30、原発バーター

文字数 2,611文字

「私も一杯もらっていいかしら?」と玲子が九鬼に言い、九鬼がグラスだけをカウンターに置く。
「金を払うなら、好きなものを選べ。払う気がないなら、俺のバーボンを飲め」
「33年間放っておいた詫びがバーボン? 冗談じゃない。本場物のスコッチをおごりなさい」
 九鬼がちらと玲子をにらんでから、年季の入った感じのボトルを棚から取り出す。玲子が微笑んだところを見ると、それなりの上物なのだろう。
 
 玲子がグラスを手に、世津奈に顔を向ける。
「日本政府が2000年代半ばに原発輸出を強力に推進し始めたのは、知っているでしょ」
「『世界最先端の原発技術で地球温暖化防止に貢献する』という触れ込みでしたね」
 世津奈の言葉に、玲子が顔をゆがめて笑う。
「地球温暖化対策? そんなの建前だわ。原発メーカーに金を回して技術水準を維持させる。それが本当の目的よ」

「確か、そういう見方もありました。ただ、いずれにしろ、2年前の中央第二原発のメルトダウン事故で原発輸出政策はとん挫しています。事故直前に輸出が決まりかけていた東南アジアの2ヶ国で地元住民の激しい反対運動が起こり、原発の建設計画そのものが白紙に戻りました」

 九鬼がバーボンで口を湿して、言う。
「だが、俺のつかんでいる情報では、両国政府とも、中央第二原発事故のほとぼりが冷めたら原発建設を再開する考えだ。すでに、日本に代わる輸入元として中国政府と交渉を始めている」
「そうなんですか?」
世津奈は一瞬驚いたものの、まぁ、政治家がやりそうなことだと、妙に腑に落ちもする。
 
 玲子がスコッチをすすりながら引き取る。
「日本政府は、東南アジアの原発市場を中国に持っていかれることだけは、何としても避けたい。そこで政府が密かに検討を始めたのが、日本から原発を買ってくれたら、その引き換えに高レベル放射性廃棄物を日本が引き取るバーター契約というわけ」

「ちょっと待ってください。日本は、国内に積みあがった高レベル放射性廃棄物の処理に道筋をつけられずにいます。他国の核のゴミを引き受ける余裕はないはずです」
「道筋がつかないのは、地層処理という方針のせいよ。日本は地震大国。どこに活断層が隠れているかわからない。政府から地層処理適地に指定されたからって、『では、うちが引き受けます』と手を挙げる自治体はない。最近、名乗りを挙げた町があるけど、県とすり合わせが出来ていないようだから、撤回するかもしれない」

「地層処理でなかったら、どうするのですか?」
「日本海溝の底深く沈める。深海底に沈めれば、人間の生存空間とほぼ完全に隔離できる。深海以外に生息する海洋生物が深海底の生物を食べることはないから、食物連鎖で人間に害が及ぶこともない。廃棄処分場を閉鎖する技術が確立されていないというネックはあるけど、これは海洋底処理の政府方針を固めて産官学共同で取り組めば解決できる課題だわ」

「廃棄物の海洋投棄は国際条約で禁じられています」
世津奈が反論すると、玲子が
「それは政治的なネックね」
 と答え、さらに続ける。
「政治面では、もう一つネックがある。海洋底処分は環境保護団体に極めて不評なの。でも、高レベル放射性廃棄物の最終処分は日本だけの課題ではない。日本が深海底で安全に処理する技術を開発したら、他国も同調する可能性がある。各国政府が力を合わせれば環境保護団体を抑え込むこともできる」

 世津奈はジンジャーエールを喉に流しこんだ。少し、むせた。
「ごめんなさい」と玲子に詫び、ひとつ咳払いしてから話す。
「つまり、日本政府は原発の輸出先から高レベル放射性廃棄物を引き取り、日本海溝に廃棄する検討をしている。そうおっしゃるのですか?」
「その通り。そして、『海洋資源開発コンソーシアム』は、廃棄物の引き取りと処分を行う実働部隊として、政府が防衛産業に働きかけて作らせた組織なの」

 話のスジは通っていると世津奈は思った。ただ、良くできた陰謀論という印象も否定できない。
「玲子さんの説には、根拠があるのですか?」
「ある。確かなスジから情報を得ている。ジャーナリストとして、ネタ元を明かすわけにはいかないけどね」
「では、玲子さんの説が事実だとしましょう。でも、それとREBの間に、いったいどういう関係があるのです?」

 玲子が厚めの唇をうっすら開けて世津奈を見た。目に軽蔑の色が浮かんでいると、世津奈は感じた。
「あなた、それでも探偵さん? REBが本当に日本海溝に生息していたら、REBが放射能を無害化してくれるので高レベル放射性廃棄物を日本海溝に捨てやすい。そういう事になるでしょ」
「でも、私がこれまでに得た限りの情報では、REBが実在しない可能性の方が大きいのです」
 玲子が「あはは」と声に出して笑った。
「実在しなくても、あることにしておけば、原発の輸出先政府に安心感を与えることができる。原発と高レベル放射性廃棄物のバーター契約を進めやすくなる」

「原発と高レベル放射性廃棄物のバーター契約に乗ってくるような政府は、廃棄物が安全に処理されるかどうかなど、気にしないでしょう」
「気にするわ。万一、廃棄物で海洋汚染が起こってご覧なさい。日本政府が廃棄物の出どころに口を閉ざしても、どこの誰が探り当てないとも限らない。日本に核のゴミを代理処分させていたことがバレたら、国際的な非難の矢面に立たされる。高レベル放射性廃棄物を日本に引き渡す側は、それが安全に処分される確証を欲しがるに違いない」

「REBが存在しないことは、ほぼ確実です。日本政府が、原発の輸出先国に対して、ありもしないREBが放射線を無害化してくれるから大丈夫と空手形を切る。そう、おっしゃるのですか?」
「日本政府は、現実に海洋汚染が起こってウソがバレる確率は限りなくゼロに近いと考えているはず。だったら、相手国政府をだますでしょう。政治って、そういうものよ」
政治とはそういうものだという玲子の意見には、残念ながら賛成せざるを得ない。

「栗林さんが実在するREBの情報を外部に漏らした場合でも、REBは実在しないと告発した場合でも、日本の国益にかかわる一大事ということですね」
「あなたたちは、知らず知らずに、国家の一大事に巻き込まれてしまったわけ」
玲子が笑った。

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登場人物紹介

宝生世津奈

2年前まで、警視庁生活安全部・生活経済課で産業スパイ事件を担当していた。警察が自らの権威を守るために過ちを認めようとしない姿勢に嫌気がさして警察を辞め、民間で産業スパイ案件を調査する「京橋テクノサービス」に転職してきた。

小柄で骨太だが、身体に占める手足の比率が高いので、すらっとしたモデル体型に、見えなくもない。

穏やかだが、肚が据わっていて、いざとなると、思い切った行動がとれる。

受験に数学のない私大出身の純・文系なので、実は、科学には、あまり強くない。

コータロー(菊村 幸太郎)

「京橋テクノサービス」で、世津奈とバディを組んでいる。

一流国立大学の数学科を卒業、同じ大学の大学院で応用数学の修士号を取り、さらに数量経済学の博士課程に進んだが、そこで強烈なアカデミック・ハラスメントにあい、引きこもりとなって2年間を過ごす。親戚の手で無理やり家から引きずり出されて、「京橋テクノサービス」に入社させられた。

頭脳明晰だが、精神年齢が幼い。普段は「ヘタレ」なのだが、時々、思い切った行動に出て、世津奈をハラハラさせる。IT、メカの操作、自動車の運転に優れている。

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