第19話 女狼 松下村塾大学鬼兵隊隊長・久世リカ子

文字数 16,255文字



二〇二五年七月一日 火曜日

「小夜王純子は?」
 令司は新田に訊いた。
「クラスRINEから消えてる。純子はとうとう辞めちまった、東大を」
「俺たち……一度逮捕されてるし。なんかヤバくないか? そろそろ止めた方が利口かも」
 令司は、新田の事が心配だった。
 新田は「人狼」のレッテルを張られ、特に海老川雅弓から眼をつけられている。海老川はおそらくあの五百旗頭を操っている。
 新田は、五百旗頭の監視を受けていた。どこへ行っても新番組の気配を感じるという。
「新田、狙われてんだろ?」
「あぁ――」
 二人が逮捕された後も、「人狼」によるテロ事件は都内で続いている。法の網を抜けた上級都民に対するテロだった。
「上級都民狩りをしてるのって、お前じゃないよな?」
「なんで俺だ。俺はやってねェ……」
 やはり泳がせて、どこかで社会の反乱分子として証拠をつかんで逮捕する目論見だろう。東京伝説研究会メンバーは、全員監視されているといってもいい。一方で、令司は三輪教に眼をつけられていた。
 もういくらかの伝説は出そろった。先日は、PM研が回収してしまったが、本郷の地下で本物のお宝らしきモノも発見した。令司の父、柴咲教授の事故死の謎も少しは解明された。
 もう……この辺が辞め時なのかもしれない。
「これにミミズバーガーやトイレの花子さん系を足せば、一応会誌らしきものができあがるんじゃないかな――」
「何を言ってんだ? 人狼ゲームを生き延びたんだぞ。やろうと言ったのはお前じゃないか、令司」
「それはそうだけど」
 新田の気持ちも分かる。
「でも君の身が心配なんだ」
「いいや、お前には絶対原稿を書いてもらうぜ。悩んでも答えなんか出ない。そんなときゃどうする? やってみりゃあ分かる」
「どうするつもりなんだ?」
「まだ手はある……俺の昔の仲間のところへ行こう。松下村塾大学に協力してもらうんだ。俺の高校の同級生に、久世という奴がいる」
「松下――村塾?」
 令司はその名前に聞き覚えがなかった。幕末・吉田松陰の起した松下村塾の名を関した大学などあるのだろうか。
「あぁ。これから松下大の俺の昔の仲間に会ってもらうぜ。次の伝説は、墨田区のスミドラシル天空楼の謎を書いてもらう」
 墨田区といえば、東京スミドラシル天空楼の城下町だ。他大学の友人とはいえ、しょせん一学生にすぎない。国家権力をも操る上級都民たちに勝てる訳がない。
 令司が不安げな顔を向けていると、新田は言った。
「あいつは東京で東学連に唯一対抗しうる、下学連の総長なんだ。海老川は東学連の総長だが、下学連の領域には入ってこれまい」
 「下町学生連合」は、山の手の大学は一切加盟していない下町区の大学のみで構成される。東学連の海老川と対立し、排斥していると批判した下町の学校が自分たちだけで結成したらしい。
「そこでどんな取材をしようとな!」
 新田は珍しく声が大きくなった。数名の学生がこっちを見ていた。令司はその面構えを覚えていた。
「しっ、新田。海老川のデルタフォースだ……」
 二人はゆっくりと追われていた。
「気づいてないフリして駐車場へ行くぞ」
 新田は黒いランドクルーザーに乗り込むと、松下村塾大学へと向けて爆走した。
 水中でも走り、砂漠や地下鉱山、戦場の真っただ中でも勇壮に走り抜ける! 今日も明日も明後日も――。まさにランクル屋を自称する新田のためにある車。
「デルタフォースはいざとなれば暴力を使うぜ。海老川は三角定規のナイフを携帯しているし、メンバー内には東大鞭倶楽部の連中もいる。そんな奴らと対抗できるのか? その――松下村塾っていうのは」
 本郷以来、このところの連日の騒動で、鷹城は疲れきっていた。
 一方的な海老川の人狼裁判により、人狼の疑いをもたれた新田真実だったが、満月になると元気になった。新田によると、かの私学の雄に味方がいるというのだが。
「心配すんな。俺に任せとけ。あいつらは東大生とは違う。なんせバンカラ大学の代表なんだぜ。デルタフォースなんてお上品なもんだ。昔、中国に『武侠』という物騒だが誇り高い連中がいた。武侠はやくざモンだが武術の達人だ。ま、バンカラは現代の武侠だな」
「武士ではなくて?」
「うん。一種のアウトローだが強きを挫き、弱きを援ける! 幕末でいうと浪人という人種が相当するかな。それが、今でいうと人狼なんだろう。ほかならぬ俺たちもだがな。東伝会も東大の中の人狼って訳だ」
「今時、江戸時代じゃあるまいし。昔と違ってほとんどの人間は武器の所持も許されていない」
「よく考えてみろ。全国の居合有段者は九万人! 全国の格闘有段者は数知れずだ。現代は、前代未聞の格闘全盛時代。江戸時代の侍の比じゃない数の格闘家が、この国にはひしめいている。久世という奴は、そんな武術の達人の頂点に立つ人間なんだ。武侠なら名を上げなきゃならん。人狼の世界で頭角を現すために腕を磨くんだ」
「だが、そんなことをしたら暴行罪、傷害罪になるぞ」
 令司には武侠とヤンキーとの違いが分からない。しかし新田は刑法の話題を無視して続けた。
「ヤンキーはヤンキー界でどんなに強くても、格闘の初心者にも勝てやしない。俺も道場に来た奴を、何人か叩きのめしたことがある。たとえばヤンキーパンチやヤンキーキックは、格闘家の動体視力下ではスローモーションに視える。まずヤンキーは攻撃で放ったパンチやキックをすぐ身体に引かないので、次の態勢を取れない。身体ががら空きになる。おまけに常に全力だからスタミナも持たない。それ以前にヤンキーは勝ち負けを威嚇に頼るが、格闘で威嚇は通用しない。一発ヒットしただけでも安心してゆっくり休んでしまう。そんな隙があったらどんどん攻め込まれ、ガードを知らないヤンキーはがら空きのまま、降参するまで相手の攻撃のラッシュを受け続ける。こっちには休憩も手加減もない。レフェリーがテクニカルノックアウトを取らなきゃ当然死ぬ」
 町の喧嘩自慢が道場に通ってみると、初心者相手にボコボコにされる話はよく聞く。ヤンキーは地道な練習が好きではない。だから体力があってもスポーツを極められない。元ヤンが入門して心を入れ替えて練習して、初めて強くなり始めるのだ。
 新田の言いたいことはだいたい分かった。でも、相手はPMを使う。それに普通の格闘技で対抗できるのだろうか。
 それっきり新田は無言になった。バックミラーをチラチラ見ている。
「振り向くな。ずっとつけられてる。東大からだ」
 新田によると、三台の車が入れ代わり立ち代わりで、追ってきているという。どれも国産の高級車ばかりだ。急接近で横づけられた車の助手席の窓が開き、鞭がしなって飛び出してきた。鞭の先端はランドクルーザーの車体をなぞった。新田はアクセルを踏みこみ、路地を曲がって追っ手を撒いた。
 だが、狭い路地で巨体のランドクルーザーは停車した。
「なぜ停まる?」
「俺じゃない。勝手に停まった」
「えっ」
 令司たちの車を挟むようにして、三台の車が停まった。降りてきたのは、水友正二他の東大のデルタフォースのメンバーの六人だ。
「まだ東京の取材を続けるつもりかい? 新田、それに鷹城令司――」
 水友が最初に口を開いた。
「どこへ行こうが俺たちの勝手だろ。お前ら、わざわざ東大から着けてきたのか?」
 忌々し気に新田は降車しながら返事をした。ランドクルーザーが停まった理由は、まだ分からない。
「こっちの方に用があったんでね。しかし我々に気づいたとたん、ハンドルを切られたんでは、逆に怪しいと思わんほうがどうかしている――」
「パトロール気取りかよ!? ここは駒場じゃない」
 すると水友はうすら笑いを浮かべた。
「墨田区でどういった伝説があるんだい? 君たち東伝会の取材を、ゆっくり調べる必要がありそうだ。これは提案、いやお願いだが――、一度大学に戻るのはどうだろう? ぜひ、海老川さんに君たちの伝説を聞いてもらいたい」
「海老川の面(つら)なんて見たくもねぇ」
 六人は三人ずつに分かれて、二人を取り囲んだ。常に三対一のフォーマットだ。それと対峙した新田は缶コーヒーを握り、半身に構えた。
「君らがそのつもりならしょうがないな……」
 水友はスポーツウィップ用の鞭を取り出した。
 バシィ!!
 地面を叩いてはいない。合コンのショーで見せた、ウィップクラッキングという技だ。瞬間的に音速を超えるらしい。あの時はインディ・ジョーンズみたいだなどと感心していたが、今はただ恐ろしい凶器だった。
「令司、鞭の先端に触るな。スタンガン機能で気絶させようとしているんだ……」
 空中で回転する鞭は、ビョウビョウとうなり声をあげ、まるで生き物のように激しくうごめいている。その先端が、花火を散らしている。
「なるほど――あれだな、車を停めた原因は!」
 デルタフォースの鞭はPMである可能性が高かった。車体をかすめた瞬間、PM研の地下で観た電磁パルスを起したのだ。
 六人は令司たちの周りをゆっくりと円の動きで間合いを詰め、頭上で鞭を回転させる。
 新田は缶コーヒーと共に、左拳を固く握っている。この男は空手と柔道と剣道で、合わせて十段。武器こそ持たないものの、全身凶器である新田は、最初に近づいてきた相手の顎に缶コーヒーをたたき込んだ。男はひっくり返り、鞭が地面に転がる。続けて赤い服の男にサイドから入って、腹部に缶コーヒーで強烈なフックをくらわした。二人続けて地面に倒れた。
 水友は左にある街路樹の枝を、鞭で一瞬で両断し、威嚇した。
 鞭は短い時で一メートル強、最大で十メートルまで伸び縮みする。新田は水友との間合いを掴みかねているようだった。いかに新田が白兵戦において無双でも、アウトレンジ兵法の鞭相手では、なかなか手を焼いている。
 令司がハッと気配を感じた刹那、背後からゴミ箱が飛んできた。後ろの男が自動販売機横のごみ箱を投げ鞭のように巻き付け、宙に放り投げたのだ。舞い上がった空き缶が散乱し、令司の視界を奪った。
 令司の首に鞭が巻き付けられ、猛烈な勢いで後ろへ引っ張られた。カウボーイが牛を捕らえるような、俊敏な動作だった。
 令司は引きずられそうになりながら、必死で両手で鞭を抑えた。もしもここで電流を入れられたら、即死。
「令司ッ、て、てめェ――!!」
 新田は令司の首に巻き付いた鞭を手にしようとして、自身の腕に水友の鞭を巻き付けられた。
「鞭を緩めろ! 鬼兵隊だッ!!」
 雷のような大声が響いた。変形学ランを着た、一見して応援団風の男たちがドドドッと駆け寄てきた。ガラの悪い男たちだった。それぞれの手に、黒光りしたサスマタが握られていた。鋼製で、形状は江戸時代のモノに近い棘が着いている。凶器というべきだ。
「ウーッス!! 貴方方は、山の手の学生か?」
 口髭の男がギョロ目で、ギロッと水友を睨みつけった。
「墨田区内での乱暴狼藉、厳に慎んでもらおうか。万が一治安を乱すなら、ここの自警団を務めてる自分ら、鬼兵隊の取り締まり対象となるッ!」
 この男は、リーゼントに白ハチマキ、色付きの眼鏡、口髭、学ランの上から法被という、現代の若者とは思えないオッサンみたいないで立ちだ。
「――鬼兵隊か?」
 水友は、口元をゆがめて睨みつけた。
 高いカラーの長ランを着た、上から目線の男たちに、デルタフォースは警戒心をあらわにし、間合いを取った。
「うちの学生の問題だ。関係ないだろ――君たちには」
「下学連(しもがくれん)の領土に入った以上は、鬼兵隊のルールに従ってもらう!」
 サスマタの下部をコンクリにたたきつけると、ガキン!と金属音が響く。
「バカに付き合う気はないんだ、君たちは首を突っ込まないでくれたまえ!」
 水友は結局相手を突っぱねて、一触即発。
 鞭がヴンヴン!と宙で低い唸り声をあげる。一方で、長ランの男たちはサスマタを身体の左右で大車輪の様に回転させ、間合いを詰めていく。
 水友の鞭が男たちの首を狙ったが、サスマタに一瞬ではねのけられた。スタンガン対スタンガン。
 稲妻がとどろき、デルタフォースの動きがピタリと止まった。
 その瞬間、水友の指示で六人はすっと撤収し、車に乗って立ち去った。
「ソウソウ! 鞭を治めて、とっとと山の手へ帰りやがれ!!」
 口髭リーゼント男は怒鳴ってから、二人を見た。
「ウィッスッ! 俺は副団長の嵐山規夫といいます。我々は松下村塾大学の鬼兵隊です。わが校へご同行願いたい。今何が起こったのか、こちらで説明を聞かせてもらいたい」
「ちょ、ちょっと待ってくれないか?」
 令司は焦ったが、新田は落ち着いている。
「押忍。俺は、久世団長の高校時代の旧友の新田真実(まこと)だ。で、こいつは鷹城令司。東大生だがお前らの敵じゃない」
「承知している! では松下村塾へドウゾ!」
『落ち着け令司。こいつらは自警団と称して、下町のならず者を成敗したり、ゴロついた奴らをボコしてるが、決して悪い奴らじゃ――』
 どう考えても違法行為だ、この新田の解説によると!
 それにデルタフォースは大学に戻ったら、海老川にチクるだろう。こんなのと一緒にいることを彼女に知られたら、完璧に人狼組織の一員と目されるに決まっていた。
 新田は缶コーヒーを開けて一気にグイ飲みし、缶を放ろうとして腕を上げる。
「空き缶はゴミ箱へ!」
 口髭の男はニヤッとして新田を制した。
「……」
『ここに連れてきたのオマエだろ……責任取れよ』
 令司は声を潜める。
『だがそのお陰で助かったじゃないか。この辺で鬼兵隊相手に喧嘩を売るチンピラややくざはいないからな』
『やくざもか……?』
『その理由は、これから鬼の久世に会えば分かる』
 現代の武侠というのは、事実かもしれない。
「行こうぜ、とにかく鬼兵隊の部室へ」

 空は暗く、雷が鳴った。
 大学に到着したとたん、ドッとスコールが降ってきた。先を行く鬼兵隊は和傘を指している。だが看板は商科巽塾大学だ。
「たしか、松下村塾じゃなかったっけ? 読みは同じだけど」
「松下村塾大学だ。久世によると、最初『松下村塾大学』にするつもりが、初代学長が日和ったんだってよ。奴はそれを批判している。いつか、圧力かけて正式名に改名するって、いきり立っている。これから会うのは、そういう奴」
「圧力……って?」
 巽とは「東京の東南」を意味する。かの吉田松陰の像が正門に聳え立つ、バンカラで有名な下町の私立大学で、新田の紹介で、かつて東京伝説研究会と部同士の交流があったのだという。
 学内には松下村塾の複製建築物があり、一年の基礎科目で松蔭の思想を学んでいる。学生は全員大学が出版している吉田松陰全集(全十巻)を入学時に買って読まなければならない。二十一世紀に革命家予備軍を養成する学校だというが、令司はその意味を図りかねた。
 古い洋風建築の校舎の立ち並ぶキャンパスは、東大と明らかに違うバンカラ大学の雰囲気が、そこかしこに漂っていた。林の中に建つ複製松下村塾を、松下村塾大学應援團・鬼兵隊は部室としている。
「押ー忍ッッ!」
 部室に入ったとたん、大音響が響いた。顔に青筋を立てて叫ぶ学ランを来た男たちの真ん中に、女性が一人立っていた。
「よく来たな東大の諸君。揃って軟弱ぞろいの山の手学生の、東京伝説研究会の御両名」
 なんと団長は紅一点の女だ。名を久世リカ子と言った。
 釣り目でロングポニーテール。シャツの上から紫の羽織袴を着て、袖の中で腕を組んで立っている。身長は一七二くらい。そこにヒールのあるブーツを坂本龍馬のように履いているので、ほぼ一八十センチ近くになる。釣り目が座った美人だ。誰も彼もが頭を下げていた。
 まさかの女性団長は、女とは思えない蟹股でソファに腰かけ、その周りを数十名の団員が、ずらっと立ち並んでいる。この状況は「魁! 女塾」だ。
「新田、久方ぶりだな。連絡をもらって、待っていたんだ。自治会に人狼のレッテルを張られたそうだが、今後私が保護者となろう。だが申し訳なかったな。下学連の町で、東京武士道の風上にも置けないデルタフォースに好き勝手をさせてしまった。東大の自治会がこの辺をウロウロするなんて、奴らなりに出し抜こうとしたのかな? 私がもっと警戒を怠らずにいれば……こんなことはさせなかったんだが」
 リカ子は、キリッとした細面の狐顔をほころばせた。途端にかわいさがあふれる。こんな應援團長で、下町学生連合の総長などというおっかない女が、新田の高校時代の空手部の同級生だったとは。
「そう硬くなるな。まぁ、こっちへ来て一服しろ」
「令司、俺たちはたぶんリカ子に試されたな。どの程度の覚悟が備わっているのかを」
「……」
 彼らは全員新田と同じ匂いがした。マイルドヤンキーの匂いが。やっていることはマイルドでも何でもないが。
「で君が、……新人の鷹城令司だな」
 令司が華奢な女性であったことにあっけにとられていると、急に声をかけられた。
「リカ子。コイツは……違うぜ。腹は座っている」
「あぁ、動画は全て拝見させてもらっている」
 ハスキーボイスでセクシーだ。ただ、しゃべり方が完全な男言葉なのがどうしても気になる。それに座り方が……ものすごく足を開いていた。
「撮影は、してていいですか?」
「どうぞ……安心して、カメラを回しなさい」
 物腰は柔らかいが、座っているだけなのにトンでもないオーラを発していた。背中から、覇気が押し寄せてくる。華奢ながら、近寄ることができない。武の達人はこんなものだろう。日本人は身体が小さいが精神力が強い。胆力が大きいのだ。だが銭形花音は小さくないが。ともあれ、こんな人物、令司は人生で他に見たことがなかった。
「リカ子は、観られることは慣れてるからな」
 令司は高身長のリカ子に既視感を覚えていた。
「あ……渋谷のスクリーン広告で見たモデルの!」
「ご名答」
 新田によると他にもいろいろと、レース・クィーンなんかもやっているらしい。應援團とレース・クイーン、何か通じるところがあるのだろうか? リカ子は、肌を露出するとエールの力が出るなどと、信じられないことを言う。きっと、選手が見とれて戦意を喪失するのだろうと令司は想像した。ただし、女性以外の。
「この間、マナーの悪いカメラ小僧をキックで倒したんだとよ。リカ子は水滸伝でいえば、女将軍の一丈青扈三娘だな」
 新田が一人で軽口を叩いている。令司は周りとの温度差が気になった。ここでの新田は、東大の時のひそひそ話しとは違い、ベラベラとまくしたてた。
「では、特に顔を隠したりとかは――」
「無用な心配だ。このまま諸君の東京伝説の取材に応じよう。この松下村塾大に、上級都民の子弟はほとんど居ない。何があっても我々が守る」
 リカ子は笑って答え、バンッと朱色の扇子を開いて煽る。
「ウィーッス、我々は先生のおかげで、学内で大きな顔ができている!」
 嵐山が言った。
 久世リカ子は学生のくせに、「先生」と呼ばれているらしい。
「来た所で我々が返り討ちサ!」
 声がバカでかい。
「押忍!」
 全員が怪気炎を上げた。なんというか、パリピ上級学生の合コンとは違った意味で陽キャ軍団だ。基本全員がリーゼントかガチガチに固めた七三分けのバンカラだが、大変な活気がある。
「今、副団長は私のことを先生と言ってくれたが、この大学の塾長は吉田松陰先生だ」
 リカ子は大まじめに言った。
 大学の講師も皆「塾生」で、「松陰先生」の前では一生徒にすぎない。だからリカ子は、講師たちを先生とは呼ばない。
「チィスッ、リカ子先生は鬼兵隊隊長だ。いわば現代の高杉晋作だな。今、自分はその意味で先生とお呼びした訳であります」
 副団長・嵐山規夫は、扇子をパタパタさせた。
「こちらの嵐山君は四天王の一人だ」
「チーッス」
 彼らはお互いに「君」付けで呼び合っているらしい。
 リカ子は、鬼兵隊四天王を紹介した。おっさん顔の嵐山規夫のほか、爪楊枝を咥えた百九十センチ超えの武蔵野忍、力士体形でアイパー頭の坂東恭二郎、そしてもう一人は――。
「あとの一人は仕事で留守だ。残念だが今度紹介してやろう」
 リカ子は丁寧に指をそろえた白い右手で、二人に座るように言った。
「もう少しリラックスしたまえ。草莽クッキーでもどうだ?」
 リカ子は菓子の入った器を差し出した。
「墨田の伝説といえば怪談だ。江戸時代から言い伝えられる本所七不思議。……置行堀(おいてけぼり)、送り提灯(おくりちょうちん)、送り拍子木(おくりひょうしぎ)、燈無蕎麦(あかりなしそば)、足洗邸(あしあらいやしき)、片葉の葦(かたはのあし)、落葉なき椎(おちばなきしい)、狸囃子(たぬきばやし)、津軽の太鼓(つがるのたいこ)、この七つだ」
 リラックスなんてとてもできやしない。
「たとえば『置いてけぼり』。現在の錦糸町だ。昔は『きんしぼり』と呼ばれていた。江戸時代、本所付近は水路が多かった。魚もたくさん釣れた。町人たちが、錦糸町の堀で釣り糸を垂れたところ、その日はとてもよく釣れた。夕暮れまで釣りに熱中し、さて帰ろうと腰を上げたところ、堀の中から、、」
「置いてけーッ!!!!!」
 あーびっくりした。全員で絶叫することないだろう。
 江戸時代。河童や天狗、アマビエ、数々の妖怪変化が跋扈し、人々と共存共栄していた。それから明治の夜明けを経て、現代に至り、もはや妖怪が棲むような闇は、一見、都会の光に追い払われたかに見える。
「だが今も墨田区では、この土地特有の東京伝説に囚われている。烏、鳩、猫やネズミなどの小動物たちの奇妙な動き――。これから語ることは、諸君ら東伝会が関わったものの中で、もっとも奇怪で恐ろしいものになるだろう」
 ピシャ!! ゴロゴロゴロゴロ……。
「晴れてる日が少ない」
 リカ子の美しい顔が稲妻に照らされる。
「近頃、いつもスコールが降っている」
 部屋の明かりが消えた。壁がスクリーンに切り替わった。この部屋は、魔改造を受けた松下村塾だったらしい。
「これは、浮世絵師の歌川国芳作の『東都三ツ股の図』だ。ここをよく観たまえ」
 リカ子は、レーザーで画面を指示した。
「これは、隅田川と思われる景色を描いた絵画にそびえたつ塔――。櫓(やぐら)だが、実は江戸城よりもはるかに高い。そんな高い櫓があるとは思えない。正確な正体は分かっていない」
「えっ、浮世絵の中にスミドラシルが?」
「その通り。場所には諸説あるが、位置がほぼぴったりと符合する。うちの情報工学部の3D解析によると、見た目の高さも見事に一致している」
 松下村塾大学は、墨田区の東京スミドラシル天空楼を真上に見上げる位置にある私学だ。
「はぁー、つまり予言か! 『耀―AKARU―』と同じ、東京を予言した絵」
 新田がそう言いかけて、ウェーイ! と周囲でいちいち怪気炎が上がる。
「いいぞ新田。国芳は奇想の絵師と言われていたが、一流のアーティストには、必ず霊感が存在するものだ」
 リカ子は目をつぶり、満足げな表情を浮かべている。
「この絵は、この下町に巨大な塔が建つという予言だろう。ノストラダムスやエドガー・ケイシー、昔から有名な予言者が存在しているが、日本でも聖徳太子、日蓮上人、出口王仁三郎など多くの予言者が残している。だが歌川国芳もまた、予言者だったんだ」
「ありうるな」
 新田はつぶやいた。
「浅草十二階、東京タワー、この都に出現した、いくつもの塔。バベルの塔という伝説が、旧約聖書の創世記に記されている。大朋勝矢も、ブリューゲルの『バベルの塔』の精密な内部構造を加えた模写を描いていた。誰も気づいていない、日本版バベルの塔。それが、スミドラシル天空楼なのだ」
 リカ子は、常に男しゃべりを崩さない。
「これを見ると、身が引き締まる。ダイエットなど不要ない」
 久世リカ子はすでに十分にスレンダーに見えた。
「いよいよ来たな令司、スミドラシルの東京伝説だぜ。リカ子、俺たちはそいつを聞きに来たんだ」
「さっき怪談を語ったが、現在進行形の『怪異』は、動物だけではないぞ。ま、誰も、観察する者などいない訳だが、人間にも異変が起こっている。墨田に足立・葛飾・江戸川の下町三兄弟を加えた城東エリアに、犯罪が集中している。ある時間だけ犯罪が起こって、ぱたっと消える。だから、我々の自警団はかえって狙いを定めてパトロールがしやすい」
 リカ子はゆったりとした口調で、しかし着実に話を進めた。
「集中豪雨、天の異変。これは何も、墨田区に限った話ではない。我々の統計によると、近年、都内の豪雨は下町区に集中している」
 本郷の第二工学部の廃墟で起こった怪奇現象が、まるまる下町区全体で起こ個っているとでもいうような、リカ子の口ぶりだった。
「それが一体何が原因で起こっているのか。我々は突き止めている。すべての原因は、スミドラシル天空楼にある」
「……」
「あそこから、たびたび違法電波が発せられている。あの巨大な塔の正体は、洗脳装置であり、さらには気象兵器なのだ」
「洗脳――って、世界一の電波塔そのものが?」
 山の手には、上級都民の国があるという東京伝説がある。下町は下級都民の住処だ。ならば、下町にそびえるスミドラシル天空楼とは一体何なのか?
「特殊な周波数の電波だ。上級都民が、下級都民を永遠に搾取させるために、我々下町の人間を蜂起させないために、愚民化政策の一環として作らせた。むろん、この松下村塾大学も電波の支配下にある。だから私は、墨田の住民の安全を守るために、下町総白痴化電波の正体を暴き、町を電波の影響から守らなければならない」
 リカ子は、コップを置くコースターのようなものを懐から取り出して、机の上に置いた。円の中に五芒星が書かれている。微弱ながら、PM力の電磁場を感じた。
 リカ子の言葉は、いくら東伝会としても荒唐無稽な感じがした。應援團の活動と一体何の関係があるのだろう。
「この五芒星シートは、当大学で開発させた下町区住民をマイナスの電磁波から守る化殺風水装置だ。これでAIカメラも妨害し、映像にハッキングできる。君たちにやろう。人体への影響、細胞レベルのストレス。そして周波数が洗脳に働いている。そこで電磁波防御を仕掛け、順次町に設置しているが、最終的にユグドラシル天空楼を五芒星で取り囲む」
 一気にオカルト色が強くなった。これもPMも一種かもしれない。
「そんなことしてるのか。何の権限があって――」
「鷹城令司君、志士とは勝手連だ。誰に言われてヤるもんじゃない。おのずと、憂国を自覚する問題だぞ! 魂があれば、その問題と直面した時に、動かざるを得ないはずだ」
 嵐山は言った。
「都が江東区や墨田区の下町に造り始めた水素発電所も、ユグドラシルと共謀して、特殊な電磁波を発生させ、下町の住民を支配してコントロールする実験を行っている」
 リカ子は続ける。
「――下町の人間を? そいつは、山の手と下町の戦いのことを言ってるのか?」
 新田は藪の説を持ち出した。リカ子はうなずいた。
「我が国は先進国の中で、一番若者の貧困化が進んでいる。我々の世代の凋落は、ゆとり教育だけが原因ではない。今日の東京の学生共は、上級都民の新3S政策のおかげで、すっかり骨抜きにされている」
 GHQの3S政策。
 戦後、占領軍が重要な政策を進めるにあたって、GHQとCIAは「スポーツ、セックス、スクリーン」の3つの「S」で日本人を愚民化し、大衆の関心を政治、さらに自分達に向かわないように仕向け、戦後の再革命を阻止した、という。アメリカの映画や音楽を大量に流し、アメリカは無条件に「善」であると信じ込ませるのだ。
 それは実在したかどうか分からない都市伝説で、根拠に欠け、日本側の資料でしか登場しない幻の作戦だといわれているが、一種の情報戦で、その多くが戦後日本の戦力を削ぐ目的で作られたという。
「ま、現在は日本製品や日本製アニメが動画配信や海外上映で、旧戦勝国を席巻しているわけだが、終戦直後からしばらくは、確かに3S政策に類するものは存在していたのだと私は思う。それを陰謀と呼ぶか謀略と呼ぶかはともかくとしてだ。そして今日――、東京の閨閥華族の支配体制に目を向けさせないために、彼らは内政で同国民にかつてのGHQ、CIAと同じことを画策している。マイルドヤンキーといわれている低所得層は、今が幸せならそれで十分だと感じているが、実際には将来設計が立てられず、自分たちが困窮していることにさえ気づかない。これまで、この構造に気づいた言論人やジャーナリストは失脚し、時にはその事実を探った政治家や官僚たちが、何人も事故に見せかけて暗殺されている。終戦直後、GHQが謀略でやってきたことと同じだ」
 令司は新田と目を合わせた。これは、「日本の暗い霧」から始まる荒木英子部長の東京伝説のテーマだ。もしかして部長は失踪前、この大学へ来たことがあるのかもしれない。
「中でも悪質なのは、公共の電波に乗せて定期的に垂れ流される『自己責任論』だろうな。貧困や格差はすべて言い訳、本人の自己責任だとする妄説。その後に自由主義経済万歳三唱へと続く。典型的な戦後レジームの亡霊で、人を罪悪感と劣等感に陥れる。金で雇われた御用学者による、巧妙に仕掛けられた、3Sに代わる際たるものだろう!」
 海老川の合コンに参加した際、令司が彼らの会話から感じたことだった。
「以上、私のオンラインサロン松下村塾でも発信している。君らも入り給え」
「スミドラシルの高さが違うっていう伝説は?」
 新田が訊いた。
「それは事実だ」
 リカ子は数々のスライド写真を見せた。
「写真が撮られた時間と電波の計測結果を重ね合わせると、特殊な電波の発信の際に、高さを変えているらしい。高さの調整は、いわばアンテナとしての機能なんだ。ゲイン塔の下部から隠れたアンテナが出てくる。そして高さが最大になると、気象兵器となる」
 リカ子は、スミドラシルの設計図を示した。
「上級都民はやりたい放題だ。今も、新3S政策は上級どもによって姿形を変えて実行されている。社会の本質から眼を逸らすためにな。こいつがだッ」
 ダンッ!
 久世はデスクを叩き、スクリーンを指差した。その先に、東京スミドラシル天空楼が聳え立っている。
「こんな、化殺風水シートだけじゃ絶対に防ぎきれない」
「……」
「東京はすでに洗脳で民衆を支配したバビロンなんだ。そしてバビロニアの古文書によれば、バベルの塔の建設の後、大洪水が起こった。だからこれからそうなる……」
 今度はリカ子の黙示録だった。
「この下町区全体で」
 東京スミドラシル天空楼は二〇十一年三月十一日の直後にオープンした。上階で雷の研究が行われているが、実は気象観測、実験、コントロールで、大雨洪水を避けるシステムという名目で作られたと、リカ子は言った。
「ライヒのクラウドバスターや、テスラコイルが入っている証拠を我々は掴んでいる。地震にも、関係している可能性がある」
 松下村塾が東京のゲリラ豪雨を調べたところ、統計的に有効なデータが多く集まっていた。
 二〇十一年以後多発の近年の迷走台風は、スミドラシル天空楼の仕業ということになる。つまり本来の台風避けの機能を逆用して、台風をおびき寄せる事ができ、さらに集中豪雨を作り出せているのである。
「すべての統計結果が物語っている――。これを観ろ」
 リカ子は、ハザードマップを表示した。
『ここにいてはダメです』
 と、大きな字で書かれていた。行政自体が、「区を離れろ」と言っているのだ。令司はゾッとした。
「江戸川区だ。区内の多くが、海抜マイナスゼロメートル地帯だ。二十三区のハザードマップをよく観てみろ。浸水するのはすべて下町だ」
 ハザードマップには、山の手と下町の境界がくっきりと書かれていた。足立・墨田・葛飾・江戸川・江東の下町区は、大部分が水没する。令司のアパートも含まれる。
「山の手と下町が戦争になれば、その機能を逆に使って、大雨洪水を引き起こし、下町を全滅させることができるということだ」
「まさか」
「そうなる前に、我々は草莽崛起する」
 草莽すなわち志士。吉田松陰を崇拝する鬼兵隊隊長、それに続く應援團の塾生たち――彼らの目的は、山の手と下町の戦争に勝つことだった。
「下町を水没させることは『敵』の規定事項であり、上級都民は下町には滅多に来たがらない。普段から虫けらでも見るつもりで、彼らは下町人を見下しているからだ」
 副団長の嵐山は言った。
 鬼兵隊は、大真面目な顔をして新たな東京伝説を語った。
 現在の東京は表向き平和な社会だが、実は二つの勢力に真っ二つに分かれて争っているのだ。東大内部だけじゃない。いや歴史上、抗争を繰り返して来た歴史である。それは、決して表には出ない歴史なのだという。
 都内でおおまかに言うとそれは山の手と下町の対立だが、地図上でそう簡単に別ける事はできない。その流れを遡ると、古くは南北朝、さらに源氏と平家の戦いに辿り着くのだという。吾妻教授が授業で言ってた内容だ。藪重太郎も。
「我々の戦いは、古くは明治維新にさかのぼる」
 吉田松陰、坂本龍馬に代表される「浪人」たちが維新を成し遂げた。
 その後、明治政府が樹立する。
 だが世界中の植民地を食い物にし、人種差別を前提とした西洋列強の野蛮な文化と同化し、たちまち腐敗してゆく明治政府を否定し、東洋的王道を貫いた西郷隆盛らは下野した。大久保利通は独裁者となり、西洋覇道をゆく明治政府への不満は高まった。
 明治維新政府の腐敗に異を唱える者達は、各地で反乱を起こした。戊辰戦争は、西南戦争や東北、函館戦争で幕を閉じた。それらは不平武士の乱として教科書に登場する。しかし事実は全く違う。その後、在野に下野した士族は「人狼」と名乗った。
 西郷の遺志、そして松蔭ら維新前に死んだ真の志士たちの真意を継承するために――、今もなお、真の民衆の時代の幕開けを勝ち取るために人狼は立ち上がる。
 上級閨閥華族を中心とする上級国民は、国民の十パーセント以下である。
「今の上級の忖度にはれっきとした法律(条約・条例)の裏付けがある」
「信じられんが」
 新田はそう言ったが、令司はPM研ですでに聞いていた。日本には隠れた不成文法制があると。
「無理はないな。六法全書をひっくり返しても、どこにもそんなことは書いてないのだからな」
「……」
 久世リカ子は言う。下級国民が国を獲ったら、上級下級間の不平等条約を撤廃して、階級社会をなくすのだ、と。真の民主主義を目指すのだと。
「松陰先生のおっしゃった草莽崛起はエンパワーメントだ。維新後百数十年の現代では学閥を始めとし、華族共の閨閥による新たな門閥制度が確立している――。東大の海老川雅弓のような、政界も官界も財界も芸能界も学問界も医者もみんな二世三世の世界、ネットの新興富豪たちさえもその閨閥に乗っかって、格差社会に拍車を掛けている。武家社会と何ら代わらない。なんのために、なんのために幕末志士たちは血を流して士農工商を廃止したのだ? 福沢諭吉は『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と『学問のすゝめ』の冒頭で宣言したはずだ。身分じゃなく、学問で出世出るように世の中を変えたはずなのに。今や学閥が門閥になり果てている。二十一世紀にもなって、いい加減、そんなものは打ち砕かなきゃいけない」
 時代錯誤な女武者を体現したような外見のリカ子がそう言うので、令司は奇妙な感覚を覚えた。
 山の手と下町の冷戦。下町の学生の山の手に対する反骨精神は容赦ないほど本気で、令司はただただ驚き、感心するしかない。
「今の東京に、日本を憂える若者がどれくらい居るのか? しかしここの学生は違う。一人として平和ボケに染まった頭はいない」
 自分らは洗脳電波に骨抜きにはされないと自任し、「地球維新の志士」をかかげた久世リカ子。
 令司は、自身の世界観がガラガラと崩れ、本当にとんでもないところに来たという感覚を覚えた。
「信じられるか? 新田」
「あ、あぁ」
「君は、藪の語る都内戦争伝説をあれほど軽視していたのに――」
 ハメられた。案の定、上級都民、三輪教に続く第三の勢力の登場だった。
「すまんな、令司。実は前にリカ子から少し聞いたことがあったんだ。だけど、みんなの前では言えなかった。東京の戦争は真実だ」
 久世たちの話を聞いていると志は高いが、この新田という男――。こんな右翼まがいのところに参加していたのか。過激派か右翼のような連中だ。非常に危ない連中と関わってしまった。令司はとまどうばかりだった。
「お前たちの通う東大の学生は、上級都民の子弟が多い。自分達の社会の身の保身しか考えていない」
 久世は言った。
「だが、東京伝説研究会は志を共にする者たちと認められる。名誉会員という形で、下学連のメンバーに迎えよう」
 慈母のような優しい表情だった。「もののけ姫」のエボシ御前にも見えてくる。
 ウェイ!
「ありがとう」
「東大生も、今こそ眼を醒まし、松陰先生の大和魂に帰るべきだッ」
 ウェイ!
 鬼兵隊のその熱量に圧倒されるが、結局のところ陽キャの軍団のような気もしてくる。
「鷹城令司君、東京を革命するために、君も私と一緒に、二十一世紀猛士を目指すのだ!」
 ギリリ……。
 急に、リカ子のうりざね顔が鬼か般若に変わった。
 吉田松陰の号「二十一回猛士」は、松陰二十五歳のとき獄中で見た夢に端を発している。夢の中にお札を持った神が現れ、そこに「二十一回猛士」と書かれていた。松陰はその時から、世の中を変えるために世間から「あいつはおかしくなった」と言われる行動を二十一回行うことを決心する。
 久世リカ子は、それを「二十一世紀」に掛けていた。
「君らの動画チャンネルの登録者数はすでに数十万人に成長している。素晴らしい実績だ。これからスミドラシルへ出入りがある。電磁波防御をあの本丸に、仕掛ける! 我々の通算十八度目の『実戦』の、目撃者となってもらいたい」
 これまで一体「何」をしてきたのだ、彼らは。
「い、いや、ちょっと待ってくれ」
「山の手と下町の戦争、っていわれても……東京伝説としてなら話は聞く。だが、出入りって? そんな幕末維新の過激派や戊辰戦争じゃあるまいし」
「幕末は現代の雛形なんだよ。現代の戦いこそ、幾多の予言者が語ってきた本当の戦いの時代で、我々は数千年の日本の歴史を背負ったまさに正念場にいる」
 バンカラは現代の武侠だ。ハイカラ――つまり欧米化に対する反骨精神から、外見より内面に重きを置く学風。彼らは、正真正銘の本物。
「だが俺たちは……目をつけられているんだ……特に新田は特捜検事に」
「大丈夫だって。何があっても俺のランクルで逃げ切れるさ」
 逃げ切れる訳がない!! 相手は5G社会を支配する側なのだ。ついさっきだってPM鞭の電磁パルスでデルタフォースに捕まったばかりなのに。今度、五百旗頭たちに捕まったら――。
「すべては根性だ!」
 ヤバイ。新田が別人になっている。
「フフフ、何を心配してる? スミドラシル・タウンのコネクト・モア東京、スポーツセンターの墨田アリーナで、大学対抗戦のバレーボールの練習試合があるので、参加すると言っている。うちの大学のバレーボール部が出場するんだよ。試合といえば應援團だろう」
「あぁ、びっくりした。そ、そういうことですか」
 とはいえ、令司は鬼兵隊連中の荒唐無稽な“ストーリー”には興味関心があった。のめり込むようにして話に食い付く自分を、令司はどうすることもできないでいる。
 令司は、あるいは新田の狙い通りだったのかもしれないが、作家志望としての好奇心がいつも先立つ人間だ。東京伝説への高い関心が、彼らの話によっていっそう拍車をかけている。そこへ来て、東山京子との関りもある。
 令司が目指す小説は、長大な娯楽小説だったが、社会の真相を何がしか暴き出すような大作を目指していた。書きたいベクトルが彼らの話と一致しているんだから、もはや覚悟を決めるしかない。このグループの目的が何なのかはさておき、もう少し知りたいという思いが沸き起こってもいる。まるで、刃物の上を歩いているような感覚だったが。
「時間だ」
 久世リカ子はザッと立ち上がった。
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