15. 錯綜した事態
文字数 2,576文字
タクシーを降りると、よどんだ運河からムッとする熱気と嫌な匂いが立ち昇っていた。高山が運河沿いの通りに面した間口の狭い五階建てのビルに入っていく。
世津奈は急ぎ足で後を追った。狭いロビーに入ると、背後で自動ドアが閉まる音が聞こえた。その後、少し間があいて、またドアが開く音が聞こえる。コータローが世津奈たちに遅れてビルに入ってきたのだ。
コータローがロビーに入ってくるのと同時に、「チーン」と、エレベーターがロビーに到着する音がした。高山が「あのバカに、5階だと言って」と世津奈に背を向けたまま言う。
「コー君、5階ね。先に行ってるわよ」
世津奈は肩越しに振り向き、コータローに声をかけてから、高山に続いてエレベーターに乗り込む。
コータローはロビーの入口で横を向いて長い両腕をぶらぶらさせていた。最大級に不機嫌な時の彼のクセだ。待機所で伯母で親代わりの高山と電話で大喧嘩をした余熱がまだくすぶっているのだ。
高山にタクシーで拾われてやってきたこのビルは、京橋テクノサービスの医療センターだ。といっても、ビルの表には青柳商会という看板をかけ、医師と看護師はスーツに事務服姿だから、外からは、オフィスビルにしか見えない。表ざたにしたくないケガ人が出た時に連れ込む秘密の救急センターだからだ。
慧子が小河内ダムで負傷して連れ込まれたのも、この医療センターだ。ここで手に負えない重傷者は、世津奈は知らない裏ルートを使って、都内のいくつかの大病院に転院させることになる。
世津奈と高山がやってきた5階は入院が必要な負傷者を受け入れる病棟だ。高山は、世津奈にエレベーター前で待っているように言い、廊下の端にあるICUに足を運んだ。
中から出てきたワイシャツ、スラックス姿にマスクをかけた男性と二言三言話してから戻ってくる。普段はつやつやした童顔の高山の顔から血の気が引いて、10歳以上老け込んだように見える。
高山は世津奈に「ついてらっしゃい」と言って、一般病棟(といっても、4人部屋が一つあるだけだが)に入っていった。中では、男性が二人ベッドに寝かされていた。一人は右脚を骨折しているとみえ、包帯でぐるぐる巻きになった脚をベッドの上のレールから吊るされている。もう一人は仰向けになって目を閉じ、眠っているようだった。二人とも世津奈には見覚えのない顔だ。
「庄司君、具合いは、どう?」
高山が脚を骨折している男に声をかけた。
「こんなことになって、面目ありません。大腿骨をやられました。左腰の骨にもヒビが入っているそうです」
庄司と呼ばれた男が恐縮した顔で答えた。
「状況は電話で聞いたけど、もう一度、話してくれる」
高山が尋ねると、庄司が疑わしそうな視線を世津奈に投げてきた。
「あぁ、この子は大丈夫。今回の契約の指定調査員で信頼のおける子だから」
35歳になって「子」と呼ばれるのは、妙にくすぐったい。
庄司が警戒をゆるめて、話し出した。
「栗林さんのお嬢さんがコンビニ弁当ばかりじゃかわいそうだから、夕食くらいはルームサービスを取ろうと、戸塚さんが言い出したんです。いえ、戸塚さんだけがそう思ったんじゃありません。私も、山中も、同じように思って……」
声が細くなって、消える。
「いいわ、子どもに気を遣ったことを責めるつもりはない」
と高山が言うと、庄司が少し安心したような声で、また、話し始める。
「栗林さん親子にはセット物を取って、私たちは片手を開けたまま食べられるようにサンドイッチを取りました。ルームサービスが来て、戸塚さんがチェーンをかけたまま相手がホテルのボーイであることを確かめ中に入れたんです。そうしたら……」
庄司が、今度は声を詰まらせる。
世津奈には、何が起こったかおよその見当がついた。庄司は、「京橋テクノサービス」が保護した人間を警護する「緊急保護センター」のスタッフで、栗林母子をホテルに匿っていたのだ。そこを、何者かに襲撃された。
庄司が震え声で続ける。
「ボーイだと思っていた相手が、料理にかぶせてあったドームカバーの下からどでかいリボルバーを取り出して、戸塚さんの後頭部を撃ったんです。戸塚さんは前にはじかれるように倒れました。実弾だったら、頭が吹き飛んでもおかしくない至近距離でしたが、血の一滴も出なかったのでゴム弾だと、すぐにわかりました。山中がボーイに化けた野郎にとびかかりましたが、すぐに胸を撃たれて」
「それで、あなたは?」
高山が庄司に尋ねる。
「ソファーテーブルを盾にして立ち向かいました。ですが、太ももと腰を撃たれて。ゴム弾といっても威力がすごくて。バットでぶん殴られたような衝撃でした」
庄司が声を詰まらせる。
「その衝撃であなたが動けなくなったところを、ボーイに化けた男が栗林母子を銃で脅して連れ出した。そういう事ね」
庄司が力なくうなずく。
「戸塚さんの容態は、どうですか?」
庄司がおそるおそる高山に尋ねる。
高山が
「命に別状はないから、安心なさい」
と応えてから、
「相手の体格とか顔つきとか覚えてる?」
と訊き返す。
「はい、奴が栗林さん親子を連れ出す所を見ていましたから、背格好とかおよその人相は覚えています」
世津奈は、高山に叱られるかもしれないと思いつつ、庄司に訊かずにいられなくなった。
「そいつは、ずいぶん、大胆な奴ね。あなたに意識があって自分の顔を見ているのに、堂々と栗林さん親子を連れ出していったんだ」
庄司がハッとした顔で世津奈を見た。見る見る、顔を赤くなる。庄司が毛布をはねのけて上体を起こそうとして、苦痛に顔をゆがめる。
庄司が声を絞り出した。
「私が奴とグルだったと疑っているんですか!とんでもない。戸塚さんには、この仕事を一から教えてもらいました。山中とは同時期に入社しました。そんな二人を俺が裏切るなんて!」
「庄司君、この子は、そんなことはひとことも言ってないわよ」
高山がとりなすように言い
「また後で話を聞くから、少し休んでいらっしゃい」
と優しい声で続けると、庄司はベッド身体を沈めた。高山が毛布をかけなおしてやり、世津奈に、部屋から出るよう目で合図してきた。
世津奈は急ぎ足で後を追った。狭いロビーに入ると、背後で自動ドアが閉まる音が聞こえた。その後、少し間があいて、またドアが開く音が聞こえる。コータローが世津奈たちに遅れてビルに入ってきたのだ。
コータローがロビーに入ってくるのと同時に、「チーン」と、エレベーターがロビーに到着する音がした。高山が「あのバカに、5階だと言って」と世津奈に背を向けたまま言う。
「コー君、5階ね。先に行ってるわよ」
世津奈は肩越しに振り向き、コータローに声をかけてから、高山に続いてエレベーターに乗り込む。
コータローはロビーの入口で横を向いて長い両腕をぶらぶらさせていた。最大級に不機嫌な時の彼のクセだ。待機所で伯母で親代わりの高山と電話で大喧嘩をした余熱がまだくすぶっているのだ。
高山にタクシーで拾われてやってきたこのビルは、京橋テクノサービスの医療センターだ。といっても、ビルの表には青柳商会という看板をかけ、医師と看護師はスーツに事務服姿だから、外からは、オフィスビルにしか見えない。表ざたにしたくないケガ人が出た時に連れ込む秘密の救急センターだからだ。
慧子が小河内ダムで負傷して連れ込まれたのも、この医療センターだ。ここで手に負えない重傷者は、世津奈は知らない裏ルートを使って、都内のいくつかの大病院に転院させることになる。
世津奈と高山がやってきた5階は入院が必要な負傷者を受け入れる病棟だ。高山は、世津奈にエレベーター前で待っているように言い、廊下の端にあるICUに足を運んだ。
中から出てきたワイシャツ、スラックス姿にマスクをかけた男性と二言三言話してから戻ってくる。普段はつやつやした童顔の高山の顔から血の気が引いて、10歳以上老け込んだように見える。
高山は世津奈に「ついてらっしゃい」と言って、一般病棟(といっても、4人部屋が一つあるだけだが)に入っていった。中では、男性が二人ベッドに寝かされていた。一人は右脚を骨折しているとみえ、包帯でぐるぐる巻きになった脚をベッドの上のレールから吊るされている。もう一人は仰向けになって目を閉じ、眠っているようだった。二人とも世津奈には見覚えのない顔だ。
「庄司君、具合いは、どう?」
高山が脚を骨折している男に声をかけた。
「こんなことになって、面目ありません。大腿骨をやられました。左腰の骨にもヒビが入っているそうです」
庄司と呼ばれた男が恐縮した顔で答えた。
「状況は電話で聞いたけど、もう一度、話してくれる」
高山が尋ねると、庄司が疑わしそうな視線を世津奈に投げてきた。
「あぁ、この子は大丈夫。今回の契約の指定調査員で信頼のおける子だから」
35歳になって「子」と呼ばれるのは、妙にくすぐったい。
庄司が警戒をゆるめて、話し出した。
「栗林さんのお嬢さんがコンビニ弁当ばかりじゃかわいそうだから、夕食くらいはルームサービスを取ろうと、戸塚さんが言い出したんです。いえ、戸塚さんだけがそう思ったんじゃありません。私も、山中も、同じように思って……」
声が細くなって、消える。
「いいわ、子どもに気を遣ったことを責めるつもりはない」
と高山が言うと、庄司が少し安心したような声で、また、話し始める。
「栗林さん親子にはセット物を取って、私たちは片手を開けたまま食べられるようにサンドイッチを取りました。ルームサービスが来て、戸塚さんがチェーンをかけたまま相手がホテルのボーイであることを確かめ中に入れたんです。そうしたら……」
庄司が、今度は声を詰まらせる。
世津奈には、何が起こったかおよその見当がついた。庄司は、「京橋テクノサービス」が保護した人間を警護する「緊急保護センター」のスタッフで、栗林母子をホテルに匿っていたのだ。そこを、何者かに襲撃された。
庄司が震え声で続ける。
「ボーイだと思っていた相手が、料理にかぶせてあったドームカバーの下からどでかいリボルバーを取り出して、戸塚さんの後頭部を撃ったんです。戸塚さんは前にはじかれるように倒れました。実弾だったら、頭が吹き飛んでもおかしくない至近距離でしたが、血の一滴も出なかったのでゴム弾だと、すぐにわかりました。山中がボーイに化けた野郎にとびかかりましたが、すぐに胸を撃たれて」
「それで、あなたは?」
高山が庄司に尋ねる。
「ソファーテーブルを盾にして立ち向かいました。ですが、太ももと腰を撃たれて。ゴム弾といっても威力がすごくて。バットでぶん殴られたような衝撃でした」
庄司が声を詰まらせる。
「その衝撃であなたが動けなくなったところを、ボーイに化けた男が栗林母子を銃で脅して連れ出した。そういう事ね」
庄司が力なくうなずく。
「戸塚さんの容態は、どうですか?」
庄司がおそるおそる高山に尋ねる。
高山が
「命に別状はないから、安心なさい」
と応えてから、
「相手の体格とか顔つきとか覚えてる?」
と訊き返す。
「はい、奴が栗林さん親子を連れ出す所を見ていましたから、背格好とかおよその人相は覚えています」
世津奈は、高山に叱られるかもしれないと思いつつ、庄司に訊かずにいられなくなった。
「そいつは、ずいぶん、大胆な奴ね。あなたに意識があって自分の顔を見ているのに、堂々と栗林さん親子を連れ出していったんだ」
庄司がハッとした顔で世津奈を見た。見る見る、顔を赤くなる。庄司が毛布をはねのけて上体を起こそうとして、苦痛に顔をゆがめる。
庄司が声を絞り出した。
「私が奴とグルだったと疑っているんですか!とんでもない。戸塚さんには、この仕事を一から教えてもらいました。山中とは同時期に入社しました。そんな二人を俺が裏切るなんて!」
「庄司君、この子は、そんなことはひとことも言ってないわよ」
高山がとりなすように言い
「また後で話を聞くから、少し休んでいらっしゃい」
と優しい声で続けると、庄司はベッド身体を沈めた。高山が毛布をかけなおしてやり、世津奈に、部屋から出るよう目で合図してきた。