第41話 スクラップ&ビルド 海老川雅弓の最終定理

文字数 8,520文字

 駅の出口にリムジンが停まっていて、すぐ近くの大邸宅に行くまで、わざわざ車へと乗り込む。
 二人を乗せたリムジンは、広大な敷地内へと静かに滑り込んでいった。
 白々とライトアップされた赤坂離宮然とした建物の海老川家。渋谷鹿鳴館よりもはるかに巨大で、近隣住人に、エビルタージュ美術館と呼ばれているのだと、海老川は言った。
 令司は、魔城に乗り込む気分だった。東京伝説取材欲をかき立てられる。
 大理石の廊下に、赤じゅうたんが敷き詰められていた。
(国会か!)
 館内に、エリック・サティの「ジムノペティ」がエコーがかって流れていた。
 「城」の中は、廊下といい部屋といい、和風の間接照明に照らされた日本美術と共に並ぶ、ガルティエ風の高級宝飾品の数々が陳列され、点々と灯る間接照明の中で輝いていた。
 よく見れば密教系の仏像・仏具の仏教美術が多く、そこにネックレスやティアラなどが絶妙な美的センスで組み合わされていた。全部あわせると数百億、いや数千億になるという。
 シャンパンゴールドの装飾品の中で、白金が主流を占めていることに気づく。形状はやはり三角が多い。三輪教によれば、上級都民は白金を使う。なるほどこんなところでPMを使っているのか。
 海老川自身も黄金三角を所有している。PMの金属カーストを具現化するために、人間界の東京のカーストを徹底的にいやらしく具現化したように令司の目には映った。
「うちの母体は宝飾店よ。なぁーんも知らないんだ?」
「知るかよ……」
 ましてファッション関係など、令司には無縁。なんでも自分たちのことを知っていると思う方がどうかしてるのだ。
 海老川財閥のブランド部門は、海老川雅弓が継ぐ予定になっているらしい。海老川こそ、東京華族の代表者だ。気おくれしてなるものか。ここで惨めさを感じてはならない。
 海老川は、今度はジュエリーまみれの鳳凰の屏風を背に、テーブル席に座った。
「人は人、自分は自分。それはそれでいいでしょう――けど、せっかく偏差値競争を勝ち抜いて、東大入ったんだから――」
「何が言いたい?」
「チャンスを上げると言ってるの。三度目の正直よ。いや、四度目か。ここでもう一度向上心を持ちなさい! 東大には二種類の人間がいる。入って終わりの人間と、入ってからの人間。さぁ君どっち?」
「お前さ、メガネフォースで三角眼鏡を新調したら? 教育ママゴンみたいになれるぜ」
「おあいにく様。視力は2.0よ」
 給仕が、琥珀色のボトルとグラスを置いた。
「ザ・マッカランよ」
「いいだろう。飲ませてみろよ」
 ウイスキーが注がれる。酒なら令司も結構飲んできた。
「上流(じょうりゅう)階級だから、蒸留酒を飲めって言うのか?」
 くだらないことを言いながら一気に飲む。
「言ってませんけど」
「ゲェッフまず……」
「フフフ」
 大人ぶった同い年の女は、いたずらっ子のように笑った。
「無理しなくていいのよ。ハイボールにしてあげる。炭酸水を――」
 と、海老川は人差し指をクイッと動かして、給仕に催促した。
「待て、俺にはこれがある」
 カバンから吾妻教授のソーダストリームを取り出し、令司はハイボールを作った。海老川のグラスにも注いだ。不思議と、キンキンに冷えている。
 海老川はニヤけながらハイボールを一気飲みしたが、
「ゴホッゴホッ、つ……強すぎじゃない? この炭酸」
 製造機をキッと睨んで、海老川は涙をにじませながら口をハンカチで覆った。
 リベンジ大成功。
「な、なんでそんなモノ持ってるのよ。キンキンに冷えてる。それ……PMよ」
 だから辛いし、冷たい。
「我妻先生からもらったものだ」
「……癇に障るわね」
 アールグレイの紅茶と、金箔に輝く三角マカロンがテーブルの上に置かれた。海老川はそれには口をつけず、電子タバコを灯し、くゆらす。素敵な香りが漂う。まだ彼女の眼は滲んでいた。強炭酸のショックが尾を引いているらしい。
「なぜ三にこだわるのかって……。数学は美しい。実用だけじゃない。数論は美しいからやるものよ」
 リーマン、ガウス、オイラー、ラマヌジャン、レジェンド数学者のエピソードをいくつか語りながら、あたりさわりのない話題で、海老川は会話を探ってくる。
「でも人間関係の方程式が一番難しいわね。江亜美を使って三角貿易式に私の目的に貴方を引き込もうとしたのだけど――」
 海老川はグラスを見つめた。
「東伝会との、愛の三角関係みたいで困っちゃう」
 くだらん。
「あなたという数式を解くにはどうしたらよいのか、ここ二カ月考え続けた。でも、まだ解にたどり着けない」
「……」
「つまり江亜美は『X』。私のエビガワ・マユミ予想では、どうしても一度対立を経ない限り、その後に訪れる和解もないようなのよネ~あたしたちって」
「和解なんてありうるか?」
「へーゲルも言っている。二項対立を超える止揚よ。東大まで行って、社会の歯車になった方がよっぽどラクだし、賢明のはずよ。そこで出世して世の中を君の思い通りに変えたらいいじゃない。ルールに従えばだれも文句は言わない。新番組に狙われることもない。あたしたちの学校に戻りたいなら、今日が最後のチャンスよ」
 あたしたちの学校、か……。
「そんな悪魔との契約なんて、お断りだ」
「悪魔って? 何言ってるのよ。ははは」
「全部知ってるんだぜ。とっとと部長の原稿を返してもらおう」
「――で、東京伝説の原稿は進んだ? どこまで調べたの?」
 海老川は急に真顔になった。
「226事件に端を発して、日本破壊のクーデターを起こすために、対米戦争に国を追い込み、壮大に負けて徹底的に破壊した後、戦後お前らの東京帝国が見事樹立したってとこまでだ。――あの新宿でよ!」
「……『帝都伝承』とかのSFの読みすぎでしょ。あー馬鹿馬鹿しい!」
 海老川はカパカパとグラスを傾け続ける。PMグラスのせいで、決して酔わないらしい。
「……」
「あなたの考察でしょ? 得意のアニメの考察」
「エビガワ予想とやらだって同んなじじゃないか」
 令司は少々酔いが回り始めている。
「東京帝国って何? 初耳ね。そんなものはない。だから都市伝説なのよ。あなたもだんだん久世リカ子に似てきたわね。君たち陰謀論者は……頭脳を変な方向に使わないで、もっと真っ当なことに使いなさい」
「そうやって人間を定義されちゃ――困るなぁ――」
 令司は、吾妻教授から聞いたことを海老川に全部ぶつけた。
「つまり戦後レジームのことだ! そいつを東京帝国と言ったり、上級都民と言ったり、閨閥華族と言ったり、対米追従の犬と言ったりしてるんだよ! お前ら、あの戦争で、一体何人の人間が死んだと思ってるんだ?」
 大分、酔いが――。
「大戦は確かに悲劇だけど――、東京は大空襲で灰燼に帰し、そこから再出発した日本人の知恵と才覚こそ、高く評されるべきものよ。明治維新だって関東大震災だって同じことでしょう。破壊と再生は、江戸の大火からの伝統だったの。江戸は何度も大火に見舞われている。明暦の大火、明和の大火、文化の大火を、『江戸三大大火』と呼ぶ。受験勉強したでしょ」
「……それで? ヒッ(ク)」
「スクラップ&ビルド。東京という町は、不死鳥のように何度も破壊と再生を繰り返してきている。幕末、関東大震災、東京大空襲、戦後の高度経済成長、バブル、そしてバブル崩壊後の平成大不況――。さらに、東京オリンピックの延期と、その前後の戦後第三の大改造で、新宿を中心に今新しい東京が生まれようとしている。それが、この町の伝統なのよ」
 バブルも不況も、仕組まれた事だった。
「フェニックスは自らの身を焼いて生まれ変わる。――まさに、東京にふさわしい神獣だと思わない?」
 海老川は、自分の背後の屏風を振り返った。
「伝統だと? ……だがなぁ、明治政府の廃仏毀釈なんてあまりに酷すぎる。それらを計画し、世の中をコントロールして、あえてやらせているっていうのが、お前らだろうが。お前らはいつも、もっと歴史に敬意を払うべきだ!」
 酔いに任せて、令司は言った。
「さっき、エントランスやホールで見かけなかった? あれは、うちの一族の先祖が廃仏毀釈から助け出した宝の、ほんの一部よ」
 間接照明の中、スポットライトに照らされた、ショーケースの中の神器や寺院の宝物。そこに海老川ブランドの装飾品をアレンジした展示物!
「フン、それ、略奪っていうんじゃないのか? 大英博物館かよ」
 世界中からの略奪品で作られている。
「違うわよ! 何言ってるの。海老川家は必ずしも、廃仏毀釈に賛成だったわけじゃない。だから貴重な文化財を――」
 嘘くさい。三輪教とは違った意味で、どさくさに紛れてPMを探していたに決まってる。だが三輪教と違って、海老川家は神器の回収に失敗したのだろう。
「さっきから人事みたいに言ってるが、お前達は、スミドラシル天空楼を使って下町区で何かしている。学生サミットのとき、鬼兵隊の久世リカ子が言っていた。あの話、本当なんだろ?」
「あぁ――そうねェ。久世さん、確かそんな妄想語ってたわネ」
 ついに海老川に直接ぶつけるときが来た。これだ、このチャンスを待っていた。
 海老川はふと沈黙し、令司は口にする瞬間を見定めた。
「自分だけは生き残れると?」
 令司は睨み据えた。
「……」
 海老川は否定しない。
 禁断の扉の向こうが少し開いた。ここで、追及するしかない。
「これから何が起こる? 教えてくれよ、忖度なしに、本当のことを」
「いいわよ――ではその情熱に免じて、一つ教えましょう」
 海老川は、グラスをゆっくりと置いた。彼女は、一切酔っていない。PMでアルコールは完ぺきに操作できている。
「スミドラシルは台風だけじゃない。空爆や北から核ミサイルが飛んできたって迎撃可能。スミドラシルと三つの塔のデルタ結界で、東京を守れる。原理はテスラコイルだから、三百六十キロ先の戦闘機も、プラズマで燃焼できるデスレイを搭載してるわ。つまりどこも東京を空襲できない」
 令司は海老川の告白を聞いて、ゆっくりと座りなおした。
「NYには、帝国財団の一者の塔があるよな?」
「スミドラシルはNYの塔と異なり、PM製のテスラコイルなの。より強力よね」
「お前……知ってたんだな?」
「だから久世さんの言葉にはゾッとしたわ。だいたい真実よ。あの女も、石の上にも三年かしらね。東京スミドラシル天空楼も東京の大規模再開発の一環で、ある意味反乱分子に対する安全装置であり、首都防衛の軍事機密でもある。大空襲の二の舞は、もうこりごりなのでね。スミドラシル天空楼の気象コントロール機能を使って、台風除けも可能。一方で下町を沈めるのも、これから全世界を破壊するのも理想郷を再建するという我々の伝統の一環。破壊と創造は、表裏一体だからよ」
「世界を破壊する、だって――?」
「えぇ……やがて世界中で起こるわ」
「何が?」
「三の秘密、日米欧三極委員会の3・6・9。彌勒の世、新世界を創造する前の大禊よ。――しょうがないわ。これはもう、とうの昔に上で決まったことだから」
 日米欧三極委員会(トライラテラル・コミッション)――レガシーメディアが一切取り上げない影の政府。これが東京帝国の世界版だ。相手のほうが遥かに上手だった。悪を暴露したつもりが、相手はそれ以上の極悪だったのだ。
「下劣だな。それでもお前、上級都民かよ!」
「世界は、羊と山羊に別けられるの。戦後八〇年、もうすぐ私たちの世界が完成する……」
「階級社会のか?」
「そう。これは世界的な潮流なのよ、令司君」
 海老川は電子煙草を消した。煙草を呑まないと、令司に真相を打ち明けられなかったらしい。
「どっからどう見てもアメリカの属国だ」
「ハハハハハ、属国? それは単純すぎる二元論よね。終戦直後の冷戦構造で、お隣のソ連・中国よりアメリカの方が幾分ましなら、そっちを選ぶでしょ。政治は理想でなくて現実。ベストでない選択でもベターを選ぶ」
「そんなことは分かってるサ! しかしお前らは戦前から手を組んで――今はアメリカの帝国財団に支配されている。お前ら売国奴共が」
「国を売る? 今はグローバル企業の時代よ令司君。我々の前で誰が首相になろうと、どの政党が政権を握ろうと何も関係がない。国家なんてそんな程度のモノでしかない。なぜ戦後日本政府は、アメリカに追従することになったのか。我々が裏で取引したからよ。戦争は、両者が仕組んだことだけど、これは、我々が望んだこと。我々は、対等に手を組んでいるのよ。ロートリックスが上か、我々が上か。ロートリックス・センターも、バブル期に海老川グループが買った。私も向こうの連中とよく会うけど、ロートリックス家の世界帝国財団なんか、いずれ海老川家が買収してやるわよ。だって、アメリカ人なんてかわいいものなのよ?」
 海老川は、今度はアメリカ人をディスるのだった。令司は当惑するしかなかった。
「もしも日本がアメリカの51番目の州に飲み込まれるのなら、その時はアメリカの社会構造の上位二割を、我々が席巻するだけよ。そうなれば、あの国で長く続いてきた人種差別も国家神道の下で止めさせる。そうなってないなら、そうではないってこと――。ちなみに51番目の州ならすでに、その名の通り、エリア51が存在している。あそこは地下に広大な都市があるから、そう呼んでる――我々でいえば、ま、東京湾地下にある金座みたいなモンかな――」
 そんなシュミレーションまでしてるとは。アメリカ人と手を組んで、このありさまだ。闇の権力者、東京帝国というのは。
「最後はね(笑)いつだって、私たちが新世界の支配者になる予定よ。なぜって、日本製のPMは大和民族にしか使えない。赤羽刀って知ってる?」
「あぁ……」
「戦後、大量の日本刀が戦利品としてアメリカに渡った。かといって、アメリカ人がPM兵器として使えたわけじゃない。日本のPMは日本人にしか反応しないから。アトランティスや古代にはもっと多くの人が使えた、けど。マンハッタン・ホーンでさえ、PMは使用されてない。日本の独占開発」
 彌千香によれば、日本以外ではその技術を開発しておらず、例外的にアーサー王伝説のあるケルト人が使えるだけだという。欧米では、廃れた技術らしい。
「先日のブルーレーザーは?」
「ま、あれは『夏の大三角関数』よ。三つのタワーから出たレーザーはサイン、コサイン、タンジェント。三位一体なの。でも……、そっから先の流星群については私も知らない」
 この期に及んで、なぜとぼける必要があるのか不可解だ。
「こうして真相を打ち明けたのは、あなたが鷹城令司だからに他ならない。むろんあなたの父が、柴咲教授だってことも知っている。あなたと私、敵対する者同士が手を組む。海老川グループの正反合の黄金三角。茶道や武道の守破離、能楽の序破急も同じ。これが、三角の秘儀――。イイ? アメリカなんてホントはどうでもいいんだけど、強力な相手が存在するなら弁証法を経て手を組む。幕末のペルー以来、対立してきた相手とね。大戦の意義っていうのは、要するにそれだけよ。統合の前には必ず対立がある。これが三角の奥義。それで私は、あなたみたいな人狼とも手を組もうっていうの」
「それは手を組むとは言わん。一方的な支配だろ」
「あなたには二つの選択肢しかない。私たちの仲間になるか。それとも戦いの末、下層階級へ落ちたまま、野垂れ死ぬか。――東大に入れるくらい優秀なら、残された時間の中で、マークシートのどっちの空欄を塗りつぶすべきか分かるよね?」
 彼女の手元のデルタが、キラキラと輝いていた。
「令司君、こちら側へ来なさい。――私と共に」
「断る」
 今も5Gから追放されている。脅迫されつつ仲間になれなんて!
「なら今日が最後の晩餐ね。四度も警告したのに断るなんて、あなたも雅と同じなの? 手厚く教育しようとしてあげたのに、雅は拒否した。海老川家を通した帝王学を」
「お前のソーいう処だよ! ソーいう処が気に入らないんだよ!」
「何をイラついてるのかしら?」
「天馬はきっと、お前らの好き勝手に反吐が出たのさ! あいつはまともだし立派だ。お前らは国家神道の禊と称して破壊活動を行っているが、上級都民は、定年後も天下りを繰り返して日本の富を搾取するヴァンパイアであり、巨大な寄生虫(パラサイト)なんだ! 支配者の収入は、中間搾取で成り立っている。派遣法なんてない方が良かった。手取りで月収十万円台の派遣社員がいる一方、派遣会社は一人分の労働者から三十万も四十万も手にしているんだから!」
「そのお金でお肉を食べたんだから、これで君もパラサイトデビューだね」
 海老川にはどうやら自覚があったようだ。
「海老川、志が高いことはいいことだ。俺も東大生だからな。お前みたいな現役首席入学な訳じゃないが、一緒に偏差値競争を勝ち抜いてきた。だが他人の職業を見下すのは間違っている。職業に貴賤はない。けど格差はある。これはおかしい。是正すべきだ」
「社会主義革命? なーんていうかかがっかりだわ。十連歌と同じこと言うのね」
「違う。あいつらだって別に社会主義者じゃないだろ。この問題に右翼も左翼も関係ない。両極端だ。自己責任だなんて言わせない。お前らはいつも決まって、自己責任論の拡大解釈をする。俺は騙されない。階級社会は否定しても、別に格差を0にすることなんか目指しちゃいない。格差を縮める緩やかな社会の方向性を目指すけど、でもそこにやりがい、働き甲斐は残さなくちゃならないんだ。いいか海老川、この世には物騒な考えを持った革命家志向の人狼勢力がいることは事実だ。だが、彼らは様々な分野での、エンパワーメントを目指している。そのことを俺は、東京伝説の取材を通して知った」
「デザートの三角マカロンは?」
「もう結構だ!」
「そう――。やっぱり武士は食わねど高楊枝? どうやら、仏の顔も三度までね。いや、四度目か。なら一生笠張浪人でもしてなさい。それともう一つ、あなたはいずれ決闘で決着をつけなければいけなくなる。私たちの誰かと――。今度負けたら死ぬわ。次は救えない」
「お前の三に対する情熱は、三種の神器と関係があるんだろ?」
「……」
「決闘で手に入れたいはずだ。そのアウフヘーベンという奴は。俺も最後に、人狼ゲームでお前の正体を暴いてやろう」
「ふうん――」
「最初に会ったとき、バンバン人が死ぬミステリーは好きじゃないって、俺に言ったよな?」
「言ったかしら?」
 海老川はそっぽを向いた。
「人狼ゲームの時、お前が一番問題視したの決闘でも何でもない、桜田総長の事故死だった」
「……」
「小夜王純子を、退学に追い込んだこと。お前は、大斗会の敗者は必ず死ぬという委員会の掟を無視して、彼女の命を救った。お前は、帝国に逆らう者たちを人狼ゲームに呼びつけ、権力を使って学外に追放するなどと言いながら、いちいち命を救ってきた。死を、海老川が望まなかったからだろ? 本当は本郷大斗会に消極的だったお前が、決闘の沙汰における敗者の死に反対で、お前の持つありとあらゆる権力を使って、退学や逮捕で東京決闘管理委員会の介入を排除したんだ! そんなことができるのはお前しかいないからだ。それはなぜだ? 言え!」
 令司は机をドン、と叩いた。
「……」
 海老川は、三白眼になった。
「お前の本質が、真のノブレス・オブリージュだからだ」
 すると海老川は黙って――、そして目をつぶった。
 精神的貴族(ノブレス・オブリージュ)とは、現代の民主社会において、自分は優れた存在であると自覚し、高貴な身分の者は義務を負うものだとする人間で、戦前の高等学校や帝国大学などには学歴貴族が存在した。
「お前――なぜ何も言わない?」
 眉をひそめて沈黙するだけだ。
「お前は本当は冷酷じゃない。なのに生まれつきおかしな連中の中に居て、おかしくなってるんだ! 自分たちさえよければいい、共感力が恐ろしく欠如した、人の痛みを感じない連中の中でな。雅だって、実際は一族の中でお前がかばい続けていたんじゃないのか? お前が語ったその恐ろしい全世界禊論に、本当は反対なんだろ! 平気なフリをするな。自分にウソをつくのはよせ!」
「もうやめなさい。帰って」
 その可憐な唇が渇いていた。
「こんな形じゃなく、出会いたかったぜ――」
 海老川の白い手が、かすかに震えている。
「私は……キョウコとは違う」
 ……海老川も怖いのだ、キョウコが。
 海老川はずっと目をつぶったまま、テーブルから動かなかった。
 令司は自分から玄関を出ていった。

 どうだ京子、とうとう俺は海老川雅弓を追い詰めてやったぞ!
 見事に……東京伝説の探偵として……。
 令司が指摘すると、海老川は動揺して話を切り上げた。
 誘いは断ったものの、海老川の「不死鳥東京論」は、彌千香の国家神道の禊論を裏付ける、身が凍り付くほど恐ろしく話だった。誰が善で誰が悪かは時代によって変転し、それぞれに義があるものだが――。
 そして東京帝国の伝説のはざまに現れるキョウコは、破壊と再生の女神なのだ。
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