第35話 なんてったって上級都民

文字数 6,215文字



二〇二五年七月十五日 火曜日九時

 令司はフラフラで帰宅した。
 せんべえ布団にドッと倒れ込む。気づけば二日も徹夜していた。その割に、酷く疲れていないのが自分でも不思議だった。間近で、三輪彌千香のPM力を浴びたせいだという気がする。今でも強烈な光が脳裏に焼き付いている。
 今は大学が夏休みだから授業がないのが幸いだ。試験を受ける科目はないし、レポート提出だけで済む。だが―――、まさに真剣の上を歩いているような感覚だった。
 ガンドッグに追われ、ありとあらゆる人狼勢力から重要なカギを握った男として狙われる運命にある自分。一寸先は闇。仲間は次々と消え、明日は我が身。どうなるのかが全く見えない。こんな覚悟も力もない男が、東京伝説にどっぷり浸かっていいのか……。
 事は重大だった。東京伝説やこの社会の陰謀は確かに存在する。令司は、幕末期の坂本龍馬みたいに、様々なグループに目をつけられていた。
 令司は目をつぶった。

「ども~、上級都民で~す!」
「下級都民で~すッ!」
「ショートコント、タレント」
「ADさん~、コーラ買ってきて」
「いやあなたが買ってきなさい」
「なんで?」
「私の方が上級国民だし」
「スミマセンでした!」

 素晴らしい甘みと苦みと強炭酸が、口の中にあふれてくる。
 コーラを飲んだ。
 苦い。だが美味い。
 こんなに苦いのは、コーラではない。
 吾妻先生のソーダストリームだ。
 ……

 と、思ったら――
 なんだ、夢か。
 令司は夢の中でコーラを飲んでいただけなのに、余韻がまだ口の中に残っていた。今すぐコーラを飲まきゃ気が済まない。ムクッと起き上がり、冷蔵庫から取り出した缶コーラをピュシュッと開け、一気に飲み干す。……ウマい。しかし、ソーダストリームで作ったものではないので、炭酸の度合いは夢ほどではなかった。時計を見るともはや夕方、バイトへ行く時間だ。
 早く京子に会わないと。二人が同一人物でないことを確かめないと。俺はキョウコに獲りつかれてなんかいない。三輪彌千香のいうことなんか、全部否定してくれ!

「先生ェ、待ってましたぁ!」
 いつもと変わらない女子高生の京子が出迎えた。前回、女性に追いかけられて額に傷を負った彼女だが、すっかり明るさを取り戻している。
「キョウコは君じゃない、東京伝説のキョウコは―――君なんかじゃあない。そうだな?」
 令司は、開口一番に訊いた。
「何をいきなり……何か、あったんですか?」
 心配そうにのぞき込んできた。ま、当然だろう。
「スマン」
「話を聞かせて? ただし、全部」
 二人は京子の部屋の椅子に座った。
「荒木部長は中華店のブラックバイト、新田真実(まこと)は逮捕、四元律(りつ)副部長は失踪。里実さんは……ニートに戻ってしまった。荒木部長を始めとして、東京伝説を暴いて、上級都民に逆らった者は一人ひとり抹殺されている」
「里実さん?……フーン。『八犬伝』みたいな名前のヒトがいるんですね」
「まぁな。駒場の人狼ゲームがすべての始まりだった。海老川の人狼ゲームはずっと続いているらしい……」
 一人ひとり、東大内の人狼が見抜かれ、粛清されていく……。
 最初、東京伝説研究会は八犬士が集ったなどと祝った。だが八犬伝の物語とは逆に、荒木部長を筆頭にメンバーが一人ひとり消えていく。
「君のお父さんの会社って、東山組なのか?」
「はい」
「やっぱりそうなのか……。それってどんな仕事?」
「今は……確か、海底レアメタル開発をしてるとかって言ってたかナ? 南太平洋の前線基地のある青ヶ島の東山組支社に、両親とも出張してるんです。私は進学中なので東京に残ったけど」
「フ~ン、レアメタルを通して、PMでも研究しているのかもな」
 再度、伝説が次第に近づいてくる足音が聞こえてきた。
「令司さん、誰かに私のこと話したでしょう?」
「えっ」
 令司はギョッとした。
「分かりますよ。決して話してはいけないって言えば、令司さんは誰かに話したくなる。フフフフ」
 京子は歌うように笑った。
「……すまない」
 令司は意を決した。
「そのことなんだけど、会わせたいんだ。君を、メンバー全員に」
「え?」
「危険なことはしない。ただ会わせるだけだよ。どうかな?」
「う~ん、まぁ――イイですけど」

 いつも通りの授業の後、令司はホカホカのご飯が盛られた曜変天目茶碗を眺めながら、食べるたびに出てくる星空の模様を凝視していた。各点が輝いている。藪にウソつき呼ばわりされたが、どっからどう見ても、世界で四番目の曜変天目だった。
 二人で天ぷらとしゃぶしゃぶを食べながら、令司は三輪教で聞いた話をぶつけてみた。二十年ごとに出現する東京の怨念キョウコと、連続殺人の関連性についても語った。この広い邸宅のどこに居るのか、メイドは姿を見せない。まるで家庭内宅配業者みたいに隠れている。
「――――と、いう訳なんだ」
「令司さんがキョウコに取りつかれているですって? ンフフッ、アッハッハ! オカシイの。自分と同じ名前の都市伝説の女が、令司さんに取りついているなんて、複雑な気分ですが、さすがにそれは作りすぎですよ。ウフフフ……」
 目の前の東山京子は、明るくくったくのない少女でしかない。
「宗教団体の言うことなんて信じてるんですか? 動画で観た、あんな手品の玉が、三種の神器? 彼らの教義か何かじゃないですか? 冗談でしょう」
「まあ、そうかな」
 京子に一笑に付されると、そうかもしれないと思えてくる。
 彌千香は令司がキョウコに獲りつかれているといったが、今のところキョウコと東山京子の類似性を知っているのは令司だけなのだ。彌千香は霊能力があるといったが、別に東山京子のことを言及したわけではない。
「そもそも東京で戦争をしている各グループって、何なんですか?」
 京子は大きな目でじっと令司を見た。
「俺もよく分かっていない。頭の整理がつかなくて。けどそいつらは伝説でも何でもなく、実在しているのは確かだ。この目で見てきたから」
「ひょっとすると、三輪教の彌千香さんて女(ひと)は、令司さんに帝国側のキョウコの方へ行ってほしくなかった。なぜって、帝国に獲られるのは三輪教にとって困るしィ――」
「あぁそんなこと言ってたな――」
「人狼ゲームで、令司さんを好きになったからですよー! っていうのは私の想像ですけど」
 京子はフフフと笑った。
「まさか」
「彌千香は令司さんを餌とし、教団本部にキョウコをおびき寄せた。そして戦って負けた。それで、原稿はどうなったの?」
 京子は唐突に本題に入った。
「ほとんど完成したけど、そっから先、進んでないんだ。調べれば調べるほど、どうやら俺には部長の原稿が必要みたいだ」
 令司は焦っていた。
 何としても完成させたい。それが今の自分自身の存在意義であり、目的となっていた。東京の謎を知り、さらに東山京子を追うグループの存在の謎との関係性も解き明かさなくてはならない。
「無くても十分に書けるんじゃないですかぁ?」
 京子は笑った。
「いや……、不完全なものになる予感がするんだ。著者が『いいな』とか、『納得がいく』と思ったものは、読者にも納得がいくものとなる。反対に、作者が『つまらない』と思って作ったものは、読者にもつまらない。作者が『こんなものだろう』と思ったものは、読者も『こんなもんだろう』と思うんだ。作者は、筋やキャラに対する絶対的な自信があって、それが分かってて書けば間違いない」
 それは数学の証明同様、部長の情報と理論が欠けては完成しなかった。荒木影子は、松下村塾大学にいるはずだ。
「先生ェ、東京伝説に取り憑かれてません?」
「そうかもな」
「令司さんが、不完全だと感じてるんですね?」
 令司はうなずいた。
「部長は手元に原稿を持ってないと言ってた」
 部長がどうなったか、久世リカ子に訊きたかったが、鬼兵隊はガンドッグに目をつけられている以上、もう松下村塾大学には行きたくなかった。また二十何回目の猛士に付き合わされるのも困る。
 だが、荒木部長から何としても資料を手に入れなくては。鬼兵隊に関わらずに部長のみに会うことができたら――。もうオチオチしてられない。
「絶対持ってますよっ」
「あぁ……実は俺もそう思う。秋葉で掴んだ情報によるとな」
「で、どうしても必要なんですよね?」
「うん」
「令司さんが執筆者として適任であることが分かれば、きっと荒木さんは原稿を渡してくれると思いますよ」
 京子はなぜか曜変天目茶碗をじいっと眺めて、
「でもさ、四名も消えてしまったなんて、尋常でない非常事態ですよね。これってきっと、東京の戦争の結果なんでしょうかね~? どうせ私と会うなら、この館に一堂に会して、戦局を変えません? そうすれば、消された皆さんも助け出せるかもしれませんシ?」
「どういうコト?」
「私に考えがあります。本を完成するのに必要でしたら、ここに荒木影子さんをおびき寄せて原稿を手に入れちゃえばいいんです」
「あまりに危険だ」
「大丈夫です。私に秘策があります。ここで秘密のレイヴ・パーティを開くんですよ♪ ガンドッグの皆さんも気が付かないような。渋谷スパイダーのときみたいにですねー。ピンポイントで参加者を集めるために、私、秋葉にDMで協力してもらおっかな~。秋葉のハッカー、絶対生き残ってますよ」
 いや、ずいぶんと軽いが。
「何か、伝手の心当たりでもあるの?」
「はい」
「いや……しかし」
「この館は、以前はよくダンスパーティを開催していたそうなんです」
「まぁ――鹿鳴館だからな」
「はい。明治期には、仮面舞踏会をやっていたって父から聞きました。渋谷ロック鳴館ですよ。必要な人材をおびき寄せるんです。ここで、渋谷スパイダーみたいにウェアハウス・パーティを開催し、そこでハロウィンのような『ロック鳴館』を舞台にした、仮面舞踏会をやってしまえばいいんですよ。題して、『マスカレード・レイヴ・曜変天目ナイト』、ですッ!」
 海老川のブルーレーザーの夜空を見て、京子は曜変天目ナイトを着想したのだという。なんだか妙な展開になってきた。
 マスカレードとは、中世の頃からヨーロッパの宮廷で、仮面をつけ、身分や素性を隠して行われる舞踏会のことだ。そこでは上級都民・下級都民の分け隔てなく、身分を忘れて純粋にDANCEに没頭できる。東京華族のたしなみで、誘い込みやすいのだという。
「マスカレードの発祥はイタリアで、中世後期の宮廷で始まったんですって。十七世紀にヨーロッパ全土の宮廷で流行し、イギリス、アメリカで大流行したんですけど――、退廃的と批判されるくらい盛り上がったみたい。確か、映画『アマデウス』でもそんなシーン出てきますよね。そこで、相手の正体を当てるゲームを行うんです」
 普段の身分や素性を離れ、楽しみながら真相に近づく。
「……人狼ゲームだな」
「そうです。マスカレードに本物の人狼たちが集まれる理由は、マスクで隠せるから。しかも仮面をつけている間は、無礼講なんです。誰当てゲームも無礼講。ほら、現在のハロウィンは、かつての怪しいマスカレードの伝統を受け継いでいるっていえますよね?」
「まぁな」
 だいたい、パンデミックの際はみんなマスクで、素顔がほとんど見えなかった。それ以来、街のマスク率は高い。
「渋谷のハロウィンと同じく、コスプレの仮面に隠れてしまえば、誰が誰だか分からない。マスカレードのパーティで、私はキョウコに扮します。この顔の上、むろんキョウコのフリをする、そういう設定です。それなら安全でしょ?」
 二〇二十四年晩秋のハロウィン騒動。渋谷ハロウィン・パレードで、警官隊と衝突した十連歌デモの若者たちの中で、仮装してなかった者たちは全員AIカメラの追跡で捕まった。
 その時、新田は変装した十連歌メンバーを逃がした。新田は仮装していたが、グレーな対象として、目をつけられたのだが――。
「君、部長に殺されるぞ」
 また曜変天目茶碗を覗き込んで、「大丈夫です」とうなずいた。
「キョウコが……」
 と令司が言いかけると、京子は首を傾げた。
「東京伝説のキョウコも来るかもしれないし」
「本当のキョウコが現れたら、それも面白いでしょう」
「まったく、危ないって。俺一人ならともかく、君が部長と渡り合うっていうのは! どんな秘策があるとはいえ……」
「心配しないでください。部長さんは、決して令司さんのことを傷つけたりはしません。その令司さんが最初に話し合いだと告げればいいんです。部長さんには、これが決闘でないことを令司さんや皆さんで説明してください」
 なぜこんな度胸が京子に備わっているのか、令司には理解できなかった。だが、何か根拠がありそうな気もする。海老川雅弓といい、これが上級都民の余裕という奴なのか? よく考えると京子のことを令司は何も知らない。
「その後は人選してVIPルームへ移動。関係者全員が、一堂に会する。まさにミステリーのクライマックスじゃないですか!」
「で、探偵は?」
「何言ってるんです、令司さんに決まってるでショ! 何人事みたいに呑気な顔してるんです?」
 いたずらっ子のような眼を笑っている。
「しかし……」
「東大生なんですから!」
 そんなに鮮やかに答えを導き出せるのなら苦労はしない。東京伝説は試験勉強と違って、正しい答えなど存在しないかもしれない。戦後八十年間、誰も解いたことのない難問だ。それが東大を中心に、この東京を渦巻いていた。現れた事実でさえ、その意味が玉虫色に変化する。
 真実を解いたときは消される時。だが令司は今、解き明かしつつある。次に消されるのは自分だ。
 京子と令司は、改めてこの東京に潜む巨大な謎に挑むことにした。
 生きていれば部長は必ずやってくる! ゲームで、令司と京子は部長から資料を手に入れる!!
「私自身が知りたいんです。キョウコ伝説のこと、そして自分を狙う人たちが、何者なのかを―――」
 京子自身も、正体不明の敵に追われていた。
「ひょっとして令司さんが出会ったグループと、何か関係があるかもしれない。私はここから先、この問題を避けていてはいけないんです。もちろん、メンバーの皆さんに、私も会ってみたい」
 危険にさらされている京子を、これまで東伝会と接点を持たせないようにしてきた令司だったが、その自分がメンバーに会わせたいと言ったのだ。
 京子は探偵としてやっていけるほど、助手として優秀だ。
 勉強は勉強でしっかりやっているようだが、最近は二人で会うときは、きまって東京伝説の話題ばかりだった。完成へ向けて、東京伝説の裏取りなど、調べる事は山程あった。そしてテーマも山程あった。その一つ一つが、一本の線となって繋がり、東京伝説の謎を明らかにしつつあった。
「俺たちも手伝うよ」
「いいえ令司さん……信頼してないわけじゃないんですが、連絡も一切しないほうがいいと思うんです。令司さんは、ガンドッグや海老川さんに目をつけられていますので、5Gに筒抜けになってしまいます。敵を欺くには味方から。すべて十日後、二十六日の土曜日にお話しします」
「だが……」
「当日全部お話します。なんてったって上級都民ですよ? 私は。全てはお金で解決します。こっちで準備はできるだけ進めます」
 そんな「なんてったってアイドル」みたいなノリで言われても。
 以後、京子はその質問には一切答えなくなった。
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