第12話 東京閨閥華族

文字数 5,658文字

 誰も口を開こうとしなかった。
 沈黙を破ったのはやはり副部長の四元律だ。
「実は……」
 マックス先輩は机の上に一枚の紙を広げた。部室内に、荒木英子部長の残した原稿の一部を発見したのだという。
「本棚の裏側に落っこちていたんだ。英子部長は、東大図書館の秘密文書を命がけでこっそりコピーしていた」
 中身は、引用文献リストの一部らしい。
 それを見ると、どうやら同人誌「東京回遊魚」に掲載されるはずだった記事の主なものは、「上級都民」に関するものだったようだ。
 新田がそれを見ながら言った。
「ハロウィンの後、俺と天馬は駒場祭でも露天でコスをしていた。同人誌を販売していた売り子だったんだが、部長はとても嫌そうだった。そのころ部長は執筆の佳境に入っていたが、駒場祭には間に合わず、結局、天馬と里実さんが書いた怪談系東京伝説で会誌を作った」
「なんだ、書けるんじゃないか」
「いや、部長に怒られてね。彼女自身も間に合わなかったから仕方なく認めただけなんだ。売れるには売れたが、決して部長の満足のいく内容ではなかった」
 マックス先輩が続ける。
「英子部長は最後まで部員に隠していたが、上級都民の正体というこの国のタブーを、すでに解き明かしていたらしい」
「……」
「俺たちを巻き込みたくなかったのかもしれないな。この資料によると、上級都民は正確には、『東京閨閥華族』という。その発祥は、終戦直後にさかのぼる。部長は、様々な資料に当たりながら、この国が戦後一貫して、階級社会に向かって突き進んでいる法則を発見したんだ」
 東京伝説中、もっとも奇怪な都市伝説がこの「上級都民」だ。

 戦後、日本はアメリカから民主主義を導入して、ずっと自由民主主義社会を歩んできたはずだった。
 ところが近年になって、「上級都民」なる階級が存在し、事件や事故の際に、法律を超えた忖度が行われているのだと噂されている。彼らは生まれると、死ぬまで庶民とは別次元の忖度が施されるのだという。その背景には、この国の見えざる階級社会の存在があるのだ。
「華族制度は戦後、表向き廃止された。だが、現在でも影ながら存続している、という訳だ。そして東京華族たちは日本とは別の“国”を作っている、それが部長の資料が示した主張なんだ」
 下山事件、三鷹事件、松川事件の国鉄三大ミステリー事件を始めとし、M資金、三億円事件などの戦後の未解決事件に、この東京閨閥華族が関わっているらしい。そこでうごめく「闇の資金」は、上級都民によってひそかに運用され、現在、莫大に膨れ上がっている……。
 増本清澄の「日本の暗い霧」で書かれた未解決事件の数々は、GHQと組んだ「奴ら」の謀略によって行われた。戦後の混乱に乗じて起こった国鉄関連の事件、銀行の疑獄事件、それらには、GHQ内部の対立、民政局(GS)と諜報部(G2)の戦いがあった、というのが清張の主張だ。
「結局部長は、それらの事件を足がかりに、東京閨閥華族の謎に迫りすぎて失踪したってことだ」
 本郷事件にかかわらず、数々の未解決事件、闇に葬り去られた事件が世の中には数多く存在する。
 それらは、逮捕・起訴されず、表ざたもならない。あれもこれも事件化しないのは、上級都民が関わっているからだと、荒木部長は結論付けた。もしもその彼らと戦えば、必ずつぶされる。社会的抹殺のみならず、時には暗殺される可能性さえある――。
「社会には、上流階級、中流階級、下流階級とがあって、よくいう上級都民は、上流階級の中の最上流階級、上流階級、上層中流階級が大部分を構成する」
「華族だなんて、――戦後とっくに廃止されたはずでは?」
 海老川のような富裕層はいたとしても、戦後民主主義社会に、華族やら貴族は存在しないはずである。表向きは。
「最上流階級の海老川家は旧華族系だ。戦後のものは、閨閥華族というんだ」
「閨閥って?」
「閨閥とは、血縁や婚姻に基づく親族や彼らが成す勢力のことだよ」
「血縁……親戚同士ってことですか?」
「そう。もちろん権力者同士のな。主には政略結婚のための婚姻が多く、政、財、官、それに最近では芸能界で多く見られる」
「確かに、芸能人同士の結婚ってよく聞くよね」
 里実は目をつぶった。
「一方で官僚が結婚しても報道なんかされない。閨閥を形成する事で、彼らの権力やネットワークは年々増大する。古代の摂関政治から続いてきたことだ。武家もそうだし。江戸時代には武家と公家との間の婚姻が行われ、明治以後の華族制度でも、維新で功績のあった元大名や資本家、高級官僚なんかが閨閥を形成した。たとえ戦後華族制度自体が廃止されても、閨閥は以前と変わらず続いていた。事実上の華族を形成しても、なんら不思議な話ではない」
 マックス先輩は静かに言った。
「時代は変われど、か――」
 藪はぼやいた。
「東大生には圧倒的に富裕層が多い。元の木阿弥だよ。権力者の『性』(さが)という奴さ。日本の国会議員は閨閥、世襲が当たり前、官僚同志も、省内での権力拡大に政略結婚を大いに利用している。外交官は特に身内だらけで、公家の世界なんて言われている。むろん芸能界や、東大などの学問の世界なんかまさにそうだが――」
「あまり語られない公然の秘密なんだな、閨閥は」
「この学校も、そもそも上級都民の子弟のための学校なんだしな。ま、俺たちのような苦学生には関係ないけど」
 東都帝国大学は、明治期に官僚育成の大学として作られた。高学歴の大学に入るためには、それなりに家が裕福でなければならず、自然と金のある家の子供が集まってくる。
 だからこそ東大に入ることで、その格差を乗り越えようという考えもある。学力さえあれば、国立なので学費も安い。
 しかし東大内にも、極度の格差社会(スクールカースト)はあった。
 昨日、令司が観てきた「門山シロガネ」に象徴される、山の手と下町の学生の格差。その時まで気が付かなかったが、実は下町は虐げられていたのではないかと身につまされる。
 金持ち学生共は高級車を乗り回す。学生として必要のない良い服を着ている。一方で、研究会の部員は奨学金のために必死で勉強し、ブラックバイトに追われるものもいる。
「部長も、ブラックバイトに追われていたしな」
「皿洗いから板担当まで出世した時の部長は、嬉しそうだったなぁ。最初で最後の唯一の笑顔だった」
 部室内に、お通夜のような雰囲気が漂った。
「それを、団塊の世代ジュニアのオトナたちは、いつも自己責任論で片づけたがる」
「テレビのコメンテーターに多い」
 大学教授陣は学生の実態を知っているので、そんなことは言わない。
「上の世代が若かった三十年前は、大学はレジャーランドって呼ばれていたらしい。日本の大学生は人生のモラトリアム期で、楽しく遊んで暮らせる、大正時代の高等遊民みたいなイメージかな。ある一時期限定の、特殊な人種だったようだ」
「今では到底信じられませんね」
 里実が目を丸くしていった。現在の大学生にとっては、それこそ都市伝説だ。その前の世代の学生運動となると、さらに現実感がない。里実も、秋葉でメイドカフェのバイトをしているらしい。
「バブルの頃も格差はあったけど、友人の間でそんなに差別意識はなかったはずだ。でも今は違う。その後、一部の極端に裕福な連中と、大部分のそうでない者と、今では真っ二つに別れて階級社会を形成している」
 それが、学内での極端な格差社会だ。
「……それで皆さん、東大の伝説を躊躇してたんですか」
 自明の理として、令司はこのサークルの東大内でのスクールカーストの底辺感が理解できた。上級都民とその教授陣が支配する学校で、その狭間に下級都民学生がコソコソしなければならなかったという訳である。
「――これが東京閨閥華族。で、おそらく新宿の幻想皇帝伝説も、これに関わってるんだと思う」
 「東京デュエリスト伝説」や、「山の手と下町の戦争」の東京伝説が語るとおり、都内で決闘が、いやリアルな戦争が起こっていてもおかしくない気がしてきた。十連歌のデモでさえ、それに関わっているのではないかと思えてくる。
「部長は、上級都民を告発しようとした矢先に、東大の書庫にもぐりこんだ一件をきっかけとして、海老川に人狼ゲームに呼び出された可能性がある」
 マックス先輩は締めくくった。
「ゲーム内で、どんなやり取りがあったんですかね」
「それは分からない――」
 東大生である以上、学生自治会長の海老川から逃げることはできない。荒木部長は学内にはびこる東京閨閥華族に立ち向かい、海老川と対立し、結果、東大の黒い霧との戦いに負けたのだ。
 これが……彼らが駒場を異常におびえる理由なのだ。
 東京伝説研究会は、もともと下町学生の集まりで、後ろ盾はない。部長失踪と同時に自治会に弾圧され、ひっそりとした小グループに堕ちた。メンバーは皆、人目をうかがっており、藪なんかいつでも、こそこそとしゃべっていた。
 吾妻教授のバックアップがなかったら、これほど大々的な情報収集なんかできなかったとメンバーは言う。そのきっかけとなったのが鷹城令司だ。それでなんとなく見えてきた。東大生なのに、東京伝説の記事の一つも書けないなんてことがあるはずない。
 何も知らない鷹城令司は、東京伝説研究会のいけにえの子羊にされたのだ。彼らはやりたいけど前に進めなかった、その原動力として令司が起用された。
「このリストは……部長さんが我々へ、伝言を残したんだと思います。M資金や、ほかの財宝がある『開かずの戸』も、探り当てたんだと思います。きっと、志を継いでほしいと。この資料を生かして原稿を完成させたいんですが、どうでしょうか?」
 令司は、東京閨閥華族の伝説を主要記事にする決意を固めた。
 令司の大河小説「魔天楼ブルース」も、社会の闇に鋭く切り込むストーリーだ。噂の上級都民の正体に迫る東京伝説は、もっともヤバイ都市伝説ながら、令司にとっては願ってもない素材だったのだ。
「念押しするが、鷹城君、こっから先はタブーの領域だ。君も荒木部長のように、人狼ゲームに参加し、もしかすると失踪してしまうかもしれない。我々もできる限り君を守るつもりだが……。自治会長としては、彼女自身が部長を務める模擬国会倶楽部の人狼ゲームで、君らを葬り去ろうとするはずだ。今回のケースでは、令司たちの不法侵入や盗撮、U-Tubeの動画などが問題とされるだろう。ゲームの模様は、全て録音されるに違いないから、君も発言で上げ足を取られないよう、細心の注意を払わなければならない。―――ここで引いても誰も君たちを責めたりはしない。実際、よくやってくれたと思う。部長には申し訳ないが、里実ちゃんのミミズバーガーや、トイレの花子さん系の都市伝説へ趣旨を変えるのも悪くないだろう。進むも引くも、君次第だ。どうする?」
 進むべきか引くべきか。ハムレットの心境が、たった今分かった。
「やります」
 すべての東京伝説はつながっている。
 渋谷の人狼伝説、本郷の事件や海老川雅弓の存在そのものが、一本の糸で結ばれている。その奥に、何かとてつもない真実が存在する気がする。東京のミステリーを解き明かしたい。ここで引き返すなど、令司には到底考えられなかった。
「よくぞ言ってくれた。令司君。部長が失踪して、本当は俺が書かなきゃいけなかったんだ。―――でも、書けなかった。部長の意を継いでくれる者を探すことが、俺の仕事だった」
 マックス先輩は感慨深げに言った。
 マックス先輩と他のメンバーでは、温度差があったのは事実だ。
 かつての左翼系の学生運動は影をひそめ、今やどこもかしこも上級都民の権力が拡大を続けている。そしてそれに言及することは、一様にタブー視されている。
 今時、東大の中での、水面下の時代遅れの学生争乱ごっことは。しかも学校側まで巻き込んで。
 部にも入らず、クラスでの薄い人間関係だけで、ずっと一人で生きてきた令司が、いざ研究会に「社会参加」してみると、そこには信じられない東大の姿が現れた。これまた、東大、下暗し……。
「行くしかねぇか! だって、伝説様のほうからこっちへ歩いてやってきてくれたんだからよ。上級都民様が。令司よ、俺もついてるから心配するな。すべてを暴いてやろうぜ」
 鬼武者・新田はやけになってるようだった。
 令司の食べた高級マカロンは、緑色のタピオカクリームで味・触感ともに絶品だった。
 勧善懲悪好きの海老川に、メジャー時代劇のイメージが重なる。

 そこへ、天馬雅が顔を出した。
「すみませんでした!」
 深々と頭を下げた久々の天馬は、いつもと変わらず美青年で、フィメール感を漂わせている。
「雅! 今まで一体どこへ行ってたの? みんなで連絡したのに」
 里実は立ち上がった。椅子ががたんと倒れた。
「でも、無事だったんだね。あたし、てっきり―――部長みたいに」
 里実は涙ぐんでいた。
「すみません里実さん、突然IDカードが使えなくなってしまって―――、連絡先も全部携帯の中でした。申し訳ないと思ったんですが、一度実家に帰りました」
 それを聞いて令司はギョッとした。天馬も都民IDが使えなくなっていた? これはもう偶然ではない。
「大学へは?」
「あれ以来、行ってませんでした。そうしたら実家で親戚に不幸がありまして、葬儀やら片付けやらで、あっという間に時間が過ぎてしまいました」
「そうだったのか、大変だったな」
「令司さん、ありがとうございます。動画は、拝見しました」
「まぁ無事で良かった。心配したけど」
「すみません」
 雅は笑った。
「その、マカロンは――?」
 雅は机の上を眺めて絶句している。
「三角マカロンだよ。令司君が海老川さんの合コンに参加したんだ。みんなでお茶にするところ」
「へぇ……」
「海老川が、君にも声をかけたと言ってた。忙しいって断ったんだよね?」
「―――あ、はい。ボクも授業で見かける程度ですよ。それほど――-親しいわけでも」
 雅は少し言いよどんだ。
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