文章

文字数 1,091文字

 自分の書く文章について少しだけ考察。
 WEBで小説を公開し始めて以来、私の書く文章に他の方から頂いた評価は、示し合わせたように「緻密」というものばかりです。
 感情的で情緒的な性格のくせに、考え方だけは物凄く理屈っぽいので、そのせいかなと思ってました。

 少し前に、ある人が「この表現が素敵だった」と紹介していた文章を読んで、「あ、こんな文章は自分には書けないな」と感じました。
 というか、何か心に残る表現とか、感性の閃きのある文章とかを、目指したことがない。
 書いている最中に気にしているのは文章のことばかりなのに、個性的な文章、煌めきのある文章というものを目指したことがありません。

 ちなみに私がこれまでに読んで感銘を受け、記憶に深く刻まれた文章は、池波正太郎先生と田辺聖子先生、それから浅羽爽子さんが翻訳された英国作家タニス・リー女史の作品です。
 でも一度も「池波先生のような文章が書きたい」「田辺聖子さんのような文章が書きたい」と思ったことはありません。(無理だから! という突っ込みは置いといて)
 浅羽爽子さんの訳されたタニス・リー作品の文章の影響は少し残ってると思います。耽美好きという、どうしても隠しきれない性癖として。

 自分が書く時に、目指しているわけではないけれども、自分の作品としてはこういう雰囲気の方が良いな、と考えているのは杉本苑子先生の作品です。いや、本当に目指しているわけじゃないですし、足下にも及ばねえよ! という尤もな突っ込みはご遠慮下さいね。

 で、文章を書く時に自分を支配している感覚は何なのか、不意に気付いたんです。たぶん私は無意識に「写実」を心掛けているんだと思います。
 頭の中で起こっている出来事を、忠実に書き起こす。
 私が意識しているのはたぶん、これだけです。
 だから「緻密」、裏を返せば「くどい」文章に繋がっていく。
 これを直すには、何か目指すべき文章が必要です。

 ……ない。
 何も目指してない。

 ないんだよなー、本当に。
 私、憧れの文章とか、こんな文章を書きたい、あの人のような作品を書きたいとかいう憧れを以て小説を書き始めたわけじゃないので、ともかく自分の空想を文字におこすことしか考えてなかった。
 今もそれは変わらず、自分の空想世界を精確に描写し、それが前後で矛盾しないように気を付ける以外のことを考えていません。というか、考えられません。
 心理描写も、理論的に延々と説明してしまいます。
 これは現実世界での自分の思考の癖ですね。

 今朝、「私は写実を目指していた」ということに気付いたので、ここに書き留めてみました。

二〇二一年一月九日
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