29、九鬼修三の娘

文字数 2,674文字

「お前、どうしてここにいる?」
九鬼が女性に尖った声を飛ばす。
「どうして? あなたが裏口のカギをくれたのよ」
「カギは渡したが、今みたいに突然来ていいとは言っていない。来るなら来ると、あらかじめ連絡しろ」
「あら、私に見られたくないことをしてたのかしら?」
女性が、好奇心と非難が入り混じった目で世津奈を見る。
 
 女性は少し色黒で、くっきりした目鼻立ちをしている。アーモンド型の目と上を向いた鼻先が少女のような雰囲気を与えているが、ウェーブのかかったショートボブのヘアスタイルとジーンズの上にカジュアルなジャケットを羽織った落ち着いた立ち姿からは、成熟した女性の感じが漂ってくる。世津奈は、女性を28歳から32歳くらいと踏んだ。

 しかし、困った展開になった。九鬼とこの女性がただならぬ関係にあるのは間違いない。九鬼は55歳だが、30歳近く年の違う愛人がいても、おかしくはない。
 普通だったら九鬼のプライバシーに立ち入らないため辞去するところだが、この女性に自分と九鬼の会話を聞かれてしまった以上、このまま引き下がるわけにはいかない。

「失礼ですが、どなた様でしょう?」
世津奈が女性に尋ねると、女性が九鬼に目をやった。
「私をこの方に紹介してくれないの?」
九鬼が答えずにいると、女性は
「仕方ない。自己紹介するわ」
と言った。
「私は玲子・チナワット。玲は『玲瓏』の玲。子は『子ども』の子」
「玲瓏」と言う時、彼女の目に誇らしげな色が浮かんだ。
「王へんに命令の『令』ですね」

「あら、一応、漢字がわかるのね。それで、あなたの名前は?」
「宝生です。宝生世津奈。苗字は『宝』に『生まれる』、名前は世界の『世』、三重県の『津』、奈良の『奈』で、世津奈」
玲子が世津奈という名前を口の中で転がしてから
「変わった名前ね」
と言った。

「それで世津奈さん、あなた、この人とはどういう関係なの?」
玲子があごで九鬼を指す。
「時々、仕事を手伝っていただいてます」
「札束でこの人の頬をたたいて、汚れ仕事をやらせてるわけ?」
「玲子、今の言葉を撤回しろ。この子は俺に汚れ仕事を押し付けたりしない。そして、俺たちは金で結ばれているわけでもない」

「金でなかったら、何で結ばれているの?」
玲子がトゲのある声で言う。
「お前にはわからない絆だ」
 と九鬼が答え、その言い方はマズイだろうと世津奈が危惧したとおり、玲子の声が一オクターブ上がった。
「捨てた娘に理解できない絆を、赤の他人の女と結んだの? この人でなし!」

 娘? 玲子が九鬼さんの娘ですって?
「九鬼さん、失礼ですが、玲子さんは九鬼さんのお嬢さんですか?」
「あぁ、そうだ」
九鬼がカウンターに視線を落として言った。
「娘が33歳になって、やっと娘と認めたのよ、この人は」
玲子が吐き捨てるように言う。

「お前が33になって、初めて訪ねてきたからだ。俺は、お前がどこで生きているか知らなかった」
「この33年間、探そうともしなかった」
 まずい展開だ。この父と娘は親子関係をひどくこじらせている。他人の世津奈が首をつっこもうものなら、絡まった糸がゴチャゴチャになり、二度とほどけなくなるだろう。

 しかしながら、世津奈は、玲子を口止めしないわけにはいかない。世津奈は、自分と玲子の問題を、世津奈・九鬼・玲子という一種の三角関係から切り分けて処理することにした。
「玲子さんは、私が九鬼さんだけにお話しした事を盗み聞きなさいました。なぜ、そのような事をなさったのですか?」
「娘が父親の会話を聞いちゃいけないの?」
「九鬼さんは、私とビジネス上の秘密の会話をしていたのです。玲子さんが九鬼さんのお嬢さんであっても、それを盗み聞きする権利はありません」

「待て。こいつには、俺から言って聞かせる」
 と九鬼が割って入るが、世津奈はあえてそれをはねつける。
「いいえ、これは、玲子さんと私の問題です。玲子さんが今お聞きになった話は、今後いっさい他言無用に願います」
「あら、一方的な要求ね。私が嫌だと言ったら?」
玲子が挑むような目で世津奈を見る。

 世津奈は腰のホルスターから拳銃を抜いた。まず、玲子に向ける。玲子の目にちらと不安の影がよぎるのを確かめてから、カウンターの上にある九鬼のグラスを撃った。プラスチック弾でも、グラスは粉々に砕け、ウイスキーの飛沫が上がった。
「あら、物騒ね。私を殺したら死体の始末に困るわよ」
「ご心配なく。慣れていますので」
 と、ハッタリをかます。
「玲子さんが九鬼さんのお嬢さんでなければ、今の一発は玲子さんの頭にお見舞いしていました」

「類は友を呼ぶ。人でなしは人でなしと固い絆を結ぶようね」
玲子が九鬼に顔を向けて言う。
「玲子、強がりはやめろ。この子は、本当に人一人撃ち殺すくらい平気だ」
九鬼は世津奈の銃に入っているのがプラスチック弾であることを知っているが、世津奈に調子を合わせて玲子を脅してくれる。

「今聞いた話を、忘れていただけますね」
世津奈は、銃の狙いを玲子の額に戻して念押しする。
「いいえ。私はジャーナリストなの。真実を突き止め、それを人々に知らせる義務がある」
玲子が胸をそらした。
「ジャーナリストなのですか。でしたら、なおの事、今お聞きになったことは忘れた方がいい」
「なぜ?」
「私は玲子さんから正式に取材の申し入れを受けていません。仮に申し入れを受けても応じるつもりはない。それとも、ジャーナリストは、取材に応じない関係者の会話を盗み聞きして記事にすることが許されるのですか?」
「銃で脅した次は、理屈で攻めるわけ」
「理屈としてスジが通っていると思います」

「あなた、面白い人ね」
玲子がやや厚めの唇に笑みを浮かべた。
「では、情報交換というのは、どうかしら?」
「情報交換?」
「ええ。私は、あなたたちの会話を取材の参考に使わせてもらう。その代りに、私は取材で手に入れた情報をあなたたちに提供する。どう?」
 ヤバイ話だと思った。だが、玲子がどんな情報を持っているのか、興味もそそられる。
「それは、玲子さんがくださる情報の内容によります」

 玲子が顔全体でニタリと笑った。
「日本政府が原発輸出を推進するため、原発と原発から発生する高レベル放射性廃棄物をバーター取引する方法を密かに検討している。そういう情報なら、どうかしら?」
玲子のアーモンド型の目の中で茶色の瞳が光った。
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登場人物紹介

宝生世津奈

2年前まで、警視庁生活安全部・生活経済課で産業スパイ事件を担当していた。警察が自らの権威を守るために過ちを認めようとしない姿勢に嫌気がさして警察を辞め、民間で産業スパイ案件を調査する「京橋テクノサービス」に転職してきた。

小柄で骨太だが、身体に占める手足の比率が高いので、すらっとしたモデル体型に、見えなくもない。

穏やかだが、肚が据わっていて、いざとなると、思い切った行動がとれる。

受験に数学のない私大出身の純・文系なので、実は、科学には、あまり強くない。

コータロー(菊村 幸太郎)

「京橋テクノサービス」で、世津奈とバディを組んでいる。

一流国立大学の数学科を卒業、同じ大学の大学院で応用数学の修士号を取り、さらに数量経済学の博士課程に進んだが、そこで強烈なアカデミック・ハラスメントにあい、引きこもりとなって2年間を過ごす。親戚の手で無理やり家から引きずり出されて、「京橋テクノサービス」に入社させられた。

頭脳明晰だが、精神年齢が幼い。普段は「ヘタレ」なのだが、時々、思い切った行動に出て、世津奈をハラハラさせる。IT、メカの操作、自動車の運転に優れている。

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