愚痴愚痴

文字数 1,488文字

 今日の夕飯は穴子の南蛮漬けでした。昨日(一昨日かも?)穴子に小麦粉を振ってオリーブオイルで焼いて食べたのですが、余ったので南蛮漬けにしたものです。南蛮漬けと言っても洋風で、出汁とレモン汁とバルサミコ酢に漬けました。もちろん赤ワインを飲むためです。
 というわけで、久しぶりに酔っ払って語りたくなったので、日記を書きます。
 最近noteを始めたというか、再開したんですが、あっちはちゃんとした記事として纏めないといけない雰囲気なんで、個人的な独り言は引き続きこの日記に書いていきたいと考えています。

 ショックな出来事がありまして。
 初めて読んだのがいつだったかはっきり覚えていないのですが、かなり若い頃に読んだイギリスミステリーの最近の表紙を偶然見掛けてしまいまして……。女性同性愛の要素が出てくる話なのですが、ザ・百合!みたいなキャラ絵が表紙になっててですね……。青天の霹靂というか、なんというか、大層ショックを受けてしまいまして。
 小説の表紙に具体的な視覚情報のある表紙をつけることについては、たぶんこれまでも色々と物議を醸してきたと思います。例えば好きな小説が映画化されて、表紙が実写の写真になっちゃってイメージが損なわれたとかですね、本好きなら一度は経験してると思います。
 私もどちらかというと、具体的イメージを提示して欲しくない層です。読者の想像の余地を狭めて欲しくないという思いを持ってます。

 最近は何にでもキャラ絵や萌え絵を付ける流れになってきてますが、まさかあの作品にこの絵を付けるのかーと思っちゃいましたね。誤解して欲しくないのは、キャラ絵や萌え絵が嫌いとか、いけないとか言いたいんじゃないってことです。この絵を見て表紙買いした読者が、あんな鬱展開のくらーい話を読んで「騙されたっ」て思うんじゃないかと想像するんですよ。つまり、どう見ても中身と合ってない。
 キャラ絵の方が受けるから、萌え絵が流行ってるからって、作品のイメージとかけ離れた表紙つけるのってどうなんだろう? と、読者の身としては思うんですよね。
 作品から受け取るイメージって読者一人一人で異なると思うので、想像の余地を残してあげるのが小説というメディアには必要じゃないか? と思うんですけど。もちろん映像系と密接に結びついた小説のジャンルもあるので、全てに於いてそうだと言いたいわけじゃないんですが、少なくとも「このジャンルは違うんじゃないか?」と思ったんですよねー……。

 何が言いたいかというとですね。
 映像系と結びつけるのが今の流行だということは私もよく分かっています。私自身、映像系メディアが大好きです。漫画、海外ドラマ、映画オタクです。でもね、受けそうな絵だからといって、中身と合ってない絵をつけるの止めて欲しいんですよ……。そもそもね、小説は小説であって欲しいんですよ。小説を原作とした映画を観ても、原作は小説として読むんですよ。別のメディアなんですよ。
 この多様性の時代に、何にでもキャラ絵つけとけばいい、萌え絵つけとけばいいっていうのが、息苦しいんですよ。このままじゃそのうち講談社学術文庫の表紙まで萌え絵になるんじゃないかって思います。それがいけないってことじゃなくて、ちょっと受けたら全部同じになる風潮が息苦しいんです。創作から多様性がなくなったら、「創作的」ではなくなります。自ら多様性を棄て画一的になっていこうとする様が、異様にすら思えます。
 そーゆーの見てると寂しいし、窮屈だし、あんまり希望を感じないんですー。

 酔っ払ってるので愚痴っぽいですよ!

二〇二一年十一月二十六日
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