31、玲子との駆け引き
文字数 2,684文字
九鬼がグラスに残っていたバーボンを喉に流し込み、口を開く。
「これも確かな筋の情報だが、『海洋資源開発コンソーシアム』は警視庁公安部のOBを何人も雇い入れ、アメリカの民間軍事会社に勤めていた日系人、日本人も引き抜いている」
九鬼は裏社会の事情に明るい。
「『海洋資源開発コンソーシアム』が日本政府の闇取引の手先である事の裏付けになりますね」
そう答えてから、疑問が湧いた。
「九鬼さんは、『海洋資源開発コンソーシアム』がそんな動きをしている事をご存じで、『コンソーシアム』に探りを入れるのを引き受けてくださったのですか?」
「俺ひとりでも、いつか『コンソーシアム』の化けの皮を剥いでやろうと思っていた。そこに、お前さんがこの仕事を持ってきた。俺としては、格好の機会を得たわけだ。しかも、有償でな」
岩を削ったような九鬼の顔に笑いのヒビが入る。
「あら、悪党の化けの皮を剥ぐ趣味は、一致するのね」
と言って、玲子がグラスに残ったスコッチを飲み干した。
「世津奈さん、私とこの男の二人で『海洋資源開発コンソーシアム』に探りを入れるのは、どうかしら?」
九鬼が驚いた目を、まず玲子に、次に世津奈に向ける。
「この人は裏社会に詳しい。私は政界、官界に情報源がある。二人が組めば最強よ」
「玲子さんへの謝礼は用意していません」
言ってしまってから、「そこからか?」と自分に呆れた。金がないのは事実だが、他に話の切り出し方があるだろう。高山のシブチンがうつったのかもしれない。
「あら、世津奈さんって、妙に礼儀正しくてまどろっこしいと思ってたけど、肝心なところはストレートにくるのね。気に入ったわ」
予想外の反応が返ってきた。
「私は探偵じゃないから、調べ事に謝礼は要らない。調べた結果を記事にできればいいの」
世津奈には、その記事の内容が気がかりだ。
「調べて、何を記事になさるのですか?」
「全部よ。すべてを白日の下にさらす。それがジャーナリストの仕事よ」
「それは、REBが実在する場合も……ですか?」
「当然でしょ。REBが実在するなら、それは原発と高レベル放射性廃棄物のバーター取引の重要な道具になる」
「それは、困ります」
「なぜ?」
「REBが実在する場合は、REBの機密漏洩を防ぐのが私の仕事です」
「あなたは、政府の不正に手を貸すつもり?」
「政府の目論みは、私の関知しないところです。私は、クライエントとの契約を履行するだけです」
「呆れた。あなたは契約を超えた正義に考えが及ばないの? あなたみたいな人たちが世界を破滅させるのよ」
「そうでしょうか? 正義は人を殺します。人類は正義の名のもとに膨大な血を流してきました。契約は人を殺しません」
「契約も人を殺す。不当に企業に有利な契約が、勤労者、供給者、無関係のはずの第三者まで殺す」
グラスをカウンターに置く音が響いた。
「二人とも、無意味な『そもそも論』は、止めろ。世界は理不尽だ。正義も契約も、人間を守ってくれやしない」
九鬼が吐き出すように言った。
「確かに世界は正義のために作られていない。でも、だからこそ、世界は正義を必要としている」
玲子が厳しい声で切り返す。
この点については、私は玲子に賛成かもしれないと、世津奈は思う。
だが、「そもそも論」を戦わせている場合ではないという九鬼の指摘は正しい。
「玲子さん、あなたは、『情報交換』を申し出てこられたのですよ」
「ええ、そうよ」
「あなたは、私たちの会話を取材の参考にする代わりに、取材で手に入れた情報を提供してくださるとおっしゃった」
「そう言った」
「玲子さんが『参考に』とおっしゃったから、私は情報交換に応じてもよいかと考えたのです。玲子さんが私の契約履行を妨害するのなら、情報交換には応じません」
「何が言いたいの?」
「REBが実在した場合にそれを記事にする事は、私の契約履行の妨害です。あなたは、私をだましたことになります。それとも、ジャーナリストは正義のためなら人を欺いてもいいのですか?」
「あなたの想像が甘かったのよ。ジャーナリストと話す時は、何を記事にされても仕方ないと覚悟しておかなきゃ」
「それは違うだろう。お前たちの世界にも『オフレコ』の約束事があるはずだ。お前が今つかんでいる情報の中にも、『オフレコ』で入手したものがあるんじゃないか?」
九鬼が世津奈に助け舟を出す。
「ないわ。『オフレコ』は、記者クラブに属して取材対象と癒着している腐れジャーナリストが使う邪道。私のようなフリー・ジャーナリストは決して使わない」
「玲子さんは、ご立派なのですね」
「ええ、私はジャーナリストとしての誇りを持っている」
「私には誇りはありませんが、これがあります」
世津奈はホルスターに戻してあった拳銃を取り出し、玲子の額に狙いをつけた。
「また、それ。あなたは、なんて野蛮人なの! 私は、あなたの大切な九鬼修三の娘よ。それでも殺せるの?」
「私は、私の仕事上の制約を理を尽くして説いたつもりです。それでもご協力いただけないなら、消えていただきます」
「あんた、この女に私を殺させるつもり!」
玲子が九鬼に怒鳴る。
「玲子を殺すなら、俺も一緒に殺してくれ。一緒に過ごせなかった時間を、あの世で取り戻す」
九鬼が言う。
「はぁ!『あの世』なんて、ないから!」
「REBが実在せず私たちがクライエントとの契約を解除した場合は、九鬼さん、私、私の会社の名前を出さない限りは、何を書いていただいても結構です」
玲子が唇をかみしめて世津奈をにらんでくる。
「ここで私に撃ち殺されたら、何も書けません。約束を守ってくだされば、REBが実在しなかった場合には政府の陰謀を暴くことができます。どちらを選びますか?」
腹に力を入れ、一言、一言に力を込める。
「REBが実在した場合も、すべて洗いざらい書く。ただし、REBのこと、九鬼、あんた、あんたの会社のことは書かない。それなら、どう?」
「事前に原稿を見せてください」
「ジャーナリストは」
反論しようとする玲子をさえぎる。
「原稿を見せていただけますね」
「わかった。見せる」
世津奈をにらむ玲子の目が怒りで燃えていた。本気で約束を守る気はなさそうだが、九鬼がなんとかしてくれるだろう。
「では、これで取引成立です。九鬼さん、玲子さん、よろしくお願いします」
世津奈は銃をしまい、丁寧に頭を下げた。
「これも確かな筋の情報だが、『海洋資源開発コンソーシアム』は警視庁公安部のOBを何人も雇い入れ、アメリカの民間軍事会社に勤めていた日系人、日本人も引き抜いている」
九鬼は裏社会の事情に明るい。
「『海洋資源開発コンソーシアム』が日本政府の闇取引の手先である事の裏付けになりますね」
そう答えてから、疑問が湧いた。
「九鬼さんは、『海洋資源開発コンソーシアム』がそんな動きをしている事をご存じで、『コンソーシアム』に探りを入れるのを引き受けてくださったのですか?」
「俺ひとりでも、いつか『コンソーシアム』の化けの皮を剥いでやろうと思っていた。そこに、お前さんがこの仕事を持ってきた。俺としては、格好の機会を得たわけだ。しかも、有償でな」
岩を削ったような九鬼の顔に笑いのヒビが入る。
「あら、悪党の化けの皮を剥ぐ趣味は、一致するのね」
と言って、玲子がグラスに残ったスコッチを飲み干した。
「世津奈さん、私とこの男の二人で『海洋資源開発コンソーシアム』に探りを入れるのは、どうかしら?」
九鬼が驚いた目を、まず玲子に、次に世津奈に向ける。
「この人は裏社会に詳しい。私は政界、官界に情報源がある。二人が組めば最強よ」
「玲子さんへの謝礼は用意していません」
言ってしまってから、「そこからか?」と自分に呆れた。金がないのは事実だが、他に話の切り出し方があるだろう。高山のシブチンがうつったのかもしれない。
「あら、世津奈さんって、妙に礼儀正しくてまどろっこしいと思ってたけど、肝心なところはストレートにくるのね。気に入ったわ」
予想外の反応が返ってきた。
「私は探偵じゃないから、調べ事に謝礼は要らない。調べた結果を記事にできればいいの」
世津奈には、その記事の内容が気がかりだ。
「調べて、何を記事になさるのですか?」
「全部よ。すべてを白日の下にさらす。それがジャーナリストの仕事よ」
「それは、REBが実在する場合も……ですか?」
「当然でしょ。REBが実在するなら、それは原発と高レベル放射性廃棄物のバーター取引の重要な道具になる」
「それは、困ります」
「なぜ?」
「REBが実在する場合は、REBの機密漏洩を防ぐのが私の仕事です」
「あなたは、政府の不正に手を貸すつもり?」
「政府の目論みは、私の関知しないところです。私は、クライエントとの契約を履行するだけです」
「呆れた。あなたは契約を超えた正義に考えが及ばないの? あなたみたいな人たちが世界を破滅させるのよ」
「そうでしょうか? 正義は人を殺します。人類は正義の名のもとに膨大な血を流してきました。契約は人を殺しません」
「契約も人を殺す。不当に企業に有利な契約が、勤労者、供給者、無関係のはずの第三者まで殺す」
グラスをカウンターに置く音が響いた。
「二人とも、無意味な『そもそも論』は、止めろ。世界は理不尽だ。正義も契約も、人間を守ってくれやしない」
九鬼が吐き出すように言った。
「確かに世界は正義のために作られていない。でも、だからこそ、世界は正義を必要としている」
玲子が厳しい声で切り返す。
この点については、私は玲子に賛成かもしれないと、世津奈は思う。
だが、「そもそも論」を戦わせている場合ではないという九鬼の指摘は正しい。
「玲子さん、あなたは、『情報交換』を申し出てこられたのですよ」
「ええ、そうよ」
「あなたは、私たちの会話を取材の参考にする代わりに、取材で手に入れた情報を提供してくださるとおっしゃった」
「そう言った」
「玲子さんが『参考に』とおっしゃったから、私は情報交換に応じてもよいかと考えたのです。玲子さんが私の契約履行を妨害するのなら、情報交換には応じません」
「何が言いたいの?」
「REBが実在した場合にそれを記事にする事は、私の契約履行の妨害です。あなたは、私をだましたことになります。それとも、ジャーナリストは正義のためなら人を欺いてもいいのですか?」
「あなたの想像が甘かったのよ。ジャーナリストと話す時は、何を記事にされても仕方ないと覚悟しておかなきゃ」
「それは違うだろう。お前たちの世界にも『オフレコ』の約束事があるはずだ。お前が今つかんでいる情報の中にも、『オフレコ』で入手したものがあるんじゃないか?」
九鬼が世津奈に助け舟を出す。
「ないわ。『オフレコ』は、記者クラブに属して取材対象と癒着している腐れジャーナリストが使う邪道。私のようなフリー・ジャーナリストは決して使わない」
「玲子さんは、ご立派なのですね」
「ええ、私はジャーナリストとしての誇りを持っている」
「私には誇りはありませんが、これがあります」
世津奈はホルスターに戻してあった拳銃を取り出し、玲子の額に狙いをつけた。
「また、それ。あなたは、なんて野蛮人なの! 私は、あなたの大切な九鬼修三の娘よ。それでも殺せるの?」
「私は、私の仕事上の制約を理を尽くして説いたつもりです。それでもご協力いただけないなら、消えていただきます」
「あんた、この女に私を殺させるつもり!」
玲子が九鬼に怒鳴る。
「玲子を殺すなら、俺も一緒に殺してくれ。一緒に過ごせなかった時間を、あの世で取り戻す」
九鬼が言う。
「はぁ!『あの世』なんて、ないから!」
「REBが実在せず私たちがクライエントとの契約を解除した場合は、九鬼さん、私、私の会社の名前を出さない限りは、何を書いていただいても結構です」
玲子が唇をかみしめて世津奈をにらんでくる。
「ここで私に撃ち殺されたら、何も書けません。約束を守ってくだされば、REBが実在しなかった場合には政府の陰謀を暴くことができます。どちらを選びますか?」
腹に力を入れ、一言、一言に力を込める。
「REBが実在した場合も、すべて洗いざらい書く。ただし、REBのこと、九鬼、あんた、あんたの会社のことは書かない。それなら、どう?」
「事前に原稿を見せてください」
「ジャーナリストは」
反論しようとする玲子をさえぎる。
「原稿を見せていただけますね」
「わかった。見せる」
世津奈をにらむ玲子の目が怒りで燃えていた。本気で約束を守る気はなさそうだが、九鬼がなんとかしてくれるだろう。
「では、これで取引成立です。九鬼さん、玲子さん、よろしくお願いします」
世津奈は銃をしまい、丁寧に頭を下げた。