第28話 マイッチング真知子先生、東伝会のマル秘暑気払い

文字数 8,621文字



二〇二五年七月十一日 金曜日

 東都帝国大学教養学部八十周年を記念した、「学問の統合知・駒場流2025」のシンポジウムが、駒場大講堂一号館をメイン会場として開催された。中に入れないほとんど学生や講師陣は、リモートで参加する。この日を最後に、前期の授業は終わる。
 一、二年生の前期教養学部では、七月十八日~三十一日の二週間弱が夏学期末の試験期間だが、令司たちは一年の時に多く単位を取っており、翌七月十一日から九月十日までの二か月間が東大の夏休みとなる。
 出席、あるいはリモート参加するのが暗黙の了解で、事実上の終業式みたいなものだが、そのいずれにも東伝会のメンバーの姿はなかった。
「あんなモノ、看板だけで中身がない。学校は教科書、塾は受験からはみ出せない。学者は自説を学ばせる。――そこを問い直さない限り意味はない。知はもっと自由でなくちゃ!」
 と、文学部の吾妻真知子教授は辛らつだ。
 それは、学生自治会長の海老川雅弓に乗っ取られた駒場の上級都民の祭典だったからだ。吾妻教授をはじめ、東京伝説研究会はシンポジウムへの出席をボイコットした。当然のように部室で暑気払いを決行する。
 主に里実と天馬が、渋谷氷川神社へ参拝ついでに買い出しし、ささやかながら温かい夏祭りデコへと部室を改造した。
 全員浴衣姿でスイカを割ったり、サイダーならぬシャンパンのフルーツポンチや、料理の数々が円テーブル上に並べて、勝手に自分たちだけで盛り上がるのが目的だ。
 すべて吾妻教授のおごりだった。テーブル上をオードブルが埋め尽くし、ペットボトルが林立している「健全酒池肉林」。もともと中国の故事の酒池肉林に、古代から現代にいたるまで肉欲の意味はない、そう教授は言った。肉林は「おいしい肉」を意味している。
「すごーい。マイッチング~♪」
 吾妻教授自身も、誘われて紺色の浴衣に着替えて出席している。
 なぜ二〇二五年現在の学生たちが、昭和のコミック「まいっちんぐマツコ教諭」を知っているのか? 動画の時代によって、若者の間で空前の昭和ブームが起こったからだ。
「あ、ありがとうございます」
 天馬雅は、あでやかな浴衣(女物)を、里実に半ば強制的に着せられている。
「良く似合ってるわヨ、凄ィ」
「―――は、恥ずかしいです」
 雅の真横に「美少年」の酒瓶が置いてあるが、偶然ではないだろう。買ってきたのは教授である。
 ブラックバイトのリーダー店員で度々授業を抜ける天馬雅だが、吾妻教授にことの他かわいがられていた。荒木部長と同じ道を歩まぬよう、教授は特別気にかけていた。
 テーブルの中で最も目に付くのは、ずらっと並んだリブロース&サーロイン・ステーキ(ミディアム・レア)の皿。フルコースでなくても格安ステーキを楽しめる、「唐突ステーキ」のデリバリーだ。
「毎日三食ステーキなのよ。食事にはお金をかけている」
 と、真知子は里実に言った。健全酒池肉林……いいや一か所だけ、真知子先生のロケット型バストが極端にセクシーすぎる。
「エェーッ、それでなんでスタイルを保てるんですか? ずるぅーい。私なんかお肉止めてできるだけ野菜摂ってるのに」
 里実は不満げな声を出した。里実も別に太ってはいない。アメリカ育ちの帰国子女で、在米中はホームパーティ、ジャンクフード、バケツアイスが身近にある生活で、太り気味だった。帰国後は、食生活の変化とダイエットで痩せている。
 ただ小柄で胸が大きいトランジスタ・グラマーで、真知子のように胴が両手で掴めるほど細い、ド極端なボン・キュッ・ボンではない。
「逆よ里実さん。赤身肉を食べると痩せるのよ。野菜だけでたんぱく質を摂らないと、かえって痩せにくくなるわ」
「どうしてですか?」
 里実は、上目遣いでじっと見る。
「脂肪を燃焼するL-カルニチンは、お肉の赤い部分にたくさん含まれているから。L-カルニチンによって脂肪酸は、細胞のミトコンドリア内に運ばれ、代謝が行われるのよ」
「へぇ~!」
 それが、奇跡のアラフォー・吾妻ボディの秘密だ。
「炭水化物は?」
「栄養バランスが大事なので、もちろん必要よ」
 里実は我妻が用意したカプセルで作った、キチッとした三角おにぎりを並べていく。これが形といい硬さといい、手で握ったものやコンビニのいにぎりを凌駕したので、令司は驚いた。
「私はパンだとブールが好き。皆、残さず食べなさぁい? もしもU-Tubeerが食べ残したら、炎上よ~!」
「吾妻教授、鬼教官っすね!」
 雅は苦笑した。
 さらにテーブル中央には、先生特注のケーキが鎮座している。
「一万円のケーキだってさ! すごーい。センセイ上級都民デスネー」
「まぁね。そこは東大教授だから」
「否定しないんですね」
「甘いもんも食べてるんだ。あーあ、教授みたいな人を選ばれし人っていうのかなぁ」
 里実がまた愚痴っている。
 二人は熱っぽく付け爪トークをしつつ、グラスを手にした。
「改めて令司君、ハタチの誕生日、おめでとー!」
 真知子は微笑んで貴腐ワインで乾杯した。フランス産ソーテルヌ。世界最高峰の甘口ワインだ。さすがにそれは一本だけだが、他にアイスワインが三本並んでいた。
 この場にいるのは、鷹城令司、天馬雅、里実萌都、藪重太郎、吾妻真知子だけだ。
「フウ……私を入れて五人か。ところで荒木部長と会ったんですって……?」
「そうです、部長と四元君が渋谷で……」
 渋谷が破壊された決闘だが、街は無傷で、報道の内容は矮小化され自動車事故だけが報道された。
「ファントムボール伝説の渋谷の店で、モザイクかけてますが、キョウコと戦ってた金髪の人物は、部長だったんです」
 令司は言った。
「――全く別人でした。モデルのKAGEKOだったんです」
「荒木さんは、一人で闘ってるんでしょうね。東京伝説研究会は、東大におけるマイナーな地下レジスタンスだった。教授会、学生自治会を始めとして、東大は常に上位カーストの監視下にあった。風前の灯。それを荒木さんが、身体を張って公表する決意表明をした事で、彼らは研究会に手を出せなくなった。結果として、彼女は退学を余儀なくされた」
「けど俺達は、活動を続ける事ができている――」
 あれ以来、誰もマックス先輩・四元律には会っていない。
「このところ風当たりが強くてね。赤門軍団がどうのこうの、鉄門軍団がどうのこうのと、無関係だった駒場の教授会までも巻き込んで。それも全部、工学部部長が学長になってからのことなのよ」
 吾妻教授は言った。本郷を制した三輪教の力に圧倒された海老川たちは、かえって駒場での影響力を強めていた。三輪教に浸食されぬようにと、「侵撃の巨人」避けの壁を強化したらしい。
「負けるわけにはいかないさ。上級学生との、この人狼ゲームを」
 藪が宣言した。
「うん……」
「気を取り直して、我ら五人、生まれし日、時は違えど兄弟の契りを結び、心を同じくして助け合い、同人誌を必ず完成させることをここに誓おう!」
「オーッ!!」
 全員が、八犬士のそれぞれの玉の文字の入ったバッジを胸につけている。今日、里実がプレゼントした反骨精神のシンボルだった。
「キミの小説ってどんなの?」
 真知子が令司に訊いた。
「現代版三国志、あるいは水滸伝といった長編小説です」
「―――現代の?」
「はい」
「すごいわね」
 真知子は目を丸くする。
「異世界もの?」
 里実が興味を示すクリクリとした眼差しを向けながら、ハデな色味のドラゴンフルーツの皮をむいている。
「ちょっと違います。現代社会が舞台です。――でもそうすると、ある問題が生じるんです。小説作法の本によると、新人は一人称の小説しかデビューできないみたいなことが書かれていて、必然的に、群像劇が書けなくなるんです」
「ホント? それ。聞いたことないな」
 真知子は意外そうに言った。
「はい―――」
「じゃ、『三国志』や『水滸伝』、『南総里見八犬伝』みたいな小説は、新人には書けないってこと?」
「そうなんです」
「―――ちょっと待て、それじゃ芝井忠一や芳野英次や山下荘二とか、どうなるんだ? 国民文学だぞ。一人称どころか、視点の統一さえもあってないようなもんだ」
 藪が口をはさんだ。
「たぶん、あんまりなかったと思う。歴史作家の芝井さんは、地の文で色々な知識を語りたがりますし。――古典にはもちろんありません」
「トーキルンの『魔法の指輪』とかも……」
「ないですね。他にもプロで守ってない人は国内外にも多い」
「で、理由は?」
「視点が複数になると、読者が混乱するからって、編集者が嫌がるらしいんです。面白いかどうかが大事なのに、一人称じゃないから選考で落とすという現象も起こっています。僕も、ある程度は主人公に寄り添った形で書こうと思ってますが」
 その時の話や展開によって、限定的に他のキャラに発展するのが一、二人。適材適所で、必要な時に活躍する。だからあまりゴチャゴチャすることもなく、フローチャートに即したメインストーリーははっきりしているし、むしろ各キャラの見せ場がはっきりしていて、魅力がわかりやすい。スポットライトが非常に狭く! だがとても強く当たっている、という感じである。
「え? 俺は芝井忠一を読んでで混乱しないぜ。馬鹿にしてんのかよ」
「――漫画やアニメや多くの映像作品ってそうだったっけ?」
 里実が訊いた。
「違います。多くは神の視点です。コロコロ場面転換するし、同じコマの中で二人のキャラクターが、それぞれに心の声を語ることもある。逆に、一人称の漫画なんてほとんどないんです。小説では視点の統一はした方がいいと思うので、視点が変わる際にはちゃんと区切ればいいのですが、小説の場合に限って、新人は群像劇は書くべきではないって、編集者が勝手に思い込んでるとしか思えない」
 漫画家デビューするなら四コマ漫画から、と昔の漫画創作法に書かれていたようなものだ。
「ところがプロがルールを破っていることについて、『プロの作品はものすごく面白いからいい』とか書いてあるんです」
「なんじゃそりゃ! 理屈になってない!」
「破綻してますね。メディアが多様化する中で、小説だけが取り残されたみたいにがんじがらめのルールで作品の幅を狭めてるのかも。読者が求めてないのに」
 天馬は言った。
「明日川流之介は面白いけど、明日川賞受賞作は面白くない。――純文学はクールジャパンじゃない」
「面白のもあるわよ。たまにはね」
 先生がフォローした。
「だから、ライトノベルが流行る」
 ラノベでは、創作法やルールに対する縛りを緩め、読者の求める面白さを優先する。いわば、漫画の文章化。
 つい小説作法について熱弁する令司の話を、教授はニコニコと母性的な表情で聴いていたが、
「人称はもともと欧米のルールよ。近代に書簡文学が流行して確立した。日本語には存在してもいなかった。明治期に翻訳するにあたって導入されたの。でも書簡文学は十九世紀ごろには廃れる。外国文学でも、新人だからって、一人称から書かなきゃいけない訳じゃない」
 と答えた。
「じゃあ、一人称絶対主義はどっから来たんです?」
「編集者も、あまりにも多くのコンテンツに触れすぎて、かえって一般読者の感覚からずれてきている可能性もあるんじゃないかしら? それと、ルールを決めとくと選考が楽だから、とか? けど一人称は、主人公が知らないことは基本書けない。そんな中で、三国志みたいな大河ドラマを書くのは無理があるし、全部が一人の回想録だと世界観が狭くなり、薄っぺらくなってしまう。――無視すればいいのよ、君が群像劇を書きたければそうすればいい」
「要は、面白いかどうかだからな」
 藪が合いの手を打つ。
「そう。面白ければ、人を感動させることができればそれでいい。別にノーベル賞を獲ろうって話じゃないのよ、相手は素人。時代によってニーズは変わる。映像作品を見慣れた今時の読者たちが、受け入れてくれさえすればいい。極論すれば、読者に『面白い』って錯覚させればそれでいい。要は大衆の需要を捉えること。『南総里見八犬伝』のような群像劇は、今でも需要はあるわ」
 吾妻教授が言うならそれは正しいに決まっている。美魔女は正義だ。
「ありがとうございます」
「確かに、今時映像化されてなんぼって感じもするし、流行り廃りがある中で、ルールなんて時代とともに変わるしな! 将来、漫画やアニメの方が、歴史に残る可能性もある」
 藪は笑った。
「デビューしたらたまには俺のことも思い出してくれよな!」
「いや……あの――」
「上級都民になったら指輪買ってね。あたしと先生の分」
 里実の眼がらんらんと輝く。
「ははは」
「なんで大河で八犬伝やらんかな」
 藪は呟く。
「公式の歴史しか語らない、公共放送の陰謀だよ」
 雅が言った。
「受信料で成り立ってるのに」
 藪のボヤキを聞きながら、令司は手元に目を落とし、
「それで、東京伝説の原稿なんですが、皆さんに見てもらいたいものがあるんです」
 これまでのキョウコ伝説の資料を出し、伝説と東京の地図をあわせた表をテーブルの上に置いた。二十年ごとの都内でのキョウコの出没と、各時代に起こった未解決大量死事件とのマッピングだった。
「最初の出現は一九四五年八月十五日、キョウコが目撃されたのは市ヶ谷大本営です。そして、連続殺人の現場は、空襲の焼け跡でした」
「終戦記念日、日本の一番長い日に?」
 雅が顔を傾ける。
「はい。焼け跡は無法地帯で、当時の警察の取り締まりには限界がありました」
「まぁ確かに――」
「次が一九六五年八月十五日の、夢の島。七月十六日に害虫駆除の焦土作戦が行われた直後です」
 そこで、大量殺人事件が起こっていた。夢の島では、汚染された土地が浄化されて、決闘空間が出来上がったのかもしれない。
「両方とも、偶然に、無人の空間が出来てたのか」
「その通りです。ここまでは、もともと無人地帯だったところに出現しています」
「その二十年後、一九八五年八月十五日、今度は丸の内に出現しました。この時、丸の内が無人になりました」
「なんと……そんなことあったかな」
「八十五年は、九月十二日にプラザ合意、日本経済がバブルへと突き進んだ年ね」
「はい」
 前に、純子が言っていた。
「そして次が東大か?」
「そうです。二〇〇五年八月十五日、東大本郷キャンパスが無人になりました。第二工学部で大爆発が起こりました。その年の九月十一日に郵政民営化解散があり、十月に道路公団が民営化。規制緩和で、格差社会が階級社会になった祈念すべき年です」
「さすがだな。ここに書かれた事はある意味真実だと俺も思うよ」
 藪は感心している。
「いやでもまた、単にネットのWikipediaで事件を調べてまとめただけの記事だし」
「でも確信したぜ。その着眼が素晴らしいのヨ」
「さて、今年はどこに現れるやら?」
 直近では先日の渋谷事変だ。DJK.キョウコがキョウコそのものとは限らない。だが、荒木部長は相手をキョウコだと断定して攻撃した。
「やっぱ全てはキョウコが絡んでいるってことか。東京の秘密をかぎまわる俺たちを、伝説の少女は呪っているのかもな」
 令司自身何度も会っている。
 東京で東京伝説を追っていたら、出銭ーランドでネズミー・マウスに出逢える確率よりも、キョウコに会える確率のほうが断然高い。
「キョウコって、どうして二十年ごとによみがえって、大量殺人を行ってるんだ?」
「終戦の際に、繁栄を祈った人々によって焼け野原で人柱にされたらしいです。東京を再建するために、特殊能力を持った若い女性の命が必要とされたとか。ひょっとしたら、東京の反映の影に、実際に不幸な死に方をした少女がいて―――それで、東京を呪っているのかもしれません」
「人柱か。東京の怨念といえば、平安時代の新皇こと平将門が有名だよね。兜町、神田――。それらの土地の名は、将門の霊を鎮めるために着けられた。将門の霊は、東京の為政者相手なら、GHQにすら祟るっていうし」
 そして現代、東京の祟りはキョウコが担っている。今もまた都内のどこかで、キョウコは人狩りをしているのかもしれない。
「つまり東京の開かずの扉を開いた者には、キョウコの祟りが襲う。そーいうことか?」
「えぇ」
「キョウコの祟りか……」
「なんとか逃れる方法はないかな」
「連続殺人者キョウコから逃れるためには、『俺は人狼じゃない、人狼は○○だ!』って、他人を売れば黙って立ち去るらしいですけど」
 天馬は言った。
「人狼ゲームじゃないか。それ、海老川が意図的にSNSに流したデマかもな。あいつら、コッチを嘘つき呼ばわりしながら同じ手法を平気でヤラカすぞ。あの女が人狼呼ばわりした奴は、みんな抹殺されている」
 東大リアル人狼ゲームの結果として、東伝会は追いつめられていた。
「とにかく、俺には他人を売るなんて真似はできん」
 藪は腕を組んだ。
 久世リカ子や小夜王純子の顔が、令司の脳裏にちらつく。
「いよいよヤバイかもな。俺たち」
 毎回毎回ハードな都市伝説ではしんどい。身体が持たない。そこで、先生がミミズバーガーを提唱した時、里実が言った。
「みんなに一つ情報があるの。荒木部長が名前とIDを変えて雲隠れできたのは、5G監視社会にハッキングした人が居たからなんだ。で、その人……コスプレ仲間なんだけど、えっとITの超天才技術者で……」
 里実は、ミミズバーガーの都市伝説の実証はやりたくないと思ったらしく、別の東京伝説を提案した。それが、友人である技術者からの超絶ハードコアな東京伝説、5Gに関するものだった。
 里実は、東大メイドを自称し、バイトしているという。
 たまに中二な台詞を吐くのも彼女の特徴だった。里実はネコティッシュフィールドなる猫型のティッシュ箱を考案し、秋葉の友人の協力でグッズ化して、売れているという。秋葉とは縁が深い。
「実はさ、実はちゃんと言わないといけなかったことがあって。あたし、東伝会の動画チャンネルの管理人、助けてもらってたの」
「えっ?」
「だってすぐ消されちゃうから。動画を作成し、途中からは秋葉の友達に投げてた」
「つまり、管理人を委託していたってコト?」
「うん。だから他の十連歌チャンネルとかが抹殺されてく中で、唯一5Gの監視から抹殺されることがなかったって訳なのよネ」
「……なんだって……」
「凄腕ハッカーなのよ、その人」
 荒木影子は、都民IDを書き換えには協力者がいたと言っていた。
 里実は、荒木影子の原稿のソースを、その協力者から得られるのではないかと言った。
 里実は、影子のID書き換えに協力したハッカー集団に会いに行くことを提案した。ますます危ない方向に向かっている。銃刀法違反のモデル・荒木影子と改名した部長を追うのは危険なのに。松下村塾大学もヤバかったが、今度の相手はハッカー。完全に非合法だ。
 メンバーは、一人ひとり削られて行っている。今度東京華族に都民IDを奪われたら、勝てるわけがない。
「新田を救い出せるかもだって?」
「うん、そう……唯一の希望」
 里実は珍しくキリッとした顔で言う。
「覚悟を決めてほしい。5Gの支配に勝つには、ハッカーの協力が必要なのよ」
 それは、秋葉のプロゲーマーのハッカーたちだという。
「――で、部長みたいにIDを書き換えるのよ」
「まさか……」
「すべてを監視する5Gから証拠を消し去るの。ドライブレコーダーから」
 とうとう東伝会はそこまで来てしまったか。
 沈黙が流れた。
「二〇二〇年三月から、東京は5G監視社会に変わった。東京オリンピックを期に、整備化が一気に進み、東京は『スマート東京』へと生まれ変わった。次の取材ターゲットは、5Gの陰謀」
 取材班は、アクティブオタクの里実萌都と、令司。
「不正アクセス禁止法だ……完全に犯罪」
「やるかどうかは別として、とにかくアドバイスだけもらいなさい」
 教授は言った。
「―――みんなには秘密でね」
「君たちだけで大丈夫か?」
 藪が心配げに言った。
「二人だけで十分よ」
 里実は自信たっぷりに答えた。

 令司と里実は、渋谷駅前にある五階建ての都急ハンズへ向かった。
 令司は渋谷駅周辺を久々に通った。どこも壊れていない。不思議な感覚だった。
「あたし、コピック・マルチライナーの0・3mmじゃないと絵が描けないのよね~」
 里実はコスプレだけでなく、漫画も描いている。
 インクがにじまず、耐水性、耐アルコール性の顔料インクが使われているらしい。
「その辺のコンビニには置いてないの?」
「だってないんだもん」
 令司も勧められて、ハンズでマルチライナーを購入した。それからJR山手線で秋葉原へと向かう。公共機関が安全である証拠はない。が、里実が電車で移動したいと希望したからだ。
「カメラ回してくれる? 山手線って二十三区をぐるっと回ってるけど、昔から東京を守る風水的な防衛構造だって言われてんだよね」
「OK。続けてくれ―――」
「山手線と、その中を蛇行してる中央線を上から見ると、ちょうど陰陽太極図の形になるの。この路線が設計されたのは第一世界大戦中。ま、東京は第二次大戦で焼け野原になったけど、それまでは帝都を守り続けてきた訳よね。上級都民が」
「太極図か……中心の二つの点は?」
「皇居と、新宿副都心」
 いわゆる帝都新宿だ。
「――東京の光と闇の権力よね」
「……」
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