第39話 狼少年、東京漂流 東大電離作用

文字数 8,770文字



二〇二五年七月三十一日 木曜日

 そして誰も居なくなった。
 東京伝説研究会のメンバーは、鷹城令司の参加で、「南総里見八犬伝」の物語の通り、最初に八犬士が集まった。それから徐々に数を減らしていった。
 渋谷鹿鳴館でのあの惨事の夜から、令司は東大でメンバーらと一切連絡がつかなくなった。
 メンバーが東京伝説の謎を追ううちに、一人ひとり消滅していっている。
 誰も学校に来ない。携帯もつながらず、アパートももぬけの殻。吾妻教授も大学に来ない。
 放置していたU-Tube「東京伝説研究会」のチャンネルは、いつの間にか消滅していた。
 東伝会は地に堕ち、学内での鷹城令司の評価は、うそつきのオオカミ少年とされている。夏休みなので学校に行く用事もほぼないが、行けば白々しく学校に来る男として避けられていた。
 吾妻教授とは新宿で別れて以来、失踪したままだ。

 教授の部屋はガランとしていた。国会図書館と東大の秘密書庫にアクセスした事で、クビになったと寂しげに言った。俺のために。
 本当だったんだ……。あの人を……もう二度と、この目で見ることはできないんだ。
 真知子先生は、身を挺して自分に原稿を託してくれた。それなのに失った。涙が出てきた。
「まだ人狼ゲームの影響が続いている!!」
 入部したときすでに、荒木部長が消えた跡だったが、今は令司しかいない。
 マックス副部長を始め、あんなに喜んでくれたが、本当に参加してよかったのか。東京伝説の深奥には恐るべき真実が待ち受けていた。こんなことなら、参加するべきではなかったのだ。
「京子……京子は一体どこへ……」
 半焼の渋谷の館は閉鎖され、東山京子も消えた。あのロック鳴館レイヴの事件以来、一切連絡が取れなくなっていた。
 ついに京子まで足跡が消えた。
 だが、なんとなく生きている気がする。これが、PM鍵を持っていることで研ぎ澄まされた超感覚か。
 二人で過ごした時がどんなにか、かけがえのないものだったか。
 京子に会いたい。いつの間にか令司は、彼女を愛してしまっていたのかもしれない。
 今では彼女が実在したことを知っている者は誰もいなくなった。最後、一人になって令司は考えた。自分にできる事、それは本の完成だ。もう一人で調べ、自力で書き上げる他にすべはない。

 それで終わればよかったのかもしれない。元の木阿弥になっただけだから。東伝会部室は鍵が変えられていた。ドアノブに札が下がっている。
『荷物は倉庫に移したので期日までに回収しに来てください。受け取りに来ない場合は処分いたします』
「なんだと……」
 東京伝説研究会の部室は没収された。中の資料、備品一切。
 倉庫へ行くと、本の大半は見当たらなかった。処分済みじゃないか。誰かが持って行ったに決まっていた。カバンに残り物をつめながら、令司は決意を固めた。
 ―――もはや行くしかない。

 令司は、東大学生自治会のある学生会館の最上階に向かった。
 デスク中央の海老川雅弓は、ゲンドウ・ポーズで目を光らせて出迎えた。その両手でデルタが形作られている。
「待ってたわよ、鷹城令司」
(ハメられたな……)
 コの字状のデスクに、令司を待っていたかのような自治会の布陣。海老川の近衛兵・デルタフォース。死んだはずの水友はピンピンとして座っていた。夏休みに何をやっているんだか? いや、またしても花音のリモート・ビューイングだろう。
「チャンネルを削除したな?」
 令司は部室のことをあえて聞かず、海老川に尋ねた。
「当然の結果でしょ」
 二人はしばらくにらみ合った。
 よく見るとそれぞれテーブルの上に、ザクロが置かれている。全部で八個。東伝八犬士の生首が置かれているようだ。アクシュミの極み。ここに居たくない。
「SNSが大炎上して――動画チャンネルは『テロ動画』だって、東大学生自治会で問題視の意見が多数上がっていた。結果、U-Tubeチャンネルは、東大学生自治会長である私の抗議によって、アカウントをBANしてもらった」
 今まで一度もBANされたことのないチャンネルだった。だがとうとう、人狼の聖域と呼ばれた東京伝説研究会のチャンネルまでもが消滅した。サイト管理を、出奔した藪重太郎に任せっきりにしていた自分が悪いだろう。秋葉武麗奴(アキバブレード)の神通力ももはや効いてない。
「本当はあなた自身が自分で閉鎖しなければならなかった。私の勧告を無視して、動画チャンネルを削除しなかったあなたの責任は重大で、無視できない。残念ながら人狼確定よ。大学側は、これから退学勧告を出すわ」
 海老川は令司に言い渡すと、じっと見つめた。
「令司君、辞めるしかなくなるなんてネ? これで君も晴れて高卒だね。一流企業の正社員はきっと難しいでしょう。晴れて下流の仲間入り。あなたはバカよ。せっかく猛勉強して東大に入ったのに。この社会、二度と這い上がることはできないかもしれない。私がさんざんに手を差し伸べてあげたのに、すべて水の泡」
 海老川はこうしてこれまで何人もの敵を抹殺してきた。社会の上層に位置し、正義の仮面をかぶり、女大岡越前気取りでおシラスの前に立ち、一見白かと思えば、真っ黒。東京華族の実態は漆黒で、殺人を犯そうとも不成文法に守られてこの社会から忖度される。表に出る上級国民の不祥事は、法で裁かれずとも「彼ら」に見放されたドロップアウト組にすぎない。
 本物のエリートは百人殺そうと罪が問われることはおろか、すべてが表沙汰にならないのだ。令司はこれまでさんざん、何一つ報道されない不思議体験を積み重ねてきた。
「考え直す気は――ないのかしら?」
「あぁ。ないね」
「……今でも私はあなたのことを」
「いいや結構だ。お前たちに同情されるいわれはない」
 海老川は目をつぶった。
「なら、三途の川から手紙を書いてッ! 私が大学を止めてる間に、自主退学なさい――」
 令司は元来た戸を開けて、部屋を後にした。
 階段を、誰かが追ってくる足音が響いた。
「待って、令司! 江亜美を、救ってくれてありがとう。雅弓の親友だから」
 会館前の路上で、銭形花音は言った。未練ぽい表情だ。ヘッドフォンを肩にかけている。下はミニスカートを履いていた。
「……」
「雅弓も、本当に感謝してるのよ」
「その仕打ちがこれか?」
「確かにあなた方の部室はもうない。けど雅弓は、学内に好き勝手なモノを作ってあなたのための便宜を図っていた。あなたの返事次第で、それが部室の代わりとして用意されていた。だのに……」
「何を?」
「新しい、文学研究会の創設よ。三倍の広さ、巨大な書庫だってあった――あなたの、創作に必要なものは何もかも揃えて」
 令司は首を横に振った。
「首輪をつけるつもりだろ。奴の権力の奴隷になる気はない。お前も早く、目覚めるんだな」
「……さよなら」
 花音は会館に戻ろうとして、足を止めた。
 令司がふと見ると、三輪彌千香が立っている。たちまち花音の表情が厳しくなる。
「鷹城君……。だめよ、このまま退学なんて! こんなやり方、ずっと黙認してきたけど、学生や教授を人狼呼ばわりする自治会のやり方はあまりに不当すぎる!」
 三輪彌千香は叫んだ。神出鬼没の彌千香は、令司の危機をテレパシーで察知したのかもしれない。
「いや、もう、東大には――いられない」
 令司は呟いた。
「動画はこの連中が消したというのに……このままでいいんですか!?」
「彌千香さん! あなたには関係ないはず」
 花音は制した。
 ヴーン、ヴーン。
 快音を立て、花音の背後からデルタフォースが列をなし、鞭の唸り音で威嚇しながら近づいてきた。彌千香は身構え、竹刀袋に手をかけた。
「僕が相手になろう! 君も鷹城令司をかばって、キャンパス内で華族学生との対立をあおるのか? 鞭を知れと、ソクラテスも言っているッ!」
 バシィバシィ!!
 水友の鞭が宙で唸ると、青白い光がほとばしった。蛇のようにしなる鞭はスタンガンだ。
「ソクラテスはそんなこと言っていません!! 字が違います! 令司さん早く行ってください」
 今の三輪彌千香に神鏡はなかった。
 キョウコとの大斗会に負けて、取られたのだ。鏡があればデルタフォースが束になっても勝てないだろう。その手に持った剣だけが純粋に彌千香の力だ。
 彌千香も刀を抜いてスタンガンモードで発光させる。令司をこの場から逃がすために。
 彌千香の剣は電撃のマシンガンとなってぶっ放された。合法マシンガンだ。それをデルタフォースは鞭でバシバシと、跳ね返した。
「まだ……続くのか。この戦いはッ! この俺が原因で――」
 彌千香がかばい、東大内でデルタフォースこと東大鞭倶楽部と三輪教が対立を深めていた。もはや令司の手を離れて。
 正式な大斗会ではない。昼間の、いつものキャンパス内では人目が着く。
 彌千香のスタンガンは、長距離で稲妻を飛ばすことができる一方、鞭はその長さがそのまま射程距離になる。
 鞭の射程距離に決して近づかない彌千香に、業を煮やしたデルタフォースは駐輪場の自転車を巻き付け、投げつけた。
 宙を舞った自転車は、剣が閃いて、彌千香の頭上でバラバラに分解していった。
 彌千香は踏み込んで、一瞬ひるんだ相手を電気ショックで倒した。そうして数人の相手をバッタバッタと倒していくうちに、警備員と駒場内の三輪教の信徒たちが集まってきて周囲は騒乱状態になった。無人でもないのにやり始めるからこうなる。
「勝てる相手じゃない。私がやるわ。あなたたちは下がってなさい」
 花音が白いバレーボールを取り出し、一触即発になった。
「もうよせ! いいんだ彌千香――、俺は退学する。自分の意志で」
「し、しかし―――」
 海老川が下りてきて叫んだ。
「やめなさい花音! あなた方との協定を、一方的に破っているのはどなたなの、彌千香さん。あなたもさっさと本郷キャンパスへおかえりください。どうぞ、あなたのホームグラウンドへ」
 海老川は忌々しそうに言って、地面に転がっているデルタフォースを助け起こした。
 大斗会はあくまで、そこがスタジアムだという前提だから許される。こんな人の往来の激しい時間に、無秩序な行為を働いたデルタフォースがおかしいのだ。
「海老川雅弓、俺は自主退学を受け入れる。これ以上、大学に迷惑はかけられない」
「さようなら。かつての同期の桜よ」

 令司は、退学届けを出すために事務局へ向かった。
 猛勉強の日々。一浪してなんとか合格した。だが今や……そんなことは……。
『俺は純子と同じように、坂本龍馬のように脱藩したんだ、この大学を』
 それが、今の令司に考えられる最低限の意地だった。
 今は大河ドラマの常連で、歴史的評価が固まっている龍馬だって、当時は脱藩は大罪で、姉お市を自決で亡くした。龍馬はその悲しみを全身に背負い、命がけで国づくりをした。結局、暗殺されたとはいえ、彼に脱藩したことに後悔の念はなかっただろう。
 荒木影子部長とて同じだ。その転進には賛同できないまでも部長は生きていた。だから、命を取られる訳ではない。退学したって別に、命を、取られる訳では……。
 よくよく考えたら純子には十連歌がある。そして影子部長には鬼兵隊が。しかし、今の自分には何もない。

 時間はあまりなかった。
 自宅アパートには入れず、契約したアウディは半自動だからか、勝手に行方をくらましていた。前回同様、5G監視社会がついに牙を剥いたのである。海老川を敵に回した者の宿命だ。
 カードもアパートも凍結。財布には数万円の現金が入っているだけだ。京子の家庭教師の仕事も無くなり、きっとバイトも半永久的に見つからない。
 生存の危機が迫っていた。
 東京では、都民IDがなきゃ何もできない。事実上の不法都民である。現金を扱う店も減っているが、下町区にはまだ存在している。
 しかしそれでいい。ノーパソをカバンの中に持ち歩いていてよかった。これで、次の展開が開けるまで乗り切るしかない。
ブラックホール第三元ラーメンで食事を済ませ、今後の方策を練る。
 ネカフェを観て回るか―――。
 もしかしたら、失踪したメンバーが居るのかもしれなかった。令司は渋谷界隈のネットカフェを見て回った。

「あっ、鷹城君」
 五軒目のネットカフェに、天馬雅(みやび)は居た。狭い通路を、うつろなまなざしでトボトボ歩いていたが、令司を見ると涙をにじませた。
 雅によると、海老川が接触してきたらしい。
「なぜ?」
「言ってなかったんですけど――海老川雅弓は、実は僕の異母兄弟なんです」
 雅は声を潜めていった。
「えっ?」
 雅弓、雅。名前に同じ字が使われている。
 そういえば雅の家で法事があったころ、海老川の家でも法事があったと言っていた。
「手持ちの金は? 俺もまだ少しなら貸すことができるぞ」
 財布の中の半分くらいは渡すつもりだった。
「無一文ならまだいいです。僕には四百万円の奨学金地獄が残っている」
「海老川の家は援助してくれないのか?」
「出してくれませんよ僕には。では……失礼します」
「ちょっと待て、なぜすぐ行こうとするんだ? 訳を話してくれ」
「す……すみません。お金を貸してくれると言ってくれて、すごくうれしかった。ありがとう。ボクは……大丈夫ですよ、明日、ワクワクワークでも行ってみようかな……」
 きれいな顔はやつれ、声がかすれ、雅はニコニコしながら涙をにじませていた。きっと、あらゆるバイト先に手を回され、兵糧攻めに遭っているのだ。
「貧困は自己責任って上級都民は言うけれど、一度でも転落すると一人で這い上がるのはほとんど無理なもんですね。し、失礼しますっっ」
 眼を離してる隙に、天馬は消えた。
 本人は否定したが、本当にネカフェ難民になったのかもしれない。その姿を令司に見られたくなかった。自分に迷惑をかけたくないと遠慮したのか。
 事情は令司もほぼ同様だ。雅の消えたネカフェに泊まり、原稿の続きを書く。
 カプセルホテルも利用した。こんなことしてたらすぐ金がなくなる。クオリティ・オブ・ライフを保てない。物書きは体力勝負だ。何処ででも書いてやるつもりだったが、限界が近づいていた。
 令司は行くところもなく徘徊し、書きながら荒木部長の事を考えた。荒木影子の「暗夜を徘徊せし餓狼(がろう)」の詩を思い出す。きっと部長も、この東京で徘徊気分を味わったことだろう。俺自身が人狼だったのか……。いや―――、野良犬だ。

 令司は新宿へ戻った。吾妻教授と別れて以来だった。
 夜の摩天楼をゆっくりと見上げながら歩く。この街では、少なくともガンドッグの監視からは逃れることができる。
 クリーチャー・エナジー配布ガールたちがいて、令司は一本エナジードリンクの新味、バナナフレーバーを受け取った。ありがたい。
 令司にとっての東京とは、表向き日本の中心で、きらびやかな摩天楼が建ち並ぶ大都会のイメージでしかなかった。そういった風景は、この都市の表の貌に過ぎなかった。その裏には、それまで令司が知らなかった、もうひとつの東京があった。

 摩天楼のガラスに向かい合って、ダンスの練習をしている女がいた。
 小夜王純子だ!
 令司は純子を見て一瞬胸が躍った。
 おそらくイヤフォンで音楽を駆けながら、自分の全身を薄暗いガラスに映し出し、純子は全力でキレッキレのダンスを踊っている。よくあんなハイヒールで激しい動きができるものだ。感心して、しばらく見つめているうちに思い至る。そうか、痛くならないPMヒールなんだ、と。
 純子はポーズを取ったまま、ぴたりと止まった。
 それからぐるりと揺れ――、フラフラと車道へ躍り出た。幸い、車が通りかからなかったが、まるで夢遊病の様に視線は定まらない。
 やがて数台の車が、純子の前で自動停車した。歩行者の前に、止まらざるを得ない……とはいえ、はなはだ迷惑。純子はそれをスポットライト代わりに踊り続けている。
 あいつは、こんな帝都のおひざ元で何をしているんだ?
 十連歌のお姫様は。捕まるぞ……。いっそ、純子に相談しようかどうしようかと何度も逡巡を繰り返す。
 それとも、秋葉の光宗丁子……三輪教の三輪彌千香……いやいや、ダメダメ! ――あれ以来、彌千香からの連絡は途絶えている。きっと俺どころじゃなくなったのだ。今頃海老川が、大学で彌千香を人狼裁判にかけている最中かもしれなかった。
 三輪教の“領土”本郷じゃないのに、海老川が支配する駒場で、彌千香は俺を守ろうとしてくれた。もっとも迷惑をかけたくないという気持ちもあり、三輪教に関わりたくないという気持ちもある。
 鬼兵隊の久世リカ子……もっとダメ! 彼女流の妙な武士道に巻き込まれてしまう。どうせまた、二十何回猛士に付き合わされた挙句、新たな罪状を背負って、ガンドッグに追い回される口実を与えるに決まってる。彼らに頼って、使い捨ての駒として逆に利用されるのはまっぴらごめんだ。
 彼らは、組織の代弁者でしかない――。
 荒木英子は帝国に命を狙われ、影子と改名し、武装し、久世リカ子にかくまわれていた。令司がキョウコに取り込まれていると知った英子は、研究会メンバーを救うため、東山京子の命を狙った。そして亡くなった。リカ子も、とても協力してもらえるような相手じゃない。
 それに、純子も久世も今大変で、令司どころじゃないだろう。
 本当に俺は、<東京回遊魚>になったのだ。

 新宿でレイトショーのチケットを買い、映画館で夜を明かした。出演者のアイドルのトークショーがあって、朝まで四本もの映画上映が行われる。大分気がまぎれたが、疲れていたので深夜二時を回ったころにはほとんど眠っていた。終始爆音状態で、古く硬い椅子にもたれていると、窮屈で寝られたものではなかった。だが身体は睡眠を欲し、いつの間にか深い眠りに就いた。
 明け方、映画館を出ると、ついに札が無くなった。小銭を数える。
 二百十五円。
 新宿駅にポツンと海老川グループのシンボルが置かれている。真ん中に目のような模様のある独特なデルタ。場違いだが、彼女の家が設置したオブジェか何かだろう。
 これは……海老川のメッセージだ。俺にはわかる。上級都民に詫びを入れ、助けの声を上げろということだろう。
 ネカフェに入る金はなかった。もう、マック難民になるしかない。
 途中、渋谷の松濤の街を歩く。なんでここに足を運んだのだろう。破壊された渋谷鹿鳴館の前を通ると、何食わぬ顔で建っている。ここのレンガはすべてPM製で、PMF技術で一瞬で建てられた。だから建て直しも一瞬だ。PMは常識を破壊する。

 延々と歩き続けて、煌々とライトアップされる東京駅で力尽きた。
 ここのマックなら―――電源を貸してもらえるはずだ。百円のハンバーガーと水を注文する。
 これで金はなくなった。明日は、上野公園の炊き出しでも行くか……。しかし、一体どこで執筆すればいいのだろう。傘がないので雨に降られると困るし、パソコンを濡らしたくない。電力源が一番問題だ。
 明日のこと、来週のこと、来月のこと……。
 生活費の苦しみが、全身に重くのしかかる。養ってくれた叔父・叔母にはとても言えなかった。生活費が大変なのに一浪しても許してくれ、苦学してようやく東大に入った。あの時あんなに喜んでくれたのに、二年で辞めたなんて彼らに言える訳がない。いくら人狼、アウトローの仮面をかぶりたくても、自分の善人の性質が覆い隠しきれずに、表に出てきてしまう。
 数日で、激しい飢えに苦しむだろう。だが、今は考えたくもない。
 行き先行く先、令司はたくさんの人込みの中で孤独だった。そうして、俺は東京砂漠で死にかけている。
 マックのトレーに、三角チョコパイが載っていた。
「せめてコーヒーくらい頼んだらどうなの?」
 聴きなじみの声がした。
「……」
「――熱いうちに早く食べなさい」
 後ろを振り向くと、海老川雅弓が立っている。
 専属の美容師がいて、毎日セットされている一見清純な外見。ゴージャスな雰囲気を漂わせたワンピース。黙っていればただただ美しい女性。
 白い肌。つばの広い女優帽、身長およそ百六十二センチ、Dカップ……。同じく女優みたいなバカでかいサングラスで武装し、これが本当に学生?といういで立ち。基本的な物腰は優雅で柔らかいが、その本質は端麗辛口――。
「お前……なぜここへ」
 令司はこの世界の支配者を睨みつけた。
「地球フォーラムの学生サミットの会合の帰りだけど? 君こそこんなトコで何してるの?」
「また同情か」
 令司は吐き捨てるように言った。
「強がらないで。それ、捨てないでよね。私は食の廃棄を批判している」
 長いまつげに縁どられた瞳が、令司をじっと見つめている。
「別に捨てたりはしないさ」
「探したわ」
 うんざりしたような眼差しが、令司の次の言葉を待っていた。
「今更何の用だ。お前がマックなんかで食事するとは思えない。水戸黄門ごっこはいい加減に――」
「江亜美を救ってくれたお礼、まだ言ってなかったわね。ありがとう」
「……」
「確かにあたしたちは敵同士。で、さっきそこですれ違ったら、あなたがあんなに情けない顔してるから、放っておくのもどうかと思ってね。せっかく一度は助けてあげたんだし」
「こっちは都民IDを凍結されて仕方なしだ!」
「またなの?」
 こいつ……この女が原因に決まっているのに。
「また何か仕掛けるつもりだな?」
「最終定理はまだ解けていない。これから解を求めて、証明する。付き合いなさい。――勘違いしないで。これから夕食に行くから、一緒にレストランへどう?」
「天馬雅はどこだ? 奴はお前の―――」
「……知りたいなら着いてきなさい」
 令司は、天馬の行方を探ろうと、海老川の誘いに乗った。
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