8.スパイと対峙

文字数 4,240文字

「宝生さん、それ、持っていくんすか?」クルマのラゲッジスペースから、非殺傷性のゴム弾を込めた拳銃を取り出した世津奈に、相棒のコータローが硬い口調で尋ねた。
「こういう物は使いたくないけど、昨日のことがあるから、警戒した方がいいと思って」
「でも、昨日の連中は、格闘技は身に着けてたけど、飛び道具はもちろん、特殊警棒も、持ってませんでしたよ」

「今日、栗林が置いた情報を取りに来るのが、昨日の連中の仲間だとすると、昨日のことで懲りて、武装を強化しているかもしれない。念のためよ」
「まぁ、言われてみると・・・ロシア・マフィア系の組織的産業スパイは、平気で実弾を飛ばしてきますからね」

 世津奈たちは、栗林一家がクルマを停めた展望塔の前後に「見張り箱」を3個落としてから、ダムの周回道路を4分の3周し、周回道路から少し入ったわき道にクルマを停めている。
 右斜め前方の堰堤には、栗林一家が入って出てきた展望塔と、もうひとつ、全く同じ形の展望塔が20メートルほど間隔を置いて、立っている。「栗林さんが入っていったのが観光用で、もう一つが、ダム運転要員の監視塔なんですね」スマホで、東京都水道局のホームページをのぞいて、コータローが言った。

 世津奈がラゲッジスペースから3丁のマテバウニカ自動式回転拳銃を取り出して、ショルダーバッグに収めるのを見ながら、コータローが、もう20回目くらいになる質問をぶつけてきた。
「そんな重い銃を3丁持ち歩くより、10発以上装填できる自動拳銃1丁と予備弾倉を持つ方がよくないすか?」
「警察時代に回転式拳銃で射撃訓練を受けたから、自動拳銃はシックリこないの」
「よく言いますよ。訓練といったって、年に1回くらいでしょ」
コータローの言う通りだ。回転式拳銃が手になじむというほど、撃った覚えはない。
 
 自分の目に見えるところに弾倉があって、そこから銃弾が飛び出していくことに安心感がある。それが、本当のところだが、自分がメカに弱い(事実だが)ことをさらすような気がして言いにくい。
「でも、回転式拳銃の発射速度が自動拳銃より遅いことを気にして、回転式では唯一、自動拳銃と同じ速度で連射できるマテバウニカを使ってるんですよね。一丁に6発という装弾数が時代遅れなことも知っているから、3丁も持ち歩いている。それって、すごく中途半端な対応ですよねぇ」
「コー君、人間は、理屈通りには、いかないの。中途半端や矛盾をいっぱい、いっぱい抱えてるのが、生身の人間なのよ」
「そんなもんですか?」

 これ以上、コータローと拳銃の話をしたくなかった世津奈は、「ほかに、何か必要な武器があるかしら?」と、話題をそらした。
「催涙手榴弾はあった方がいいすね」
「そうね」世津奈は催涙手榴弾を3個、右肩から斜めがけしたバッグに入れた。

 世津奈はナイロン製の強靭なショルダーバッグ2つを、ストラップが身体の真ん中で交差するようにかけている。左腰にくるバッグにマテバウニカを3丁納め、撃ち終わって空になったマテバを右腰のバッグに移す。
 以前、バッグを1つしか使っていなかったころ、コンバットシューティングの訓練中に空になったマテバウニカをもう一度取り出すというヘマをした。それ以来、弾の入った銃を納めるバッグと空の銃を戻すバッグを別にしている。

 「防弾ベストは、どうします?」コータローが尋ねてきた。
「悩むね」今日は8月16日、真夏ど真ん中。しかも、今は午前11時で、これから暑くなる一方だ。通気性ゼロの防弾ベストなんか着ていたら、歩くサウナ風呂になってしまう。
「やめとく。撃ち合いになる前に熱中症で倒れたら、阿呆みたいだから」
「持ってって、いざという時に着たらいいじゃないすか?」
 世津奈は首を横に振った。「いざという時」に取る行動は最小限な方がいい。

「コー君は、冷房の効いたクルマの中にいるんだから、防弾ベストをつけて、銃も手元に置いた方がいいよ」
「銃は手元に置いときますが、ベストはやめます。あれをつけると、身体が締め付けられて、動きにくいんすよ」コータローは、武器庫から15連発のベレッタ92と予備の弾倉だけを取り出した。世津奈のマテバウニカと同じく、装填されているのは非殺傷性のゴム弾だ。

「さて、これで道具はそろった」宝生が背を伸ばして立ち上がると、長身を折り曲げてラゲッジスペースをのぞいていたコータローも背筋を伸ばした。たちまち、世津奈はコータローの顔を仰ぎ見るかっこうになる。身長160センチと187センチなのだから、仕方ない。

 「宝生さん、水を忘れちゃダメです。熱中症になったら、アウトっすよ。これなら、バッグの中にはいるでしょ」コータローが500ml入りスポーツドリンクのペットボトルを2本差し出した。いつの間にか、後部座席のクーラーボックスから持ち出していたのだ。「サンキュー」ペットボトルを受け取る時、コータローに後光が差して見えた。
「これも、あった方がいいっす」とコータローが次に差し出したものを見たとたん、コータローの後光が消えた。それは、袋に「お漏らしバスター」という商品名がでかでかと記された携帯トイレだった。「ああ・・・」と言って、世津奈は受け取る。興ざめだが、あった方が良い物では、ある。

「さて、これで、準備完了。あとは、打ち合わせ通り、それぞれの仕事をする。いいわね」
「了解です」。

 コータローはクルマに戻り、山中の小道からダム湖の周回道路にクルマを出し、ダムの堰堤方向に走り去った。これから、栗林のミニバンに追いついて、後をつけるのだ。
 世津奈は、ジーンズの腰ポケットからスマホを取り出し、ダムの展望塔周辺に落としてきた3個の監視ロボット・「見張り箱」が送ってくる映像が画面に映っているのを確かめた。
 同じ映像がコータローが走らせているクルマのカーナビ画面にも映っていて、栗林以外の何者かが展望塔に接近したら、コータローがアラームを送ってくれる。世津奈はスマホをポケットに戻し、木々の吐息でむせ返るような山中に入っていった。

 世津奈は、汗にまみれ、荒い息をつきながら山の斜面伝いにダムの堰堤を目指した。下草がジーンズの脚にからまり、木々の小枝が顔を打つが、そんなことに構ってはいられない。世津奈はひたすら展望塔に向かって急ぐ。
 両肩から身体の正面で交差するように斜めがけした2つのショルダーバッグがずっしり重かった。こうなってみると、確かに、コータローの言う通りで、自動拳銃1丁とよび弾倉つくらいにした方が、はるかに楽なのだが・・・さはさりながら、回転拳銃への偏った信頼を捨てることは、できない。

 世津奈は、予定の見張り位置に30分で到着した。展望塔から20メートルほど離れた、山すその茂みで、木々と草の間から堰堤と展望塔を見通すことができる。
 この30分間、いつ、女性スパイの到着を告げるアラームが鳴るかと不安の連続だったが、見張り位置についても、クルマの姿も人影も、まったくない。スパイは、栗林のクルマとそれを尾行しているコータローのクルマがダムから相当な距離まで離れてから現れるつもりなのだろう。

 栗林が、コータローのクルマから世津奈が消えたことをスパイに連絡しているかもしれない。世津奈が待ち伏せていると、スパイに伝わっているということだ。それでも、スパイは、情報をピックアップしに現れると、世津奈は考えていた。
 世津奈たちの調査が始まった以上、スパイは、できるだけ早く情報収集を終えて、本当に姿をくらましたいはずだ。スパイはクルマで来るだろうから、徒歩の世津奈が待ち伏せていても、簡単に振り切って逃げられると考えるだろう。重武装しているかもしれない。

 スパイに仲間がいて、しかも銃器を備えていたら、どうするか? 銃の腕には自信があったが、装填してあるのは、相手に強烈な痛みを与えるだけのゴム弾だ。複数を相手に勝てる確信はなかった。
 相手が複数だったら撃ち合いを避け、スパイたちを見逃すしかない。スパイを捕らえられないのは残念だが、自分の命には換えられない。スパイを確保できなくても、栗林を抑えてたたけば、それなりの情報は得られるだろう。
 スパイが単独なら、撃ち合いになってでも、必ず、捕える。全身にアドレナリンが巡り始めるのを感じた。

 堰堤の奥から、大型の白いSUVが現れた。かなりの速度で展望塔に向ってくる。展望塔前に乗り付けてブツを回収し、脱兎のごとく逃げ出すつもりだと、世津奈の直観が告げる。
 SUVが展望塔の前で急停止した。運転席からダブダブのポロシャツにカーゴパンツ姿の長身の女性が降りてきた。腰にホルスターを装着している。女性は展望塔に駆け込んでいく。

 世津奈は、バッグからマテバを抜いて、茂みを飛び出した。まず、SUVに銃を向けて中に人影がいないかチェックする。同乗者はいない。腹を括って、展望塔に入った女性スパイに専念することにする。

 展望塔の前で、中から出て来た女性スパイと鉢合わせした。世津奈は、躊躇なく相手の腹に3発浴びせた。スパイが2、3歩後退しながら、腰のホルスターに手を伸ばした。
「まずい」と思った。相手はポロシャツの下に防弾ベストを着ている。だから、ポロシャツがダブダブだったのだ。
 非殺傷性のゴム弾を腹に見舞っても、防弾ベストで衝撃が弱められるから、相手の動きを止めることはできない。仕方ない。世津奈はスパイの頭部に狙いをつけなおした。

 その時、女性の後頭部から、ピンク色の花火が打ち上がった。それが、血液と脳漿が混じったものだと気づくのに、少し時間がかかった。誰かが、女性の頭を撃った! 朱に染まった空気の中、女性がゆらりと揺れて、仰向けに倒れた。

「ウソ!」と自分が叫ぶ声に気づくのと、世津奈の背中に硬くとがったものが突き刺るのが同時だった。「私、撃たれた?」銃を持ったまま左手を背中に回すと、硬い棒のようなものが背中に突き立っている。
「マズイ、伏せなきゃ」と思っているところに、もう一撃、くらった。身体がマヒして動かない。視界が暗くなる。世津奈はコンクリートの路面にうつぶせに倒れた。顔面が路面と激突しても、痛みを感じなかった。そして、そのまま意識が消えた。



 
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登場人物紹介

宝生世津奈

2年前まで、警視庁生活安全部・生活経済課で産業スパイ事件を担当していた。警察が自らの権威を守るために過ちを認めようとしない姿勢に嫌気がさして警察を辞め、民間で産業スパイ案件を調査する「京橋テクノサービス」に転職してきた。

小柄で骨太だが、身体に占める手足の比率が高いので、すらっとしたモデル体型に、見えなくもない。

穏やかだが、肚が据わっていて、いざとなると、思い切った行動がとれる。

受験に数学のない私大出身の純・文系なので、実は、科学には、あまり強くない。

コータロー(菊村 幸太郎)

「京橋テクノサービス」で、世津奈とバディを組んでいる。

一流国立大学の数学科を卒業、同じ大学の大学院で応用数学の修士号を取り、さらに数量経済学の博士課程に進んだが、そこで強烈なアカデミック・ハラスメントにあい、引きこもりとなって2年間を過ごす。親戚の手で無理やり家から引きずり出されて、「京橋テクノサービス」に入社させられた。

頭脳明晰だが、精神年齢が幼い。普段は「ヘタレ」なのだが、時々、思い切った行動に出て、世津奈をハラハラさせる。IT、メカの操作、自動車の運転に優れている。

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