25、幼子からの情報
文字数 1,521文字
病院の小児科入院病棟の4人部屋。3つまで埋まっているベッドの主は、みな5歳以下に見える。
消灯時間が訪れ、子どもが付き添いの親と話す声が細くなり、ひとつ、また一つと消えていく。一人の女児がグズる声と付き添いの父親があやすボソボソ声がひとしきり続いたが、それもやがて止まった。
世津奈の口からため息が漏れる。ここで、ほとんど見ず知らずのカエデに付き添って一晩を過ごす。長い夜になりそうだ。
固い折り畳みイスに腰掛け、申し訳のような背もたれに身体をもたせる。快適からは程遠い状態なのに昼の激闘の疲れからか、世津奈は、すぐに舟を漕ぎ始めた。
突然、ストンと身体が落ち、驚いて目を覚ました。身体が前に倒れカエデのベッドに乗り上げている。幸い、カエデは目を覚ましていない。
世津奈は由紀子の「特別な許し」を思い出す。舟を漕ぎベッドに倒れカエデを驚かすよりはマシと、自分が休息を取るための言い訳をこしらえる。
遠慮がちにベッドに上がり身体を半身にする。腰が小児用の小型ベッドからはみ出て、身体がずり落ちそうになる。
身体をカエデに近づける。カエデの息づかいと身体の温もりが生々しく感じられ、世津奈を驚かす。身を引く。ベッドからずり落ちそうになる。また距離を詰める。
行きつ戻りつを繰り返し、世津奈は徐々にカエデに近づき、やがて身を寄せ眠りに落ちていた。
カエデが何か言った気がして、目が覚めた。病室内は真っ暗。腕時計を見る。午前2時。
「おばさん」
今度は、はっきり聞こえた。
「おばさん」って――世津奈は、ベッドの上で身を固くする。この子は、傍らにいるのが自分の母親でないと気づいている。
「カエデちゃん、ママはちょっと」
「ちょっと」にどう続けようか迷う。
「わかってるよ。ママは、パパを助けに行ったんでしょ。それで、おばさんが代わりにここにいるんだよね」
「えっ」
「パパがおっかない人たちに連れていかれた時、カエデが泣いてたら、ママが言ってくれたの。『パパは、ママが必ず助け出す』って」
「そうなんだ」
「ねっ、ママ、パパを助けに行ったんでしょ」
子どもに安請け合いしてはイカンと思いつつ、他にこの場にふさわしい答えを思いつかないまま、
「うん、そうだよ。おばさんに、カエデちゃんの事をお願いねって言って、カエデちゃんのパパを助けに行ったんだよ」
と答えてしまう。
「だから、カエデちゃんは、おばさんと一緒に寝んねして、ママとパパを待ってよう」
まずい、ウソがエスカレートしている。
「うん」
カエデが世津奈に身体を寄せてきた。
カエデの温もりを胸に感じながら疑問が湧いてきた。なぜ、この子は、この状況を当たり前のように受け止めていられるのだ? なぜ、赤の他人が添い寝していても驚きも恐れもしないのだ?
「カエデちゃんは、ママのお友達と一緒にお寝んねすることが、あるの?」
「うん、恵子おばちゃんとか、レイカお姉さんとか、ママがお仕事の時に、よくお泊りに来てくれた」
レイカですって? まさか、劉麗華? 劉麗華なら、「海洋技術センター」に潜り込んだ中国人女性スパイだ。
カエデから思いがけない情報を得た。まず、栗林と由紀子の関係は、由紀子の口ぶりから世津奈が想像したような冷めたものではない。二人は熱い絆で結ばれている。それをカエデは信じて疑っていない。子どもの直観は鋭い。
由紀子はカエデに仕事と言って外泊する事があった。その時に親代わりを務めてくれる仲間がいた。しかも、その仲間の中に劉麗華がいた可能性がある。
世津奈の中で、栗林由紀子という女性が、まったく違った像を結び始めていた。
消灯時間が訪れ、子どもが付き添いの親と話す声が細くなり、ひとつ、また一つと消えていく。一人の女児がグズる声と付き添いの父親があやすボソボソ声がひとしきり続いたが、それもやがて止まった。
世津奈の口からため息が漏れる。ここで、ほとんど見ず知らずのカエデに付き添って一晩を過ごす。長い夜になりそうだ。
固い折り畳みイスに腰掛け、申し訳のような背もたれに身体をもたせる。快適からは程遠い状態なのに昼の激闘の疲れからか、世津奈は、すぐに舟を漕ぎ始めた。
突然、ストンと身体が落ち、驚いて目を覚ました。身体が前に倒れカエデのベッドに乗り上げている。幸い、カエデは目を覚ましていない。
世津奈は由紀子の「特別な許し」を思い出す。舟を漕ぎベッドに倒れカエデを驚かすよりはマシと、自分が休息を取るための言い訳をこしらえる。
遠慮がちにベッドに上がり身体を半身にする。腰が小児用の小型ベッドからはみ出て、身体がずり落ちそうになる。
身体をカエデに近づける。カエデの息づかいと身体の温もりが生々しく感じられ、世津奈を驚かす。身を引く。ベッドからずり落ちそうになる。また距離を詰める。
行きつ戻りつを繰り返し、世津奈は徐々にカエデに近づき、やがて身を寄せ眠りに落ちていた。
カエデが何か言った気がして、目が覚めた。病室内は真っ暗。腕時計を見る。午前2時。
「おばさん」
今度は、はっきり聞こえた。
「おばさん」って――世津奈は、ベッドの上で身を固くする。この子は、傍らにいるのが自分の母親でないと気づいている。
「カエデちゃん、ママはちょっと」
「ちょっと」にどう続けようか迷う。
「わかってるよ。ママは、パパを助けに行ったんでしょ。それで、おばさんが代わりにここにいるんだよね」
「えっ」
「パパがおっかない人たちに連れていかれた時、カエデが泣いてたら、ママが言ってくれたの。『パパは、ママが必ず助け出す』って」
「そうなんだ」
「ねっ、ママ、パパを助けに行ったんでしょ」
子どもに安請け合いしてはイカンと思いつつ、他にこの場にふさわしい答えを思いつかないまま、
「うん、そうだよ。おばさんに、カエデちゃんの事をお願いねって言って、カエデちゃんのパパを助けに行ったんだよ」
と答えてしまう。
「だから、カエデちゃんは、おばさんと一緒に寝んねして、ママとパパを待ってよう」
まずい、ウソがエスカレートしている。
「うん」
カエデが世津奈に身体を寄せてきた。
カエデの温もりを胸に感じながら疑問が湧いてきた。なぜ、この子は、この状況を当たり前のように受け止めていられるのだ? なぜ、赤の他人が添い寝していても驚きも恐れもしないのだ?
「カエデちゃんは、ママのお友達と一緒にお寝んねすることが、あるの?」
「うん、恵子おばちゃんとか、レイカお姉さんとか、ママがお仕事の時に、よくお泊りに来てくれた」
レイカですって? まさか、劉麗華? 劉麗華なら、「海洋技術センター」に潜り込んだ中国人女性スパイだ。
カエデから思いがけない情報を得た。まず、栗林と由紀子の関係は、由紀子の口ぶりから世津奈が想像したような冷めたものではない。二人は熱い絆で結ばれている。それをカエデは信じて疑っていない。子どもの直観は鋭い。
由紀子はカエデに仕事と言って外泊する事があった。その時に親代わりを務めてくれる仲間がいた。しかも、その仲間の中に劉麗華がいた可能性がある。
世津奈の中で、栗林由紀子という女性が、まったく違った像を結び始めていた。