34、世津奈と由紀子/第1回対決
文字数 3,025文字
「『海洋資源開発コンソーシアム』ともめているのは栗林よ。私はその巻き添えを食った被害者。その私を、取り調べるですって? あなたは、どこまで間抜けなの」
取調室の机の向こうで、由紀子が首をかしげ顎を突き出すようにして世津奈を見た。由紀子の仕草には、映画で観るアメリカ人に似たところがある。アメリカ時代に身に付いたのだろうか。
世津奈は、由紀子が単に巻き込まれただけの人間とは思っていない。
「私は、由紀子さんを拉致した連中を引き寄せる何かが、由紀子さんご自身にあったと思っています」
「それは、私が栗林の妻だってことでしょ」
「いいえ、由紀子さんは、もっと深くこの件に関わっていらっしゃいます」
「何を根拠に言ってるの?」
「探偵の勘です」
「話にならないい」
由紀子が吐き出すように言う。
「あなたみたいな間抜けな探偵の勘で当事者扱いされては、たまらない」
由紀子はそう言って横を向いたが、目の隅から探るような視線を投げてよこした。
この人は、疑い始めている。私に疑念を持たせるような何かを、カエデちゃんが話したのではないかと考え始めている。
世津奈は考える。由紀子はキツい性格だ。カエデが世津奈に話したばかりに自分に疑いがかかったと知ったら、カエデに厳しく当たるかもしれない。それは避けたい。
しかし、すでに疑い出したのだから、世津奈が漏らさずとも、由紀子みずから、カエデを厳しく問いただす可能性もある。その方が、カエデには、もっとキツイかもしれない。
世津奈は、カエデを持ち出すことにした。
机の向こうで横を向いたままの由紀子に話しかける。
「病院で、カエデちゃんは夜中に目を覚ましました。由紀子さんがいらっしゃらず、ほとんど初対面の私が代わりにいるのです。カエデちゃんがパニックしたらどうしようと、私は心配しました」
「そう?」
由紀子が関心のない風を装う。
「カエデちゃんは、まったく動揺せず私と話をして、また寝付きました。その時、思ったんです。カエデちゃんは、あなた以外の大人に面倒を見てもらう事に慣れているのではないかと」
由紀子が顔半分を、世津奈に向けてきた。
「カエデが、そう言ったの?」
「いいえ、カエデちゃんは、何も言いませんでした。ただ、母親以外の大人と過ごすのに慣れているお子さんでないと、ああはいかないと思いました」
「あなた、子どもは?」
「いいえ」
「結婚もしてなさそうね」
「はい、独身です」
「やっぱりね」
バカにしたような口ぶり。
どうして、既婚女性は、こうして独身女性に対しマウントを取りにくるのだろう? 実は結婚した事を悔いていて、負け惜しみから上に立とうとするのではないか? 「女の幸せは結婚」というカビの生えた「常識」が、彼女たちが借りてくる「虎の威」だ。
「あなたに子どもの事は、わからない。一口に子どもと言っても、それぞれの個性がある。人見知りな子もいれば、大人になつきやすい子もいる。カエデは、もともと大人を怖がらない。まして、あなたみたいな間抜けな大人が相手なら、安心して普段どおりでいられる」
由紀子が薄い唇を歪めて、嫌味を言った。
この人は普段以上に攻撃的になっている。つまり、カエデちゃんが私に何らかのヒントを与えたことを察して動揺しているのだ。
「そうですね。確かに、私は子ども達のことはよく分かりません。ところで、由紀子さんは、栗林さんの浮気相手にお会いになった事がありますか?」
いつもなら間髪を入れず返事する由紀子が、答えに詰まった。考えているのだ。会ったことはないと答えるのは簡単だが、もし、カエデちゃんが中国人研究員・劉麗華が家に来たことを私に話していたら、ウソをついた理由を問い質されることになる。そして、カエデちゃんは私に、劉麗華に面倒を見てもらった事があると言った。
「ええ、一度だけ、日曜日に家に来たことがある。あのオンナが日本の家庭料理を食べたいと言い出したとかで、栗林が連れてきた。肉じゃがとか、普段のおかずを作って食べさせてやったわよ。カエデもいて、あのオンナと幼稚園の事とか話してた」
そう来たか。私が由紀子でも、同じ出方をする。ただ、私だったら、カエデちゃんには触れない。
「えっ、じゃ、その女性はカエデちゃんと話したのですか? 不倫相手の娘と何食わぬ顔で話せるとは、図太い女ですね」
「普通に話してた。その時は、何も思わなかったけど、振り返ると、確かに鉄面皮厚顔無恥ね。でも、それがどうしたの?」
「不思議ですね。会社の行事とかで会わざるを得ないなら別として、不倫相手の妻にわざわざ会いにきますかね?」
「だから、図太いんでしょ」
「そんな事して、その女性に何のメリットがあったのでしょう?」
「栗林に捨てられた惨めな妻の顔を見て、優越感にひたりたかったんじゃないの」
「でも、由紀子さんの方がはるかに美人でいらっしゃいます」
「あなた、あの女を見たことがあるの?」
「写真で」
取りあえず、ウソをついておく。目の前で劉麗華が射殺された事は、いずれ、話す。
「栗林さんが本当に由紀子さんからあの女性に乗り換えたとしたら、私は栗林さんの美意識を疑います」
「昔から『蓼食う虫も好き好き』と言うじゃない。たまたま、あのオンナが栗林のストライクゾーンど真ん中だったんじゃないの」
由紀子の口調からは、劉麗華が死んだ事は知らないように感じられた。
世津奈は、もう少し揺さぶりをかけることにする。
「ものすごく突飛な話だと承知でお話しするのですが、彼女は栗林さんの浮気相手ではなく、由紀子さん・栗林さん共通の知人だったのではないですか? いえ、知人と言うより、友人だった」
由紀子が世津奈を正面から見据えてきた。
「何、バカなことを言ってるの。私があのオンナと会ったのは、栗林が家に連れてきた1回だけ。儀礼的に対応したけど、何の親しみも感じなかった」
由紀子の声からは、明らかに動揺が感じ取れる。
「そうですか……失礼しました。職業柄、あらゆる可能性を想定してみたくなるもので」
カエデの口から劉麗華の名前が出た事と由紀子の一連の反応から、栗林夫妻と劉麗華が親しい間柄にあったことは間違いない。由紀子、栗林、劉麗華の接点を洗う。その上で、もう一度由紀子を攻める。
そうすれば、栗林と由紀子のREBへの絡み方が見えてくるはずだ。今、九鬼父娘が『海洋資源開発コンソーシアム』に探りを入れている。その結果を由紀子を調べ上げた結果と突き合わせれば、REBの機密漏洩調査依頼の背景にあるものの全体像が浮かんでくるだろう。
世津奈は、この聴取の結果に満足した。
「由紀子さん、今日はここまでにしましょう。そろそろカエデちゃんを寝かしつける時間でしょう?」
「『今日は』ですって? こんなとりとめのない話を、また、あなたとしなきゃいけない理由がどこにあるの?」
「理由は、次回に色々お話しさせていただく中で、お伝えできると思います」
「それで、カエデと私はどこに身を隠せばいいの?」
「このビルにいていただくのが、一番安全です。ゲスト用の宿泊設備が整っていますし、社員が交代制で24時間詰めています。これから、お泊りいただく部屋にご案内します」
由紀子が椅子から立ち上がり、世津奈をひとにらみした。
取調室の机の向こうで、由紀子が首をかしげ顎を突き出すようにして世津奈を見た。由紀子の仕草には、映画で観るアメリカ人に似たところがある。アメリカ時代に身に付いたのだろうか。
世津奈は、由紀子が単に巻き込まれただけの人間とは思っていない。
「私は、由紀子さんを拉致した連中を引き寄せる何かが、由紀子さんご自身にあったと思っています」
「それは、私が栗林の妻だってことでしょ」
「いいえ、由紀子さんは、もっと深くこの件に関わっていらっしゃいます」
「何を根拠に言ってるの?」
「探偵の勘です」
「話にならないい」
由紀子が吐き出すように言う。
「あなたみたいな間抜けな探偵の勘で当事者扱いされては、たまらない」
由紀子はそう言って横を向いたが、目の隅から探るような視線を投げてよこした。
この人は、疑い始めている。私に疑念を持たせるような何かを、カエデちゃんが話したのではないかと考え始めている。
世津奈は考える。由紀子はキツい性格だ。カエデが世津奈に話したばかりに自分に疑いがかかったと知ったら、カエデに厳しく当たるかもしれない。それは避けたい。
しかし、すでに疑い出したのだから、世津奈が漏らさずとも、由紀子みずから、カエデを厳しく問いただす可能性もある。その方が、カエデには、もっとキツイかもしれない。
世津奈は、カエデを持ち出すことにした。
机の向こうで横を向いたままの由紀子に話しかける。
「病院で、カエデちゃんは夜中に目を覚ましました。由紀子さんがいらっしゃらず、ほとんど初対面の私が代わりにいるのです。カエデちゃんがパニックしたらどうしようと、私は心配しました」
「そう?」
由紀子が関心のない風を装う。
「カエデちゃんは、まったく動揺せず私と話をして、また寝付きました。その時、思ったんです。カエデちゃんは、あなた以外の大人に面倒を見てもらう事に慣れているのではないかと」
由紀子が顔半分を、世津奈に向けてきた。
「カエデが、そう言ったの?」
「いいえ、カエデちゃんは、何も言いませんでした。ただ、母親以外の大人と過ごすのに慣れているお子さんでないと、ああはいかないと思いました」
「あなた、子どもは?」
「いいえ」
「結婚もしてなさそうね」
「はい、独身です」
「やっぱりね」
バカにしたような口ぶり。
どうして、既婚女性は、こうして独身女性に対しマウントを取りにくるのだろう? 実は結婚した事を悔いていて、負け惜しみから上に立とうとするのではないか? 「女の幸せは結婚」というカビの生えた「常識」が、彼女たちが借りてくる「虎の威」だ。
「あなたに子どもの事は、わからない。一口に子どもと言っても、それぞれの個性がある。人見知りな子もいれば、大人になつきやすい子もいる。カエデは、もともと大人を怖がらない。まして、あなたみたいな間抜けな大人が相手なら、安心して普段どおりでいられる」
由紀子が薄い唇を歪めて、嫌味を言った。
この人は普段以上に攻撃的になっている。つまり、カエデちゃんが私に何らかのヒントを与えたことを察して動揺しているのだ。
「そうですね。確かに、私は子ども達のことはよく分かりません。ところで、由紀子さんは、栗林さんの浮気相手にお会いになった事がありますか?」
いつもなら間髪を入れず返事する由紀子が、答えに詰まった。考えているのだ。会ったことはないと答えるのは簡単だが、もし、カエデちゃんが中国人研究員・劉麗華が家に来たことを私に話していたら、ウソをついた理由を問い質されることになる。そして、カエデちゃんは私に、劉麗華に面倒を見てもらった事があると言った。
「ええ、一度だけ、日曜日に家に来たことがある。あのオンナが日本の家庭料理を食べたいと言い出したとかで、栗林が連れてきた。肉じゃがとか、普段のおかずを作って食べさせてやったわよ。カエデもいて、あのオンナと幼稚園の事とか話してた」
そう来たか。私が由紀子でも、同じ出方をする。ただ、私だったら、カエデちゃんには触れない。
「えっ、じゃ、その女性はカエデちゃんと話したのですか? 不倫相手の娘と何食わぬ顔で話せるとは、図太い女ですね」
「普通に話してた。その時は、何も思わなかったけど、振り返ると、確かに鉄面皮厚顔無恥ね。でも、それがどうしたの?」
「不思議ですね。会社の行事とかで会わざるを得ないなら別として、不倫相手の妻にわざわざ会いにきますかね?」
「だから、図太いんでしょ」
「そんな事して、その女性に何のメリットがあったのでしょう?」
「栗林に捨てられた惨めな妻の顔を見て、優越感にひたりたかったんじゃないの」
「でも、由紀子さんの方がはるかに美人でいらっしゃいます」
「あなた、あの女を見たことがあるの?」
「写真で」
取りあえず、ウソをついておく。目の前で劉麗華が射殺された事は、いずれ、話す。
「栗林さんが本当に由紀子さんからあの女性に乗り換えたとしたら、私は栗林さんの美意識を疑います」
「昔から『蓼食う虫も好き好き』と言うじゃない。たまたま、あのオンナが栗林のストライクゾーンど真ん中だったんじゃないの」
由紀子の口調からは、劉麗華が死んだ事は知らないように感じられた。
世津奈は、もう少し揺さぶりをかけることにする。
「ものすごく突飛な話だと承知でお話しするのですが、彼女は栗林さんの浮気相手ではなく、由紀子さん・栗林さん共通の知人だったのではないですか? いえ、知人と言うより、友人だった」
由紀子が世津奈を正面から見据えてきた。
「何、バカなことを言ってるの。私があのオンナと会ったのは、栗林が家に連れてきた1回だけ。儀礼的に対応したけど、何の親しみも感じなかった」
由紀子の声からは、明らかに動揺が感じ取れる。
「そうですか……失礼しました。職業柄、あらゆる可能性を想定してみたくなるもので」
カエデの口から劉麗華の名前が出た事と由紀子の一連の反応から、栗林夫妻と劉麗華が親しい間柄にあったことは間違いない。由紀子、栗林、劉麗華の接点を洗う。その上で、もう一度由紀子を攻める。
そうすれば、栗林と由紀子のREBへの絡み方が見えてくるはずだ。今、九鬼父娘が『海洋資源開発コンソーシアム』に探りを入れている。その結果を由紀子を調べ上げた結果と突き合わせれば、REBの機密漏洩調査依頼の背景にあるものの全体像が浮かんでくるだろう。
世津奈は、この聴取の結果に満足した。
「由紀子さん、今日はここまでにしましょう。そろそろカエデちゃんを寝かしつける時間でしょう?」
「『今日は』ですって? こんなとりとめのない話を、また、あなたとしなきゃいけない理由がどこにあるの?」
「理由は、次回に色々お話しさせていただく中で、お伝えできると思います」
「それで、カエデと私はどこに身を隠せばいいの?」
「このビルにいていただくのが、一番安全です。ゲスト用の宿泊設備が整っていますし、社員が交代制で24時間詰めています。これから、お泊りいただく部屋にご案内します」
由紀子が椅子から立ち上がり、世津奈をひとにらみした。