第30話 秋葉大斗会 ゴーストラン・キョウコ「呼んだぁ?」

文字数 12,823文字



 秋葉武麗奴(アキバブレード)。
 彼らは5Gに侵入し、人狼サイドと帝国サイドを股にかけ、チェスみたいなゲームをやって東京を操る者たちだ。ただのゲーマーなんかじゃない。敵でも味方でもない、ハッカー集団。
 これからオープンワールド「プラネット東京5.0」で、ハッキングをアバター同士の戦闘ゲームとして画面上に視覚化し、ガンドッグ側のヴァーチャル捜査官たちと、ハッキングを戦う。彼女らの身体はセンサーに連動し、武器を振り回してディスプレー上のアバターを操作する。
 今度はVRの大斗会か……。令司は頭がクラクラしてきた。
 バーチャル首都高を滑るように走る、ローラースケーターのような姿の彼女らのアバターたちが、前方に人影を発見した。
「現れた、ついに捕らえたぞ!」
 丁子が叫んだ。
 大画面に、キョウコの姿が映し出されていた。その姿は渋谷で荒木影子と決闘した、DJK.キョウコだ。
 キョウコは鉄球で五人を同時に相手にし、まったくこちらの攻撃を寄せ付けなかった。それどころか、秋葉サイドが次々と脱落していっている。
「しまった、逆ハックされた!!」
 丁子は大きく身体をのけ反らせて、大ぶりの剣を床に落とした。
「えっ」
 令司は中腰姿勢のまま、固まった。
 モニター一杯に、巨大なキョウコの笑顔の像が次第に輪郭を結んで、等身大のキョウコを映し出した。部屋の中に煙が垂れ込めた。
 まさか、そんなことが――。
「見つけたわッ!」
 キョウコの声が、部屋中にこだまする。
「渋谷で、荒木影子の協力をしていた何者かの存在には気づいていた。ずっと、ずーっと探していたのよ! よくもっ、よくも渋谷ではヤってくれたわねェッ! この私をARで騙すなんて絶対許さない―――」
 画面のキョウコは、カメラに向かって右手をニュッと伸ばしてきた。それは画面を飛び出すと、立体化して、等身大の彼女が高いヒールのブーツで床に降り立った。
 秋葉武麗奴メンバーは、全員モニターから一歩下がった。
「死ね……」
 モニターの「外」へと出てきたキョウコは、同じように後ろから飛び出してきた鉄球を右手で操作して、メンバー全員に襲い掛かった。
 部屋に嵐のような鉄球の回転が巻き起こった。
 秋葉武麗奴たちは武器を持ち直して反撃する間もなかった。
 令司が気が付けば、床にいくつもの首が転がっている。
「いやぁぁああああ――――ッッ」
 里実が叫んだ。
 キョウコは秋葉ブレイドの全員を惨殺し、部屋の中には、令司と里実だけが残された。血だまりの中、キョウコの視線は、ギョロリと令司と里実を捉える。
「私を呼んだのは――、あーなーたー方ぁ?」
 令司は、震える里実を自分の後ろに隠した。
「この東京の5Gコントロールに叛逆しようとした罪を、償う事ね。十連歌デモと同じことよ。大斗会を踏まえず革命を起こそうなんて。――あなたも、東京決闘管理委員会に歯向かうつもりなのね。この東京で、決闘の手続きを踏まない革命は許されない。ルール違反は、私が厳正に取り締まる――」
 キョウコは、ハッキングに対するクレームを、鷹城令司に対して言い放つのだった。令司は血が凍った。やったのは、秋葉武麗奴なのに――。
 床に転がった生首の光宗の眼が、唐突にカッと開いた。
「水嶋硝子! んじゃ、後は任せたよ―――」
 丁子の生首は、確かにそう言った。
 バババ……バリバリバリ――
 部屋のすべてのモニターや機器類が、いきなりショートした。
 視界を奪った閃光が徐々に落ち着くと、今度は部屋の中からすべての死体が消えた。首も、血も残されていない。いいや、死体だけではなかった。
 基地が、モニターが、武器庫がみんな令司たちの前から、きれいさっぱり消え去っていたのだ。
「何が、なんだか……」
 よく見ると……そうではない。
 一人だけ、秋葉のメンバーが残されていた。
 その女性レイヤーは、ゆっくりと上体を起こすと、令司に向かってアニメコスの面を外した。中から面長の、「美人なOL」風の女性が現れて言った。
「ここを出るわ! 秋葉を離れるの。さ、二人とも早く武器を取って」
「ちょ、何が!? どういうことッ」
 里実は慌てている。
「この仮面も名前も建物も、すべて本性を隠している。誰も、メンバーの私でさえ、武麗奴蘭菜さんや丁子さんの正体を知らない――。荒木さんは、丁子さんの知恵でクラウドの中へ雲隠れできたってこと!」
 彼女だけが本物の女性の実態を持っている。ということは、あとは全員ARのアバターだったのだ!
 彼女が二人に指示したその先の壁に、三つの武器がスポットライトを浴びて鎮座している。これだけが本物で、後は全部存在していなかったらしい。
 メンバーらが食べたはずのケーキが、一切れ分だけ無くなっていた。後は全て残されている。どうやら光宗丁子も、食べたふりをしていたらしい。
「あんたは?」
 令司は朦々とした煙の中、キョウコの気配を伺いつつ、誰何した。
「水嶋硝子(みずしまがらす)です。私がここからあなた方を逃がしてあげます」
 机上のケーキは、水嶋だけちゃんと食べていたのである。
「丁子さんは? ――し、死んだの?」
 里実はすがるように聞いた。
「亡くなっていません。いいえ、それは正確な表現ではない。ここにはいません。ここに居たのは、最初から令司さんと里実さんと、そして私だけです」
「は? 俺たちを、だましていたのか!? なぜ」
「光宗さんは、あなた方をそれほど信用していませんので。私以外は全員ARのアバターです。えぇ、そう、ここにはいない――。蘭奈さんも丁子さんも、簡単にあなた方が会えるようなお方じゃない」
 一名だけ実体を持つ水嶋硝子は、丁子から任されたのだ、二人の脱出を。
 これが秋葉ハッカー集団「秋葉武麗奴」だった。「基地」の場所も、ここは実体などではなく、最初から別の場所だったに違いないのだ。
 ショートした影響で部屋に広がった煙が引くと、キョウコの姿が再度現れた。
「武器を取ってッ!」
 十字架状のガラドホルグ、ギザギザの刃を持つグラム、ヤドリギが変化したと云われるミルティルテイン――令司たちはそれぞれサバゲー用の武器を持った。水嶋硝子を先頭に部屋を出る。硝子の持つ透明なミルティルテインは、ガラス製の剣だ。
 華奢な硝子は、重い引き戸を両手で開けた。

 真っ暗な部屋に、四つの容器が並んでいる。
 赤い灯りに照らされたそれぞれの溶液の中に、ゴボゴボ……さっきの秋葉武麗奴の女たちの生首が浸されて、所在なく浮かんでいる。
 なんたる……なんたるアクシュミ。その中の一つ、丁子の生首は、依然目元をアニメキャラの面で隠しているが、余裕の笑みを浮かべて、三人がどうするのか見守っていた。
 闇の中で、五つの扉が壁にうっすらと視えてくる。里実は慌てたように、左の扉を押したり引いたりしているが、ビクともしない。
「あ、開かない――これ、壊れてる」
「そっちじゃないわよ里実君っ」
 里実はギョッとした。蘭奈の首がしゃべっていた。
「うふふふふ……」
 丁子の首が笑った。
「こっちです」
 硝子は首の言う事を無視し、右側の扉を開けた。
 どうやら多くの扉はフェイクで、一か所だけ本物らしい。
「こっから先が、サバゲー空間と化した迷宮――迷子にならないでね。一蓮托生よ、私たちは今から冒険者ギルドですから」
 気づけば、硝子の格好が様変わりしている。ストレートの銀髪をなびかせ、へそ出しで光るネックレスを身につけた、セクシーな魔導士。なるほど、ここからが本当のAR/VRの決闘だ。
 薄暗いレンガ造りの廊下には人骨が転がっている。硝子を先頭に、令司たちはそこを駆け抜けた。
「さっきの戦闘で、あんた方は東京帝国にキャッチされたのか? なら建物の外に出たとたんに、ガンドッグに囲まれるぜ」
 令司は不安をぶつけた。
「問題はキョウコです。これは、秋葉武麗奴への反撃だったんです。渋谷でキョウコに遭遇したあなたはマークされ、彼女の操り人形となってここ秋葉原への水先案内人となったのです。あなた方がキョウコをここに呼び込んだのです」
「お、俺たちのせい――、だって君はいうのか? そんなこと言われても!」
「ホーッホッホッホッホ! 待ちなさぁーい!」
 後ろを振り返ると、キョウコは、腰まである長い黒髪を振り乱しながら、凄スピードで追ってきている。
「土の精霊たちよ、アース防御、ザ・ウォ――ルッ!」
 硝子が呪文を叫んだ。
 最後尾の里実が駆け抜けた後、左右の壁が猛スピードで迫り、キョウコを潰しにかかった。その隙間から、シルバースフィア、すなわち鉄球がゴォッと音を立てて飛び出してきた。
 回転する突風でレンガが跳ね飛んでいく。その後に、破壊された壁からヌッと笑顔のキョウコが顔を出す。余裕の笑みを浮かべている。硝子はそれを一目しただけで、十字路を左へと曲がった。
「金の精霊たちよ、メタル精製のために召喚する、出でよッ――ゴーレムッッ」
 硝子は呪文を唱えつつ、今度は魔法陣を前方に出現させる。青銅の巨人の腕が、壁から突如現れた。十メートルはある。
「やーんっっ」
 里実が腰を抜かして、令司は腕を掴んで里実を引っ張る。
 硝子が召喚したモンスターの毛むくじゃらの腕は、キョウコを人形のようにわし掴み、じたばたする彼女を握りつぶした。
「こ、こいつが最新のARサバゲーか!?」
「はい」
 リアル……なんてものじゃない。現実そのものだ。
 巨人の腕はバンッと派手な音で砕け散った。破片の下からトコロテンのように、キョウコがすり抜けて出てきた。
「アーッハッハッハッハッハッハー!」
 立ち上がって、キョウコは再度走り出す。
「ダメだ、まだ追ってくるゼ!」
 鉄球が彼女の頭上に浮かんでいた。やっぱりだ。あれがある限り、こっちがどんな攻撃を仕掛けようと無駄なのだ。
「今のはARの攻撃です。私は全館のサバゲーのシステムを掌握しています。それに対する相手の反応で、キョウコが実体か、それともARか見極めてください!」
「なるほど、――い、イヤ難しいな!」
 硝子は無駄な攻撃を仕掛けている訳ではない。
 彼女によると、攻撃にはARと実体と二種類があるらしい。しかしこうもリアルなARで、薄暗いと何が実体だかどうだか分からない。渋谷の時も見分けがつかなかったのだ。
 実体による攻撃も仕掛けるということは――実体だって? 危険じゃないか。その是非はともかくとして、今のところキョウコは倒れていない。
「火の精霊たちよ、焼き尽くせ、アークエンジェルズ・ファイヤー!!」
 今度は硝子の両手から火柱がキョウコに向かって、横殴りに発せられた。火炎放射器に似た攻撃は、十メートル先のキョウコの全身を捕らえる。またたくまに、キョウコは炎の中に見えなくなった。
 燃やし続ける硝子の白い肌がピンクに染まり、じんわりと全身から汗が噴き出す。この炎……まさか本物か!? 令司も里実も本物の熱風を感じた。
 時間の経過とともに、次第に炎は渦を形成していく。キョウコの鉄球が反射しているらしい。つまり、彼女はまだ生きているのだ!
「里実さん、宝箱を開けてッ!」
 仁王立ちしながら火炎を発射する硝子が、足元の赤い宝箱を顎で示した。
 里実が開けると、中には金銀合金――エレムトラムの塊がゴロンと入っていた。無造作につかみ上げて、三人は脱走を再開した。ファンタジー・ゲームも現実に体験するとさすがに辛い。
 前方から、無数の矢が飛んでくる。
「里実さん、そのエレクトラムで反射するのよ、属性は風――」
「くっ、は――っ、風の精霊たちよ、敵を吹き飛ばせ、シ、シールド・エアーッッ」
 やけくそになった里実が適当な呪文を叫ぶと、追い風が吹いた。矢の雨が進路を変えた。すぐに、撃ってくる実体が姿を現す。武器を持った複数のスケルトン兵たちだ。
 里実はエレクトラムを操作して、スケルトン兵の撃つ矢を、すべて後方のキョウコへ向けさせた。
「そういうコト! ダンジョンでクリスタルや剣を手に入れて、それに呪文を込めると魔術を発揮できる――」
 出てくるモンスターを操り、キョウコへの罠に使って攻撃する。ゲームでおなじみの展開だが、こうも体感しながらの作業だと恐ろしさが半端ない。
 水嶋硝子の炎が途切れた。その後に、黒髪の追跡者の姿が浮き上がる。
 やはりキョウコは無傷だった。身体の周囲でギュンギュンと音を立てて鉄球が飛び回っている。今度は大砲の弾のように、煙をまくりながら鉄球が飛んできた。
 令司はとっさに、鉄球を自身のグラムで跳ね返した。ジャリンという金属音とともに、大きな振動が全身を貫いた。居合を積み重ねてなければ、令司は殺られていただろう。こんな、命懸けのゲームだなんて――。
 三人に向かって、嵐のごとく大量のレンガが降り注いだ。キョウコが鉄球で操っているらしい。硝子の剣は大車輪のように回転しながら、それらを跳ね飛ばし、破壊していった。だが、限界はある。
「ホ、ホントに脱出できんだろうな?」
「頑張って! もうちょっとで、転送機よ」
 硝子は全力で戦ってくれている。彼女こそ、真の勇者だろう。頼もしい。
 三人は階段を駆け上がった。
 また扉だ。だが、今度も開かない。他に扉は見当たらない。
「ホーッホホホホホ――!!」
 後ろから全力疾走のキョウコが迫ってきた。
「どうするよ」
「も、もうダメ――ッ」
 里実は叫んだ。
 慌てる二人と対照的に、硝子は呪文を唱えた。
「火の精霊たちよ、打ち壊せ、ファイヤー・エクスプロージョン!」
 炎が扉を溶かして大爆発。その後に近代的な扉、エレベータが出現した。
「転送機ってこれか?」
 令司の言葉に、硝子は無言で乗り込んだ。
 スミドラシル戦以来、エレベータというものに、いまだに慣れない。令司は目をつぶって耐えるしかない。
 複雑な迷宮の中に、硝子はいろいろな罠を仕掛けているらしい。それは心強いのだが、無敵の鉄球を操作するキョウコを前に、どれだけ有効なのかは分からない。
 エレベータが開いた。

 けたたましいサイレンと共に、狭い廊下に、突然横から救急車が飛び出してきて、壁に激突した。真っ赤なランプがグルグルと回転し、薄暗い廊下の中を照らしている。救急車の中から、絶叫が響いている。
「い、いやッ、な、何が起こったの?」
 里実は耳をふさぐ。
「心配いらない、ただの演出だから。ステージ2の廃虚エリアへ、転生した」
 硝子が二人に告げた。
 救急車の脇を恐る恐る通ると、運転席の隊員も患者も、ミイラだ! 動かない。
一体、幾つステージがあるのだろう?
 曲がり角を右へ左へと走り抜ける。ドクロや、干からびた死体が転がる廃虚の街――といったサバゲー空間。いかにも怪物が出てきそうだ。
 トイレがあったが、これも外国のスラム街に迷い込んだかと思えるほど、ボロボロだった。いかがわしい女性の洋ピングラビアが無造作に貼ってある。里実は、入るのに躊躇していた。
「すべてデコレーションよ。衛生的だから安心して」
 汚れてるのじゃなくて、「汚し」が入っている。
 トイレの壁に赤マントがかかっていた。硝子はそれを、へそ出し衣装の上から身に着けた。鎧よりはるかに強力な、魔力を持つマントなのだという。これを手に入れるために、硝子はあえて男子便所に立ち寄ったらしい。
「そろそろ、『奴ら』が目覚め始める」
「奴ら?」
 硝子の言葉に令司がオウム返ししたとたん、ウウウ――という低い、不気味な唸り声が四方八方から響き渡った。

 ウウウ――ウウウウウウウオオオオ――――……ッ。

「アンデッドだ。……銃を取って!」
 トイレに置かれた宝箱の中に、サブマシンガン、44マグナム、バズーカ、バルカン砲がずらりと入っている。
「連中は敵味方無関係に攻撃してくる。キョウコにももちろん、我々に対してもね。とにかく数が多い!」
「アンデッドがキョウコを喰ってくれりゃありがたいんだが」
「いいえ、ただの足止めにしかならない。でもそのうちに我々は先を急ぐッ!」
 三人は銃をぶっ放しながら、前方から押し寄せるアンデッドの大群を蹴散らして進んだ。
 バリバリバリバリ――後方から引き裂くような音が響いて、空中をアンデッドの手足や生首が飛んできた。キョウコの鉄球が回転しながらアンデッドを殺戮し、道を作っているのだ。その後を、長い髪をなびかせたキョウコが悠々と走ってくる。
 里実は両手に力を込めて、いつの間にか調達したチェーンソーを思いっきりキョウコの首に目がけて振り下ろした。
「あ――ッ、いやぁああああああ――ッ!!」
 叫んでいるのは里実萌都だ。
 里実のしかめ面に、相手の鮮血が飛び散った。飛び散る内容が肉片に変わり、とうとう、キョウコの生首が壁に向かってぶっ飛んでいった。動かなくなった身体が力なく、ドスンと音を立てて床に崩れ落ちる。その手に、鉄球が握られたままに。
「ううう……もうダメ」
 里実はチェーンソーを床に下げ、茫然自失で死体を見下ろしている。
 鉄球が輝きを増すと、首が勝手に転がり始めた。やがて首は胴体へ、ストンと戻っていった。その有様を、三人は見守るしかなかった。死んだはずの首の眼に光が宿っていく。
 噴き出した血は間もなく収まり、目を剥いた真顔のキョウコは、スックと立ち上がった。妖怪か――いや、リアル・ゾンビだ。
 里実はめげずに、宝箱から入手したトルマリンで感電トラップを仕掛ける。
 さらに、硝子による天井落下トラップ攻撃。
 たたみかけるように、無数カッター・トラップ――。
「あは――アハ……アハハハハ……」
 いくらトラップを仕掛けて倒しても、無駄だった。キョウコは、口から大量の血を流しながら何度も蘇生し、走って追いかけてきた。三人は彼女を止めることは、まだできていない。
「キョウコは傷の再生が速いんだ!」
 さっきは完全に首が飛んだのを見た。回復などという治癒レベルではない。令司は自身の発言の中で一瞬、渋谷鹿鳴館の東山京子と伝説のキョウコを混同したことに気づいた。
「あれは違う……血が出てるように見えるけど、全く損傷を受けていない」
 硝子は冷静に言った。
「……」
 キョウコは何度でもケロッとして起き上がってくるが、もともと、常識的に考えて、モニターから人が出てくる訳がないのだ。だとしたらアレは――。
 武器のグレードを上げる必要があった。硝子はダモクレスの剣に持ち換え、令司はアスカロンへと持ち換えた。
 薄暗いエスカレーターを駆け上がって、後ろを確認するとまだ追ってこない。
「次の転送機はどこ?」
 廃虚にポツンと灯りの着いている扉。そのドアノブをひねるとまた開かず、他に扉はなかった。
「でも君、炎で開けられるんだろ?」
「いいえ、属性が違う。この扉に火の魔術は効かない」
 言い換えると、この扉は実体である。
「だとすると――」
「破壊じゃないわ、今回は」
 硝子はドアノブを左へ三回、右へ二回、また左へ四回ひねった。
 ビョン!という音がして、ドアは姿見に変わった。
 鏡に向かって、ガラスはパラパラを踊り始めた。
 カシャカシャカシャン、という大きな音とともに、三人の立っている床が上昇を始めた。天井がガーッと開いて、真っ暗な空間に出た。
 四方八方に無数の星が流れて飛んでくる。宇宙空間を模した万華鏡の廊下だ。幾何学模様がグルグル回転して、令司たちの平衡感覚を奪う。
 トゥルルルルル……! トゥルルルルル……!
 星から聞こえてくるような、繰り返される機械音が鳴り響く中、硝子は躊躇なく前進する。暗くて、足元が心もとないが、とにかく前へ進むしかない。
 ブラックホールのような真っ暗な空間が前方に現れた。穴に吸い込まれるように滑り台を降りていくと、目の前に銀色の転送機が出現した。三人は無事エレベータに搭乗した。

「ステージ3、未来の宇宙戦争へと転生した」
 岩場の多い惑星のサバゲー場だ。天は宇宙空間が見えている。
 地平線から銀光りするロボット兵が押し寄せて来る。三人めがけて、手に持った光戦銃を撃ってきた。
 後ろを見るとエレベータからキョウコが姿を現した。まだ追ってくる。
 三人はロボットの攻撃を伝説の剣による反射魔術で跳ね返すと、敵の重戦車を乗っ取って、ロボット兵を蹴散らす。それから、レールガンをキョウコに向けて撃った。プラズマ弾はキョウコを吹っ飛ばした。
「やったかッ!」
「――まだ分からない。あ! あれ!」
 キョウコが前方に瞬間移動した。どうやらこの星には、ポータルが何か所か存在し、キョウコはその一つを使用したらしい。
「今度は三時の方向だッ!」
 引きこもりゲームオタクの里実萌都は次第に砲撃に慣れ、キョウコが那辺に出現しようとも冷静に狙撃したが、まだ手ごたえはなかった。
「あの山のふもとの森の中へ!」
 硝子は運転する令司に指示した。
 三人は戦車に乗っていたが、きっと――、四方に映像が流れているだけで空間を移動してはいないのだ。ここは十階建てのビルの中だ。こんな景色、どう考えても映像に違いない。観えているキョウコ自体、映像の中に映し出されているだけかもしれない。
 三角形の山の下に、薄暗く生い茂った中にゲートが存在した。そこへ戦車で突入すると、三人は急いで下車した。
 ゲートの向こうに見えている転送機を目前に、足元の地面が無くなった。巨大な黒い穴が開き、三人はストンと滑り落ちていった。
 落ちた先は迷宮だ。令司には見覚えがあった。最初の迷宮らしい。
「まさか振り出しに戻ったんじゃ? ――出られないぞ」
「いいえ、これでいいのよ。メインルートからは行けないダンジョン空間。ゴールが近い証拠。――宝箱に注意して。今までを上回る剣が入っている」
 宝箱は一定間隔で点々と置かれていた。里実はサファイアやムーンストーンを回収しながら、探し続けた。
「あった!」
 里実がスラっと、エクスカリバーを取り出した。箱のサイズでは絶対に入らないはずの長剣だ。つまりこれもARでした、という訳だ。
 しかし三人がどこを通っても、同じ場所に戻ってきてしまう。
「アーッハハハハハハハハ――……!!」
 案の定、後ろからキョウコの高笑いと足音が響いてくる。
 分かれ道から、唐突に赤い半透明の洪水が押し寄せてくる。
「スライムだ!」
 三人が立ち往生しているうちに、後方から走ってくる足音がどんどん迫ってきた。前方はゲル状の洪水が廊下を埋め尽くし、流れ込んでくる。
「いやぁだぁぁ――」
 里実がうずくまった。
「里実さん、溶かされるわよッ! 早くムーンストーンを!」
 スライムはAR攻撃と判断して間違いなかったが、武器や装備(の有効機能)を溶かされると考えるべきだろう。硝子は里実からムーンストーンを借りると、呪文を唱えた。
「氷の精霊たちよ、氷結せよ、アイスバーン!」
 スライムを、氷結魔術で凍らせることに成功した。一部が凍らずに排水溝から逃げていった。五メートルまで近づいたキョウコがツルツルに凍り付いた床に滑ってずっこける。三人は先へ進んだ。
 眼前に、体長十メートルはあろうケルベロス――三つの頭を持つ地獄の番犬が、恐ろしいうなり声をあげて出現した。獰猛な牙から唾液がダラダラと垂れている。
「木の精霊たちよッ、生えよ育てよ、グローア――ップッッ!」
 硝子は、今度はサファイヤを取り出し、呪文を唱えた。
 植物がワサワサと生えて、たちまち廊下を埋め尽くしていく。
 赤い実が生り、三つの頭の怪物はそれを食べるのに夢中になる。再び迫ったキョウコの両足に植物が絡みつくも、鉄球の回転の前に無残に砕け散っていった。後ろから、ケルベロスの三つの頭部が飛んできた。あっさりとキョウコに片付けられたらしい。
「い、今のがラスボスか?」
「――まさか」
 階段を下りて下の廊下を走ると、天井の通気口から赤いスライムがドロッとカーテンのように降りてくる。
「ぎゃあああ――」
 里実がまたずっこけそうになる中、わやくちゃに氷結呪文を叫んだあと、なんとか氷結に成功した。令司は何かを連想した。――深夜の「G」退治。
 ホールのような吹き抜けに出たとたん、オーケストラ風シンセサイザーが鳴り響いた。
 下を見るとマグマが流れ、四つの橋に支えられた円形の広場に、耳の形がアンテナ状になった銀色の龍が鎮座していた。体長は、二十メートルにも及んだ。
「イージスドラゴン、アレよ!」
 硝子は指さした。その耳がエルフのように尖って、その手には複数の石をあつらえた杖が握られていた。
「さぁ、最後の決戦前に、お二人も変身してくださいッ!」
 エルフ硝子は、令司と里実に向かって杖を振りかざした。
 青白いオーラに包まれた二人の姿はそれぞれ、騎士と巫女の姿に変化した。硝子は橋の上に魔法陣を書くと、エルフの高等魔術の長文の呪文を唱えてイージスドラゴンの調伏にかかった。
 イージスドラゴンは鎮座しながら、耳レーダーでこの空間にいる四人の位置を正確に捉えているという。その攻撃から逃れることは不可能だ、と硝子は言った。
 口からミサイル型の炎を吐くと、それは三人を通過し、まっすぐキョウコへ向かった。どうやら調伏が間に合ったらしい。
 キョウコは回り込んで避けようとしたが、炎のミサイルは追跡を止めない。ミサイルは反撃した鉄球とぶつかって、大爆発を起こした。
 イージスドラゴンは二発目、三発目とミサイルを発射した。完璧にキョウコに足止めをくらわしている。その間に、三人はイージスドラゴンの足元を通り抜け、向かいの門にたどり着いた。
「ようやく出口だ……」

 外へ出ると、すでに秋葉の町は暗かった。
 雨が降りしきっている。ファンタジー・サバゲー空間から出てきた途端に、リアル・ブレードランナーの様相。自分らが元の姿に戻ったことを確認した令司と里実は、唖然とした。
「こ、この人たち、コスプレじゃないわ!」
「ハロウィンでもないし。これも―――あんたの仕業か?」
 待ちゆく人ごみの中に、ゴブリンや鬼、翼竜、剣士、魔法使いが混ざっていたのである。気が滅入る。ゲームが終わっていない!
 渋谷以来、夜の街には、ARを警戒しなければならない。
「違います。敵は、秋葉原のARシステムを乗っ取りつつあるらしい――。渋谷であなた方が体験した通り、暗い中では街中のAIカメラの映写機機能で、プロジェクション・マッピングを作動できてしまう。町の監視カメラは脆弱性が高いのです。虚実入り混じる中で、何が本当なのか見極めないと、ここから先は何が起こるか分からない!」
 水嶋は雨の中、再び走り出した。どこまでも、どこまでも続いていく。このARサバゲー、いつまで?
「硝子さん、今度はどこへ向かってるの!?」
 里実が訊いた。
「明るいところへ!! 日本橋へ行くッ」
 ゴチャゴチャとした異形の人込みを駆け抜けながら、先頭を行く硝子は叫んだ。理屈を超えて、三人は体力に任せて走り続けた。

最後の一線

 コルド日本橋。
 ライトアップされた瀟洒なデパート。サバゲー空間とはまるで異なる安堵感。妖怪たちもいない。
 自動ドアを抜け、令司たちは水嶋硝子とともに一階の眼鏡売り場まで出た。アイコニックにほほ笑む、バカでかい久世リカ子の看板でおなじみ、「メガネフォース」である。
「ここまでくれば……」
 令司がホッとしていると、
「伏せて!!」
 硝子は二人の頭をガッと押さえて、床にうずくまった。
 キラッ。何かが光った。ショーウィンドウに展示された巨大な望遠レンズから光が発せられている! それは、三人の後ろのポスターを焼いた。
「レーザーだッ」
 ガラスレンズは大きいもので三十センチ、小さいもので五センチ。それらが左右に三十個置かれている。だが、三人が走り込んだ時にぶつけた衝撃で、ショーケースが軋みながら揺れた。中のむき出しの巨大レンズの一枚が動いて、クルッと向きを変えた。そのとたん、光が収れんしてレーザーを撃ってきたのだった。
「クッ」
 これは罠だ。――まさかこんなデパートで!?
「みんな、むやみに動かないでッ! 立ち上がってはダメ!!」
 一体誰がこんなことを? まだAR攻撃は続いているらしい。
「死ぬのは私たちか……」
 キョウコが両手で操っている鉄球で、レンズを操作しているらしい。
「光の精霊たちよ、反射せよ!! リフレクション!!」
 ここで呪文を? いいやそれが正解だろう。
 レーザー攻撃に追い詰められるも、硝子の呪文は窓ガラスを鏡にして反射させ、キョウコにレーザーを浴びせた。キョウコは描かれた絵だったように蒸発した。令司と里実は呆然自失で突っ立っている。
「――死ぬかと思った」
 里実は呟いた。
「言ってませんでしたが、私、このメガネフォースの従業員でもあるんです。あのレンズはアルミナ製。鋼鉄レベルの、日本製の超硬化ガラスです。もともと私の武器です。奴が最後、ここを使うことは分かっていました。だから、あえて誘導したんです」
 その名も、水嶋硝子(ガラス)。
 光を透過し、固体(実体)と液体(AR)、両方の性質を持つガラス。そしておそらく、経年劣化もしない。硝子自身も年齢不詳だ。
 令司も里実もARサバゲーは命懸けで、本当に硝子が味方でよかったと思った。
「これでキョウコは消えたのか。彼女は死んだのか?」
「いいえ。やはりあれは、ARのアバターでした」
 水嶋は足をくじいたらしい。令司が肩を貸して、一緒に外へ出た。ガンドッグの気配はなかった。硝子はゆっくり歩きながら、
「秋葉のシステムにはガンドッグ除けの目隠しがしてある。でもキョウコは、それを突破してきた」
「秋葉武麗奴はどうなる?」
「彼らの前に姿を現すほど私たちは愚かじゃない。そんなヘマはしない……。けど、しばらく私は雲隠れしないと」
 彼女らにとって、アジトの一つをつぶされたに過ぎない。令司たちに顔を見せたのも、水嶋硝子だけだ。リスクを犯した彼女には感謝しかない。
「ケーキをありがとう。これ、私たちからのプレゼント」
 硝子は、令司にIDハッキングのUSBメモリを渡した。
 振り向くともう、水嶋の姿は消えている。まさかおとりに?
「この様子だと、おそらくあの館自体、もぬけの殻だろう。俺たち、秋葉にまんまと利用されたのかもしれない」
「嘘……嘘だ、そんな」
 キョウコの襲撃を受け、命からがらで秋葉に利用されたという事実に、里実はショックを隠せないようだった。里実は無言になり、一人で歩いて帰るといって、人込みの中へと消えた。

「エラい目に遭ったなぁ! 令司ィ」
「あぁ……渋谷に続いて」
 藪によると里実は、元々ニートでマックス先輩に誘われて、部に参加したということだ。その里実が消えた。「もう連絡しないで」の言葉を最後に、ぷっつりと里実の連絡が途絶えたという。
「サトミンはニートに戻ったかもな」
 東伝会が東京伝説を追うたび、消えてゆく人々。それらの事件の傍に、常にキョウコの姿があった。令司は、どうしても東山京子が何か知っているような気がして仕方ない。

 原稿が進まない。頭が疲れていた。
 令司は、里実と一緒に買ったコピック・マルチライナー0.3で、朝までぶっ通しで東山京子の絵を描いた。小説を書く以前、中学生までは漫画を描いていた。大学ノートに描くレベルだが、絵のおかげで自分で読み返すのも楽しかった。いやおうなしに、秋葉に出現したARキョウコに似てくる。
「一体、何を描いてるんだオレは!? 早く原稿を完成させないと」
 令司は頭を抱えてうずくまった。皆の期待が掛かっている。今や研究会の存続を自分が担っているといってよい。部は崩壊しつつあったが、令司はまだあきらめてはいかなかった。
 影子部長の原稿を読んでみたい。まだ読んだことはないが、東京の秘密を知れば知るほど、部長の原稿に近づいていっている実感があった。
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