第23話 東京学生サミット人狼ゲーム ディスクロージャー対デバンカー

文字数 9,978文字



ノアの方舟

 神は地上に増えた人々の堕落を見ると、洪水で滅ぼすと宣言し、主と共に歩んだ正しい人ノアに方舟の建設を命じた。
 方舟は三階建てで、内部に数多くの小部屋が作られた。壁は木のタールで塗られた。ノアは方舟を完成させると、妻と、三人の息子とそれぞれの妻、そして全種類の動物のつがいを方舟に乗せた。
 洪水は四十日間続き、地上の生物を滅ぼしつくした。水は百五十日の間、勢いを失わなかった。その後、方舟はアララト山の上に停泊した。

                            「創世記」

二〇二五年七月七日 月曜日 オジカ月(バックムーン)

 満月が浮かんでいる。
 七夕の夜九時。
 丸の内の東京地球フォーラムは、旧東京都庁跡地に建つ紡錘状のガラス棟で有名な、都内有数のランドマークである。ホールAは青白く光り輝き、巨大な舟形がビル間に浮かび上がっていた。まさに、東京のノアの箱舟。
 三日前の下町区のスコールは、一時間程度で収束し、洪水には至らなかった。松下村塾大学鬼兵隊によると、上級都民の下町に対する脅し、「ドラマチック洪水警報」だったという。
 今夜、上級学生と下級学生がここに一堂に会する。
 東京学生連合が四半期ごとに開催している学生サミットは、Aホールで開催される。収容人数二千人。ステージには海老川雅弓始めデルタフォースの面々と、各大学のトップが座っている。醍醐財閥の醍醐凛也と芹香の兄弟、信濃財閥の信濃紅緒、浅田大学のW浅田。そして右側の座席は全て、山の手の学生で埋まっていた。今夜開催される人狼ゲームは名ばかりで、海老川がホームズ気取りで探偵ごっこを楽しもうという趣旨である。
 団旗を掲げた商科巽塾、もとい松下村塾應援團・鬼兵隊が後ろのドアから神輿に乗って入ってきた。下町学生連合会長・久世リカ子は、下町大学からの唯一の参加である。
「それは? 過剰に華美なモノは持ち込み禁止です」
 海老川会長は、注意した。
「あぁ、分かった……」
 リカ子は、神輿から降りると羽織をバッと脱いだ。
 その下はレースクイーンのコスチュームだった。スパンコールがキラキラしているチューブトップのバンドゥ・ビキニに、下も超ミニ。引き締まったおなかが軽くシックスパックになっているのが見えている。




「何ですの? その格好――。アラレもない。まるで原始人ね」
「さっきは脱げと言ったではないか?」
 オォーと、客席からどよめきが上がる。
「言ってません」
 東学連の上級学生と下学連の両代表が、初めて対峙した。
 鬼兵隊が連れてきた二百人余りの下学連の学生は、左側の座席に座った。應援團は立っている。
 新田は釈放されたが、銭形花音に手錠で拘束されながら、ステージの真下に立って、「一撃」と書かれたシャツを着ていた。
 銭形花音と、ステージ上の海老川雅弓、水友正二の三位一体で、最強となるようだ。
 令司は所在なく新田のそばへと近づいた。
 花音は右手にギブスをはめて、三角巾で釣っていた。デモの際、純子が四斧のある狼牙ギターで腕を叩き折った。公務執行妨害で、純子がその後どうなったのかは分からない。
「――果たし状は受け取りました。その姿で人狼ゲームに参加しようというつもり? 下品な人たち。これが野蛮人だらけの松下村塾の流儀?」
 海老川は、あからさまに相手を見下した態度で座っていた。
 絶大な権力を持った東京学生連合会長の海老川雅弓は、三角柄のワンピースに身を包んでいて、今宵もアフターファイブの丸の内OLみたいだ。
 海老川もアイドル並みの容姿を持つ。量産型大学生相手なら、ただ対面に立っただけで公開処刑だが、そこは現役レースクイーンにしてモデルの久世リカ子。さすがの迫力で、初対決でバチバチとやり合っている。方向性は全く違うが、令司には二人ともおっかない。
「バンカラと言え! 私は歴史と伝統を重んじている。単なる野蛮との違いは、文明・文化を持つか、持たぬかだ」
 海老川の言葉に、リカ子は應援團的煽りで対抗する。
 本郷に次いで人狼ゲームの二回戦、再度都民ターン。海老川は最初から、リカ子たち商科巽塾大学を人狼だと決めつけているのだ。
「二十一世紀にバンカラ? あぁイヤだ。そんなもの、文化といえるのかしら? この、ファッション右翼が!」
「お前ほどじゃない」
「なぁ、一体あれは何なんだ?」
 久世リカ子の格好がすごいので、令司は人狼ゲームどころではなかった。
『ちょっと露出狂なんだ』
 新田が令司にささやいた。
「……」
『おい令司、あんまジロジロ観るなよ。本気(マジ)で殺されるぜ。くれぐれも。俺より強いんだからな!』
『あぁ、分かってるって』
『まぁ……詳しいことは俺の口からは控えるが、ああ見えて実は純情可憐なんだ』
『あれで?』
「新田! ――なんか聴こえてくるがッ?」
 リカ子が新田を睨んでいる。
「いや別に……」
 地獄耳だ。
「今日は一段と激しいな! リカ子」
 新田は開き直ったように言った。
「カチコミだからな」
 バンカラ大学のボスは静かに答えた。
「心配すんな。これも作戦だ。私はこの方が力が出るんでね――」
 露出のことを指している。
 モデル業をしているリカ子ならでは、か……。
 PMF(サイコ・マグネティック・フォース)と身体の超能力の関係性について、研究対象になりそうだ。
「いやはや……最近はグラビア撮影が立て込んでるんでな。キャンセルするのは私の流儀じゃない。オマエの窮地を救うためには、どんなスケジュールでも駆けつける。それに海老川雅弓に直接会うためにも、私は今日という日をずっと待ちわびていた」
「フン、犬に相応しい」
「ならお前も試したらどうだ? フフフフ、涼しくていいぞ!」
 どんな恰好でも対応可能な美ボディのリカ子の自信が、そこにあふれていた。
「頭がおかしくって? それもバンカラなの? それともパンチラなの? いいから上だけでも羽織っていただけます?」
 海老川はイラっとして返答した。
「善かろう――」
 リカ子は肩に羽織った。依然、前は開いたままだ。
「果たし状、受け取りましたわ。大時代的ですコト。下学連の人狼ゲームへの参加、歓迎いたしましょう――。今日はどうしても、最初にうかがわなくてはならないことがありましてね。久世さん、あなたの学生の傘下エリアである下町区で、近頃不可解なテロ事件が起こっています」
「遺憾ながら、下町でも犯罪は多々起こる」
「私が問題としますのは、車両事故や事件で罪なしと警察当局より釈放された容疑者が、何者かの襲撃を受けるテロ未解決事件のことです。――あなた方鬼兵隊は自警団と称して、下町をパトロールしているそうですね? 御存じでないとは言わせません」
「罪を犯した上級都民がその後どうなろうと知ったことか。天罰でも下ったのだろう――」
「あなた方鬼兵隊の襲撃を受けたのでは?」
「言いがかりだな。何処に根拠がある」
 なるほど、令司は合点がいった。おそらくリカ子は、下町区で、法で裁けない上級都民たちの罪をつるし上げている。新田もやっていたのかもしれない。
「先日、うちの東大自治会のメンバーが鬼兵隊と遭遇し、襲われたそうです」
「そちらの連中が先に路上で鞭を振り回していたらしいぞ。正当防衛としてやむを得ない自衛手段だったろう。言語道断な行為を働いたのはその方らだ!」
「私が一つ一つの事件を、見逃さないとでも思ってるのですか? 久世会長。ここにいる花音は特捜検事です。すべてを調べ上げています。場合によってはあなたを逮捕してもらいますよ」
 以前から海老川は人狼狩りを進めていたに違いなかった。ゼニガネーター花音は暗殺もしかねないが、海老川はあくまで穏便に。そしてついに新田真実を捕まえたのだ。
「ならばデルタフォースに何をしたかを問え。素行の悪い者は、たとえ上級だろうと下級だろうと、ちゃんと平等に罪を償ってもらわなければならない。法で裁けないなら我々がな。襲撃だなどというが、我々はすべてを合法的に行っている」
 リカ子は、帝国に復讐する女。彼女と手下による悪徳上級国民へのテロ行為。それを「二十一世紀猛士」と呼んでいる。その挙句、令司を巻き込んで本丸のスミドラシルへ突撃してった。やはり、とんでもない連中!
「あなた方、闇市の愚連隊か何か? 暴力が支配した終戦直後じゃないんですよ? 自分の縄張りなら、勝手に法を作ってもよいとおっしゃるのですか」
「残念だが東学連の会長は認識が甘いな。今の東京が無法地帯であることには、あまり変わらんな」
「野暮ったい連中ですこと。そこらの暴走族やチーマーとなんら変わりない」
「山の手のお嬢さん――我々は下町区の大学周辺を警備している。下町の住民たちには感謝されている、事実上の武士団……。そのような反社勢力どもと一緒にされたくない!」
「武士? やれやれ、いつの時代ですか。それは警察の仕事です」
 海老川のあきれ声を、ステージ下の花音が継いだ。
「法を犯した者は法にのっとって裁かれるべきなどと言いながら、あなた方は前提において法を逸脱しています!」
「どこが公平な法だ? 上級都民は超法規的に守られているではないか!」
「久世さん、あなた方も法を犯すなら取り締まりの対象ですよ! それとも、また私のサーブに教えてほしい?」
 花音は叫んだ。
「花音さん、今日はこの辺にしておきましょう。彼らが、都内各所でテロを起こしている人狼である疑いは濃厚です。先日の十連歌テロと同様にね。鬼兵隊の所業については、いずれきっちりとサミットの議題にしたいと思います。しかし、議題を絞りましょう」
 令司は口を開いた。
「海老川、お前大斗会について知っていたんだな? この前のスミドラシルで、花音とリカ子が戦ったことも」
「えぇ―、大学では学生自治会長の身分なもので、人狼ゲームの範疇にとどまることしか言及できませんでした。確かに私は大斗会について存じています。それについて、あなた方二人には嘘をついていたことを謝ります」
 ここは完全に海老川が独裁している学生サミット。すべてを明らかにするときが来たようだ。
「詳しく聴かせてもらおう」
「決闘管理委員会では、常に決闘の内容について詳細に検討されます。正しい方法か否か、その是非についてね。だから私は人狼ゲーム内という制限の中で、その判定のお手伝いをしたという訳です」
 微動だにしない海老川は、ゆるぎない自信に満ち溢れていた。
「先日の、東京スミドラシルの大斗会は、我々東学連とあなた方下学連の代理戦争であったと、東京決闘管理委員会に認められています。今回も、五百旗頭検事の協力を得て、新田真実君を一時的に釈放していただきました」
 決闘の当事者、学生検事の銭形花音が海老川雅弓の配下であることも大きいだろう。
「ですから久世リカ子さんのスミドラシルへの不法侵入罪については、このサミットでは便宜上、問わないことに致しましょう。我々が今ここで正当と認めたら、不問とすることができます。問題は、その先です。何故に貴女は決闘会場を墨田アリーナから天空楼タウンへ、そして東京スミドラシルへと拡大していったのですか? この理由を、決闘管理委員会も問題としております」
「どこへ拡大していくかは、決闘の流れ次第で変わる――」
「東京オリンピック会場にも使われた、あれほど広いアリーナでも事足りぬと? 不自然ですね。あなたは最初から、スミドラシルへの侵入を図るおつもりだったのではないですか?」
「さぁな。だとしたら何だと言うんだ?」
「あら、案外とあっさりとお認めになりましたね。東伝会の彼らがスミドラシルの東京伝説を調査していた。協力していたのではないですか?」
「確かにそれは事実だ。だがあくまで決闘の流れで、結果そうなった」
 東伝会はリカ子に利用されたらしい。
「なるほど。――と、申しますと、東京スミドラシルの伝説か何か?」
「そうとも。お前たち、上級都民どもこそ知っているはずだが、スミドラシルでこれまで何が行われてきたのかをな。我々の調査には正当性がある。それは大斗会の正当性につながる。今ここでそれを公表しよう」
「ふぅ――ま、いいでしょう。では、あえて乗ってみましょう。人狼の疑いがあるあなた方が人狼かどうかを、スミドラシルの東京伝説を通して、人狼ゲームで検証していくことにしましょう」
「望むところだ」
「もしも久世さんの主張通り、スミドラシルに何がしか陰謀の証拠が発見されたことが認められれば、あなたの大斗会における行動には一定の正当性があると、認めましょう。そして新田さんも釈放いたします。決闘せずともね」
 東京伝説の信ぴょう性が、学生サミットの人狼ゲームの論点となる――久世のシナリオ通りだった。
「しかし、もし久世さん、それに新田さんの行動に正当性が認められないことが、ゲーム内で判明した際には、本日立ち会っていただいた鷹城令司さんには、東伝会を退部して、今後私どもの東京学生サミットのメンバーに加わっていただきます」
「……」
「よろしいですね?」
「あぁ、いいとも」
 令司は覚悟を決めた。
 海老川たちに人質にされているのは、新田ではなかった。鷹城令司なのだ。
 令司は新田や久世を信じていた。いや、信じる他になかった。久世は恐ろしいが、頼りになる存在だ。それにスミドラシルで目撃したことも、久世の言葉に信ぴょう性を与えている。さらにスコールで目撃した塔にまとわりく稲妻。あそこで何か巨大な陰謀が行われているのは間違いない。
「それで、一体どういったことなんでしょうか?」
 声は穏やかだが、海老川の顔は般若の面をほうふつとさせる。
「東京スミドラシルの底辺は、一辺が六十八メートルの正三角形だ。そこから支柱が三方向から上へと伸び、高さ五十メートルで一つにつながり、最終的に六百六十六メートルへと到達する。それぞれの底部の出入り口は、三角形をなしている」
 リカ子は仁王立ちのまま、話し始めた。
「さらに底辺の正三角形と天望デッキの出口フロアの逆三角形で、上から見ると巨大な六芒星が出来上がる。マスコットキャラも、なにゆえか六芒星だ。タワー型なら分かるがな。スミドラシルの名は、『墨田区のユグドラシル』から来ている。宇宙樹、生命の樹、カバラ思想だ。キサマは三角形を信奉している。その、今も手に持っている黄金の三角定規が何よりの証拠」
「えぇ……三角は宇宙の基本構造ですからネ。さっきから仰っているのは、トラス構造ですね。それが何か?」
「お前のその思想は、一体どこから来たものなんだ? お前の、三角形に対する情熱の源は? お前たち上級都民のいわばテーゼというべきものなのか。ぜひ、教えてくれないか?」
「三角形が宇宙の基本構造だとは、『宇宙船地球号』を提唱した、バックミンスター・フラーの言葉です。トラス構造の発明家です。ですから、そんな応用的な例はいくらでも見つかりますよ」
 ピラミッド・おむすび・ヘキサグラム。確かに海老川雅弓の三角の奥義は、世界中にあふれている。
「別にスミドラシルでなくたって、この船型のガラス棟自体も、ね――」
 海老川は天井を指さした。
 頭上に四つの渡り廊下が伸び、二つの、巨大な三角形を形成している。
 もしも、久世の言う通り、三角形が「罠」だとしたら、自分たちは罠の中に捕らえられている!
「これらをあらかじめ風水や龍脈に仕掛けておいて、スミドラシル天空楼は関東地方全域にテレビ電波を発しているが、ゲイン塔の高さによって下町区向けに違法電波を発している!!」
 リカ子は、スミドラシルの洗脳電波について海老川にぶつけ、糾弾を開始した。何しろ声が大きい。
「はぁ?」
「スミドラシルで、私は東大が仕掛けた装置を確認した。これだ!」
 プロジェクターに東伝会の作成した映像が映し出された。
「これはただの雷の研究装置じゃないですか――。それとも避雷針のことを言ってるの?」
 海老川は天井を仰ぎ、白目をむいた。
「黙れ東大女。同じようにオーロラ研究の名目で、アメリカはアラスカに『テルミン』という巨大電磁波洗脳装置を作っている。スミドラシルでは雷の研究装置と称し、主に東大が洗脳用のアンテナをゲイン塔に設置しているのだ」
「都市伝説界隈で有名なテルミンの御登場ですか、やれやれ――。地震兵器や気象兵器などといわれているものでしょ」
「そうとも。原理はライヒのクラウド・バスターだ。二〇〇五年に完成した」
「確か、オーロラ研究という名目のはずでしたよ」
「アメリカ軍が作った研究所だぞ? そんなのは名目だけだ。当然、電磁波を軍事利用している。電磁波を電離層に照射するで、そこで使用される周波数は十~二十ヘルツ。地球の周波数であるシューマン共振と重なっている。そのことで、気象をコントロールし、地震を引き起こすことができる。強力な電磁波が、気象兵器というだけでなく、人間はもとより生物全体にまで影響を及ぼす。果てはマインド・コントロールにまで使われる非殺戮性兵器だ。アメリカは洗脳技術に関しては世界一の先進国だからな。CIAのMKウルトラに始まり、テルミンへと至る!」
「ですが、二〇一五年に、老朽化により研究所は廃止になりましたけど」
「今はアラスカの大学に引き継がれている!」
「だ・か・ら? 軍事目的はどこへ行きましたか?」
「テルミンの軍事利用は、NYとここ東京へ引き継がれた」
「……テルミンの根拠がどっかへ吹き飛びましたよ?」
「NYには帝国財団が同時多発テロのグラウンド・ゼロに建設したマンハッタン・ホーン。あの魔天楼が、そしてここ東京ではお前たち上級都民が作った東京スミドラシル天空楼がそれなのだ!」
「アメリカとひとくくりしているけど、アメリカのどのグループのことを言ってるのでしょう? 責任の所在をはっきりしてください。民族、イデオロギーがそれぞれ相反するグループを、アメリカでひとくくりにして話しているのが陰謀論者です。時にはどっちかのグループの発言を引用し、時にはそれがアメリカ全体だと広げて、都合の良い論理を編み出す。あいまいな因果関係にして、何でもかんでもアメリカの陰謀と関連付ける。アメリカの中には多様な意見やグループがあります。むしろお互いに矛盾し合っている。にも拘わらず、その多様な意見をひとまとめにアメリカとくくって、矛盾した意見や行動をその時その時で引用し、全部陰謀に結び付けるのが、稚拙な陰謀論者なのよ」
 海老川の声は静かに力強くホールに響き渡った。やんわりと全否定。
「アメリカ人も馬鹿じゃない……。全員が極悪人の手先じゃない。今の貴女はきれいなだけで知性の片りんも観えない。世界の謎を解き明かすのに、きれいなだけの貴女に何の価値がある?」
 海老川の右手の人差し指と親指が、黄金三角を宙で支えていた。
「お前こそ今うまくすり抜けようとしたな。誰がアメリカをひとまとめだと? たった今言ったではないか、帝国財団だと。仮に陰謀がなかったとしても謀略はある。同時多発捏造テロ以後、アメリカはテロ監視の正当性の元、自国民のみならず、世界中の監視とインフラを乗っ取った。アメリカ政府が世界の経済と社会を支配するためにな。それが元CIAの告発者・スローデンが暴露したところだ。だが、そこには裏があった。つまり、テロを口実に、軍産複合体がその母体の影の政府を監視するためだった。それが真の目的で、彼らの間にも内戦は始まっている!」
「バカバカしい。何なんですか、その帝国財団とかいうのは?」
「ロートリックス家の財閥が中枢の、世界を支配する影の政府だ。対米追従派のお前たちが知らぬはずがあるまい。現・日米同盟が帝国財団―ロートリックス家―によって、統一世界政府のための危険な道を歩み始めた。スミドラシルとマンハッタン・ホルン、アラスカの三角点結界によってな。これを止めるには、東京華族どもを倒すしかない」
「妄想ですね。そんなの聞いたこともありませんけど」
 令司も聞いたことがなかった。
「オマエが知らないだけだ。無知こそ罪だぞ。一九七八年には『環境改変兵器禁止条例』ができている。ニコラ・テスラは言った。『二種類の電磁波で地球を包めば、スイカのように割ることもできる』と――。世界の軍事バランスはとっくに核兵器を超えている。スミドラシルも気象兵器だ。首都防衛の台風除けのシステムとして建設が始まったとされているが、実際には、二〇十年代以後の東京の異常気象やスコールは、これが原因なのだッ!」
 リカ子は確かに一瞬スミドラシルを沈黙させた。だが、銭形花音に阻止され、十連歌デモではスコールが降り注いだ。スミドラシルの陰謀は再開されたのだ。
「で、そんな証拠がどこかにあったんです?」
「テスラコイルの中枢が、塔の中にあるッ!」
「――見つかったので?」
 リカ子は沈黙した。
 令司と新田は顔を合わせた。
「どうやら、見つけられなかったみたいですね。話が飛躍しすぎです。テルミンだなんて、陰謀論者の勝手なでっちあげでしょ」
「だから東大のこの装置が証拠だ! テスラコイルとつながっている! 二十三区のハザードマップを観れば一目瞭然、下町区は水浸しだ。江戸川区のハザードマップは、『ここにいてはいけません』とさえ書いてある!」
「東山組には、大規模堤防の新技術だってありますワ。スーパー堤防を超える技術で、水害を防ぎます。貴女こそ無知です。あなたのような蛮人女が、一目しただけで雷の装置のことが分かるとはとても思えませんね。そんな恰好で主張されても説得力皆無ですわ。アハハハハハ」
「無礼な奴だな!」
「あいにくとあなたは正当な理由なく、スミドラシルに不法侵入を働いた。あなたが人狼であるということは、疑いのない事実です!」
「物的証拠を突きつけられていながら、開き直るとは何事だ!」
「開き直ってるのはあなたです! もしも陰謀があるというのなら、都合のいい材料を恣意的につなぎ合わせてストーリーを作るのではなく、これから起こる出来事を正確に当ててごらんなさい。もしもそれができれば認めます。後付けの予言じゃなくてね。これ以上何か仰ることは?」
「陰謀とは何か。こと我が国においては東京帝国だ」
「今度は何ですの? それ」
「気骨のある日本人はみんないなくなった……。お前ら東京帝国のせいだ。5G社会のIOT技術で、学校、路上、電車、チェーン店と、ありとあらゆるところに張り巡らされた監視の網。利便性は真実から目をそらし、実は東京は人間牧場であるということを誰も知らない。だから我々は敵として立ちはだかられぬよう、巧妙に立ち回らねばならん」
「それは―――」
「1%のエリートが、貧乏人から金を搾取してお互いを争わせ、金の無駄遣いをどんどんさせる管理社会を作った。それに気づかせないようにと、新3S政策で洗脳する。こうしてエリートは一部の人間しか成功しない経済システムを作り上げた。教育現場では、忙しくさせて個性を殺し、社会に出るころには家畜として完成する。東大生を筆頭にな。自分を見失い、エリートの餌食となる社畜となっていく。メディアは、いつも真実から目をそらせる。エリートが人間を扱いやすいように洗脳する役割だ。貧困層と中間層で争わせて、エリートは高みの見物。人間はこのマトリクスに囚われているんだ。上級都民が支配する東京に、我々の明日はない。いずれ近い将来、我々は一斉に立ち上がり、お前たちを倒すだろう」
 一瞬にして、場内はシンとなった。
「素敵なポエムをありがとう。聴かせてくれて。感動しないけれど」
「海老川雅弓……維新の先達たちが、何のために血を流して礎になったか、なぜ松陰先生は処刑され! 龍馬が暗殺されテ! そして西郷どんは明治政府に刃(やいば)を向けなければならなかったか……彼らはこんな世の中を作るためにッ! 死んだ訳ではな――いッッ!!」
「あぁ声が大きい。そんなこと言われてもね、私の責任じゃありません」
 閉館時間の十一時三十分を大きく超えた。
 ディスクロージャーVSデバンカーの対決は、予定の二時間を一時間オーバーし、日付が変わった。これ以上議論しても平行線をたどるだけだろう。
「このままではらちが明きませんね。このフォーラムの貸し切り時間もオーバーしてしまいます」
「お互い、貴重な時間を無駄にすることもあるまいな―――。海老川、東学連と下学連の会長同士、そろそろ決闘で決着をつけるとしようじゃないか」
 久世は不敵な笑みを浮かべる。
「私とあなたが大斗会を?」
「フフフ、とぼけるな。このままオマエと――朝まで生討論会しても私は一向に構わんが、聴衆はそんなことを望んじゃいない。分かってるはずだ」
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