28、九鬼修三
文字数 1,544文字
世津奈は新宿駅南口から甲州街道に出て、左手に向った。高架部分を降り低層から中層の商業ビルが建て込んだ一角に入る。夜ともなれば、若者やサラリーマンでにぎわう一角だが、今は午後四時で、人通りは数えるほどだ。
カプセルホテル横の路地を入ると、一転して落ち着いた住宅街になる。世津奈がめざすバーは、その住宅街の一角にあった。分厚い木製の扉に、「バー・マーロウ」と書かれた真鍮の札が打ち付けられている。
ドアを開けると、
「すまないが、開店前だ」
と、店の奥からよく響く男性の声が聞こえてきた。
「九鬼さん、ご無沙汰しています」
世津奈が声をかけると、カウンターの端でグラス片手に本を読んでいた男が顔をあげ、こちらを見た。
「おぉ、お前さんか。本当に、久しぶりだな。俺は寂しかったが、お前さんに平穏な日々が続いていたわけだから、喜ぶべきだろうな」
「その平穏が破られました」
「で、駆け込み寺に来たか。大歓迎だ」
九鬼修三がほほ笑んだ。岩から切り出したような、鋭く彫りが深い顔。美しい銀髪が頭を覆っている。
「ま、すわれ」
九鬼が自分のグラスをカウンターに置き、カウンターの中に入った。世津奈は九鬼が座っていたスツールから一つ間を置いて席につく。九鬼が読んでいたのは、『闇の奥』の原書だった。
「お前さんは、これだったな」
九鬼が世津奈の前にジンジャー・エールのボトルと氷の入ったグラスを置き、自分にはカウンターに置いてあるバーボンをストレートでグラスに注ぐ。
「では、話を聴こうか」
世津奈は、REBの機密漏洩調査のここまでの経緯を説明した。九鬼は、時々質問を挟んで聞いていたが、世津奈が話し終わると
「で、お前さんは、俺にその栗林研究員を救い出してくれと言うのか?」
と尋ねてきた。
「いいえ。九鬼さんには、『海洋資源開発コンソーシアム』の保安部が栗林さんをどんな容疑で取り調べているかを、つかんでいただきたいのです」
「栗林が実在するREBの機密を漏らそうとしていたなら、お前さんの会社はコンソーシアムのすることに口出ししない。だが、栗林がREBが実在しないことを暴露しようとしていたなら、」
「私たちが栗林さんを保安部から助け出します」
「話は、わかった。調査方法は、俺に任せてもらえるな」
「はい。ただ、私の会社の者たちを納得させないといけないので、何か証拠を確保していただけると助かります」
「いつもならお前さんと俺の信頼関係でOKだが、今回はそうはいかないか」
「余計なお手間をおかけします。そのお詫びに今回は有償です」
世津奈がショルダーバッグから札束を取り出すと、九鬼が顔をしかめた。
「おい、気でも違ったのか? お前さんと俺の間で、金のやり取りは一切なしだ。俺は、『あいつ』にそう誓った」
「私独りの問題なら、九鬼さんのお金をお渡ししたり、しません。それが、『先輩』との約束です。会社がらみだから、報酬を支払わせてください。うちの社長の希望でもあります」
「俺はお前さんのところの社長を知っている。金にはえらく渋かったと記憶している」
「はい、相当なケチです。ところが、私が『確かな友人に頼みます』と言ったら、私が頼みもしないのに、あっさり金を出しました」
「ほぉ、お前さんは社長から信頼されているわけだ」
「と言うより、それだけ社長は困っているのです」
「わかった。この金は遠慮なく頂戴しておく」
「海洋資源開発コンソーシアムにREBですって? お二人さん、興味深い話をしてるわね」
店の裏口から女性の声がした。世津奈がヒップホルスターから拳銃を抜き声の方に向けると、東南アジア風のエキゾチックな容貌の女性が裏口のドアをあけて立っていた。
カプセルホテル横の路地を入ると、一転して落ち着いた住宅街になる。世津奈がめざすバーは、その住宅街の一角にあった。分厚い木製の扉に、「バー・マーロウ」と書かれた真鍮の札が打ち付けられている。
ドアを開けると、
「すまないが、開店前だ」
と、店の奥からよく響く男性の声が聞こえてきた。
「九鬼さん、ご無沙汰しています」
世津奈が声をかけると、カウンターの端でグラス片手に本を読んでいた男が顔をあげ、こちらを見た。
「おぉ、お前さんか。本当に、久しぶりだな。俺は寂しかったが、お前さんに平穏な日々が続いていたわけだから、喜ぶべきだろうな」
「その平穏が破られました」
「で、駆け込み寺に来たか。大歓迎だ」
九鬼修三がほほ笑んだ。岩から切り出したような、鋭く彫りが深い顔。美しい銀髪が頭を覆っている。
「ま、すわれ」
九鬼が自分のグラスをカウンターに置き、カウンターの中に入った。世津奈は九鬼が座っていたスツールから一つ間を置いて席につく。九鬼が読んでいたのは、『闇の奥』の原書だった。
「お前さんは、これだったな」
九鬼が世津奈の前にジンジャー・エールのボトルと氷の入ったグラスを置き、自分にはカウンターに置いてあるバーボンをストレートでグラスに注ぐ。
「では、話を聴こうか」
世津奈は、REBの機密漏洩調査のここまでの経緯を説明した。九鬼は、時々質問を挟んで聞いていたが、世津奈が話し終わると
「で、お前さんは、俺にその栗林研究員を救い出してくれと言うのか?」
と尋ねてきた。
「いいえ。九鬼さんには、『海洋資源開発コンソーシアム』の保安部が栗林さんをどんな容疑で取り調べているかを、つかんでいただきたいのです」
「栗林が実在するREBの機密を漏らそうとしていたなら、お前さんの会社はコンソーシアムのすることに口出ししない。だが、栗林がREBが実在しないことを暴露しようとしていたなら、」
「私たちが栗林さんを保安部から助け出します」
「話は、わかった。調査方法は、俺に任せてもらえるな」
「はい。ただ、私の会社の者たちを納得させないといけないので、何か証拠を確保していただけると助かります」
「いつもならお前さんと俺の信頼関係でOKだが、今回はそうはいかないか」
「余計なお手間をおかけします。そのお詫びに今回は有償です」
世津奈がショルダーバッグから札束を取り出すと、九鬼が顔をしかめた。
「おい、気でも違ったのか? お前さんと俺の間で、金のやり取りは一切なしだ。俺は、『あいつ』にそう誓った」
「私独りの問題なら、九鬼さんのお金をお渡ししたり、しません。それが、『先輩』との約束です。会社がらみだから、報酬を支払わせてください。うちの社長の希望でもあります」
「俺はお前さんのところの社長を知っている。金にはえらく渋かったと記憶している」
「はい、相当なケチです。ところが、私が『確かな友人に頼みます』と言ったら、私が頼みもしないのに、あっさり金を出しました」
「ほぉ、お前さんは社長から信頼されているわけだ」
「と言うより、それだけ社長は困っているのです」
「わかった。この金は遠慮なく頂戴しておく」
「海洋資源開発コンソーシアムにREBですって? お二人さん、興味深い話をしてるわね」
店の裏口から女性の声がした。世津奈がヒップホルスターから拳銃を抜き声の方に向けると、東南アジア風のエキゾチックな容貌の女性が裏口のドアをあけて立っていた。