37、世津奈と由紀子/第2回対決

文字数 1,816文字

 その日の午後、世津奈は由紀子を取調室に呼び出した。ノートパソコンを抱えたコータローが世津奈と一緒に部屋に入るのを見て、由紀子が表情を硬くする。
 
 しかし、すぐに、世津奈を小バカにしたいつもの顔に戻る。
「あなたも、しつこいわね。私とあなたの話は、昨日の夜で終わったはずよ」
「それは、由紀子さんが、前回、話を終わりにしたいと思っていたという意味ですね。残念ですが、話には、まだ続きがあります」

「コー君、例の発見を由紀子さんにお話ししてあげて」
コータローがデスクの上でノートパソコンの画面を開く。
「由紀子さん、あなたはアメリカ時代、劉麗華と共同で『Universe』に論文を発表していますね」
『Universe』は世界的に権威のある科学雑誌だ。
「論文のテーマは、太古の天然原子炉に放射線を食べるバクテリアが生息していた可能性です」
コータローがノートパソコンの画面を由紀子に向ける。

 天然原子炉とは、文字通り、人間の手によってではなく自然に生成した原子炉だ。1972年、フランスの原子力庁はアフリカのガボン共和国オクロ地区に、20億年前、天然の原子炉が存在したと発表した。

 オクロのウラン鉱山から採掘されたウランは、ウラン235の含有量が異常に少なかった。これは、過去にウランの核分裂起こったことを意味する。その上、オクロの鉱山からはウランの核分裂がなければ発生しない他の物質も発見された。

 そして、ついに、オクロ鉱山の鉱脈から核分裂反応の痕跡が発見された。この核分裂反応は20億年前に起こったと推定された。20億年前に、人類は存在しない。このことから、フランス原子力庁は、20億年前オクロに自然に生成された原子炉が存在したと結論づけたのだ。
 それ以来、オクロの天然原子炉は多くの科学者の関心を引き続けてきた。

 由紀子が薄い唇に冷ややかな笑みを浮かべる。
「天然原子炉の事は、ネット検索すれば、誰でもわかる。それより、あなたは私たちの論文を読んで理解できたの?」
 コータローがムッとした表情になる。
「由紀子さん、ボクが英語の学術論文を読めないとでも思っていますか? 読めるんですよ。そして、この論文の中に、あなたが天然原子炉に興味を持った理由がはっきり書いてある。
 
 コータローがパソコン画面を自分に向ける。彼は画面をスクロールして、止める。
「ここです」
コータローが画面を由紀子に見せる。
「あなたと劉麗華は、天然原子炉は、地上でよりも深海の極限環境において生成されやすいと考えた」

 コータローが話を続ける。
「深海底には今でも地球誕生直後と同じ環境が残っていて、そこには、我々が想像もつかないような環境を生き抜くことのできる極限環境微生物が大量に存在します。あなたはハーバード大学の博士課程で、劉麗華はMITの博士課程で、深海底の極限環境微生物を地上の環境浄化に用いる研究をしていた。あなたたちは、オクロの天然原子炉を調べた結果、ひとつの仮説を立てた」
 由紀子が段々緊張した面持ちになる。

 世津奈がコータローの後を引き取った。
「あなたたちは、深海底では地上よりも天然原子炉が生成されやすく、その周りに放射線を栄養源にする極限環境微生物がいたはずだと考えた。『海洋資源開発コンソーシアム』が保有していると主張しているREBと同じ放射線を無害化する微生物の存在をあなたは想定していた」
 
 由紀子が自嘲の笑みを浮かべた。
「20年前、私は、安っぽいSF映画みたいなアイディアに夢中になっていたのね。笑えるわ」
 世津奈は、由紀子の額に血管が浮き上がるのを見逃さなかった。由紀子にとってREBは過去のおとぎ話などではないはずだ。

「由紀子さん、私をごまかそうとしても無駄です。あなたは、博士課程を修了したあともREBへの関心を持ち続けてきた。あなたと劉麗華さんはこの20年間、REBを通じてつながってきた。REBは、また、あなたと栗林さんを結び付けた。私はそう考えています」

「私と夫の間にもREBが介在していたという証拠があるの?」
由紀子が世津奈に鋭い口調で問いかける。
「今のところ、ありません。ですが、必ず見つけます。あるに違いないと確信しています」「腕前を見せてごらんなさい。今日は、私はここで解放してもらえるわね」
「はい、証拠がそろったら、またお呼びします」

 コータローのおかげで、世津奈と由紀子の力関係が世津奈に有利な方向に変わり始めていた。
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登場人物紹介

宝生世津奈

2年前まで、警視庁生活安全部・生活経済課で産業スパイ事件を担当していた。警察が自らの権威を守るために過ちを認めようとしない姿勢に嫌気がさして警察を辞め、民間で産業スパイ案件を調査する「京橋テクノサービス」に転職してきた。

小柄で骨太だが、身体に占める手足の比率が高いので、すらっとしたモデル体型に、見えなくもない。

穏やかだが、肚が据わっていて、いざとなると、思い切った行動がとれる。

受験に数学のない私大出身の純・文系なので、実は、科学には、あまり強くない。

コータロー(菊村 幸太郎)

「京橋テクノサービス」で、世津奈とバディを組んでいる。

一流国立大学の数学科を卒業、同じ大学の大学院で応用数学の修士号を取り、さらに数量経済学の博士課程に進んだが、そこで強烈なアカデミック・ハラスメントにあい、引きこもりとなって2年間を過ごす。親戚の手で無理やり家から引きずり出されて、「京橋テクノサービス」に入社させられた。

頭脳明晰だが、精神年齢が幼い。普段は「ヘタレ」なのだが、時々、思い切った行動に出て、世津奈をハラハラさせる。IT、メカの操作、自動車の運転に優れている。

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