26、REBの不在証明
文字数 1,956文字
翌朝病室に現れたのは、高山ではなくコータローだった。世津奈がコータローを迎え入れると、カエデはコータローが誰かを知りたがりもしない。カエデが幼い心を守るために身に着けた習慣だろうと、世津奈は思う。
母、由紀子が受け容れる大人なら無条件に信用する。その延長で、今は、母親代わりを務めている世津奈が信じる相手も、受け容れる。そうしないと、周りに大人の出入りが多かったカエデは、その小さな胸を不安と猜疑でつぶしてしまっていただろう。
「コー君、もう動いて大丈夫なの?」
コータローは防弾ベストの上から銃弾を浴びて肋骨にヒビが入ったと聞いている。
「一応大丈夫らしいっす。まだ痛みますけど、それよりギブスが暑苦しいっす」
「で、コー君も由紀子さんの理論を聴いた?」
コータローが返事をする代わりに、首をかしげる。
「栗林夫人も、宝生さんのことを『世津奈さん』って、呼んでました。いつからファーストネームで呼び合う仲になったんすか?」
話がそれるが、世津奈も付き合う。由紀子の理論なら、あとでいくらでも聞く機会がある。
「ガールズトークしてるうちに、そんな感じになった」
「宝生さんと栗林夫人が『ガールズトーク』っすか?」
「あり得ないと思うことが起こるのが、世の中。だから、生きてて面白い」
コータローが「?」という顔で世津奈を見る。
「いつも散文的な宝生さんが、珍しい事を言いますね。それもガールズトークの影響っすか?」
「それより、カエデさんの退院手続きは済ませた?」
「ええ」
「じゃ、行きましょ。由紀子さんの学説はクルマの中で聞かせて」
銃撃戦で弾を食らっても、コータローの運転に狂いはなかった。いつもどおり定速で流れるようにクルマを走らせ、世津奈にはクルマ酔いの兆しすら現れない。カエデにいたっては、後部座席で売店で世津奈が買い与えた子ども向け雑誌に読みふけっている。
「じゃ、うちの会社の専門家も、REBは実在しないという由紀子さんの見解に同意したのね」
「物理の専門家はほぼ100パーセント同意ですね。核分裂に必要なエネルギ―と生物の代謝エネルギーではケタが違い過ぎて比較にならない。だから、生物が放射線を分解するなど、あり得ない。そういう事みたいっす」
「今、『物理の専門家は』と言ったけど、生物の専門家は違う意見だったの?」
「いや、大筋は物理学者が言う通りと認めてました。ただ、放射線への耐性を持つ微生物が実在することを指摘してました。アメリカのフォーマイル島原発事故の遺構から大量の微生物が発見されたそうです。また、2年前にメルトダウンを起こした中央原発2号機の炉心でも微生物らしきものがカメラに捉えられたそうです」
「でも、放射線に耐性がある事と放射線の分解能がある事とは別でしょ?」
「別です。ただ、生命が誕生した太古の地球には宇宙から放射線が降り注いでいたはずなので、原始的な生命が放射線を栄養源にしていた可能性はゼロではない。そう言ってました」
「その原始的な生命が今でも海底で生きているのかもしれない。ちょとロマンをそそられるわね」
コータローが視線を前方の道路から助手席の世津奈に向けてきた。
「コー君、前を向いて運転して。カエデちゃんが一緒なのよ」
「すんません。でも、宝生さんが『ロマン』だなんて、珍しいと思って」
「いやだ。私って、そんなに散文的な人間だと思われてるの? 私にもロマンチックな乙女だった時代があるのよ」
コータローが「アハハ」と笑う。
世津奈がにらんで見せると「すんません」と言って肩をすくめる。
世津奈は、そこで話を止めにした。この先は栗林研究員を『海洋資源開発コンソーシアム』保安部から救い出すかどうかの話になる。カエデに、父親の生死に関わるかもしれない話を聞かせたくなかった。
それに、当初は栗林研究員を救出すべきと考えていたが、少し気が変わってきていた。なぜ、気が変わってきたのか自分でもわからない。ただ、今はまだ腹を括るべき時ではない。そういう思いが濃くなってきていた。
その時、バックミラ―の中でカエデが雑誌から目を上げた。
「ママ、もうパパを助け出したかなぁ?」
まるで世津奈が考えている事を見抜いたみたいな言葉を投げてきた。
「この子はカンが鋭い!」
世津奈は声に出さずに感嘆する。
「そうね。おばさんも、パパが無事だといいと思ってるわ」
「おばさんも、ママとパパを助けてくれるでしょ」
世津奈はギクリとして後部座席を振り向く。
カエデと目が合った。カエデのくりくりした丸い目が光を放っている。その目は、由紀子の切れ長の目とは形は違うが、放たれる光には由紀子の目と同じ鋭さがあった。
母、由紀子が受け容れる大人なら無条件に信用する。その延長で、今は、母親代わりを務めている世津奈が信じる相手も、受け容れる。そうしないと、周りに大人の出入りが多かったカエデは、その小さな胸を不安と猜疑でつぶしてしまっていただろう。
「コー君、もう動いて大丈夫なの?」
コータローは防弾ベストの上から銃弾を浴びて肋骨にヒビが入ったと聞いている。
「一応大丈夫らしいっす。まだ痛みますけど、それよりギブスが暑苦しいっす」
「で、コー君も由紀子さんの理論を聴いた?」
コータローが返事をする代わりに、首をかしげる。
「栗林夫人も、宝生さんのことを『世津奈さん』って、呼んでました。いつからファーストネームで呼び合う仲になったんすか?」
話がそれるが、世津奈も付き合う。由紀子の理論なら、あとでいくらでも聞く機会がある。
「ガールズトークしてるうちに、そんな感じになった」
「宝生さんと栗林夫人が『ガールズトーク』っすか?」
「あり得ないと思うことが起こるのが、世の中。だから、生きてて面白い」
コータローが「?」という顔で世津奈を見る。
「いつも散文的な宝生さんが、珍しい事を言いますね。それもガールズトークの影響っすか?」
「それより、カエデさんの退院手続きは済ませた?」
「ええ」
「じゃ、行きましょ。由紀子さんの学説はクルマの中で聞かせて」
銃撃戦で弾を食らっても、コータローの運転に狂いはなかった。いつもどおり定速で流れるようにクルマを走らせ、世津奈にはクルマ酔いの兆しすら現れない。カエデにいたっては、後部座席で売店で世津奈が買い与えた子ども向け雑誌に読みふけっている。
「じゃ、うちの会社の専門家も、REBは実在しないという由紀子さんの見解に同意したのね」
「物理の専門家はほぼ100パーセント同意ですね。核分裂に必要なエネルギ―と生物の代謝エネルギーではケタが違い過ぎて比較にならない。だから、生物が放射線を分解するなど、あり得ない。そういう事みたいっす」
「今、『物理の専門家は』と言ったけど、生物の専門家は違う意見だったの?」
「いや、大筋は物理学者が言う通りと認めてました。ただ、放射線への耐性を持つ微生物が実在することを指摘してました。アメリカのフォーマイル島原発事故の遺構から大量の微生物が発見されたそうです。また、2年前にメルトダウンを起こした中央原発2号機の炉心でも微生物らしきものがカメラに捉えられたそうです」
「でも、放射線に耐性がある事と放射線の分解能がある事とは別でしょ?」
「別です。ただ、生命が誕生した太古の地球には宇宙から放射線が降り注いでいたはずなので、原始的な生命が放射線を栄養源にしていた可能性はゼロではない。そう言ってました」
「その原始的な生命が今でも海底で生きているのかもしれない。ちょとロマンをそそられるわね」
コータローが視線を前方の道路から助手席の世津奈に向けてきた。
「コー君、前を向いて運転して。カエデちゃんが一緒なのよ」
「すんません。でも、宝生さんが『ロマン』だなんて、珍しいと思って」
「いやだ。私って、そんなに散文的な人間だと思われてるの? 私にもロマンチックな乙女だった時代があるのよ」
コータローが「アハハ」と笑う。
世津奈がにらんで見せると「すんません」と言って肩をすくめる。
世津奈は、そこで話を止めにした。この先は栗林研究員を『海洋資源開発コンソーシアム』保安部から救い出すかどうかの話になる。カエデに、父親の生死に関わるかもしれない話を聞かせたくなかった。
それに、当初は栗林研究員を救出すべきと考えていたが、少し気が変わってきていた。なぜ、気が変わってきたのか自分でもわからない。ただ、今はまだ腹を括るべき時ではない。そういう思いが濃くなってきていた。
その時、バックミラ―の中でカエデが雑誌から目を上げた。
「ママ、もうパパを助け出したかなぁ?」
まるで世津奈が考えている事を見抜いたみたいな言葉を投げてきた。
「この子はカンが鋭い!」
世津奈は声に出さずに感嘆する。
「そうね。おばさんも、パパが無事だといいと思ってるわ」
「おばさんも、ママとパパを助けてくれるでしょ」
世津奈はギクリとして後部座席を振り向く。
カエデと目が合った。カエデのくりくりした丸い目が光を放っている。その目は、由紀子の切れ長の目とは形は違うが、放たれる光には由紀子の目と同じ鋭さがあった。