18. ガソリンスタンドの死闘

文字数 3,823文字

 コータローが速度を落とし、ガソリンスタンドの入口を徐行で通り過ぎる。栗林母子を乗せた黒いバンが一番手前の給油機で給油している。バンの前後に一人ずつ、いかつい男。バンに4人の男が乗っているのは追尾中に確認した。別の1人がハンドルにつき、もう1人が栗林母子を見張っていることになる。

 ガソリンスタンドの出口から、給油を終えたセダンが店員の誘導で通りに出ようとしている。コータローがアクセルを踏み込み、セダンの鼻先を回り込みクルマを歩道に乗り上げる。そのままガソリンスタンドの敷地に進入。

 コータローがキリキリとハンドルを回し、クルマを90度回転させて方向転換。給油中のバンの鼻先にクルマをつける。
 世津奈は足元からポンプ式のショットガンを取り上げ、バンと反対側のドアからクルマを下りる。クルマの屋根越しに、栗林母子を乗せた黒いバンと世津奈の間に立ちはだかる男を狙い、引き金を引く。

 ボンと、圧縮空気が噴出する音う。一拍おくれて、男の顔面が真っ赤に染まる。ショットガンに装填されているのは金属の散弾ではなく、大口径のペイント弾だ。標的に当たると炸裂して内部に詰めた真紅の染料をぶちまける。
 男に命中したが、威嚇の効果しかない。1、2分したら、男は態勢を立て直して攻撃してくるだろう。

 次の瞬間、世津奈の耳元を鋭い空気の矢が奔り、パンという乾いた音が聞こえてきた。もう一人の男が撃ってきたのだ。
「こっちは、まかせてください」
コータローの声がして、タタ、タタと、コータローの銃がリズミカルな発射音を立てる。
 
 世津奈は、ショットガンをポンピングして銃弾をチェンバーに送り込み、ワゴン車のフロントグラスに向ける。1発。ポンピングしてもう1発。さらにポンピングして、もう1発。3発でフロントグラス全体が朱に染まった。これで、運転手はワゴン車を発進できない。

 世津奈にショットガンで撃たれて顔を朱に染めた男が、懐から拳銃を抜いて撃ってきた。銃声に続いて、何かが車体にめり込む金属音が聞こえる。
「うっそだろー!」
コータローが怒鳴った。
「宝生さん、気を付けて! 実弾です、実弾!」
声は引きつっている。しかし、コータローはひるまなかった。ゴム弾で応射する。
 
 世津奈はショットガンをクルマの屋根に残し、肩掛け式のバッグからマテバユニカを取り出し、黒いバンに向かう。コータローと撃ち合っていた男は、顔をおおったペイントのせいで、世津奈に気づかない。男の胸にマテバユニカの1秒6発の速射を見舞った。男の身体が後ろに吹っ飛ぶ。

 世津奈は空の銃を捨て、バンに駆け寄る。バッグから直方体の爆薬を取り出しフロントグラスの下に据える。3歩後退。バッグから2丁目のマテバユニカを取り出し、爆薬を撃つ。ポンと間の抜けた爆発音がして、フロントグラスが粉々になって崩れ落ちる。
 バッグから煙幕手榴弾を取り出し、安全ピンを抜いて割れたフロントグラスから車内に放りこむ。子どもが中にいるから、無臭無毒の白煙を放出するタイプだ。
 駆けつけてきたコータローが「予定通りですね」と息を切らせながら言う。
「ここからが本番よ」

 バンのフロントグラスから白い煙が流れ出す。激しい咳き込みが聞こえてきた。白煙弾でも、4歳の幼女には強すぎたか? だが、今さら後には引けない。
「コー君、左右に別れる。コー君は左、私は右」
コータローに声をかけ、世津奈は給油機と反対側のスライドドア前に移動する。
 フロントグラスをペイントで塗りつぶした時に、ドライバーは運転席を離れて栗林母子のそばに移動しただろう。1人が母親、もう1人が娘を人質にバンから出てくるはずだ。

 スライドドアが開き、白煙の中から幼女の姿が現れた。頭に銃をつきつけられ、激しく咳き込んでいる。色黒の骨ばった腕が、幼女の胴回りを締め付けている。世津奈は、マテバを左手に持ち替えた。
 幼女を締め付けている腕の持ち主が煙の中から姿を現す。幼女に銃を突き付けた腕の向こうに男の顔が見える。
 世津奈は男の額に銃口を突きつけ、トリガーを引く。男の身体が後方に倒れる。男の腕からこぼれ落ちた幼女を、身体をかがめてひざで受けとめる。

 左手でコータローの銃から3発の発射音が響く。すぐに、もっと低く太い発射音がして、人の倒れる音がした。コータローが撃たれた?
「すぐお母さんに来てもらうから、待っててね」
 と幼女に言い、地面に降ろす。幼女は身体を折り曲げて激しく咳き込み始める。
 コータローが心配、幼女も心配。だが、今は、母親を奪い返すのが先決だ。

「高田、大丈夫か?」
ドスの効いた声が車の反対側から聞こえてくる。コータローを撃った奴に違いない。
 世津奈はワゴン車のスライドドアの真横に移動する。車内に漂う白煙を通して、反対側のスライドドアが開いているのが見え、その向こうに大通りを行き交う車の流れがおぼろに見える。
 
 世津奈は自分の側のスライドドアからワゴン車に飛び込み、2蹴りで反対側の開口部に飛び出す。
 すぐ左手に栗林夫人を抱き寄せ銃口をつきつけている男の後ろ姿。世津奈はその背中に2発撃見舞う。前方に倒れる男から、栗林夫人が男から身を振りほどく。マテバの残弾1発を、倒れた男の背中に浴びせる。

 その時、「あそこ!」と栗林夫人が叫んだ。世津奈が目を上げると、1メートルと離れていない路面で、横倒しになった男が銃をこちらに向けている。
 コータローが初めに倒した男だ。コータローのゴム弾で気絶していたのが、息を吹き返したのだ。男の胸に1発。もう1度引き金を引くが、カチッと金属音がむなしく響く。弾切れ。
 男は苦しそうにむせているが、銃を離していない。世津奈に狙いを付け直そうとする。世津奈の全身に電流が走った。空になったマテバを捨て、ショルダーバッグから3丁目を取り出し、撃鉄を起こす。男が世津奈に狙いをつける。1秒6発の速射を男に見舞う。男の身体が震え、手から銃が落ちた。
 しまった!3丁目のマテバも全弾撃ち尽くしてしまった。
 
 マテバを3丁全部を空にしたという重い現実が世津奈にのしかかってくる。ゴム弾で倒した相手は、今の男のように一時のショックから立ち直って反撃してくる可能性がある。肩掛けバッグの中には6発のゴム弾を束ねたリローダーが2個入っている。今すぐ、弾をこめ直すか?

「カエデ、大丈夫?」
女性の声が少し離れた所から聞こえた。ハッとして見回すと、隣にいたはずの栗林夫人の姿がない。
「カエデ、カエデ」と呼びかける栗林夫人の声と幼女の咳き込みが重なる。夫人は、ワゴン車の反対側に回って娘を介抱しているのだ。同じ側には、世津奈が倒した男が2人。あいつらが息を吹き返したら?
 
 弾を詰め替えている暇など、なかった。世津奈はマテバをバッグに戻し、カーゴパンツの腰ポケットから特殊警棒を抜く。ワゴン車の前部を迂回し、反対側に出る。
「伏せて!」
栗林夫人に駆け寄り、夫人を娘ごと押し倒す。特殊警棒を手に立ち上がり、バンの横に倒れている男に向かう。特殊警棒で右と左の肘を叩きつける。グシャッと骨が折れる感触が伝わってくる。
 すぐにくびすを返し、世津奈が6連射で倒した男に向かう。こちらも意識をなくしたまま、路面に大の字に転がっている。世津奈は男に駆け寄り、左右の手首に特殊警棒を叩き込む。骨が砕ける感触が手に伝わってくる。
 これで、当面、反撃してくる奴はいなくなった。

 コータローを探しに行こうとする。栗林夫人に呼び止められた。
「あなた、この子に何をしてくれたんですか。この子は、喘息持ちなんですよ。発作を起こしています」
 喘息持ちとは知らなかった。しまったと思いながらも、
「待ってください。私の相棒が撃たれたので」
 とはねつけ、大の字に倒れているコータローに駆け寄る。

 まず頭を撃たれていないことを確かめ、少しだけ安心する。ポロシャツの胸に穴が開いている。ポロシャツの裾をまくり上げると、薄手の防弾ベストの胸に9ミリ弾が食い込んでいた。
 万一のためにと防弾ベストを着てこさせたのは良かったものの、コータローが暑いと嫌がるので薄型にしたのは失敗だった。銃弾がベストを貫いて、コータローの身体に食い込んでいる。コータローは気を失っているが、息はある。

 世津奈は、栗林夫人と幼女のもとに戻る。
「催涙ガスで喘息発作を起こしてしまったのですね。申し訳ありません。気管支拡張剤はお持ちですか?」
「私が、何年、この子の喘息の世話をしてきたと思っているの! 持っていたら、とっくに使っています。ホテルから身ひとつで連れ出されたのです」
栗林夫人が真っ赤に充血した目で世津奈をにらんできた。
 救急車を呼ぶ必要があった。世津奈は小学校低学年まで喘息持ちだったからよくわかるが、喘息発作ほど辛いものはない。しかも、発作を放っておくと、命にかかわることがある。
 
 だが、ここに呼ぶわけにはいかない。世津奈たちが倒した連中が転がっているのだから。少し離れた場所に呼ばないと……
「奥さん、そこある私たちのクルマに乗り換えてください」
「何を言ってるの! 今すぐ、ここに救急車を呼びなさい」
夫人が世津奈を殺しかねない勢いで迫ってきた。
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登場人物紹介

宝生世津奈

2年前まで、警視庁生活安全部・生活経済課で産業スパイ事件を担当していた。警察が自らの権威を守るために過ちを認めようとしない姿勢に嫌気がさして警察を辞め、民間で産業スパイ案件を調査する「京橋テクノサービス」に転職してきた。

小柄で骨太だが、身体に占める手足の比率が高いので、すらっとしたモデル体型に、見えなくもない。

穏やかだが、肚が据わっていて、いざとなると、思い切った行動がとれる。

受験に数学のない私大出身の純・文系なので、実は、科学には、あまり強くない。

コータロー(菊村 幸太郎)

「京橋テクノサービス」で、世津奈とバディを組んでいる。

一流国立大学の数学科を卒業、同じ大学の大学院で応用数学の修士号を取り、さらに数量経済学の博士課程に進んだが、そこで強烈なアカデミック・ハラスメントにあい、引きこもりとなって2年間を過ごす。親戚の手で無理やり家から引きずり出されて、「京橋テクノサービス」に入社させられた。

頭脳明晰だが、精神年齢が幼い。普段は「ヘタレ」なのだが、時々、思い切った行動に出て、世津奈をハラハラさせる。IT、メカの操作、自動車の運転に優れている。

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