第5話 露光 東大八犬士集結

文字数 5,419文字



「皆、調子はどぉ?」
 吾妻真知子教授が顔を出した。いつも黒服の、歩くバービー人形。華やかなオーラで部屋全体を包み込む。神々しい……。
「あっマチコ先生。ちょうど伝説が出そろって、これからどれを残すか検討するところです!」
 マックス先輩が代表して答えた。
「いい感じね。――総長選の日程が決まってね、それで私たち職員もバタバタしてるトコ」
「お時間、大丈夫なんですか?」
「えぇ、一段落したから。これから選挙で、忙しくなるけどね。新人、やってる? なかなか頑張ってるみたい。差し入れを持ってきたわ」
 ビニールの中身は、中華料理「桃園」のおつまみセットだ。
「ありがとうございま~す」
「歓迎会はもうした?」
「まだです」
「やりましょう!」
 里実がルーズリーフに、マジックで「熱烈歓迎!」の文字を書く。
「『桃園』といえば、確か荒木先輩の――」
「そう」
 荒木部長は、中華料理店「桃園」の厨房に立って、バイト・リーダーになったらしく、忙しすぎて授業に出ている暇がなくなったらしい。ブラック企業で有名なチェーン店である。
「乾杯しましょう」
 教授はにっこりと微笑んで、冷えた缶を袋から取り出していく。
「令司君、二十歳になった?」
「まだ未成年です」
「あそっか。じゃお酒は二十歳になったら改めて。炭酸もあるから」
 残りのメンバーは、全員成人を越えているらしい。
「もうすぐですけど」
 令司はうつむき加減に答えた。
「何で、いつも顔をそらしているの?」
「いえ……別に」
 間近だと目のやり場に困る。そこにあるモノがものすごくて。
 教授は自前の炭酸製造機を取り出して、全員のコップに注いだ。
「乾杯!」
 令司は一瞬ひるんでから、一口飲んだ。超辛口の炭酸は、口の中で小パニックを起こした。だが、今度は呑み方を心得た。――ウマい。皆一瞬無言になって、強炭酸に悶絶しているのを教授はニコニコ見守っている。
「あっ。今すごいことに気づきました。先生を加えて、部長を足すと八人ですね!」
 天馬はニコニコして言った。
 顧問の教養学部文学部教授・吾妻真知子、部長・荒木英子、副部長・四元律(マックス先輩)、主筆・鷹城令司、藪重太郎、マッチョの新田真実(まこと)、オタク担当の里実萌都(めい)、美青年・天馬雅(みやび)で八人。
「おや? ずばり八犬士じゃないか。これ」
 マックス先輩がほころんだ。
「なるほどー。確かにそうネ……」
 萌都は声優を目指しているらしい。
「それなら、美少年の雅君なんか、さしずめ犬坂毛野か。女性と見紛う美貌の持ち主だし」
 真知子は言った。
「いえてる――」
 里実はにたり笑いし、雅は恥ずかしそうにしている。
「だから、夏コミで二人でコスしよっていってるんです」
「いや……里実さん、またですか」
 なるほど、天馬は渋谷で里実にコスプレをやらされたらしい。何をやったんだか。
「そういう里実ちゃんは、里見八犬伝と同じ名前だしな」
 マックス先輩は笑いかけた。
「はぁ~~い♪ 字は違いますけどッ」
 里実はイチゴポッキーを高く掲げた。
「部長は永久欠番ということで」
「いつか戻ってきてくれるかな」
 藪がしんみり言った。
「部長の写真って何かないんですか?」
 令司はマックス先輩に訊いた。
「う~ん、確かスマホに一枚くらい忘年会のときのが……」
 マックス先輩はスマホの写真を調べる。
「おかしいな」
 もしや部長の足跡は消えたのか? と令司が思ったら、
「あーあったあった。これが先輩だ」
 副部長は写真を見せた。
「うほっ、いい部長」
 藪が笑った。
「実はロシアとのクォーターらしい。ハイブリッドは美形が生まれやすい」
 そういえば少しが青み掛かった灰色の眼をしている。
「とはいえ――」
 黒髪を大雑把なポニーテルにまとめ、化粧っけもなく、めがねで地味な黒いスーツを着た東大女子がそっけなく腕を組み、ムスッとして映っている。細身で、背は高そうだ。周りが笑っているのに、彼女だけ睨みつけているような顔つきだ。
「あんまり写真好きな人じゃないんでね」
「そうそう」
「目つきは陰気な印象だけど、顔立ちは整っているので、おしゃれにすれば結構きれいだと思うのよ」
 真知子教授はフォローした。
「そうなんですよ。みんなでもったいないって言ってたんだ」
 マックス先輩も同調した。
「部長がいないところでね、モデルでもやればいいのにとか、無責任なこと言ってね」
「怒られソウ……」
 里実が肩をすくめた。
 写真を見ると、ひたすら中華包丁を叩きながら、頭の中は東京伝説の研究でいっぱい、という感じがする。
「怖い人だったんですか?」
「というより、やりたいことが明確な人なんだ。この部は、先輩が一人で作ったといっていい」
 マックス先輩は部室を見回した。
 部室の本棚には増本清澄全集を始めとする、硬派な本ばかりが並んでいた。GHQの占領政策、昭和の政治史、事件史、黒山彰監督の「天と地」、「悪い奴は夢の中」のDVD、社会派・山田登美子、荒巻仁の「帝都伝承」のハードカバーもある。なぜか、本を置きっぱなしにして消えたらしい。
 マックス先輩は語り出した。
「東京伝説研究会は、上京して東大に入り、東京の『格差社会』に直面した荒木先輩が部長に就任して出来上がったんだ。元は東大フィールドワーク部で、会誌名の『東京回遊魚』は、その時代の名残だ。途中から心霊スポットとか、トイレの花子さん系のオカルト色の記事が強くなっていった」
「当時から、部は都市伝説に傾倒していたんですね」
「うん。結局、都市伝説っていうのは怪談話が増えてくる。荒木部長はそっち系の伝説を嫌っていた。『トイレの花子さん』的な伝説ではなく、自分の愛読書の増本清澄の『戦後の黒い霧』を調査の足がかりとして……、そこからインスパイアされたGHQの謀略、暗殺などの伝説から、『戦後、米と密約を交わし、日本を支配し続けている上級都民』という硬派な東京伝説にテーマを絞っていった」
「けど追及しすぎて、現在行方不明――」
 藪はうつむいた。
「うむ、東大の黒い霧に迫ったともいわれている」
 マックス先輩は重々しく言った。
「先輩は、部長にならないんですか?」
「部長の席は永久欠番だ」
「じゃあ、やっぱりそういうテーマの方がいいんですかね……」
「この際だけど、荒木部長の戦後未解決事件のような、古い伝説ばかりにこだわらなくてもいいんじゃない?」
 吾妻は、紙ナプキンで口元を拭いた。
「一応、今日上がったものを検証してみたら? 荒木さんの伝説をリライトしただけだと、多角的に東京の伝説を研究した事にならない。もっといろいろな謎に迫ったほうがいい」
 令司がまとめたノートをめくる。
「そうですか……」
「一つ一つ真偽を確かめなくては、結論は出ないはず。せっかく、新人の令司君が書くんだから、君のカラーが入った方が絶対面白いわよ」
「令司君、どうだ?」
「はい、――じゃあ、そうします」
「よっしゃOK! 君が都市伝説を見つけたのではない。都市伝説が君を見つけたのだ! ってことで、先生の意見に従おう」
 吾妻教授の決断で、部長の方針にこだわらず、幅広い伝説を扱う事で決定した。話し合いの結果、執筆者・鷹城令司を中止に、各伝説の担当者が毎回交代でアシスタントで着き、検証取材をしていくことになった。
 収拾した東京伝説はカテゴリーごとにより分け、なおかつ調査する伝説を選定。中には明らかにガセと思えるものもあるが、一つ一つ部員で手分けしてネットで調べ、図書館へ行き、可能な限り事前調査を済ませる。
 絞った伝説を一つ一つ、実地でフィールドワークし、検証していく。
「私もいくつか持ってきたわ。披露していいかしら?」
「あ、はい。ぜひお願いします」

『決して降りてはならない駅』

「この話はチョット前、教授会の飲み会で聞いたの。――お酒に酔ったサラリーマンが千代田線の終電に乗り込んで、そのまま眠り込んでしまった。気が着いたら終着駅らしく、ドアが開いていた。駅員も誰も居ないホームに降りたら、『金座』という見なれない駅名だった」
 真知子のなめらかな語り口に、部員は一気に引き込まれる。
「改札を出ると外は銀座だった。でも、何かが違う? 銀座には、誰も歩いてなくて車も通らなかった。男は、一ブロックほど歩いてみたけれど、いくら深夜とはいえタクシー一台、人一人、歩いていないの。恐ろしくなった男が元来た駅に駆け込むと、電車はまだそこでドアを開けていて、再び反対側に向かって走り出した。元来た駅まで戻って下車すると、タクシーで帰宅した。――男は後日、千代田線に電話して調べたんだけど、『そんな駅は存在しません』といわれた。金座というのは、かつて中央区に存在した、江戸時代の町の名前よね。でも今は存在しない。さて、彼はパラレルワールドでも入ったんだろうか?」
 真知子はにっこりとした。
「世にも奇妙な物語系ですね」
 天馬はレモン缶酎ハイを一口飲んだ。
「東京の大深度地下に、秘密の大都市が存在するという噂がある。大戦中から拡張されまくった東京の核シェルターが、今や完成しつつあるのかも」
 マックス先輩の軍都伝説にも近い。
「計画だけなら、東京の地下都市計画は幾つもあるのよ。実際やるとしたら、天文学的な資金が必要になるけどね」
 吾妻は肩をすぼめた。
「東京メトロ千代田線には、核シェルター説がありますねェ。特に国会議事堂前駅は、皇族や国会議員、中央官庁関係者用の核シェルターだとか。地下皇居の存在も、大戦時から何度も噂されていた」
 マックス先輩はノリノリで言った。
「国会議事堂前駅は、地下37.9メートルっていう、東京メトロの駅の中では一番深いところにあるの。今は大江戸線の方が深いけどね。そして永田町駅ともつながってるし、戦前には実際に防空壕もあった。公開されてる地下部分だけだと、シェルターとしては少し狭いかもしれない」
「けど、公開されてない地下空間につながってるのかも」
「ちなみにその伝説も無人なんですね」
 令司は身を乗り出した。
「本当だ」

『東京・開かずの戸伝説』

「軍が蓄積した秘密資産――これは典型的なM資金の伝説だけど、東京のどこかに旧・大日本帝国のお宝が眠っている。それが『開かずの戸』にあるという東京伝説よ」
「M資金って、確か先輩が追ってたネタですね」
「その通り。闇の戦後史を語る上で、欠かせないキーファクターの一つね」
「それが開かずの戸に?」
「そう、たびたび詐欺事件で利用されてきた伝説だけど、実際に存在していて、国家の重大危機の際に何度も運用されてきたというの。もう一つ、維新時に隠された徳川家の埋蔵金伝説も、実はすでに場所が分かっていて、ひそかに隠匿されている。そして第三の開かずの戸として、明治の廃仏毀釈のときに、日本中の神社仏閣のご神体や秘仏が大量に破壊された訳だけど、その中にあったオーパーツ級の神器が集められて、これまたひそかに都内に保管されているというのよね」
「さすが先生、つまりそいつを探せってことですか。単なるフィールドワークを超えて、俺たち貧乏学生に上級国民になるロマンを与えてくれる――そこにシビれる憧れる!!」
 いずれにせよ、莫大なお宝が東京の開かずの戸の中に眠っている可能性はある。その戸を開けるには、特殊な「鍵」が必要だという。
「開かずの戸っていっても、東京は広いからな。歴史的な建物や、曰くつきの建物や場所なんかに絞らないと。結構漠然としてはいるな」
 新田は考え込んでいる。
「それが、各々の東京伝説に紐づけられるんじゃないですか?」
 天馬が閃いたように言った。
「案外、うちの大学のことかもしれんな」
「う~ん、なるほど。古い建物もありゃあ、外から何してるか分からない研究所もあるしな」
「レベル4の研究所がいくつかあるし、図書館の秘密の書庫とか?」
「東大下暗しか!」
「それ今言おうと思ったのにィ!」
「赤い部屋も、開かずの戸とひょっとして関係があるのかもな。『開かずの戸』系っていうのかな。東京伝説のパターンの一つでもある」
「追いかけてるうちに、本当に、何か見つかるかもしれませんねェ」
 うっとりした表情の里実がボディーをよじって科を作ったので、令司はギョッとして目をそらした。
「いいね、いいねェそれ。よし、令司君。最終ゴールが決まった。同人誌を完成させた暁には、金持ちになって下流脱出だぜ! みんなで上級国民になろう!!」
「面白いですね」
「では、桃園の誓いといくか!」
 マックス先輩は、トレーナーをまくった腕で、缶チューハイを掲げた。
「我ら八人、生まれし日、時は違えど兄弟の契りを結んだからには、心を同じくして助け合い、同人誌を必ず完成させる! そして東京に眠る黄金伝説を手に入れ、みんなで上級都民になるぞーッ!」
 威勢がいい。だが小声だ。
「ソレ何ですか?」
 里実はぽかんとしている。
「『三国志』の登園の誓いだよ。知らないの? まぁいいか、東京の黄金は皆で平等に山分けだぞ、先生を証人としてな、今、義兄弟の契りをしたんだからな!」
 マックス先輩は、いちいち何かに絡めるのが好きらしい。
「はははは!」
 吾妻教授が席を立ち、三本締めとなったが、マックス先輩が大きな音は出さないほうがいいといい、チョンチョンチョンと指先三本締めになった。
 バイトがあるというので、天馬と里実は先に帰った。その後、新田がジムへ行くと言ってお開きになった。
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