52. 仲間の手

文字数 2,232文字

 カイルはまたエミリオの胸にしがみつき、声を上げて泣いた。顔をわざと(うず)めているので声はくぐもっていたが、幼い子供のようにわあわあと泣きじゃくった。

 衝動(しょうどう)的に頭を()でてやりながら、エミリオはただ彼が落ち着くのを待った。泣き疲れて声が小さくなるまで、少し時間がかかった。

 カイルがゆっくりと顔を上げた。

 涙に濡れた目で、カイルは、自分を支えてくれている者の顔を見た。エミリオのいつもどこか悲哀(ひあい)めいている瞳に、今は涙が滲んでいた。目に食い込んできたその表情には、心を()かされるような思い遣りがあった。おかげでいくらか(いや)された気がしたが、笑って応えるには、まだ無理をしなければならなかった。まだやっと、ほかのものにも意識がいくようになっただけだった。

 ()き回されてさざなみ打っていた水面は、カイルの鼓動(こどう)が治まった時には、ぴたりと静止していた。くすんだ青緑(あおみどり)色の陰鬱(いんうつ)な沼は、今は明るい陽光がいっぱいに降り注いで、輝いていた。

 エミリオにそっと背中を押されたカイルは、素直に従い、ようやく沼から足を上げた。だが項垂(うなだ)れたまま、フィアラの体があるところまで戻ってきた。カイルは、涙でぼやける目を(こす)り、のろのろと視線を上げて彼女を見つめた。木漏(こも)れ日を浴びて大理石の彫刻のように真っ白なその顔は、(みにく)(あざ)をもそうと思わせないほどに、美しかった。

 ギルは、そんなフィアラの遺体に目を向けた。死のきわで最期(さいご)に残した表情は、何とも安らかで、この上なく(おだ)やかだ・・・。

「しっかり受け止めてやれたか・・・彼女の精一杯の一言を。」
 ギルは囁くように声をかけた。

 全てが詰まった一言だったろう・・・と、ギルやエミリオは考えた。カイルの思い通りにはならなかったが、その気持ちは、彼が悩みながらも時間を重ねたおかげで伝わっていた。本当は、彼女はもっと多くを伝えたかったに違いない。だから、せめてそれを言うために、あの時だけは必死に生きようとしたことを、もう逃げるように死を望んでいた彼女ではなかったことを、分かってやるべきだろう。

 そんな思いからかけた言葉だったが、いちいち説明する必要はないと、ギルは、少女の(かたわ)らに今、膝を付いたカイルを見守った。少し収まりはしたようだが、その瞳からは、まだ涙が時折(おきおり)すっと(こぼ)れ落ちた。

「あなたと出会えて、この子は救われたのね。立派よ。だからもう泣かないで。」
 そこにいてカイルを迎えたシャナイアは、優しくほほ笑んだ。

 むしろカイルの涙はまた(あふ)れ出し、(こす)っても擦っても、(ぬぐ)いきれないようになってしまった。

 するとカイルは、頭に手を回してきた誰かに、そのままぐいと引き寄せられた。カイルは反射的に目を向けて、自分と同じように涙を流しているリューイの横顔を見た。無言で、その視線もフィアラの顔に向けられたままだが、リューイは片腕でしっかり抱擁(ほうよう)してくれる。されるままにカイルは(もた)れかかり、リューイの脇の下で嗚咽(おえつ)した。

 そうして、しばらく無気力でいたカイルは、いきなりレッドに(あご)をつかまれた。
「お前の笑顔を待ってる奴らもいるんだぞ。」

 そしてカイルは、沼の水ですすいできたらしい彼の赤い布で、顔から血と涙を(こす)り取ってもらった。レッドは困ったように微笑した。それでカイルは、下唇を噛んで泣くのを(こら)えた。

「よし。ほら、次は立って。彼女をこのままにしておくつもりか。」

 そのあとリューイに背中を(たた)かれ、しおれたカイルはふらふらと立ち上がった。

「綺麗な顔してるわ、この子。なのに・・・こんな(あざ)気にして。」
 少女の変色した(ほお)に優しく触れて、シャナイアは言った。

 カイルは離れがたくて、ひたすらフィアラを見つめた。長くそうしていると、ともすればまた息をふき返し、目を開けてくれるような気にさえなった。一度など、仲間たちが見ている前で、無意識に彼女の頬を軽く叩いたこともあった・・・が、気がおかしくなることはなかった。彼女に触れた時、その表情は、人形のように全く変わる気配がしなかった。完全な亡骸(なきがら)・・・カイルは正気を失うことなく、その事実をしっかりと受け止めたのである。

 カイルは、よろよろと後ずさった。一緒に立ち上がっていたレッドが肩を支えてやり、リューイが手を伸ばして少女の遺体を抱き上げた。

 彼らは、通り抜けるのが困難な緑のトンネルとは違う道から、フィアラを村へと連れて行った。彼女をきちんと(とむら)ってもらうために。

 仲間たちと一緒に背中を返しかけたギルは、ふと振り返った。そして、そこにあったのは知っていたが、たいして存在感のなかったものに目を留めた。空の(かご)を拾い上げたシャナイアでさえ、なぜか気にすることのなかったものだ。  
   
 それは・・・。

 ギルは一人戻って、それを拾い上げた。瞬間、息が詰まるほど、ひどく痛切な気持ちになった。そこに認めたものに、やはり・・・と思い。

 ギルはそれを持って、仲間のあとを追った。
 あの子は、きっとこれを欲しがるだろう。



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