1.真夏の陽に焙られて

文字数 6,174文字

「宝生さん、ボクら、ローストビーフになっちゃいますよ」
宝生世津奈(ほうしょう せつな)の傍らで、彼女の相棒、菊村幸太郎がぼやく。確かに、真夏の陽射しと車道の照り返しが世津奈と幸太郎の身体をジリジリ焙っている。

「コー君をローストしても骨ばっかりで美味しくなさそう」
身長190センチ近い幸太郎は、スリムを通り越して痩せすぎだ。27歳で会社では最年少の幸太郎を、同僚たちは半人前扱いして「コータロー」と呼んでいる。
 世津奈はコータローを菊村さんと呼ぶべきだと思っている。だが、世津奈が8歳年長で社会人としては10年以上先輩にあたるものだから、つい「コー君」と呼んでしまう。

 コータローは色白・細面の顔で、高く通った鼻筋にセルのメガネをかけている。世津奈は、理知的で目の周りに憂いも漂わせたコータローをなかなかのイケメンだと思っている。しかし、彼がしゃべり出すと精神年齢15歳の地金がむき出しになる。これは、いかにも残念だ。

「宝生さんがローストされたら、スペアリブって感じっすね。太い骨に肉が貼り付いて食べにくそうっす」
 スペアリブとは、うまいたとえだ。世津奈はすらっとして見えるが、実は、骨太でがっしりしている。背は高くない。というより、チビだ。
 
 世津奈は高校生のころ、父親に言われたことがある。
「お前はおチビちゃんだけど、身体の中で手脚の比率が高いからモデル体型っぽっく見えて得だぞ」
その時、世津奈は父が褒めているのか慰めているのかわからないと思ったが、事実そんな感じで、本当の身長を言うと驚かれることが多い。
 
 容貌は、中学・高校の友だちからは「カンノンみたい」と言われていた。観音様のような穏やかな顔という意味だ。
 一方で、父は「お前は、ガッツのある不敵な面構えをしている」と言っていた。多分、両方を兼ね備えた顔つきなのだろう。
 
「あっ」と、コータローが新発見でもしたような声を出す。
「宝生さんは、屈強だから警察官には適任だったんだ」
 世津奈は、2年前まで警視庁生活安全部に属する生活経済課で産業スパイ(警察用語では「営業秘密侵害事犯」)を追っていた。
「コー君、屈強って言葉は、女性警官に使うもの?」
「でも、宝生さん、女とか男とか別に気にしてないっしょ」

 世津奈が黙ってコータローの顔を見上げると、コータローが急に慌て始める。
「あっ、もしかして、実は気にしてました? ええーっ、ボク、まずいこと言いました?」
 世津奈は吹き出したくなるのをこらえて、顔の前で手を振ってみせる。
「そういうことじゃないの。辞書的には『屈強』とは力が強いという意味だから、腕力のある私に当てはまる。でも、警察で『屈強』と言ったら、いかついマル暴のデカとか機動隊員のことを言うの。だから、違和感があった」
 コータローがすまなそうに長身を小さくする。世津奈は、ささいな言葉の使い方にツッコミを入れたのは大人げなかったと思う。

「わかった。チビで屈強な私を焙るとスペアリブになるんでしょ。面白いたとえだから、私は覚えておきます」
世津奈は笑いながら言う。
「そうでしょ。ボクもウマいこと言ったなって、思ったんすよ」
 と、コータローが急に元気を取り戻す。コータローは、いつも立ち直りが早い。

 立ち直った勢いで、コータローが「そもそも」な疑問をぶつけてきた。
「宝生さん、これから、ボクらは、REB(Radiation Eating Bacteria=放射性無害化バクテリア)に関する機密情報が漏洩していないかを調べるんすよ」
「ええ、社長からそう命じられたわね」
「放射線を食って代謝・無害化するバクテリアなんて、そんな都合のいいものがこの世に本当にあると思います?」

「実在するという証拠を、私たちは持ってない。でも、次の4つは、事実よ。第一に『海洋資源開発コンソーシアム』はREBを保有していると言っている。第二に、『コンソーシアム』はREBに関する機密情報が盗まれていることを恐れている。第三に、『コンソーシアム』はうちの会社に機密漏洩調査を委託してきた。第四に、社長からコー君と私が担当調査員に指名された。とりあえず、この事実の線に沿って行動すればいいんじゃないの?」

「『とりあえず』って、いつまでっすか?」
「『とりあえず』が『とりあえず』でなくなるまで」
「はぁ? ボクは、そんないい加減な話に付き合わされて、腰の高さほども陽炎が立ってるコンクリートの大通りを歩かされてるんすか。まるで熱中症にしてくださいって太陽にお願いしてるみたいです。ボク、宝生さんにクルマで行きましょうって、お願いしましたよね」
「歩くのは、健康にいいのよ」
「この暑さでは、健康に悪いです。最悪です」
コータローが口を尖らす。

 2人は、「海洋資源開発コンソーシアム」が保有する「深海技術センター」の中央通りを歩いている。東京湾に面した200メートル四方の埋め立て地の中央を陸側から海に向って大通りが走り、両側に低層階の研究施設が整然と並んでいる。
 研究所は夏休み中であたりに人影はなく、広い構内で世津奈とコータローの2人だけが、逃げ場もなく太陽に灼かれている。

「宝生さん」
コータローがまた話しかけてくる。
「確かに、調査委託はありました。でも、この委託自体が変です。REBが実在したら、高レベル放射性廃棄物の処理に頭を抱えている人類にとっての福音ですよ。ノーベル賞に値する発見です。そんな重要なものを民間のコンソーシアムが管理している。しかも、その機密情報が漏れてないかを民間の調査員2人が調べる。そんなルーズな話って、普通あり得ません」

「そのルーズな所に興味をそそられない?」
「どういう意味っすか?」
「なんだか裏がありそうで、匂う」
 コータローが急ブレーキがかかったようにぎこちなく立ち止まる。
「宝生さん、また、それっすか?」
「また? なんのこと?」
世津奈も立ち止まってコータローに訊き返す。
「くさい話に鼻をつっこみたがる宝生さんの悪いクセのことっす。そうやって、宝生さんはクライエントがボクらにも隠しておきたい秘密をほじくり出して、厄介を引き起こすんすよ」
「そうなの?」
「そうです」
「そうなんだ」

 コータローがギラギラ眩しい空を見上げてため息をつく。
「今度やったらクビだって社長に言われたんすよ。忘れてないでしょうね?」

 世津奈は過去に何度も産業スパイを捕まえただけでなくクライエントの不祥事までほじくり出して、社長から大目玉を食らっている。そう言えば、この仕事を命じられた時に、今度同じことをしたらクビだと言われた。
 だが、世津奈は自分が悪いのではなく、そういう胡散臭い仕事を世津奈に振ってくる社長が愚かなのだと思っている。

「思い出した。気をつける」
取りあえずコータローを安心させるためにそう言い、世津奈は歩き出す。コータローも続いて歩き出す。
「コー君は、REBを民間のコンソーシアムが管理しているのは変だと言ったわね」
「えぇ、言いましたよ」
コータローがポケットからタオルハンカチを取り出し汗をぬぐいながら答える。
「『海洋資源開発コンソーシアム』が水面下で政府とつながってる可能性はあるわよ。メンバー企業は日本を代表する商社と重工・電機メーカーで、すべてが防衛産業に関わっている」
「『コンソーシアム』が政府とつながってるなら、警察庁とか内閣調査室が機密漏洩を調べるんじゃないすか?」

「政府内であっても話が広がると困る事情があるのよ」
元・警察官の世津奈にとっては、十分に現実的な想定だった。行政機構の縦割りは強い縄張り意識と隠ぺい体質を産む。『コンソーシアム』を管轄している官庁が他の官庁に知られたくない秘密を抱えているから契約で縛りをかけやすい民間の調査会社を起用した可能性があると、世津奈思っている。

 世津奈はどうもこの一件は一筋縄ではいかなそうだと思う。同時に、コータローを厄介ごとに巻き込むのは理不尽な気がしてきた。
「コー君、あなたはどうしても納得できなかったら降りてもいいのよ。うちの会社は重要機密を扱うから、調査員は自分が納得できない調査は断っていいことになってるわ」
「宝生さんはボクがいないと仕事にならないっしょ。いいっすよ、その代わり、ボクが熱中症で倒れたら宝生さんが責任取ってくださいね」
「わかった。責任はとる。任せなさい」
世津奈にはどういう責任だかわからないが、こういう時は、請け合っておくに限る。

「あら、私たち、ぐちぐち言ってるうちに、着いたわよ」
世津奈は右手の建物を指差した。壁に大きく13号棟と記されている。
「ええっ、これっすか? 窓が全然なくて倉庫みたいっすよ。総務部長が、本当にこんな所にいるんすか?」
「倉田総務部長は普段は本部棟にいるけど、今日はここで業者のメンテナンスに立ち合っているの」
「あぁ、メンテナンスかぁ……メンテ会社でバイトしたことがあるんすよ。メンテって、会社とか工場が休みの時にやるんです。だから、メンテ会社の人間は、お盆とお正月に休めないんすよ」
「そうなんだ」

 世津奈は、世間の人が楽しく遊んでいる時にひとけの絶えたオフィスや工場で黙々と働くのはどんな気分だろうと、少しだけ想像してみる。楽しくなさそうだが、慣れれば平気になるのだろうか?
 おっと、今は他人の気持ちを想像している時ではない。世津奈はジーンズの腰ポケットからスマホを取り出し、社長の高山ミレから教えられた番号を呼び出す。電話に答える男性の声は中高年のように聞こえる。

「あぁ、京橋テクノサービスの方ですね。コンソーシアムの井出管理部長から話は聞きました。調達品の監査ですね。毎月末井出部長様にレポートを提出しているのですが。暑い中をわざわざおいでいただくお手間をかけて、恐縮です」
 穏やかな声だが、「迷惑だ」という感情がハッキリ現れている。

「『深海技術センター』様からのご報告に疑念があるとか、そういうことでは全くございません。ただ、100万円以上の調達品の現物監査を受注したものですから」
世津奈は、とりあえず柔らかい態度に出る。
「そちらさんも、仕事だから仕方ないということですな。今からお迎えに上がります」

 予想外に、「深海技術センター」総務部長の倉田俊介は、建物の外まで世津奈とコータローを迎えに出て来た。倉田は、額の禿げあがったやせて小柄な男性だ。歳は五〇代後半にみえる。 この暑いのにスーツを着てネクタイまでしているが、それがフォーマルというより、崩れ疲れた感じをかもしだしている。

 倉田は、メガネを通して不審気な視線をコータローに投げてよこした。コータローはTシャツに短パン、素足にクロックスのサンダルを身にまとい、まるで近所のコンビニに買い物に行くみたいだ。
 しかし、世津奈はコータローの服装を非難できる立場ではない。白いコットンのポロシャツに濃紺のジーンズ、足元はウォーキングシューズといういでたちだから。
 世津奈は倉田の注意を自分に引き戻すため「どうぞ、よろしくお願いします」と頭を下げた。
「では、まあ、どうぞ」と倉田が、先に立って歩き始める。

 世津奈とコータローが倉庫のような建屋に入るなり、コータローが「こりゃ、すごい」と声を上げる。全館ぶち抜きのオープンスペースの内壁に肋骨のように鉄骨が張り巡らされ、天井を縦断するひときわ太い二本の鉄骨からは、巨大なクレーンの吊り具がぶらさがっている。
 そして、オープンスペースの中央に、クジラを寸詰まりにしたような物体が2つ据えられている。物体の頭部には透明の球体が埋め込まれ、その中は様々な機器で満たされている。

「1万メートル級の有人深海潜水艇、『かいこう1』と『かいこう2』です」
倉田の声に少し自慢気な調子が現れる。
「1万メートルといったら、世界でも最高の潜水深度ですね」
「ええ。これだけの深さまで潜れる有人潜水艇は、世界でも、この二艇しかありません」
 と、倉田の声の調子がさらに上がる。

「その『かいこう1』が、先月ひそかに日本海溝に潜り、6,000メートルの深海からあなた達がREB(Radiation Eating Bacteria 放射線無害化バクテリア)と呼んでいる微生物を持ち帰ってきた。そうですね」
世津奈が切り込むと、倉田がごくっと息を飲む。
「そんなことは……」
「あなたは『聞いたこともない』と、おっしゃりたいのですね」

 世津奈が倉田の目を強く見据えると、倉田は顔をこわばらせ目を宙に泳がせ始める。
「でも、あなたは心の中で『なぜ、この女がセンターの最高機密を知っているんだ』と、驚いていらっしゃる」
 世津奈が微笑みながら言うと、倉田が世津奈を見返してくる。倉田はおびえたような目をしている。

「ご安心ください。私たちは怪しいものではありません」
世津奈は、バックパックを下ろしてA4版で200ページ近くある契約書を取り出し、倉田に差し出す。
「『海洋資源開発コンソーシアム』と私ども京橋テクノサービスが取り交わした調査契約書です。『コンソーシアム』の井出管理部長が、コンソーシアム側代表者として署名捺印していらっしゃいます」

 世津奈から契約書を受け取ったとたん、倉田が肩を震わせる。無理もない。標題には、堂々と『REB関連機密情報漏洩調査』と記されているのだから。
「機密漏洩調査だなんて、そんなこと、井出部長はひとこともおっしゃっていなかった。ただ、調達品の監査としか……」

「訪問理由を偽ったことは、お詫びします」
世津奈は素直に頭を下げる。それが仕事のためとはいえ、人をだますのは相手に失礼なことだ。
「私どもが機密漏洩調査に来ると申し上げると、逃げたり証拠を隠滅されたりする方がいらっしゃいますので。倉田様がそんな方だと思っていませんが、この仕事の慣習です」

 世津奈は、倉田の注意を契約書に戻させた。
「91ページから115ページにかけて、私どもの守秘義務が記されています。かいつまんで要点だけ申し上げます。まず、京橋テクノサービスで本件に関与する人間は3名に限られます。社長の高山ミレ、私、宝生世津奈、そしてこちらの菊村幸太郎」
コータローが、長身を折り曲げてペコリと頭を下げる。

「本件専用にインターネットから遮断したパソコンを用意します。収集した情報は、すべてこのパソコンに記録し、報告書もこのパソコンで作成します。調査完了時には、調査報告書と収集した全ての情報をパソコンごと井出部長様に納品いたします。ただし、弊社の記録用に複写不可能な用紙にプリントした報告書を1部だけ保管させていただきます」

「それで、私は、何をお話したらよいので……」
倉田が泣き出しそうな声を出す。
「少し込み入った話になるので、出来れば、座って落ち着いて話せる場所があるとよいのですが」
 倉田がハッとした顔をする。
「これは失礼しました。地下の事務室にご案内します」
 と答え、世津奈とコータローに背を向けて歩き出す。

 世津奈は倉田に続きながらコータローに目を向ける。コータローがメガネの向こうで眼玉をくるりと回す。これは何かを嗅ぎつけた時の、この若者のクセだ。
 そう、倉田は匂う。この男は機密漏洩に関して何か知っているに違いないと、世津奈は思った。
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登場人物紹介

宝生世津奈

2年前まで、警視庁生活安全部・生活経済課で産業スパイ事件を担当していた。警察が自らの権威を守るために過ちを認めようとしない姿勢に嫌気がさして警察を辞め、民間で産業スパイ案件を調査する「京橋テクノサービス」に転職してきた。

小柄で骨太だが、身体に占める手足の比率が高いので、すらっとしたモデル体型に、見えなくもない。

穏やかだが、肚が据わっていて、いざとなると、思い切った行動がとれる。

受験に数学のない私大出身の純・文系なので、実は、科学には、あまり強くない。

コータロー(菊村 幸太郎)

「京橋テクノサービス」で、世津奈とバディを組んでいる。

一流国立大学の数学科を卒業、同じ大学の大学院で応用数学の修士号を取り、さらに数量経済学の博士課程に進んだが、そこで強烈なアカデミック・ハラスメントにあい、引きこもりとなって2年間を過ごす。親戚の手で無理やり家から引きずり出されて、「京橋テクノサービス」に入社させられた。

頭脳明晰だが、精神年齢が幼い。普段は「ヘタレ」なのだが、時々、思い切った行動に出て、世津奈をハラハラさせる。IT、メカの操作、自動車の運転に優れている。

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