10.待機所
文字数 2,035文字
世津奈は、高山の運転で新宿区と渋谷区の境界にあるワンルーム・マンションに連れて来られた。
「このマンションの407号室が、あーたたちの待機所。コータローは、先に来てるわ。あの子が2人分のカギを持ってる。ただし、外出していいのは、食料の買い出しだけ。それも、1回にどちらか1人だけで、時間は、30分以内」
「室内と廊下に監視カメラが鈴なりで、私たちの行動は、お見通しということですね」
「そのとおり。ここみたいな都心のワンルーム・マンションは、働く独身女性がターゲットだから。セキュリティの厳重さが売り物。ほんと、すっごいんだから」高山が自慢げに言う。
「それから、あーたたちには、ここで、24時間・365日スタンバイしててもらうから、仕事の時に渡してる『飛ばし』のスマホは、要らないわよね。あーたたちに用ができたら、あたしから、部屋の固定電話に連絡するから」
そうなんだ・・・社長には、本当に、私を仕事から降ろす気は、ない。それどころか、この待機所に閉じ込めておき、どこかで火が出たら、すぐ、火消しに呼び出すつもりだ。
走り去る高山のクルマを見送ってから、世津奈はインターフォンで407号室を呼び出した。
「うひゃ、宝生さん、その顔は、なんすか?」インターフォンに付属のカメラで世津奈の顔を見たのだろう、コータローが吹き出す声が聞こえてきた。
「部屋に行ったら説明するよ」
部屋に通した世津奈の顔をしげしげと眺めたコータローが、「それ、傷口をガーゼでおおった上から、分厚い医療用のバンソーコーを貼ってますよね」と言った。世津奈は、鼻の頭と額の右端、右の頬骨に、コータローが言った通りの処置を受けている。
「相当、おかしいです。か・な・り、笑えます」
「私も治療してもらったあと、鏡を見て、笑った。ダムで麻酔ダーツで眠らされてうつむけに倒れた時のにケガなんだけど、人間って、すごいね。意識がなくても、顔の正面で着地しないよう、首をひねるのよ。私は左にひねったから、右側にケガが集中した」
「もっと目立たない肌色のバンソーコーだって、あるのに」
「あれだと紫外線を通すから、ダメだって。傷が十分治らないうちに紫外線にあてると皮膚が変色して元に戻らないことがあるから、1週間くらいは、ガーゼと、この分厚いバンソーコーで保護しとくよう、医者から言われた」
コータローが「ふーん」とうなずいてから、急に改まった顔になった。
「宝生さん、今、『運命の人』と出会いたくないですね」
「『運命の人』って、小指と小指が赤い糸で結ばれてる相手のこと? 結婚して、一生、添い遂げる異性のことだっけ」
「うーん、必ず結婚できるかどうか、ちょっと記憶が確かでないので・・・ともかく、『一生モノの絆で結ばれた異性』です」
世津奈の頭の中で、「一生モノ」という時間の長さと、「1週間」という時間の短さが、かみ合わなかった。
「コー君、言ってることが、変だよ。私が顔に1週間バンソーコー貼ってたら、私に気づいてくれない人が、私の『運命の人』なわけ、ないじゃない」
「えっ?」コータローが虚をつかれたような顔になる。この子は、学術優秀だが、日常思考にヌケが多い。
口の中でブツブツ言いながらしきりに考えている様子のコータローに、「それより、何か、食べようよ。昨日の朝食以降、何も食べてないんだよ」と声をかける。
コータローが、ぱっと明るい顔になる。「そう来ると、思ってました」もみ手をしながら、いそいそと冷蔵庫に向かう。「宝生さんの好きな五目あんかけ焼きそばと、麻婆丼、それからデザートに杏仁豆腐」と言いながら、コンビニの冷蔵食品を、次々、取り出して、テーブルに並べる。「あっ、もちろん。ジンジャーエールも」ジンジャーエールの2リットル瓶が、どんと、テーブルに置かれる。
コータローは、気が利かない所が多いが、食べ物・飲み物については、ヌカリがない。彼自身が、そっち方面にこだわりが強いからだろう。
コータローは、先ほど昼食を食べたばかりだと言って、彼の分の杏仁豆腐だけを食べた。さすがに、「運命の人」を蒸し返すことはせず、最近のテレビドラマについて、色々教えてくれた。
腹が満たされると、急に眠気が襲ってきた。まだ、筋弛緩剤の影響が残っているのかもしれない。「コー君、私、寝るわ」と言って室内を見回し、ベッド、ソファーの類がないことに気づいた。
「これ使ってください」コータローがクローゼットから寝袋を持ち出してきた。
「これで、寝るの?」
「ええ、宝生さんも、ボクも」
「寝袋で眠って、コンビニ飯を食べながら、24時間・365日、スタンバイするの?」
コータローが黙ってうなずいた。
そうなんだ・・・
「寝袋でも暑くないように、冷房、最強にしますから」というコータローの言葉を聞きながら寝袋にくるまると、意外にも、考える間もなく、眠りに落ちていた。
「このマンションの407号室が、あーたたちの待機所。コータローは、先に来てるわ。あの子が2人分のカギを持ってる。ただし、外出していいのは、食料の買い出しだけ。それも、1回にどちらか1人だけで、時間は、30分以内」
「室内と廊下に監視カメラが鈴なりで、私たちの行動は、お見通しということですね」
「そのとおり。ここみたいな都心のワンルーム・マンションは、働く独身女性がターゲットだから。セキュリティの厳重さが売り物。ほんと、すっごいんだから」高山が自慢げに言う。
「それから、あーたたちには、ここで、24時間・365日スタンバイしててもらうから、仕事の時に渡してる『飛ばし』のスマホは、要らないわよね。あーたたちに用ができたら、あたしから、部屋の固定電話に連絡するから」
そうなんだ・・・社長には、本当に、私を仕事から降ろす気は、ない。それどころか、この待機所に閉じ込めておき、どこかで火が出たら、すぐ、火消しに呼び出すつもりだ。
走り去る高山のクルマを見送ってから、世津奈はインターフォンで407号室を呼び出した。
「うひゃ、宝生さん、その顔は、なんすか?」インターフォンに付属のカメラで世津奈の顔を見たのだろう、コータローが吹き出す声が聞こえてきた。
「部屋に行ったら説明するよ」
部屋に通した世津奈の顔をしげしげと眺めたコータローが、「それ、傷口をガーゼでおおった上から、分厚い医療用のバンソーコーを貼ってますよね」と言った。世津奈は、鼻の頭と額の右端、右の頬骨に、コータローが言った通りの処置を受けている。
「相当、おかしいです。か・な・り、笑えます」
「私も治療してもらったあと、鏡を見て、笑った。ダムで麻酔ダーツで眠らされてうつむけに倒れた時のにケガなんだけど、人間って、すごいね。意識がなくても、顔の正面で着地しないよう、首をひねるのよ。私は左にひねったから、右側にケガが集中した」
「もっと目立たない肌色のバンソーコーだって、あるのに」
「あれだと紫外線を通すから、ダメだって。傷が十分治らないうちに紫外線にあてると皮膚が変色して元に戻らないことがあるから、1週間くらいは、ガーゼと、この分厚いバンソーコーで保護しとくよう、医者から言われた」
コータローが「ふーん」とうなずいてから、急に改まった顔になった。
「宝生さん、今、『運命の人』と出会いたくないですね」
「『運命の人』って、小指と小指が赤い糸で結ばれてる相手のこと? 結婚して、一生、添い遂げる異性のことだっけ」
「うーん、必ず結婚できるかどうか、ちょっと記憶が確かでないので・・・ともかく、『一生モノの絆で結ばれた異性』です」
世津奈の頭の中で、「一生モノ」という時間の長さと、「1週間」という時間の短さが、かみ合わなかった。
「コー君、言ってることが、変だよ。私が顔に1週間バンソーコー貼ってたら、私に気づいてくれない人が、私の『運命の人』なわけ、ないじゃない」
「えっ?」コータローが虚をつかれたような顔になる。この子は、学術優秀だが、日常思考にヌケが多い。
口の中でブツブツ言いながらしきりに考えている様子のコータローに、「それより、何か、食べようよ。昨日の朝食以降、何も食べてないんだよ」と声をかける。
コータローが、ぱっと明るい顔になる。「そう来ると、思ってました」もみ手をしながら、いそいそと冷蔵庫に向かう。「宝生さんの好きな五目あんかけ焼きそばと、麻婆丼、それからデザートに杏仁豆腐」と言いながら、コンビニの冷蔵食品を、次々、取り出して、テーブルに並べる。「あっ、もちろん。ジンジャーエールも」ジンジャーエールの2リットル瓶が、どんと、テーブルに置かれる。
コータローは、気が利かない所が多いが、食べ物・飲み物については、ヌカリがない。彼自身が、そっち方面にこだわりが強いからだろう。
コータローは、先ほど昼食を食べたばかりだと言って、彼の分の杏仁豆腐だけを食べた。さすがに、「運命の人」を蒸し返すことはせず、最近のテレビドラマについて、色々教えてくれた。
腹が満たされると、急に眠気が襲ってきた。まだ、筋弛緩剤の影響が残っているのかもしれない。「コー君、私、寝るわ」と言って室内を見回し、ベッド、ソファーの類がないことに気づいた。
「これ使ってください」コータローがクローゼットから寝袋を持ち出してきた。
「これで、寝るの?」
「ええ、宝生さんも、ボクも」
「寝袋で眠って、コンビニ飯を食べながら、24時間・365日、スタンバイするの?」
コータローが黙ってうなずいた。
そうなんだ・・・
「寝袋でも暑くないように、冷房、最強にしますから」というコータローの言葉を聞きながら寝袋にくるまると、意外にも、考える間もなく、眠りに落ちていた。