第31話 東京タワー忠臣蔵 ブラック企業オフィス

文字数 9,706文字



赤穂浪士

 一七〇一年四月。
 帝の勅使が江戸に来ることになり、接待役として浅野家が抜擢された。そこには数々のしきたりがあり、浅野内匠頭は教育係の吉良上野介に教えを仰いだ。
 しかし、浅野は吉良家への贈り物(金)が少なく、吉良上野介の機嫌を損ねた。その結果、吉良は浅野に嘘を教えたのだった。
 ついに松の廊下で、浅野内匠頭は吉良上野介に斬りかかった。
 浅野内匠頭に対して即日切腹と、赤穂浅野家の取りつぶしの沙汰が下った。不思議なことに、吉良家には全くおとがめがなかった。浅野家への処分は、あまりに早かった。
 赤穂城は幕府への引き渡しが決定。それに対して赤穂では、恭順派と抗戦派が論争を繰り広げた。
 大石内蔵助は、赤穂藩の再興を目指すことで抗戦派をなだめた。
 だが浅野家再興の夢が潰えると、内蔵助は仇討ちに方針を定めた。江戸にアジトを構え、その時を待った。
 一七〇三年十二月十四日。
 参加者の脱落等を経て四七人となった赤穂浪士は、ついに討ち入りを果たした。隠れていた吉良上野介は引きずり出され、大石内蔵助に殺された。
 その後、泉岳寺の浅野内匠頭の墓前に報告すると、討ち入りに参加した者たちは一人を除いて全員切腹となった――。

二〇二五年七月十四日 月曜日

「おぉ藪!」
 部室の白い丸テーブルには、鷹城令司と天馬雅が座っている。そこへ、遅れて藪重太郎が現れた。
「研究会はもう壊滅だな。サトミンは相変わらず連絡取れねーシ」
 藪は大きなビニール袋を二つ、机の上にドサッと置いた。藪は普段から一人羽で振りがいいようなことを言っていたので、マックで少し贅沢な分量を買ってきてくれたらしい。
「えぇ。里実さんは引きこもってしまいました。自宅にいると思いますけど」
 雅は視線を落としながら言った。
「里実さんが不通になったことで、影のサイト管理人だった光宗丁子とも縁が切れてしまいましたね~。結果、U-Tubeの更新が止まっています」
 もっとも連中のスミドラシル攻略に利用され、最後はガンドッグのスケープゴートにされたと思うと腹が立つ。水嶋はいつの間にかいなくなってたし。
「今のところチャンネルは削除されてないけど」
「BANされることなく、継続できるかどうか分からんが、三人でやるしかないな」
「僕、やってみます。里実さんはいったん、そっとしておいてあげましょ」
 腫れ物に触るような対応だ。
「U-TUBEのアカウントの管理は、俺も形だけ共同なんで、引き継げるが……少し勉強しないとな」
 藪はビニールからバーガー類を取り出した。
「そうか……じゃあチャンネルは任せる。で、今後の取材をどうするかだけど……」
「オマエも真面目だな。毎度毎度大変な目に遭ってんのによ。フフフ、じゃあ、決まり。残った俺たちで、いっちょ続きをやるか!」
「何?」
「ここで辞めたら、ドロップアウトしたメンバーに申し訳なくないか!? 奴らの無念は俺たちが晴らす! 残った俺たちが続けてりゃー、きっとみんな戻ってくるさ。そのために会をここでつぶしちゃダメないんだ!」
 いつもながら、調子っぱずれの熱血少年漫画キャラの藪だ。
「……実はな藪。俺もそう思ってたところだ。ここまできてやめる気なんてさらさらない」
「OK、次はミミズバーガーだったっけ?」
 雅は月見バーガーをじっと見つめる。
「ハハハ! サトミンがリクエストしてたもんなぁ……これにはミミズは入ってねーぜ」
 食用ミミズバーガーは、実際に作って検証するしかない。調べてみると、ミミズはミミズでも食用のものはゴカイの類で、アメリカではミミズ料理コンテストも開催されているらしい。高級食材だ。また、漢方では伝統的な材料になっている。まず「食用ミミズ」をネットで輸入するところから始めなければならない。
「にしても、ずいぶん買ってきたな」
 ビックマックだけで六つもあった。
「こんな時だからこそパーッと明るく行かなくちゃよ! ま、食べながらテーマを決めようぜ。センセイほどじゃないが今日は俺のオゴリだ!」
 先生から差し入れされたデコポンと、はっさくの皮をむきながら、
「いいのか?」
 令司はうすら笑いを浮かべて訊いた。
「たりめーだ! 喜べ下郎どもー! どんどん食え~~」
「下郎は言いすぎだよ」
 雅が苦笑する。
「人間は食べられるうちに食べておいた方がいい! 後で食べられなくなるから。次回はライカン・ギャングに連れてってやるよ!」
 この日、東伝会は資本主義のカードゲームたる大富豪をやりながら、古いテレビの都市伝説など、ほとんど雑談に流れて新しいテーマは何も浮かばなかった。

 夜遅くに、三人のRINE会議で半ば冗談のように決まったミミズバーガーの取材の待ち合わせ当日に、藪重太郎は姿を見せなかった。
 令司は一人アウディの中で待ちぼうけを喰らっていたが、藪に連絡した。
「あぁ――鷹城だけど」
「こ、この電話、大丈夫なんだろうな?」
 藪は何かをぼそぼそと言ってて聞き取りづらい。
「帝国だよ! 盗聴されてるゾ」
 藪はイカれてしまったように、令司は感じた。
「だから妄想だよ、盗聴だなんて」
 令司は、半ばその言葉が真実かもしれないという薄気味悪さを感じている。
「それとも、俺たちの誰かが、敵のスパイだったのかも」
「何を言ってるんだ。落ち着けよ」
「おい……俺は――俺はどうしたらいいんだよ、令司……。東大入ったのにグローバル資本主義に飲み込まれちまって、凋落してずっと下流なんて俺はいやだよ!!」
「なんだ、どうした? 今度、ライカン・ギャングのステーキでも食いに行こうって――」
「そんな金あるか! それどころじゃなくなったんだ――」
「今日の取材は、ミミズバーガーの」
「父親の会社が、親会社の統廃合でつぶされる……」
「待て待て、詳しく説明してくれないか」
「敵対的買収されたんだ! 社長交代――今度事業整理される。全員解雇だよ! 父親は家を出て失踪中だ」
「そんなに経営が怪しいのか、親会社は?」
「いや、そんなことじゃない。こいつは渋谷大斗会の結果だ! ハッキリ言って!」
「ちょっと待て、もう少し詳しく――」
「陰謀だったんだよ! この東京じゃ一度ドロップアウトすれば、たちまちアンダークラスだ。二度と這い上がれない。父はな、会社を告発したんだ。だがな……。俺には何の力もない。十連歌デモの連中が今となっては、いっそうらやましいぜ。何もなくてもあんだけ力を持ってるんだから」
 その十連歌も、テロリスト認定したガンドッグの白色テロに遭った。
「俺なんかヨ、東大に入れて浮かれて、こざかしくなっちまって……純子たちみたいに、あそこまで突き抜けられないもんなぁ。東大の中で上級批判をしてただけだった。デモなんてとんでもねぇ」
「そう自己卑下することもない。デモなんてやってないヤツの方が多い」
「純子に馬鹿にされないためにゃあ、俺、来世鼠小僧にでも生まれ変わるしかない……」
「来世でもガンドッグに捕まって、最後処刑されても知らんぞ」
「……どうすればいい、なぁ、どうすればいい?」
「落ち着け。事情は分かった。今日の取材は中止としよう」
「―――ま、待ってくれよ! 昨日、居なくなった他のメンバーのためにも頑張るって誓ったばかりだったのに……やっぱ辞めるなんてダメだ!」
「いや、しかし」
「俺まで消えたら、あまりに類型的すぎる。毎回毎回、誰かが消えてってる。恐ろしいくらいにな。仕組まれてるのかもしれん」
 海老川が令司に語った「社会の見えざる手」だ。
「じっくり対策を練った方が良くないか?」
「下手な考え休むに似たり。残った俺たちは、多くの人間の無念さを背負って今に至る。ミミズバーガーの予定は変更する。なぁ令司よ、俺に協力してくれないか? 今度の東京伝説は港区だ」

 令司は、東京タワーの前で亡霊のように突っ立った、真っ青な顔の藪重太郎と合流した。
「新宿の東京城ホテルを建設している会社の本社があるんだ」
「まずは、何の伝説なのか教えてくれ」
「今回は、ブラック企業オフィスの伝説だ」
 真っ暗闇のオフィスに、人がぎっしりと詰まっているという不気味な伝説だった。
「あの伝説って、藪の……君の親父さんの会社のことだったの?」
「あぁ、墓まで持っていくつもりだったが」
「その割にはテーマに出していたじゃないか」
「ブラック企業オフィスの伝説、あれな。俺が自分でタレコミ箱に入れた」
「――は?」
「本気で追及するつもりはなかった。今度、新宿新都心に建つ東京城ホテルは、俺の親父の建設会社が受け持ったビルだ!」
「新宿か……幻想皇帝の伝説と……何か関係が?」
「西新宿は、マックス先輩が言ってた通りさ! 東京の支配者の帝都。東京城ホテルは、その主城なんだ」
「しかし……東京の支配者っつっても、都知事のことじゃないよな?」
「まだそんな事言ってるのか? やれやれだな。都庁が現・地球フォーラムの場所から西新宿に引っ越してきたのは一九九一年。あれは表向きの権力でしかない。それ以前からのことだよ。戦後一貫してあそこは、帝都だったんだ。正確には第一次大戦時に計画された山手線の風水による都市防衛。風水ってのはPMと何か関係あるのかもな。偶然、高層ビル街になったりしねーよ。しっかりとカメラを回して、記録に残してくれよ! お前は記録係なんだから」
 藪はずっと何か隠していたのだ。令司はそう確信した。
「俺はいいが……いいのかそんな、プライベートな事を――」
 令司はかなり危険なネタではないかと感じた。またU-TubeチャンネルがBANされるリスクが高まる。
「かまやせん!! 俺も今日で消されるかもしれんが、全部覚悟の上だ」

「ここか……」
 港区の真新しいビルに二人が到着したころには、日が暮れていた。高さ五十メートルの近代的なビルの上に、ライトアップされた白い天守閣が載っている。令司はスマホで動画撮影しながらあっけにとられた。
「すごいデザインだな」
「うん。もともと、中央区兜町にあった第一銀行本店がモデルになっている。そのビル部分の階を、二十二階建てに増やしたものが、東山組本社ビルだ」
「東山組――? ここが本社なのか」
 令司の頭に電撃が走った。
 年商一兆円以上の建設会社を、スーパー・ゼネコンと呼ぶ。五大ゼネコンの一つ東山組は、東山京子の親が経営する会社ではないか? 京子から彼女の父の会社のことを詳しく聞いたことはない。もしも、そうだとしたら―――。
「明治時代の和洋折衷建築を忠実に再現している。内装は、先端テクノロジーで武装された5Gインテリジェント・ビルだ。まわりまわって最先端。俺の父親の会社はここに合併された。―――って、ずいぶん驚いてるな?」
「あ、いや……」
 落ち着かなければ。まだ、東山京子のことは東伝会のメンバーには言っていないのだ。とにかく、確かめなければならない。
「まだできてないんだろ?」
「上の天守閣はまだ内装工事が続いてるんだが、下階は部分的に開業している」
 窓ガラスを見ると、下半分の半分くらい明かりが点いている。
「おい、あそこ見ろよ!」
 真っ暗なオフィスに、人がぎっしりとひしめいていた。おそらくは五十人以上、椅子がないデスクとデスクの間に立っている。
「ヤベーな……」
 様子を見ていると、誰も口を利かないし、身動き一つしない。しかし、中に居るのはマネキンとかではない。立っているのでよく見るとフラフラしているので、人間だとわかる。彼らは、全く動かない訳ではないし、薄暗い中でも、その表情が暗く沈んでいるのが確認できた。
「なんだ……あれ?」
 確かに伝説の通りだった。令司はカメラを回しはじめたが、こちらに気づいている気配はなかった。
「やっぱり追い出し部屋で間違いない。……いわゆる、会社が社員をリストラしようって時に使う、卑劣な手だな。不当労働行為って奴」
「しかし、なぜ全く動かないんだ?」
「何かをすると首になる。そういう職務規定だからだろ」
 就業時間中、何もしてはならない。とっくに灯りが落されてるのに、座ることも、居眠りも許されない。こんな苛烈な不当労働行為は聞いたこともない。
「彼らは最後に残った抵抗者だ。これまでにも数多くリストラされてる。ああして、一か所に集められてるんだよ。その名もマルチサポート・チーム。年齢は三十代から五十代までと多様。けど、たぶん何もサポートなんてさせてもらえない」
「親父さんもあそこに?」
「父は、社内の武闘派、つまり抵抗派だ。サポート・チームに行ったかどうかは分からんが、すでに首になってる。もしかして――あそこに父親が? ま、それも分かるだろう。入ろうぜ」
「えっ――大丈夫なのか?」
 藪はつかつかと受付へ向かい、受付嬢に大胆にも社内見学を申し込んだ。「矢吹」と書かれた名札の受付嬢は、約束がないことを理由に丁重に断った。そりゃそうだ、と令司が思っていると、部屋の明かりがズドンと落ちた。
「な、なんだ……」
 突然無人に、非常灯に照らされたホールに、誰もいない。目の前にいた受付嬢も消えている……。
「消灯時間だ。最近は残業禁止でな。強制的に電気を落とす会社も増えている。ここは問答無用だな」
 二人が入ってきた出入口の非常灯だけが明々と輝き、さっさと出て行ってくれと言わんばかりだった。
「焦ったぜ。そういうことか。一瞬でも、ここも無人化現象が起こったかと思った」
「かもしれん……」
 灯りが落されて、二人は瞬間的に目がくらんだ。その間に、視界の中にいた社員たちは歩き去ったのだろう。受付嬢も。
 もしも決闘無人空間だったら、無法地帯であり、殺されても文句は言えない。
 足音が響いてくる。闇の中から懐中電灯が近づき、二人はいったん外へ出た。警備員がシャッターが下ろした。
 藪はあきらめずに裏口へ回ると、今度は建設作業員専用出入り口から、帰宅する作業員に紛れて、するりと館内へ侵入した。
 なるほど明治風の意匠は外装だけで、内部は古めかしいところは全くない。
「現在の俺の親父の身分はこの会社の派遣社員だ。正確にはそうだったというべきだが」
 もともと正社員だったが派遣社員に降格され、今は行方不明に。
「カメラ回して大丈夫か?」
「構わん。映してくれ」
 令司はあからさまには回せないので、こっそりスマホで隠し撮りした。もしバレたら警備員が飛んでくる。しかし、潜入取材も幾分慣れてきた。

オフィス内へ

 作業用エレベータで、外から見えた問題の真っ暗オフィスのある四階へ上がった。
 慎重に廊下を進んで、表から見えた部屋を突き止めた。ドアは開いていた。中へ入ってみると、暗いだけで誰もいない。
 部屋には椅子が全くなく、デスクだけが列をなして並ぶ異様な光景が目の前に広がっている。
「消えた……?」
「ここじゃなかったのかな」
「いや……、外の景色と一致する。間違いないぜ」
 二人は窓から、さっきまで居た路地を見下ろす。真っ暗なオフィスで、身動き一つできずにいた彼らは、一体何を考えていたのだろうか。
「そろそろ話してくれないか。親父さんに何が起こったのかを」
「父親の会社、大神開発の大神明社長が不祥事で、東京地検特捜部機動隊・新番組の強制捜査を受け、逮捕されたんだ。社長の腹心だった上甲専務は徹底抗戦を主張したが、その時、スーパー・ゼネコンの東山組が買収を持ち掛けた」
 藪は重い口を開いた。
 東山組は、超高層ビルを得意とするゼネコンである。もともと東山組と大神開発は、共同で事業を行うことがあったが、江東区の新ビルの入札では、大神開発が勝利した。
 その入札に関して、大神開発に談合があったという疑いがかけられたのだが、まったくの冤罪で、大神開発の方がある技術による経済効率の点で、好条件を有したということだ。談合が常態化していたのはスーパー・ゼネコン達、東山組の方だった。
 買収においては、対外的なイメージを気にして、上告しないことが条件に入っていた。
 上甲専務は再生を祈って、勅使河原などの抗戦派を鎮め、逮捕された社長の希望もあって買収に応じた。東山組は大神開発の持つ技術を求めた。
「その技術って?」
「詳しいことはよく知らんのだけど、プレハブに関する新技術だ」
 検察にしょっ引かれたことで大神社長は会社を首になったが、従業員千人とその家族の運命は、東山組にゆだねられた。これで安泰かと思われた。
 しかし業績悪化を理由に、東山組は元大神開発員の八割を非常勤の派遣社員契約で雇った。上級職・専門職の技術を有する社員だけは正社員扱いで、藪の父親も正社員だった。
 上甲は組合代表に就任し、ストをしながら団体交渉を開始した。が、組合つぶしの警備会社の襲撃を受けて、激しいバトルの末、一時的に建設現場や職場からのロックアウト、報復人事と不当労働行為がまかり通る粛清の嵐。上甲は裁判へ持ち込もうと計画する途中で行方不明。調査段階で、最初から大神開発の技術を手に入れたかった東山組の陰謀だったと分かった。
「プレハブ工法の新技術さえ手に入れれば元大神開発派は不要―――。東山組は親父たちの社内派閥を一気に追い出しに掛かった」
「上級都民でない者たちは社に不要ってことか」
「あぁ。その時に、この会議室に追い出し部屋を作ったんだ」
 やむなく退職に追い込まれた者もいたらしいが、いずれも悲惨な末路を迎えている。
「地球フォーラムで、海老川が言ってたぞ。東山組には、大規模堤防の新技術があるって。ひょっとしてそのプレハブが――」
 令司は思い出した。
「そいつは間違いなく人狼企業のプレハブだ。PMテクノロジーが関係しているに決まっている。盗んだのさ!!」
 この瞬間ほど、人が恨みを全身から発したところを、令司は見た事がなかった。
「最初から、東山組と新番組が仕掛けた国策捜査だったんだ。同じ穴の狢さ。東山組は上甲書記長を初め、全員をリストラした。って訳で、乗っ取られた……」
 国策捜査とは、検察が政治的な理由やメディアの風潮をバックに捜査を行うこと。事実のでっち上げや、恣意的に立件の基準をコントロールし、ときには、「万引き=死刑」に等しいケースも過去には存在する。
 その原因は、検察が暴走すれば、阻止する手段がこの国には欠けていることがあげられるのだ。
 立件すれば99.9パーセントが有罪と判決を下される、異常に高い有罪率の日本の刑事裁判制度。推定無罪は能書きにすぎず、現実は推定有罪。裁判官や弁護士が正しく機能していないともいえる。あるいは、弁護士が弱すぎるともいえる。
「検察は、立件さえすれば有罪になるというこの方程式を利用して、どんな強引な立件でも行えば、相手を追い込むことができると考える訳だ。まさに検察の暴走、暗黒社会だ」
「恐ろしいな。新選組そのものだ」
 令司は、否応にも五百旗頭藤吉特捜検事のやくざ面を思い浮かべた。
「うん。新番組はまさにそれだ。当の検察は誤解だと否定するだろうが、実際取り調べで検察自ら『これは国策捜査だ』と口走っているんだから、誤解も六階もないぜ」
 やりたい放題の検察。もはやこの暗黒社会を止めることはできない。
「それがブラックオフィスの真実か……」
 不当労働行為は続けられる一方、上級どもは有能無能関係なく高い給料もらって、働かないおじさんの地位も守られる。さらに、罪を犯しても罰を受けず、社会の上層に居座る上級国民。
「上級国民同士は互助会だからな」
「その構造を崩そうと、荒木部長は大斗会を申し込んだんだな?」
「だが先日の渋谷事変では、DJK.キョウコの勝利で終わったことで、こんなことになったんだ」
「組合員たちは?」
「全員消えちまった……。まるで行方不明さ。そんなことあるのかな。きっと都民IDを消されたんだ。一体どこへ行ったんだ?」
 すでに令司と天馬は経験積みだった。ハッカー集団・秋葉武麗奴への協力要請は……現状考えられない。
「で、どこ行ったかヒントでもあればと思ってよ」
 令司はしばらく考えて、
「なんだか、赤穂浪士に似てるな。忠臣蔵っていうのは上級武士が外様大名を苦しめる話だろ。上級都民が下級を苦しめる話に似てるぜ」
「そうとも……こうなることは運命だったんだ」
 吉良は上級国民であり、武家社会こそは格差社会の原形だった。その恨みが積み重なって、ついに爆発。
 藪は考え事をしている。
「忠臣蔵の話でどうも俺がよく分からんのは、松の廊下で浅野内匠頭は、なんで脇差を抜いて刺しに行かずに斬りかかったかってことだが」
「……う~ん」
「脇差は刺す刀だ。武士のくせに、刀の使い方も分からないのか?」
「確かにな」
 あえて歩きづらくデザインされた正装のせいだった可能性もある。さらに気性が激しい性格の家系で、親族にも粗暴事件を過去に起こした者がいたという。いつの時代にも、キレやすい人間が起こした事件は起こっている。
「あの時代には、決闘はそれこそ公に認められたモノだった。でも、浅野内匠頭は正当な手続きを踏まない私闘を行ったために即切腹、だがそれで事が治まらなくなって、最終的に家同士のプチ内戦へと発展しちまった――。だからこれ以上の反乱がおこることを危惧して、政府は全員切腹を命じた。正当ならざる戦いを行うものは、いつの時代も容赦なく取り締まる」
「銭形花音も、確かそんなこと言ってた。問題なのは果し合いをすることじゃない、手続きなんだ、と。十連歌はルールを守らない革命を起こそうとしていたから、自分たちが取り締まるんだってさ」
 秋葉原で、ARキョウコも同様のことを叫んでいた。
「お前のそのUSB、ハッキングに使えるんじゃねーの?」
 秋葉で硝子からもらったUSBメモリのことだ。
 藪は、社内パソコンを立ち上げた。
「そんな、秋葉武麗奴のまねごとを?」
「あぁ 会社のサーバーに侵入する」
「本気か? 一線超えてるぞ」
 重要なのは手続きだと言ったばかりなのに。
「普通は開けない。ただしこのIDハッキングツールを使えば―――。令司、開かずの戸を開けるぜ」
「なぜそこまでして?」
「構うもんかよ!」
 藪は父の居場所を突き止めるのに必死だった。完全に犯罪だ。やばい、やばすぎる。
「だが、なんでこんなことが可能なんだ?」
「おそらくPM技術だろう」
 藪は管理パスワード解析に一分とかからず、侵入に成功した。
「これだこれ、江東区第三夢の島に建築予定のビル――。父の最後の仕事だ。そこで消息を絶った。フーム、超高層ビルを建てようとしていたらしいぜ。が、まだ始まったところでとん挫している。組合員のストで。あの建物は何を作ろうとしたんだ? んだと……これは。なんて会社だ。これはやばい。とんでもねェ。この会社、まんま耀―AKARU―だ!」
「何がだ?」
「ま、待て、後で話す―――」
 足音が近づいてきた。複数だ。
 警備員が走ってくる音だ。話し声も聞こえる。
 二人は静かにドアから廊下へ脱した。廊下の角から部屋の入口の様子をうかがっていると、奥から人影が現れた。
「受付に居た女だ。IDの不正使用がバレたのか?」
「いや―――そんなハズは」
 長い髪のスーツ姿の受付嬢が、前方から歩いてくる。
「確か矢吹……矢吹嬢だ!」
「矢吹嬢……?」
 やはり、バレバレじゃないか。
 廊下の背後からは五~六台、寸胴のごみ箱のような形状の警備ロボットが集まってきた。銀色に輝き、円筒形の上部を囲んだラインの中に、赤い光がクルクルと回転している。
「とても無理だ、いくぞ!」
「ってどこへ? どうする、下にはもう降りれん」
「上へ逃げるしかない!」
「上?」
 秋葉でも命からがら逃げたってのに、また同じことの繰り返し! 今度の相手はARではなかった。
 二人は追いつめられるのを承知の上で、工事中の上階へ階段で上がっていった。まだカメラが設置されてないのが不幸中の幸いだ。
 建設現場で、鉄骨が滑り落てきた。
「アブねぇ!」
 潰されそうになった瞬間、黒い丸い物体が、鉄骨を吹き飛ばした。令司は、長い髪の女の影がいないか辺りを見回した。
「おふぅ……」
「ただの事故か? それとも――」
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