そんなこと考えてないから! さぁ早く、冷めると美味しくないわよ」
 くくく……。もう反論材料はなかった。仕方なく令司はバクバク頬張る。
「一度に頬張ると胃がびっくりするわよ。よく噛んで食べなさい」
「お前は、なぜ食わん?」
「あたしはさっき食べたから」
 海老川は頬杖して、ニコニコしている。
「天馬雅と異母兄弟なんだろ? なぜ黙っていたんだ」
「――本人から聞いたの?」
「あぁ」
「なら仕方ないわね――。彼はうちの一族の私生児なの。天馬は母方の名。私と同じ歳の異母兄弟。彼の母は、私の母と父がお見合い結婚する前、付き合っていたそうよ。自分で東大に入るまでがんばったのは評価できるけど、なぜかわたしに敵対するようになってしまって、困ってる。気の毒だけど、うちの閨閥の一員としては不適格。一族の恥だわ」
「あいつはちょっと女っぽいが、中身はたいした男だ」
「たいした男、ねェ。いっそ妹だったら、可愛かったのに。……法事のあと、最近も雅を誘ってやったのに断った。一度は手を差し伸べたのだけど、閨閥の一員でいるのが嫌みたい。なんだかあなたと似てるわね」
 何を言ってるんだ、この女は。令司は東京華族ではない。
「雅は優秀だ。どんなバイトも全力で取り組む。そういう誠実さに対して、日本社会はやりがい搾取がまかり通っている――」
 日本人は非正規でもプロ意識をもって、高い仕事能力を発揮してしまう。それは企業に大きな利益をもたらす。そうして能力ある人が、低賃金で生かさず殺さず、自身の将来設計を立てられぬまま、毎日を忙殺されて生きている。生きるのに必死であがきながら――。
 放っておくと企業の都合のいい論理に、労働者なんて利用される。労働者の将来設計のことなど考えない使い捨てだ。だから政府がしっかり制度で労働者を守らないといけない。
 外国では非正規もバイトも、ちゃんと正規並みの賃金をもらえる。スイスのマックのバイトの年収が一千万超えというのもどうかしてると思うが、家も持てるし家庭も持てる。だがこの国ではどうだ? 給料は九十年代から横ばい、日本だけが極端な階級社会になっている。
「俺が革命するなら極端な格差是正のために、まずベーシック・インカムを導入する」
「どうやって? 財源なんてどこにあるの?」
「フリーエネルギーさッ! お前たちの埋蔵金・特別会計四百兆円なんぞ当てにしなくたって――」
 海老川は、何を言い出すのかという顔をした。
「観たんだ俺は。東山京子の渋谷鹿鳴館で、ガンドッグに電力供給を切られても自家発電するPMの永久機関を。確か、サイキックトロンとか言ったな。それから彌千香に連れられて、三輪教団でPMが完全にエネルギー源となる証拠を掴んだ。俺の父が研究した、マシンPMだ。そのせいで父は殺された。それがなぜか、京子の渋谷鹿鳴館にあったんだ。フリーエネルギー研究者は常に、影の支配者につぶされてきた。暗殺されたり、消失したり。だが今度は隠ぺいさせない! ――フリーエネルギーは存在する。PMは絶対、その鍵になる。その情報を世に公開すりゃあ、人類を解放できる。俺がそうする」
 海老川はそれに対して答えず、令司の眼をじっと見て言った。
「――金持ちになりたければ、金持ちと結婚すればいい。閨閥に入れば、すべて問題解決。どう、うちの者と結婚すれば、あなたも晴れて上級都民の仲間入り。海老川の婿養子なら、東京では無敵の手形。水戸黄門の紋所を得たも同然。退学だって取り消しにできる。コネで作家でもフリーエネルギー研究者でも何でもなれる。メディアは私たちの側だから、ベストセラーだって間違いなし。あなたも不死鳥のように復活できるわよ」
 それでデビューして当たり障りのないものを書け、というのか。何者にも忖度しない社会派スペクタクルロマンを打ち立てたい令司にとって、あまりに意味のない誘いだった。
「……」
「渋谷鹿鳴館で、江亜美を助けてくれたことは忘れていないわ。あの子も、あなたの行動に感謝していた。彼女の家柄も、とっても素晴らしいわよ?」
 諸田江亜美は令司のハニートラップとして白金会の合コンに現れた、令司の婚約者候補だ。江亜美と結婚すれば、鷹城令司も上級都民になれる。
「それとも私と結婚する?」
「どっちもお断りだな。どーせ君も、俺の持ってる資料が目当てなんだろ?」
 柴咲教授の子である令司の資料を。
「あなたって本当にバカね。5G社会から追放されて、困窮してるのに。本気でこのまま奈落に堕ちる気?」
「どんなに困窮した状況を作り出しても、この俺の心までは変えられないぞ。それで追い詰めているつもりなのかよ。環境だけじゃあな! 俺の心は、俺だけのものだ。カントだってそう言ってるぜ。わが上なる星の輝く空とわが内なる道徳律ってな」
「それ、武士は食わねど高楊枝って言わない? 昔から、気高い侍が持っている奴。でもここで死んだら犬死によ? 犬だけに。いくら待っても主人は戻らず、渋谷駅のハチ公の運命ね。そんなことよりこっち側へ来て、力を得て体制内で改革でも何でもやったらいいのよ」
 「主人」と聴いて、令司は吾妻教授のことを思い出していた。教授を追放した張本人が目の前に座っている。令司はマックすら満足に買えないくらい追い詰められ、彼女の恵みを施されている。悔しかった。
「じゃいっそU-Tuberになったら? あなたU-Tubeの才能あるんだから、人に迷惑かけずにおとなしくメントスコーラをやれば? それなら5Gに口を利いてあげてもいいわよ。頑張って毎日更新すれば、もしかすると楽な生活が手に入るかも。あたしも美容チャンネル開設しよっかな」
「勝手にしろ。ヨイショたちが観てくれるだろーさ!」
 令司は、海老川の時計やネックレスをジロジロ見つめた。
「君さ、そんなに金持ってどうすんの? 百兆円持っていようと、人が一生に食える量は限られてる。それに住める空間だって、着れる服だって同じだ。何部屋も同時に住めるわけじゃない。学生の分際で、ガルティエだのブッチだの、ビラビラビラビラくっつけて、高い自家用車に乗って、そんな必要ないだろ?」
「残念だけどこれは全部ウチのなの。海老川のブランドよ。こうしていつも身に着けていれば、誰でもここを目指して、頑張れるものでしょう?」
 いわば、歩く海老川グループの広告塔だ。
「お前たちのところへ行ける人間が、この世にいったい、どれだけいる? 1パーセントもいないはずだ」
「そうかナ、君以外の人間は、皆あたしのようになりたいの」
「大嘘だ。上位1パーセントは人材の流動がない。戦後の二十世紀までは、機会平等だったさ。福沢諭吉が言った通りに。だがお前らが二十一世紀に作ったこの社会は、格差が絶対的すぎる。逆にやる気を奪っているじゃないか?」
「上を見てもきりがない。下を見てもきりがない。なら、身の丈に合ったところから始めたらいい。そこで、切磋琢磨しなさい」
「よく言うぜ。お前ら上級都民(超富裕層)はシステムを作って操って、貧困層と中間層を争わせ、上から眺めている。俺たちを分断させ、俺たちが団結して真の敵、上級都民の存在に気づかせないようにするためにな。大量の御用学者や、広告代理店やマスコミを金で雇い、現状を正当化する。最近じゃインフルエンサーやネットニュースもかな。桜田総長は、学生に向かって『日本は衰退するから、ともに貧しさを享受しよう』なんて言いながら、自分は高い外車を乗り回し、タワーマンションに住んでいた。見て観ぬふりをする奴らも『連中』の共犯者であり、彼らの一味だ!」
「連中っていったい誰の事? おかしいわね。ハハハ」
 海老川は令司を睨み据えた。美しい顔が般若に変わっている。
「君って不思議だね。まだ突っ張る気力が残ってたんだ? あなた方が違法行為や不正を働いて、私たちが同期のよしみで守ってあげてたのに。――追い詰め方が甘かったかしら? 人狼はもうここに一匹残ってるだけで、周りは村人と狩人だらけなのよ。あなたは東京で最後の人狼ね。もはや絶滅危惧種。どんなに突っ張ったって、あなたが抵抗する力はもう残っていない」
 この世の掟、ループのように東京華族の帝国原理に戻っていく。
「俺は気づいたのさ。この世の中の仕組みってやつに。もう戻れやしない」
「そぉかしら。……ホンキでそう思う?」
「あぁ。いくら俺たちを裁いても民衆が黙っていない!」
「リカ子さんと同じことを。残念だけど、食べながらそんな話をされても、説得力ないわね」
 皿の上の肉はきれいに消えている。付け合わせの野菜やライスもコメ一粒残さず胃の中だ。
「………………」
(し、しまった。しゃべるのに夢中でつい)
「だから誘ってあげたじゃない!」
「脅迫とセットでな」
 5Gからの締め出し、それに巨大な黒い犬。
「もう意地を張らなくていいんじゃない? こうしてあたしが手を差し伸べるのは、最初から東京伝説研究会のメンバーでただ一人、あなただけなんだから」
 天馬雅は……と言いかけて、後で聞くことにする。
「フランス料理のフルコースみたいに、俺たちを章立てに分けて攻めるのやめてくれないか?」
「ブハッ、ハハハハハッ……――何その表現? これは失礼。さすがは作家さんだコト」
「まだ素人だ。お前を敵に回した人間は、数々ドロップアウトした。東大のデルタフォースによって。人狼ゲームという名の恐怖政治によって。――学生の分際で、見事に先生たちを飼いならしている。お前は東大華族のトップブリーダーらしいな! 時には東京地検まで使って、目的のためなら暴力も何のそのってか? お前が手を回して大学から吾妻教授を追放したな! よくも一学生の分際で」
 令司は逆に海老川を問い詰めた。
「そんな怖い顔しなくても。別に殺したわけじゃないシ」
 海老川は視線をそらした。
「あなた方が、新宿に行ったことまでは確かに知ってるけど」
「やっぱり監視してたって訳か」
「あの先生は自業自得だったんじゃない?」
 他人事だ、どこか。
「もう一つ聞く」
「どうぞ、この際だから何でも聞いたら?」
「あの夜の流星群には、どんな意味がある? あの流星は、おそらくホログラムだろ。何の意味があって、あんなものを東京の夜空に演出したんだ?」
「知る訳ないわ、そんなの」
「ブルーレーザー計画だろ? 俺が気づいてないと思ってんのか。スミドラシルと東京タワーと、もう一つのタワーは新宿エンパイア・ナンチャッテート・ビルで、東京の夜空に巨大な三角を描いて作った。オマエの好きな三角を!」
「ブルーレーザー? 何それ? 確かにきれいだったわね、アレ……。U-Tubeにアップしてくださってありがとう。あの動画だけは、あなたのチャンネルの中で一番良かった」
 海老川はあまり興味なさそうに答えた。ここで自慢げに語るかと思えば意外な反応だ。
「そうだ、最近――スミドラシルは長期メンテナンス中だって聞いてたけど、終わったらしいわね。その間のことなんて知る訳ない。大学辞めてから大変だったんでしょ、もう一度だけ助けてあげるから。意地を張らないで。お互い、同じ学び舎に学んだ学生同士として」
「それは、海老川に詫びを入れろという事か?」
「まぁ、そう突っ張らなくてもいいんじゃない? この期に及んで――」
 といいつつ、両手でデルタを作るな。
「振り込んどくわよ、五十万円くらい」
「断る。某IT長者みたいに、人の心は金で買えると思ってるんだったら見当違いだ。援助する気があるなら荒木部長の原稿をよこせ。渋谷鹿鳴館で京子が勝って、原稿は俺のもとへ来るはずだった。だが、銭形花音に奪われた。返してもらおうか!」
「ここじゃちょっと詳しい話はできないわ。どう? 場所を変えて、デザートに三角マカロンをごちそうするから、お茶でも飲まない?」
 デルタフォースにとり囲まれた。しまった。騙された。
「どこへ連れていくつもりだ」
「あたしん家(ち)」
 海老川家の御殿。
 いいだろう……絶好の取材のチャンスだ。この女の家を拝んでやる。こうなるって分かっていた。運命みたいなものに、がんじがらめに縛られている。
 東京駅から「金座線の東京駅」ホームへ移動する。
 上級国民専用の地下鉄だ。ヴィクトリア朝風の御用列車に乗り、東京駅から海老川邸へ、二人は無言で乗り込んだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み