11.  REBには、原発反対派を賛成派に変える力がある

文字数 3,071文字

 疲れていたせいか、慣れない寝袋でもぐっすり眠れた。世津奈が起き出すと、コータローがクロワッサンとコーヒーの朝食を用意してくれてあった。コータローは、食については実にまめまめしい。

 食べ終わって室内を見回した世津奈は、ゲンナリした。この部屋には、テレビがない。本棚もない。スマホもない。退屈そのものだ。
 昼食の買出しついでに本屋を探しに行こうかと思っていると、コータローが「宝生さん、ちょっと『そもそも論』をしませんか?」と誘ってきた。

 コータローは、数学者の習性なのか、原点に戻って考える「そもそも論」が大好きだ。世津奈は、「今どうなっていて・次どうするか」さえわかれば気が済む方なので、コータローの「そもそも論」に付き合うのは面倒くさい。
 しかし、今のこの退屈な状態なら、コータローの「そもそも論」に付き合ってもいいと世津奈は思う。頭の体操になるのは、間違いないのだ。
「いいわね。やろう、やろう」

「では、さっそく」とコータローがテーブルに身を乗り出してきた。
「ボクは、今回のREBの機密漏洩調査は、『存在するREBの機密が漏れていないか』を調べていると見せかけて、『REBが存在しないという事実が漏れていないか』を調べる仕事だと思うんです」
「そう言えば、コー君は、調査の初日から、REBが実在するか疑問だって、言ってたわね。じゃあ、順を追って教えて。コー君が、REBが存在しないと考える根拠は、何なの?」

 コータローが、ちょっと困ったように頭をかいた。
「正直に言います。ボクは数学者であって科学者ではないので、REBが絶対に存在しないと言い切れる根拠は持ち合わせていません。ただ、REBが実在しなくても、それを実在するとでっち上げると、すっごく得する連中がいるんです」
「そうなの?」

「すべては選挙がらみなんです」
「選挙って、もうすぐあると言われている衆議院の解散総選挙のこと?」
「ええ」
コータローが目を輝かせる。
「今度の解散総選挙では、原発賛成・反対が、勝負の分け目になる可能性があるんです」

 解散総選挙は、岸辺首相身辺のスキャンダルが引き金だった。通常国会が開幕してすぐ、岸部首相についての疑惑が浮かび上がった。政府が東京湾岸に新設するカジノ特区への参入について知人が経営する池井商会に便宜を図ったのではないかというのだ。首相と経産省は、連日、野党の厳しい追及を受けることになった。

 野党が通常国会終了後に池井商会問題を究明するための臨時国会を召集するよう求め始めた時期に、北朝鮮がアメリカをねらったICBMの発射実験を始めた。アメリカと北朝鮮がにらみ合いになって北朝鮮がキレたら、真っ先にとばっちりを食うのは日本だと心配する国民が増えた。

 岸辺首相は、この状況を巧みに利用した。
 臨時国会を開かないと野党は納得しそうにない。かといって、池井商会問題で臨時国会を開きたくはない。そこで、首相は北朝鮮のミサイル発射を口実に「国難打開のための臨時国会」と称して8月20に臨時国会を召集すると言い出したのだ。
 
 しかし、首相には本気で臨時国会を開く気はないというのが、大方の予想だ。
「国会冒頭で衆議院の解散総選挙を宣言するだろうと言われているわね」
「間違いなく、そうします。政権交代のかかった衆議院選挙になると、有権者は実績のある政権与党に投票する傾向が強くなります。その結果、首相の属する自由公正党が勝てば、首相が国民の信任を得た形になり、池井商会問題もうやむやに済ませることができる」

「今の野党は小党乱立だから、与党の自由公正党が勝つのは、ほぼ確実ね」
世津奈が言うと、コータローが息がかかるところまで身を乗り出してきた。
「ところが、潮目が変わってきたんです」
コータローがメガネの奥で目玉をくるりと回して、瞳を輝かせる。
「大阪府知事の大山泰子が立ち上げた『革新の会』が衆議院で野党第一党の『市民が第一』と合流して新政党を作ろうとしています。この新政党は、『原発廃止』を公約にすると言っています」

「確か、新聞の世論調査では、原発反対が賛成を上回っているのよね。前回の衆議院解散総選挙は中日本5号原発事故の直後で、原発反対7割:賛成3割だった。でも、フタを開けたら原発推進を掲げる与党の圧勝だった。テレビで、政治評論家が原発問題は選挙の争点にはならないと言ってたわ」
「それは、違うと思います。あの選挙では、野党第一党の『市民が第一』が原発廃止を公約に掲げませんでした。電力会社と原子力産業の労働組合が支持母体にいるからです。その結果、原発反対票が、原発反対を掲げた弱小野党に分散して、選挙結果に影響を及ぼせなかった。ボクは、そう見ています」
「なるほど、そういう見方も、ありだね」

「でも、『革新の会』と『市民が第一』が合体してできる新政党は、労組をあてにしなくても無党派層の票を取り込んで、十分に戦えると見られています」
「本当にそう? 無党派層って、ちょっと風が吹いたり雨が降ったりしたら投票所に足を運ばない人が、ほとんどでしょ」
「宝生さん、自分が、そういう『ヘタレ』な無党派層なんでしょう。だから、そういうことを言うんです」
「あら、失礼ね。私は無党派層だけど、警察時代に事件で行けなかった時以外は、選挙を棄権したこと、ないわよ」
 投票所に足を運ばないことは、現状に対する「No」ではなく「Yes」と認めるのと同じ。世津奈は、そう思っている。自分の一票がどれほど小さく見えても、選挙結果は、一票、一票の積み重ねだ。と頭で考えていても、毎回、開票結果を見て「行かなくても良かったのに」と思うのだが……

「それは、失礼しました。でも、逆に言えば、宝生さんみたいな律儀な無党派層もいるから、与党・自由公正党が、ここに来て、焦り出してるんです」
「それと、REBがどう関係するの?」
「宝生さんは、原発賛成ですか? 反対ですか?」
「私は、『よく、わからない派』。態度を明確にできるほど、勉強してない」
「うーん、その答え、正直でいいんですけど……」
「がっかりした?」
「ちょっと」

「コー君は、断固原発反対だもんね。それも、ちゃんと勉強した上で決めてる」
「宝生さんのことはひとまず措いて……世論調査で原発反対と答えている人たちの中には、『安全が保証されるならオーケー』と思っている人が、相当数いると思うんすよ」
「それは、そうじゃない」
「そういう人たちは、REBが発見されたことを、どう受け止めるでしょう?」
「放射線を無害化してくれるバクテリアがいて、それを活用できるなら、原発があっても大丈夫と考えるかな?」
「そこなんです。REBは、原発反対派の一部を賛成派に寝返らせる力を持っているんです」
「だから?」
「まだ、分かりませんか? 総選挙が告示されたあとにREBの発見が公表されたら、それは、与党・自由公正党への強力な追い風になるんです」

「ちょっと待ってよ。コー君は、REBは実在しないと思っているんだよね」
「はい、直観的には」
「コー君の直観が正しいとしたら、『REBが存在する』と言うのはウソだって、いずれバレる。そうしたら、政府はウソの発表をして与党の選挙を支援したといって、非難されるじゃない」
「誰が、政府が発表するって、言いました?」
「えっ?」
世津奈は、すっかり煙に巻かれた気分になる。
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登場人物紹介

宝生世津奈

2年前まで、警視庁生活安全部・生活経済課で産業スパイ事件を担当していた。警察が自らの権威を守るために過ちを認めようとしない姿勢に嫌気がさして警察を辞め、民間で産業スパイ案件を調査する「京橋テクノサービス」に転職してきた。

小柄で骨太だが、身体に占める手足の比率が高いので、すらっとしたモデル体型に、見えなくもない。

穏やかだが、肚が据わっていて、いざとなると、思い切った行動がとれる。

受験に数学のない私大出身の純・文系なので、実は、科学には、あまり強くない。

コータロー(菊村 幸太郎)

「京橋テクノサービス」で、世津奈とバディを組んでいる。

一流国立大学の数学科を卒業、同じ大学の大学院で応用数学の修士号を取り、さらに数量経済学の博士課程に進んだが、そこで強烈なアカデミック・ハラスメントにあい、引きこもりとなって2年間を過ごす。親戚の手で無理やり家から引きずり出されて、「京橋テクノサービス」に入社させられた。

頭脳明晰だが、精神年齢が幼い。普段は「ヘタレ」なのだが、時々、思い切った行動に出て、世津奈をハラハラさせる。IT、メカの操作、自動車の運転に優れている。

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