第1話 射光 秘密の東京へ

文字数 6,527文字


これは架空の東京の物語である

二〇二五年八月十五日 金曜日

 新宿副都心のビルに光差す夜明け。
 闇を切り裂く黄金の矢。
 青く、寒々とした一刻前の世界とはうって代わって金色を帯び始める摩天楼街。誰も居ない。その車道で鷹城令司は待っていた。
 太陽が摩天楼の谷間から昇り、光が差し込んでコンクリートとガラス、アスファルト、そして立っている東大生を照らし出す。
 少女はすでに目の前に立っていた。あの渋谷スパイダーのときの姿のDJK.キョウコだ。まだ生きてる。いつから居たのか分からなかった。
 光線が長い黒髪の輪郭を浮き上がらせる。少女は太陽を背にして立っている。日の出と共にその空間に出現したという感じがした。
 令司は旋律を覚えた。
 風でサラサラとなびく黒く長い髪、黒いビキニにショートパンツにブーツ姿という少女は、令司をなんとも恐ろしい目つきで見ていた。
 大きなアーモンド型の目は、ギラッとした強くで赤い光を令司に向かって発しているようだった。
 両者の間には、百メートル以上の距離がある。だが、令司にははっきりと分かった。
 黄金の太陽は、この世界を黄金一色に塗り替えた。令司がゆっくりと進むと、伝説の少女も近づいてきた。
 二人の距離は十メートルまで縮まった。
 完璧なパッツン前髪のキョウコは、ぬらっとして立っている。
 少女の瞳を見れば、これからの対決のエネルギーを吸い取られそうだった。だが、令司は少女の眼光から眼を離すことができなかった。

 ―――山(とうやま)―――、……子!

 「東京」の名を持つ少女。
 俺は、君を追ってきんだ。この東京の「果て」にして「中心」の、「帝都新宿」にまで! 今こそ、すべてを明らかにするために―――。
 光の狭間に陰る京子の輪郭がはっきりとするに従って、ハッとした。目の前に、いつも家庭教師の生徒として会っていた、なじみの京子がそこに居た。では、今まで見えていたのは、いったい「誰」だったのか。
 七月二十七日の日曜日、渋谷鹿鳴館の火事で行方不明になった京子は二日前、突然令司の前に現れ、新宿へ行って全てを明らかにすると言った。

     *

「何ですかその顔。あたしの顔に何か着いてます?」
 東京でたった二人だけが生き残った。
「外傷が何処にもないみたいだ。君は―――生きてたのか? いや、なぜ無事だったんだ?」
「忘れたんですか? 前もそうだったじゃないですか。私はすぐ傷が治ってしまうんです」
 マスカレード・レイヴ中のVR大斗会(だいとかい)の決闘で、渋谷鹿鳴館は炎に包まれ、勝負は中止になった。令司は、炎の中で京子を見失った。しかし京子は目の前に座っている。
「あの後何があったか、教えてくれないか?」
「はい―――勝ったんです。ロック鳴館の戦いに、あたし勝ったんです! だから令司さんのところに荒木さんの原稿が無事渡ったんです。私が決闘に勝利した結果として」
 京子は満面の笑顔で答えた。
 マスカレードの戦いを、京子はなんとか乗り切った。確かに、令司は無事資料を受け取っている。
「荒木影子部長が?」
「いいえ。たぶん……この社会の見えざる手が働いて……」
 海老川の言い草と同じだ。
「部長は死んだのか?」
「はい」
 京子は、殺人を犯した。
「殺してしまったんだな」
「――はい!」
 令司の本の執筆のためにキョウコのフリをした京子は、渋谷鹿鳴館で開催したマスカレード・レイヴ・曜変天目ナイトで資料を持つ荒木影子を殺した。彼女自身の身を守るには仕方がなかった。
「ガンドッグは必ずやってくる。俺たち、狙われるな。君を狙っているのは、花音や海老川ばかりじゃない。東京中が襲ってくるぞ。荒木部長の所属した松下村塾大の鬼兵隊だって黙ってない」
「そう……ですね。私たち人狼ですから。きっと殺されるでしょうね。だったら私たち東京の最後の人狼として、上級都民を食ってやりましょう。太った豚を人狼が食い殺してやりましょう」
 京子は泣いた。小夜王純子も言ったセリフだ。
「あぁ……そうだな」
 令司は抱きしめた。
「決闘はきっと――これからも続いていくんです。私たちが生き残るためには、すべての法制度を超える『大斗会』しかありません。令司さんも、これから決闘を申し込まれることがあるかも。いざ敵に決闘を仕掛けられても、その時は逃げずに戦ってくださいね。令司さん、本当は強いんですから」
「……」
 令司は京子の瞳をじっと見た。
「私、怖い! ホントは怖くて仕方ない。自分の中で、キョウコが浸食してくるみたい。キョウコは一人じゃない。私、キョウコになりすましてるうちに、なんだか自分でも信じられないくらい、本当のキョウコになったみたい。前にもそういう人がいたんじゃないかしら。記憶が飛ぶんです」
 多重人格か。それとも、もともと京子はキョウコだったのか。令司の頭の中に謎が広がっていく。
 東京伝説のキョウコのコスプレはしちゃいけなかったんだ。
「京子……愛してる」
 ガンドッグに追われても、もう二人でこの罪を背負って生きていこう。俺は京子と二人で寄り添って生き抜いてみせる。そう決心した。
「あたしもです」
 風が、二人の足元を通り抜けていく。
「本は……?」
「もうちょっとで完成だ。君が戦って勝ち取った原稿のおかげで」
「でもよかった。令司さん、本完成させようと必死で頑張ってくれている……元気が出ます。本が完成したら、いよいよ作家デビューですね!」
 もう現実ではなくなった出版の件を伝えると、彼女はニコリとして嬉しそうだった。喜んで応援すると言ってくれる彼女に、いとおしさを感じる。
 けれど少し引っかかる。メールをくれたのは、まさに令司が原稿を完成させつつあった瞬間だった。まるで監視されているみたいな気分に浸る。
「けれどキョウコ伝説だけはまだ完成してない。おそらく、本人に直接会うまでは」
 令司は長い黒髪の少女をじっと見つめた。
「ですから私はキョウコではありませんよ」
「だったら東京伝説のキョウコには、どこに行けば会えるっていうんだ? 東京といったって広い」
 令司はかまをかけてみる。
 京子はいきなり立ち上がった。
「この一週間、私、新宿に行ってたんです。私、帝都新宿、東京伝説のブラックホールでついに見つけました!! キョウコが存在する証拠をです!!」
「京子……これ以上のめりこんじゃいけない」
「もう一度新宿を取材してください。もう少しで真相が」
「もうやめるんだ。これまでで十分だ」
「いいえ、私も行きますから。今日のことは約束されてたんですよ。あの二十年前の八月十五日、東京中に八つの魔星が飛び上がった日から。あなたも、小夜王純子も、三輪彌千香(みちか)も、久世リカ子も、光宗丁子も忠臣蔵の労働組合もみんな、その魔星が転生した姿なんです。すべての東京伝説は新宿へつながっている。消えてしまった東京伝説研究会のメンバーの代わりに、私が令司さんをアシストします!」
 京子はますます東京伝説にのめり込んで、もう、令司のいう事にさえ、聞く耳を持たない。



「令司さん、私、これから新宿に戻って東京の最後の秘密を暴きに行きます」
「だが危険すぎる、あそこへ戻るのは」
 やはり東京伝説の少女とは、彼女の事なのでは? まだ自分に言っていないことがある気がした。
「だからです」
「もし君まで消えてしまったら?」
「その時は私を踏み越えて進んでください」
「京子、君は一体何者なんだ? 君はどこまでホントの事を知っている? 君はいろいろなところに出入りしていたんじゃないのか? 君は父のマンションに出入りして、自分の写真を八犬伝の本の中に忍ばせたりしてないか?」
 令司は、京子に疑問をぶつけたが、そんな証拠はどこにもない。
 もしも京子がキョウコなら、消えた連中も、みんな京子が殺したのかもしれない。吾妻教授も影子部長も、きっとキョウコに消されただろうから。
 渋谷事変のあと、京子は上級都民どもの手先として、反乱分子を暗殺しているのではないか、という令司の疑いはエスカレートしている。
「八月十五日早朝、新宿の都庁前に来てください。そこへ来れば全てが分かる。そこで、夜明けと共に彼女に会える――」
「終戦記念日か。しかし、その日は――俺たちはもう新宿には絶対、行けないはずだ。その日は、自衛隊が副都心を包囲している。新宿は不発のガス弾の撤去で無人に――」
 令司ははたと気付いた。
 新宿が無人化する。そこにキョウコが出現すると京子は言った。
「えぇ、そうです。だから『キョウコ』とこの東京の秘密は繋がっているというんです」
「やはり君は――」
「キョウコに会えば、本人の口から答えてくれます。彼女から直接聞いてください。それじゃ令司さん、ハブ・ア・ナイスデイ!」
「ま、待て――」
「令司さん、サイコ・マグネティック・フォースと共にあらんことを――!」
 そう言い残して京子はまた新宿へと旅立った。再度、京子は令司の手をすり抜けて。
 行かないでくれ……二人で東京を離れるんだ。これ以上罪を重ねてはいけない。行くな京子!

     *

「――で、やっぱり伝説のキョウコは、君だったって訳か?」
 令司の頭の中はまだ混乱していた。収拾がつかない。
「えぇ、その通り」
「曜変天目茶碗。世界に三つしかないはずだが、四つ目が渋谷鹿鳴館にあるなんて、おかしいと思ってたんだ。いくら上級都民でもあれだけは揃えられない」
「サイキック・メタルは、この世のあらゆる物質を超える金属カーストの頂点です。PMがあれば、曜変天目なんて意のままに、簡単に造れます。秋葉武麗奴(アキバブレイド)が乗っ取った、あの日の夜空のようにね!」
 再現不可能と言われたが、東山家では、PMによって自在に再現できている。宇宙にある物質のすべての頂点にあるPM、その支配構造に不可能はない。
「君は、渋谷事変で死を偽装し、渋谷鹿鳴館でも失踪を演じてたんだな? それにしてもだ……」
 対峙している相手は、どう見ても十七歳の少女だった。
「この東京に伝わるキョウコは、二十年ごとに出現し、その都度誰かの命を奪うという東京伝説の少女だ。最初は終戦直後に遡る。いつの時代にも全く歳恰好が変わらないという少女がな」
「そうですケド?」
「今日、日本は戦後八十年を迎えた。そんなヤツがいれば、それは化け物だ。化け物以外には考えられない」
「はぁ――あなたの結論では、私は化け物?」
 京子はおかしそうに言った。
「……いいや、違う。そんな――、馬鹿なことがある訳ない。君はきっと『キョウコ』を騙っているんだな。だから、俺をからかっているんだろ? おそらくだけど、キョウコと名乗る人間は、過去何人も居た。いろんな時代にな。二十年ごとに現れるキョウコっていうのは、それぞれ全く別の人間だったんだ。まったく、考えてみればどうってことない。そしてキョウコの名で、殺人を行っていた。そして……今日、ここで殺人ショーが行われる。キョウコを名乗る、君によって!」
「まぁそうですケド。私も八十年も生きているわけじゃない。私は、二十年前のキョウコとは全然別人。無論、一九八五年のキョウコとも、さらに一九六五年のキョウコとも違いますよ。それくらい、分かるよネ」
「あぁ……当然だな」
「でも、わたしが伝説通りのキョウコであることは確かなのよ。伝説が語る通り、二十年ごとにこの東京に現れて、誰かを殺す。あなたを殺すのかも。あなたは、今日私に殺されてしまうかもしれないよ? それなのに、なんでここへきたの?」
 「来て」といったのは彼女だ。
「もし今日、本当に新宿にキョウコが現れるなら、君が俺に語ったことは全部真実ってことだ。東京の全ての謎は帝都・新宿――、東京帝国に繋がる。そしてキョウコに繋がるんだ――。キョウコ伝説を続けている者は、単に東京に伝わっている非常識な殺人ゲームをやっている訳じゃない。東京帝国に関わる、いいや、東京の秘密そのものに関する重大な秘密につながっている……そのはずなんだ。俺は東京伝説の原稿をまとめて、この新宿に来た。俺はどうしても確信しなければいけなかったからだ。そして君は不発弾撤去が予定されたこの自衛隊の包囲網の中、現れた。だから俺は確信したんだ」
「ウフフフフ……アハハハハハ!」
 京子はいきなり笑い出した。なんというか、テンションが一定でなく調子がおかしい。
「何がおかしい?」
「だってあんまりまじめな顔で話すから。そんなに睨まないでくださいよ」
「……」
「これで本は無事、完成ですね。おめでとう」
「あぁ、ありがとう」
「それで、何を確信したの?」
 首をかしげた京子は、令司が何を言いたいのか分かっているらしかった。京子は令司を試しているのだ。
「ここへ来るまで、自衛隊が街を取り囲んでいるのを横目で見てきた。円の中で、ガス弾撤去の真っ最中……のはずなんだが……中では何も起こってはいない」
 八月十五日のその日、再開発工事で、大戦中の空襲で落とされたガス爆弾が新宿副都心で発見され、新宿は自衛隊によって封鎖されている。今まで日本で発見されたことのない強力な爆弾だという。そんな歴史を、令司はこれまで聴いたことがなかった。
 新宿は東京帝国の帝都だと、複数の情報源から知らされていた。ここに踏み込むことは、敵地に入る事だ。
 摩天楼街は無人で、みんな疎開したことが伺える。世界一の乗車人口を誇る新宿駅前にも誰もいなかった。
 帝国の城と噂される上級都民専用のホテル「東京城」を見上げた。
 今日まで、東京帝国があるのかないのか、確信はしていたが、確証はどこにもなかった。
 誰一人、そこへ立ち入る事は許されない。だが、令司はついに確信に至った。そこに京子は居る。爆弾など元から存在しない。そう、だから東京帝国は存在する。
 新宿には令司と東山京子以外、誰も居なかった。無人化した世界。こんな奇妙な朝を迎えた日は、かつて新宿には存在しなかっただろう。
「だが、俺は包囲する自衛隊に、誰一人とがめられる事なく、無人の副都心に侵入を果すことができた。あり得ないだろ、絶対に。君は、本当は渋谷鹿鳴館で死んだはずなんだ。来てみりゃ、その君と再会した」
 これから京子、いや伝説のキョウコに殺されるかもしれない。それなのに、悠長に説明している自分が不思議だ。
 再び京子が微笑んでいた。右手をスッと上げた。
 京子の胸に光る勾玉のペンダントヘッドが浮き上がり、グルグルと回転し始めた。その形状はいつか回転する鉄球となった。シルバースフィア。大きさはバレーボールくらいで、黒光りしている。鉄球はキィイイーンと唸り声を上げて、それ自体が意思を持っているように宙を浮き、空へ舞い上がった。
 上野のマンションの金庫の鍵もこれで開けたのだ。
 東山京子と東京伝説のキョウコの二人がつながった。
「やっぱり君なのか……」
 一瞬気が遠くなりかける。
 伝説のキョウコ……、俺は君を愛してしまったんだ。
 京子のほっそりとした指先は、宙を舞う鉄球を、見えない糸で自在に操った。二回転、三回転、四回転……京子の周囲をぐるぐると動き回っている。
 京子の頭上に、鉄球が浮き上がった。
 鉄球は唸り声を上げて、それ自体が意思を持っているように宙を浮き、空を飛ぶ。
 ドローンなのか手品なのかARなのか。いいやそうではない。こんな朝日の中で、ホログラムを本物と見間違えるはずがない。
 鉄球から風圧を感じて、令司は足に震えを感じた。手に力が入らない。
 俺はきっとあの鉄球に潰される。頭を、トマトみたいに、無残に。
 あぁ一体何故、こんな事態になってしまったんだ。分からない。――いくら考えても!
 美しくて、聡明な東山京子。
 令司と京子、二人の運命がこれから決まろうとしている。令司は鉄球の動きを必死で目で追いかけながら、京子と出会った、あの冷たくて激しい雨が降りしきる最初の夜の出来事を思い出す。

※この物語は、街の名前や大学、人物名が登場しますが、現実の東京や大学や法律、団体、個人名と一切関係ありません。

しかし、中には真実が語られているかもしれません。信じるか信じないかは、あなた次第DEATH!
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み