第17話 東大エリア51 誰もがそれを知っている

文字数 13,629文字



この物語は、超合金ロマンである

二〇二五年六月三十日 月曜日

「あっ、やっぱりここにいた」
 工学の授業のあと、自販機でコーヒーを買う。黒いレースのワンピース姿の三輪彌千香に呼び止められた。二人が海老川の人狼ゲームに参加して、まだ幾日も立っていない。
「なぜここが?」
 令司は少し怪訝な顔をした。
「わかりますとも。霊能者ですから」
 青白い肌をした彌千香はゲームの中で、「霊能者」を名乗っていた。
「ああいうこと言う人、不愉快ですね。人狼ってひどくないですか? ―――まるでうちの学生の中にテロリストがいるみたいに」
 彌千香にとって桜田総長の死は、あの日の「決闘」、もとい「試合」の延長で語られる重苦しい現実であり、事件を解明するという名目で、自分の目的を達成しようとする海老川雅弓に対する憤りは相当なものだった。
「まったくね」
 彌千香は黙って令司を見つめている。何か、言いたげで令司に接触してきたのだということが、黒い瞳の奥に物語られていた。改めて見ると、ほぼスッピンなのに、ばっちり化粧しているような顔だ。
「君も大変だったな」
「はい。桜田総長は何かを観て、柴咲教授のように殺されるのではないかと思い、ひどく戦慄したんじゃないかと推測しています。でも、新田さんもずいぶんとひどい目に。その後、大丈夫だったのですか?」
「ゲーム中、君が協力してくれたので助かったよ。あいつらは、新田を人狼に仕立てようと必死だった。最初からそのつもりだったんだろうけど」
「私も、極度のストレスにさらされて、紙シェードランプが割れたんです。心の不調和で電子機器が壊れるんです」
「……」
「それに態度が尊大だった。旧財閥の子弟で、いくら東大首席とはいえ、悪意しか感じられない。でも鷹城君、立派だったですよ」
 彌千香は真顔で言った。
「そんなことないけど……でも今回のことで、俺は上級都民の実在を確信した」
 令司は吾妻教授と数学の高峰日子太郎以外の、先生たちをも全員敵に回した。日子太郎教授は吾妻教授に片思いしているらしいが。そして吾妻教授に対する学内の日和見どもの消極的な攻撃。ファンも多かったのに。だがその日子太郎教授も海老川グループの同調圧力に支配されつつある。誰もかれもがよそよそしかった。
 目下、令司はプリント委員会から締め出しを食らったので、自力で勉強しなければならない。きっと大学卒業までだ。だが、東大受験を思い出せばいい。東京伝説と東山京子のバイトもあるので、大忙しだったが、覚悟を決めれば平静を保てる―――はずだが、いつもどこかでデルタフォースの視線を感じるのだった。
「海老川さんは、上級都民にあらずんば人にあらずって感じです。私達はどっからどう見ても人ですが、人でなければ、一体なんだと言うのでしょう? 犬、なのでしょうか? 狼なのでしょうか。鷹城君は、なぜ参加したんですか」
「ゲーム内で告白した通り、彼女の会社の合コンに連れて行かれたんだ。それが罠だと見抜けなかった。そこで会費をおごられた。だから参加を断れなかった。それに、上級都民の伝説に迫ろうという気持ちもあった」
「あぁ……でも鷹城さんって……すごい……海老川さんの本質を突いているというか、むしろ、心を見抜いていたんじゃないかって」
「そうかなぁ?」
「ずっと見ていました。人狼ゲームのとき、相手と対峙するときに、鷹城君の発言には、エビデンスを超越した、確信めいたものがあったんです。直観力、洞察力、それとも――読心術っていうんでしょうか。いいえむしろ、二重瞳、霊眼が開いているのでは?」
「ただの偶然だよ。俺、博才だってないし、パチンコに一度、誘われて行ったことがあるけど、三十分で千円札が消えてそれっきりだったかな。はは……二度とやらないと心に誓ったよ。そのお陰で散財しなくて済んでいるけど。君こそ、霊能者と名乗って、新田が犯人じゃないってずばり言ってくれた。ここには人狼はいないってナ―――。助かったよ」
 とはいえ、二人とも現在大学内で他の東伝会のメンバー同様、肩身の狭い思いをする身に落ちている。
「私、ゲーム内で霊能者と言ったことは本当ですよ」
 真顔の漆黒の瞳が令司を見据える。
 令司は怪訝な顔をした。
「東京伝説研究会……五十六池で初めてお名前を伺いました。そんなサークルがうちの大学にあったなんて。お話では、けっこう前からあったみたいですね」
 彌千香の言う通り、認知されてないのは当然だろうと思う。
「五十六池のときは、そんなサークルがあることにも半信半疑で、どこか気がそぞろで失礼しました」
「いいんだ」
「あたし、占い中は、いつもあんな感じなのです。意識を、この世の、五感を超越した領域に集中させないといけないからです」
 そう、最初に会った時、彌千香は心ここにあらずという感じがした。今でもどこか、そんな雰囲気を漂わせている。
「『桜田人外の変』の動画、拝見しましたよ」
 彌千香はかすかに微笑んだ。
「ありがとう」
「アレは確かに、海老川さんは気に食わないだろうなぁ――。世間に知られたくないから、人狼ゲームで秘密裏に片づけようとしたのに。でもまだ消してない。ますます人狼だと決めつけられるでしょうね。フフフ、挑発ですか?」
「まぁな」
「でも、疑われたままっていうのも、面白くないですね。さらに調査を続けるべきですよ。私も東大の開かずの戸伝説、一つだけ、知ってます。これから調べてみませんか」
「本当か!? ありがとう」
「うーん……お役に立てるかどうか分かりませんが。わたしもここの学生として、ちょっと耳寄りな情報を持ってるってだけです。まだ調べてない話だったら、うれしいのだけれど。―――会誌に、載せてくれないかな」
「もちろん。大歓迎だよ」
 この彌千香という女性、最初はなんだか取っつきにくく、新田と一緒にカメラを回してなければ五十六池で話しかけることもなかったと思う。
 いつも真顔だが、話してみると怒っているわけではない。でも神秘的で、うちに秘めたる情熱は激しい人物だと分かる。
「気になってることがあるんです。ただ、君だけに教えたい。皆さんには、後で教えてくださいね」
「それで、開かずの戸というのは?」
「本郷の工学部の伏魔殿を調べてみませんか? 第二工学部の廃墟、0号館の東大伝説です」
 令司は言葉を失った。
「第二工学部は、東大の鬼門です。その門は二十年間封印され、誰も空けていない」
「鬼門の意味は?」
「別名、PM門と言われています。そこの地下室に封印されたものがあるんです。それにまつわる怪奇現象を、今から二人で調査してみたいのです」
「PM門っていったい何だ?」
「工学部には、第一と第二がありますが、通称第一工学部は弥生門です。第二工学部は医学部のDNA研の伏魔殿と対をなす、PM門の開かずの戸。なんでも、魔物を封印しているとか」
「……水滸伝みたいな話だ」
 水滸伝の冒頭で、封印された百八の魔星が飛び立つシーンがある。その星はのちに、梁山泊に集結する英雄豪傑となって転生する。結局、PMが何だかよく分からないが。
 令司は妙な符号を感じた。
 昨日の今日で、柴咲教授が事故死した研究所を取材する羽目になるとは――。つまり、令司の父の研究所である。上着にはマンションから持ってきた肥後守がそのまま入っている。東山京子に言われて、肌身離さず持っていたのだ。
「う――ん」
「どうかした?」
「私、夜行性で……太陽アレルギーなんです。体調不良になりやすくて」
 彌千香は異常に肌が青白く、ずっと日差しが眩しそうに目を細めていた。
「車に乗ろう」
 そこで初めて、彌千香が紺の竹刀袋を背負っていることに気づいた。中身はあの刀だろう。いつも持ち歩いているのだろうか。
 今日もまた、令司の契約車・アウディで本郷へと取材に向かう。助手席に、三輪彌千香を乗せて。
「気になることがある。本郷であの日、君は髪の長い女性を見た、と言ってたけど――」
「はい」
 彌千香が決闘の際、医学部へ侵入したのは、屋上に髪の長い女性を見かけて、それを追ったからだった。
「しかし、上に行ったらいませんでした。後ろから純子さんに斬りかかられて、それどころではなくなりました」
 令司は、自分が目撃したキョウコについて口をつぐんだ。当然ながら、渋谷で女子高生・東山京子の家庭教師をしていることも語るつもりはない。
「あれはひょっとすると伝説のキョウコなのでは――なんだか、胸騒ぎがします。キョウコの伝説には、囚われないように気を付けてください。不思議ですが、あなたに、彼女の影を感じる」

 金網のフェンスに囲まれた廃屋に近づくと、みるみる天気が変わった。
 上空を黒雲が覆い、ゴロゴロゴロ……と轟いている。今にも降り出しそうだ。傘を持ってきていない。
 敷地は研究所一棟分だけで、さほど広くはない。「立ち入り禁止」の看板は支柱が腐って横倒しになり、草に隠れていた。雑草が生い茂っているが、建物はない。
「何もないな」
 彌千香は、廃墟になった研究棟の、ツタの絡まったフェンス越しに中を覗き込んだ。
「こっから観てみて下さい――」
 雨のはざまに、それは突如出現した。
「本物の幽霊屋敷の意味が分かったでしょう?」
「まさか」
 建物をすっぽり覆うようなマジックミラーの鏡の壁が、斜めに立っている。よく見ると鏡には手前の雑草と空が映っている。錯視トリックだ。
「種を明かすとここの敷地を利用して、特殊な光を反射する鏡の実験が行われてるんです」
 果たしてそれだけだろうか。意図的に隠されているような気がした。
 二十年前、爆発事故があって以来、「伏魔殿」と恐れられ、閉鎖された第二工学部の研究所。その時本郷は、無人化していたという。先の桜田総長のように、工学部教授が事故死した場所である。
「どうかしましたか?」
「とうとう、こんなところまで来てしまったか――」
 令司は目を細めて廃墟を見上げ、スマフォをゆっくりと取り出し、録画を始めた。
 令司は入学以来、あえてここを避けてきた。東京伝説研究会に入って、久しぶりに訪れたのは事実だ。
「柴咲教授は殺されたという噂がある。事故じゃない。ここで殺されたんだ」
 実験事故中に亡くなった柴咲政志教授の謎。その経歴から著作から、重要な事件の事が何も記録が残っていない。ネットの百科事典にも。噂では、異端の学者だったという。
 令司は、柴咲教授が一体何者で、そして誰に殺されたのかという事がずっと知りたかった。柴咲博士は、父は東大で、フリーエネルギーを研究していたという。しかしその研究成果は消失し、現在では途絶えている。先日訪れた、父のマンションの他には。
「ここは、かつて戦時中、千葉に存在した第二工学部を一九五二年から引継いで、戦後も秘密の実験が続けられてきた研究所です」
 千葉にあった第二工学部は、大戦中に兵器の研究をしていたことで知られている。「第二」とはいえ、夜間学部ではない。東都帝国大第二工学部には、機械、電気、土木、建築、船舶、造兵、応用化学、冶金、航空、航空原動機の十学科が存在した。
「このうち、造兵学科では強化兵研究が行われました。終戦を迎えて、実戦投入はされず、現在のDNA研に引き継がれました。そして冶金学科が、現在のPMへとつながったんです」
 実戦で投入されることのなかった数々の兵器が開発されたとされ、それらは戦争末期に破壊され、封印された。しかしそれは表向きである。終戦後、第二工学部は解体され、幾つかの機関に分散した。そのうちの極秘造兵学科が、本郷のこの研究棟へと引き継がれた。
「PM―――戦時中、DNA研とともに兵器の開発をしてたっていうけど、治金というのは、いったい何の研究だったんだ?」
 令司はいつものように質問を投げかける格好で、彌千香に訊いた。
 まだ、「PM」の答えを聞いていない。PMといえば「午後」だが。
「一説によりますと、旧第二工学は、建物全体がまるで磁石のようになってしまって、時空をゆがめたっていうんです。その異常現象は、東京中に散乱してしまいました」
 彌千香は、なぜそれを知っているんだろう? 一体彼女が何者なのか、まだ分からない。
「アメリカのニューヨーク州に、モントーク基地っていうのがあるのをご存じですか?」
「それは?」
「ん~、それでは、大戦中に戦艦をテレポーテーションさせた、フィラデルフィア実験の伝説をご存じですか」
 軍艦を不可視化する実験で、テレポーテーションが起こったといわれている。
「知ってる。有名な都市伝説だな」
「えぇ。戦後、研究を引き継いだのがモントーク基地なんです」
 令司は、テレビの番組でフィラデルフィア実験くらいは知っていたが、その続きがあるなどとは考えたこともなかった。
「似てるな――凄く。東大第二工学部の運命と」
「そうなんです。モントーク基地では、テレポーテーション技術から発展させ、タイムトラベルに関する極秘実験が行われていたそうです」
「まさか」
「ところが八〇年代に入って、研究中の大事故で閉鎖されました。ここと同じようにね。その後も、基地周辺の町では怪奇現象が目撃されているといいます。ひそかに、地下で研究が続けられているのかもしれない……。本郷のここでも、同じように何かが隠されている。いわば二十年前の爆発事故は、東大版フィラデルフィア実験だったのではないか、それが私の考えです」
 二十年間放置された敷地内は雑草が生え放題で、手入れがされておらず、お化け屋敷などと呼ばれているのも無理はない。
「モントークでは二〇年毎の地球のバイオリズムが関係して、極秘の研究が続けられていたそうです」
「ちょっと待って、―――二〇年周期だって?」
 それと二十年前、学内が無人化したことは何か関係があるのだろうか? 先日の本郷と同様に。
「二〇年前、ここで大きな極秘実験が行われました。何か、とんでもない事が起こった……。その結果、研究所はめちゃくちゃになった。伏魔殿の開かずの戸を開けてしまったんだと思います。晴天の雷鳴、雷光、ここだけ雹が降り、烏や猫の大群が集まったり、物が消えたり現れたり――それが本郷工学部の、0号館周辺の怪奇現象を引き起こしている」
「バミューダ・トライアングルのように、か?」
「そうです。時空のゆがみが起こっているのでしょう」
 駒場池の怪談話――なんかより、第二工学部の方がずっと本物の怪奇現象の真打だ。何かが起こっても、研究所とは無関係と東大は発表しているらしい。
「この下には何が眠っているのだろう?」
「噂では本郷キャンパスの地下には、地上のキャンパスよりも広大な空間が広がっていて、日本のエリア51なんて呼ばれています。開かずの戸を開けると、そこには――。今回動画のタイトルは『東大フィラデルフィア実験伝説』なんてどうでしょう?」
 令司は笑った。「PM」の謎も、この地下で明らかになるだろう。
「怪奇現象が起こっていて皆、薄気味悪くて近寄りません。でも私は確かめてみたい。戦前から続けられてきた極秘研究を。一人ではその勇気がありませんでした。けど、鷹城君と一緒だったら心強いです」
 彌千香は、竹刀袋から刀を取り出し、今にもフェンスを壊して中に入りそうな勢いだった。あの「強化兵」さながらの彼女の力なら、難なく破壊してしまうはずだ。
「その刀――」
「決闘の時のとは別です」
 しかしさすがに、中へ入るのはまずいだろう。
「私たちの霊能力で、研究所の謎を調べてみませんか? ここで、何が起こったのか」
「ちょっと待て。俺達は海老川に眼をつけられている。中に入ったらたちまち、『人狼』扱いで即刻退学だぜ」
 下手に動いたら海老川の学生自治会が、という考えが令司の脳裏にずっと浮かんでいる。「予感」でなければいいのだが。
「いいじゃないですか。彼らが人狼と呼びたいなら呼ばせておけばいい―――。ここからが人狼のターンなんです」
 心を読まれたような気がした。
「しかし、カメラが―――」
 建物についたカメラがこちらを向いている。
「監視カメラは動いていません。霊視しましたし、実証済みです。見せかけだけのなんちゃってカメラです。私たちにとって幸いなことに、ここの異常な電磁波の現象で、すぐ壊れるからです」
「……」
「入学当時、あなたはここをよく見上げていましたね。そうじゃないですか?」
 また真顔の直球の瞳が令司に向けられる。
「なぜそれを?」
「今、その光景が視えたんです。切ない表情でしたね。東京伝説研究会に入ったのは、ここが気になってたからですよね?」
「……」
 彌千香が気になっていたのは、令司自身のことだったという。
「あなたはなぜ東大に入ったんですか? それは――あなたと東大、関係があるからではないでしょうか?」
「……!」
 令司は猛勉強して、浪人しても何をしても東大へ入らなければならなかった。すべては、0号館の謎を解き明かすために。
「あなたは何か苦しみを抱えている。あなたの苦しみ……私になら、一緒に解決する手助けをしてあげることができるかもしれない。――心を読んだことはお許しください。でも、その結果として私は心を盗まれてしまいました。もう他人事ではありません。一緒に解き明かすんです。二十年前、ここで、何が起こったのかを」
 令司は彌千香に、圧倒されていた。言葉の一つ一つに力があり、彌千香は海老川とは違った意味で人を動かすことができる人物だった。
「そうだな。分かった。実は柴咲教授は俺の父だ」
「えっ」
「つい最近、知ったばかりだ。詳しいことは俺も分からない。やっぱり君の言った通り、俺は確かめなくちゃいけない」
「すみませんでした……でも、運命だったんですね」
 彌千香は澄んだ黒目で微笑んだ。

 二人はフェンスに出来た穴から侵入し、雑草をかき分けて進んだ。建物に入って間もなく、空から滝のような雨が降ってきた。水しぶきが窓ガラスを激しく打ち付ける。
「フゥ、やれやれだ」
 鍵がかかっている。開かずの戸だ。当然だろう。
 彌千香はポケットから、長さ十センチくらいの茜色の金属棒を取り出した。令司は、「磁界」のエネルギーを感じた。あの赤い部屋で、東山京子が金庫を開けたときに感じたのとまったく同じだ。鍵か?と思っていると、先端がシュルシュルと伸び、細く尖った。令司はその光景を固まって見つめた。
 彌千香はその先端を、鍵穴に突っ込んで回した。
 ギィイイイイ。
 錆びた音と共に、戸が開いた。
「その棒は?」
「形状記憶の性質を持つ合鍵です」
 鍵穴に合わせて、自在に変化する合鍵? そんなものが存在するのか。
「東大内の紛争といえば、六十年代後半の東大紛争です。以来、いろいろなゲートやら決まり事やら、秘密通路やらが東大の地下に出来上がっています。この地下研究施設も、そんな風にして発展して出来上がったんです」
 桜田総長も新田に同じことを言っていたらしい。
 彌千香が灯りを着ける。
「研究所の地下に、まだ電気が通っている……?」
「はい」
 階段を下りると、ひんやりと湿っている。声にエコーがかかった。壮大な地下空間らしい。
 廃墟になった地下研究室。それは、天井こそ体育館程度だが、ドーム一つを飲み込んでしまえるような広さだった。
 彌千香はズンズン進んでいった。四方八方から、名状しがたい威圧感が押し寄せる中、令司は携帯を片手に後を追った。
「廃虚なのに……ところどころ設備が新しい」
「感じます―――。地下のマシンはまだ生きています!」
 彌千香はこの機械は第三世代エンジン、あの機械は3Dプリンターと解説した。霊能力でメカの構造が一瞬で分かるのだというが、彌千香は前にここに来たことがあるのではないかと思った。
「私、ここまでは前に入ったことがあるんです」
 また心を読まれた。厄介だ。
 真夏なのにヒンヤリとして寒気がする。常に誰かに監視されているような視線を感じた。
 別のドアの前へ来た。地下二階へと続く階段の扉だという。
「私の鍵では開きません……」
 令司はふとポケットに手を入れた。持ってきた肥後守で開くという確証はない。ただのナイフだ。彌千香にこれを見せてもいいのか、一瞬躊躇した。
「父の遺品だ」
「何か、持ってきてくださってると思いましたよ」
 彌千香の顔がパッと明るく輝いた。
 彌千香がそっと手を添えると、肥後守は西洋鍵に変化した。唖然……。
「これも、形状記憶合金です」
 この古びた鉄製の西洋鍵は、どこかの建物の入口を開けるものなのだろう。だが、その建物とは一体。父の研究……ひょっとすると閉鎖された研究所のものかもしれない。いや別の施設か? それは第二の「開かずの戸」だ。
 東大には、古い建物も数多い。
 いや、謂れのある近代建築など、東京中にある。名建築とされる洋館も、数多い。むろんその中には、開かずの戸もあるだろう。しかし、そんな事なら、鍵がなくても、鍵屋を呼んで開ければいいだけとも思える。開かずの戸伝説の条件を満たすものとは思えない。
 もしかすると、何かの古い機械を動かす装置なのかもしれない。だが、たかが二〇年前―――、二〇〇五年のものにしては古すぎる。おそらく、戦前に使われたもののように感じられる。
 鍵を差すとドアが開いた。こんな、古めかしい形をしているのに。
 父だけが合い鍵を持っていた――これが「開かずの戸」なら、この鍵も特殊な構造で、彌千香が持っている「万能鍵」でさえ突破できないドアを突破したということになる。
「ここまで入れたのは初めてです」
 カメラにノイズが走った。どこかから電波が出ている。
「この階の下は―――?」
「下へのエレベータや階段は、コンクリートで固められたと聞いています」
 やはり封印されたのだ。誰も空けられないように細工されて。
 巨大水晶を用いた装置が、黒塗りのスーパー・コンピュータに接続されている。彌千香によると、コンピュータを能力者の思考と接続するための機械ではないかという。
 研究所内にある、その他のありとあらゆる機械は、嵐が通った後のように破損し、横転していた。水晶装置の周辺だけが破壊を逃れ、奇妙な静寂を保っていた。
「破壊したのは、ヤマタノオロチです」
「え?」
 研究所の奥が、破壊された機器が投棄された山のように盛り上がっていた。色とりどりの、大小さまざまなケーブル類が複雑に絡み合い、機器を押しつぶしていた。ヤマタノオロチに見えたモノは、巨大な電線の束だった。
「オロチはすべてを壊し、食い尽くした。私が調べたところでは、全長は数十メートル、時に数百メートルに達したそうです」
 彌千香は、それを神代の逸話に関連させたので、令司は混乱した。
「二〇年前、ここで何が起こって、なぜこうなったのか―――」

神器召喚

「その鍵を手に持って、ダウンジング・ロッドみたいにかざしてくれませんか? 何か変わった金属があれば、きっと鍵が反応するはずです」
 ダウンジングは、金属・鉱脈・水脈に反応する。しかし令司が鍵を持ってかざしたところで、短すぎてその役割を果たせないだろう。そう思ったが、令司が鍵をケーブルの束の中心に向けてかざすと、ケーブルがワサワサと奇怪な動きをし始めて、ギョッとした。次第に形がはっきりとしてきた。
 いくつもの長い腕がぐるぐると動き出し、彌千香は剣を抜いて構えた。
「オロチは今、私たちの存在をはっきりと認識した―――」
 色とりどりの各種のケーブルがヤマタノオロチに見えているだけだが、この生き物のような動きは何だろう。「耀―AKARU―」のコミックみたいに。
「フフフ、やっぱり私の見込んだとおりですね。勘が当たりました」
 何もかも見透かしているような目。
「……私は鷹城君のDNAならここに入れて、何かが反応を示すんじゃないかって、予知能力で、私、分かってたんです」
 彌千香は興奮していた。
「君は何をしようとしてるんだ―――」
「告白します……」
 中心に、バスケットボール大の光り輝く物体が見えてきた。
「あれが、スパコンに化けていたものです」
 彌千香が何を言っているのか、令司には分からなかった。
「私は、これを形作っている、PM塊を回収できなかったのです。中心にあるPM塊は、その鍵の作用で封印されていたものを目覚めさせたのです。それが鷹城君のDNAと反応したんです。かつてスサノオノ命は、ヤマタノオロチから天叢雲ノ剣、のちの草薙ノ剣を手に入れました。私たちも!」
 彌千香は叫んだ。
「なぜそんなことを―――。君は何者なんだ、PMって?」
 彌千香の身体から、湧き出るように電磁波のエネルギーが高まりを感じた。謎なのは、形状記憶の合鍵だけではない。いや、令司自身もジェネレーターになったように、彌千香の身体と一緒になって、ヴァイブレーションの波を周囲に送り出していた。
「ヤツが今、生き物のように目覚めた!」
 明らかに彌千香の様子がおかしい。
「……し、……しば」
 彌千香は何事かをつぶやいている。
「教えてくれ、二十年前、ここで何があったんだ!? 父は、父は一体」
「―――柴咲教授の思念のPM力が感応して、近くのケーブルを巻き込み、依り代にしてアレを生み出した……」
 彌千香が彌千香でなくなっていた。トランス状態だ。何者かかが彼女に乗り移っていた。
「PM……力? 彌千香君、大丈夫?」
 彌千香はせき込み、うずくまった。
「だ、大丈夫――です」
 彌千香は顔を上げた。
「あの時、何が起こったのかが、たった今視えました」
「何を、何があったんだ!?」
「オロチ化した電源ケーブル類を止めるために、柴咲教授は、発電機を停止させようとしたみたいです」
 彌千香は熱っぽい瞳で語った。
「機械という機械の動力源を全部切ったんですが、停止しなかったんです。研究者たちは、変圧器から出ている電線をすべて切断しました。それでも、コンピュータは動き続け、ケーブル類は暴れまわっていました。――そこで研究員たちは電圧調整室へ行き、そこから伸びている電線をすべて切断しました。地下の明かりが消え、コンピュータは停止しました。でも、水晶は輝き続け、ケーブルの塊はあちらこちらを壊しまわっていました。彼らは無我夢中で手当たり次第に、ありとあらゆる機器に接続されたケーブルを切断しました。その影響で、地上棟で大爆発が起こって、巨大な火炎が東京上空へと吹き上がりました。七色の輝きが、東京中にばらまかれました。―――最終的にオロチは止まりました。けど、柴咲教授は亡くなられたんです」
 彌千香の瞳には今、はっきりと視えているらしい。令司は彼女の言葉が真実だと感じていた。
 その現象は、すでに研究者の手に負える代物ではなくなっていた。慌てた東大の当局は、コンクリート・ミキサー車を呼んで地下を埋めた。研究所は閉鎖され、廃墟となった。研究所は、「PM力」でフリーエネルギーが発生していたと結論したという。
 ふと見上げると、目の前に光り輝く物体が浮かんでいた。
「これは……どうやって浮かんでいるんだ!?」
 令司と彌千香は、物体から発せられるまばゆい光に照らされて、じっと見入った。
「PM力です。それが、反重力を生み出している」
 彌千香は剣を構え、飛び込んでいった。しかし、剣先が瞬時に折れて吹っ飛んでいった。彌千香は跳ね返され、壁にたたきつけられて跳ね返る。その瞬間に、動きが止まった。
 彌千香自身が、宙に浮いていた。
 ドガガガガガ!!
 ケーブル類が速度を上げて回転し始めた。
「ヤバイィ!」
「鷹城君、鍵です、鍵を差しこんでください」
 あそこに突入していくなんて―――と考える自分を後ろへ置いて、彌千香のために、令司は右手に握った鍵をオロチの核となる部分に差し込んだ。
 粉塵だけがもうもうと周囲に巻き上がる中、中心の黄色い光が収れんしていく。ケーブル類がバタバタと床に投げ出され、沈黙した。
 中心で輝いていた物体を持ち上げると、小型化して手のひらサイズにまで縮んだ。そして筐体が残された。まるで令司が手なずけたみたいだ。令司には凄い能力が備わっていることが実証された。
「これが、PM塊よ」
 感極まった彌千香は、とっさに令司の頬にキスをした。
「なっ、何を―――」
「あっ、ご、ごめんなさい!」

 その直後、足音が響いた。
 二十メートル先に、ショートヘアの女の影が立っている。ただし、そのシルエットは百八十センチ以上あった。
「あなたたち、これ以上力を解放しちゃいけない!」
 銭形花音だ。令司より大きく、ボーイッシュな美人は、右手を握りしめて仁王立ちしていた。
『あいつは地下まで追って来たのか、俺たちを』
 令司はささやいた。
『いいえ―――彼女が来たのは反対方向です。出口の方ではありません。鉄門、DNA研からです』
 つまり花音は今、DNA研究所の地下から直接来たことになる。
 どうやら東大の地下空間は、医学部まで通路でつながっているらしい。その通路にしても、普段は厳重に閉まっているに違いないが、花音は難なく突破してきた。
 その姿を見て、令司は思い出した。
 あの夜、五百旗頭とともに現れたDNA研の男二人のうち、一人は花音だったのだ。背が高く、体格ががっしりしていたので男だと思ったのだ。その時は顔もフードに半分隠れてよく見えず、レインコートで胸の膨らみが隠れて分からなかった。彼女は京子を連行するとき、一言も発しなかった。あのパワー、彌千香同様の「強化兵」である可能性が高い。
「また鷹城君、それに彌千香さんも。そこで何をしているのです? 二人とも建造物侵入罪よ」
「君こそ」
「音が聞こえましたので」
 それだけとは、どうしても思えなかった。
「表の看板を観なかったのですか? 立ち入りは禁止されている」
 物腰は柔らかいが、有無を言わさぬきっぱりとした警告だった。
「看板なんて、草に隠れてどこにあるか分からない」
 彌千香はとぼけて返事をした。
「お分かりのはずです」
「なんなんだ、自治会は警察気取りか?」
 令司は突っかかった。
「第二工学部跡地の廃墟が、怪奇現象を起こしてることは、東大関係者なら誰でも知っている。だから君たち東伝会が探りに来ない訳がない。それで用心していたのです。振動もすごかった。野良猫だって、きっと様子を見に来るでしょう」
 だが、花音の瞳にはより確信めいた何かが光っている。
 やはりそうだ。五百旗頭が新田を追っているように、令司は花音にずっと監視されていたに違いない。
「ここから一刻も早く立ち去りなさい……」
 花音は、ミズノの白いバレーボールシューズをジャリジャリ云わせて近づいてきた。
『こんな地下で音なんかが響くはずが――第一建物自体、人なんか来ないのに……このタイミングで。用心してたのに追ってくるなんて、私たちも運が悪いですね』
 しかし花音は、カメラも機器も携帯も使えない地下二階で、二人の存在に気づいた。なぜだ?
『あいつ、海老川の犬だ。デルタフォース、自治会のエージェントだからな』
 令司はささやいた。
 花音は何も手に持っていなかったが、コンクリートの破片や鉄パイプ、そこら中に武器になりそうなものが転がっている。だが、彌千香の剣は折れていた。花音の右手に何かが光っている。丸いコイン状の金属。いや――、貨幣そのものだ。銭形の名は伊達ではないらしい。
「鷹城令司君。私と一緒に来てください。私はいつも海老川さんのようなやり方を肯定している訳ではない。シケプリにも戻れます。私なら、会長とあなたたちの懸け橋になってあげることができます」
 花音は静かに言った。
 彌千香は令司の腕をぐっと握った。
「危険な相手です。油断なりません。もう鷹城君をマークしている」
「彼女の言うことを聞くのは、止めた方がいいですよッ!」
 バレーボール部部長の花音は、唐突に大きな通る声で警告した。
「―――行きましょう」
 彌千香は令司の手を取って、花音と反対方向の地上階への階段へと走り出した。
 後ろで睨んでいた花音が、すぐに長い脚で追ってきた。

 二人が地上へ出ると、雨が止み、日が差していた。
 だが、景色が妙だった。周りは依然として暗く、近所で雨が降っている。見上げると、真上の雲だけがぽっかりと穴が開き、青空がのぞいていた。
「あっちです!」
 彌千香は指差した。閉鎖された研究棟の横に、二十年前新設された真新しい研究棟が建っている。名称は「PM先端科学技術研究所」。よく見れば、堂々と「PM」を掲げていることを、令司はたった今認識した。
 東大生とはいえ、本郷には何度も来ていないし、関わる建物の数も十数棟程度だったからだ。
「銭形花音さん、ここは学生自治会の治外法権です。『協定』をお守りください。医学部へおかえりください」
 後ろから追ってきた花音に、彌千香は叫んだ。
「彌千香さん……PM塊と令司さん、決闘の勝利で二つとも手に入れようなんて、ルール違反ですよ。あなたが手に入れたものは、令司さんだけです。それだけははっきりしておきたいと思います。いずれ私と対戦し、令司さんとその塊を手に入れます」
 花音は、令司への未練な言葉を残して去った。――いや、今の言葉は何だったんだ? まるで決闘の果たし状みたいだ。
「ホラ……追ってこない。彼らには明確に分かっているのです。自治会は決闘を知っている。決闘に勝った者だけが鷹城君と会えるのです。でも彼女は今、地下でひそかに私と決闘して、二つとも手に入れようとしていた――」
「一体決闘って何なんだ? それに、治外法権って?」
 令司は頭が混乱するまま、彌千香にぶつけた。
「工学部は決闘以来、もはや治外法権のエリアです。それが自治会との協定です。ここまでくれば……もう安心ですよ」
「――なんだと? いったい何の協定が?」
 彌千香は微笑んだ。
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