28. リサの村の青年
文字数 3,581文字
夜風が肌身に応 える真夜中、石碑から離れた所に点々と見えているのは、焚き火の炎。儀式の予定時刻までは、まだ何時間もある。その時まで、残った村人たちは交代で仮眠を取ることになった。ところが、ふだんなら眠気がとっくに限界のはずの子供たちは、事態の深刻さが分からずにはしゃいでいて、今のところまだ誰も眠ろうとしない。
カイルは、危険が全くないわけではないことを説明していたが、ぜひ見届けたいという者も多くいて、成人した男性を中心に、結局はそのまま残った者も少なくはなかった。帰って行ったのは、老人や婦人とその幼い子供たち。村長であっても高齢のため、大事をとるように促 されて、自分の娘に付き添われながら帰って行った。よって、それ以外の、好奇心旺盛な少年や村娘が何人もいる。
ミーアも連れて帰れとレッドがシャナイアに頼んだものの、ミーアのいつものことで聞いてはくれず、嫌だ嫌だと言い張って、今は少し年上の少年たちと一緒に、リューイが見守る前でキースとじゃれ合っている。
レッドは一人きりで、少し離れた低木の下にいた。手元にあるランタンの明かりを見つめながら座っていた。やがて彼は徐 に顔を上げ、細い木の幹 に凭 れかかって、子供たちの群れを見た。
長くそうしていると、静かに誰かがやってきた。そばに人はいないので、きっとここに来るのだろう。何だろう・・・と思いながら、レッドも目を向けていた。恐らく自分と同じくらいの長身だが、ややほっそりとした青年だ。少し気弱にも見えるが、非常に優しい笑顔の持ち主だった。
「やあ。」
青年は穏やかに声をかけてきた。
「やあ・・・。」と、レッドも頬 を緩 めた。
レッドは、この青年が、友人からユアンと呼ばれていたのをふと耳にしていたが、それだけだった。
「隣いいかな。」
ユアンは言いながら、甘酒を満たした容器を差し出した。
レッドはそれを快く受け取って、「ああ、いいとも。」と言い、「これは?」と、たずねた。
「差し入れだよ。ここのご婦人方からの。」
ユアンは腰を下ろしながらそう答えて、酒樽 を置いてある場所に目を向けてみせた。
レッドも首を伸ばして見てみると、それは、焚き火の一つを囲む若者たちのそばにあった。
すると、ちょうどそこに混じっているギルに視線がいった。いつの間にかここの青年たちと親しくなっていたギルのおかげで、近寄り難いうえに口数の少ないエミリオも、自然と彼らの和気藹々 とした雰囲気に溶け込むことができたようだった。
レッドがそうして見ていると、ギルも気付いて笑顔を向けてきた。そして甘酒の入った容器を突き上げてみせるので、レッドも同じようにして軽く掲 げ、ほほ笑んで応えた。それから気づいた。隣にいるユアンに、不思議そうな顔で見つめられていることに。
「笑うとそうでもないんだな。」と、ユアンは言った。
レッドが首をかしげる思いでいると、ユアンは続けた。
「いつもそうなのか。」
「え・・・。」
「さっきまでは、何も寄せ付けない険しさをひしひしと感じさせられたが。」
レッドには分からないでもなかった。それはある程度自覚できていることだ。
「ああ・・・いや、体が反応してしまうのかな。こういう空気の中では、つい厳しい顔になってしまうようだ。傭兵稼業 なもんでね。」
レッドはそこでふと思い、苦笑してユアンに言った。
「なのに君は寄って来るんだな。」
「僕は、人と違うことをしたがるたちなのさ。」
ユアンは冗談の口ぶりでそう答えた。だが、そのあと真顔になると、レッドの目を覗 き込んで、「本当は、君が一瞬悲しそうな顔をしたのが見えたからなんだ。ほら、あの子に目をやった時に。」と言い、ある場所に視線を向けた。
レッドには、ユアンが目で示したものを確かめるまでもなかった。当たっていると感じたからだ。だから、瞬間どきりとした。そして正直ぎょっとした。何となくとも言わずに、なぜ彼はこうも断言できたのか・・・。それは単に彼が鋭いだけでなく、こういう喋り方になるたちでもあるのか。それとも自分の方が、あからさまにそういう表情をしていたのか・・・。
レッドが考えていると、ユアンは視線を戻してたずねた。
「あの子には何かあるのか。君にそんな顔をさせるようなことが。」
「ああいや・・・。」
返す言葉に困って、レッドは思わずうろたえた素振りを見せたが、すぐに口をつぐむしかなくなってしまった。
そしてなぜか、「すまない・・・。」とだけ答えていた。
レッドのこの反応に、ユアンは少々面食 らったような顔をした。何か深い事情があるのだろう・・・そう見て取れて、ユアンは焦 った。
「僕が悪かった。そんなつもりはなかったんだ。」
歪 んだ笑みを浮かべたレッドは、無言で一度だけ首を振った。
どういう関係かときかれた場合の返事なら決めていたが、ミーアを見つめる目に、どこか切なさや哀 れみといったものが滲んでいるのはどういうわけか・・・という問いに対する答えなど用意してはいなかった。これは思わぬ質問だった。
ユアンは、また違うところを見ていた。その耳の上辺りまである真っ直ぐな横髪が、ときおり夜風に吹かれて優雅になびいた。ランプの明かりの中では、その髪は金色に見えた。
「あの子は不思議な子だな。えっと・・・精霊使いとか言っていたかな、確か。」
ユアンは髪を掻き流しながら、レッドの方を向いた。
その精霊使いカイルは、難しい顔をして、もう何周も石碑の周りを歩いていた。
「ああ・・・らしいが。」
その様子をチラっと見てから、レッドは答えた。
「らしい? 頼りなげだな、君がそう言うとは。」
「信用はしているさ。あいつにそういう力があるのも確かだ。ただ、超常現象ばかり見せられるもんで、それと受け入れるに、まだ抵抗があるだけだ。」
レッドが本心を返すと、ユアンも共感したようで頷 いていた。それから彼は、続いてリューイに手を向けた。
「それじゃあ、向こうの彼は。」
レッドも視線をやると、ミーアと少年たちに囲まれているリューイは、満面の笑みを振り撒きながら、子供たちと一緒にキースの頭を掻き回している。キースは何をされても何の関心もないようで、おまけに、レッドが見ている時に大あくびを一つした。
「ああ、あいつは子供みたいな大人で、武術の達人だ。それと怪力。」
「ずいぶん・・・変わったお友達だね。」
口調も非常に温和で知的ながら、ユアンは呆気にとられた顔をしている。
「変わってるなんてもんじゃないさ。あいつは、とても一言では語りつくせない男だ。まだあるぜ、ほら、猛獣使いってのが。」
ユアンは声をあげて笑った。
「なるほど、あの話は確かみたいだ。」
レッドが何のことかと黙っていると、ユアンは焚き火がある方を指さして言った。
「女子たちが、あそこで君の噂 をしているよ。興味があるみたいだな。行ってあげたらどうだい。実は、僕はたまたまそれをそばで聞いて、君に目を向けたら、君があんな浮かない顔をしたのが見えたってわけさ。」
レッドは少し首を伸ばして、そちらを見てみた。
すると、何人かの娘がさっと顔を逸 らした感じがした。
「噂って・・・どんな。」
「恐 そうなのは見かけだけで、本当はすごく優しいって。それから、剣術の達人だと。」
「あいつめ・・・何言いふらしてんだ?」
レッドは囁き声で悪態をついた。そんな余計なことが言えるのは、シャナイアに違いない。
それにしても、優しいというより甘いという自覚があるレッドには、彼女にそんなふうに思われているとは意外だった。だが、一瞬どきりとした、アイアスであるところは一応気を使ってくれたらしい。イオでの一件で反省したレッドは、ここでは紋章を頑 なに隠すこともなく、額 の布を付けたり外したりしていたが、やはり大っぴらにするのは本意ではなかった。
そこでユアンがふと気付いて、二人は、若者が集まっている焚き火場所へ視線を変えた。ギルが口に手を当てて。何か言っている。その隣にいるエミリオも、こちらを見ながら微笑している。よく見ると、周りの青年たちも、みな。
そのうち一人が手招 いてきて、何人かがそれに倣 った。
顔を見合わせたレッドとユアンは、笑顔でうなずきながら立ち上がった。そして、最も盛大に燃え上がっている炎のもとへと足を向けた。
カイルは、危険が全くないわけではないことを説明していたが、ぜひ見届けたいという者も多くいて、成人した男性を中心に、結局はそのまま残った者も少なくはなかった。帰って行ったのは、老人や婦人とその幼い子供たち。村長であっても高齢のため、大事をとるように
ミーアも連れて帰れとレッドがシャナイアに頼んだものの、ミーアのいつものことで聞いてはくれず、嫌だ嫌だと言い張って、今は少し年上の少年たちと一緒に、リューイが見守る前でキースとじゃれ合っている。
レッドは一人きりで、少し離れた低木の下にいた。手元にあるランタンの明かりを見つめながら座っていた。やがて彼は
長くそうしていると、静かに誰かがやってきた。そばに人はいないので、きっとここに来るのだろう。何だろう・・・と思いながら、レッドも目を向けていた。恐らく自分と同じくらいの長身だが、ややほっそりとした青年だ。少し気弱にも見えるが、非常に優しい笑顔の持ち主だった。
「やあ。」
青年は穏やかに声をかけてきた。
「やあ・・・。」と、レッドも
レッドは、この青年が、友人からユアンと呼ばれていたのをふと耳にしていたが、それだけだった。
「隣いいかな。」
ユアンは言いながら、甘酒を満たした容器を差し出した。
レッドはそれを快く受け取って、「ああ、いいとも。」と言い、「これは?」と、たずねた。
「差し入れだよ。ここのご婦人方からの。」
ユアンは腰を下ろしながらそう答えて、
レッドも首を伸ばして見てみると、それは、焚き火の一つを囲む若者たちのそばにあった。
すると、ちょうどそこに混じっているギルに視線がいった。いつの間にかここの青年たちと親しくなっていたギルのおかげで、近寄り難いうえに口数の少ないエミリオも、自然と彼らの
レッドがそうして見ていると、ギルも気付いて笑顔を向けてきた。そして甘酒の入った容器を突き上げてみせるので、レッドも同じようにして軽く
「笑うとそうでもないんだな。」と、ユアンは言った。
レッドが首をかしげる思いでいると、ユアンは続けた。
「いつもそうなのか。」
「え・・・。」
「さっきまでは、何も寄せ付けない険しさをひしひしと感じさせられたが。」
レッドには分からないでもなかった。それはある程度自覚できていることだ。
「ああ・・・いや、体が反応してしまうのかな。こういう空気の中では、つい厳しい顔になってしまうようだ。
レッドはそこでふと思い、苦笑してユアンに言った。
「なのに君は寄って来るんだな。」
「僕は、人と違うことをしたがるたちなのさ。」
ユアンは冗談の口ぶりでそう答えた。だが、そのあと真顔になると、レッドの目を
レッドには、ユアンが目で示したものを確かめるまでもなかった。当たっていると感じたからだ。だから、瞬間どきりとした。そして正直ぎょっとした。何となくとも言わずに、なぜ彼はこうも断言できたのか・・・。それは単に彼が鋭いだけでなく、こういう喋り方になるたちでもあるのか。それとも自分の方が、あからさまにそういう表情をしていたのか・・・。
レッドが考えていると、ユアンは視線を戻してたずねた。
「あの子には何かあるのか。君にそんな顔をさせるようなことが。」
「ああいや・・・。」
返す言葉に困って、レッドは思わずうろたえた素振りを見せたが、すぐに口をつぐむしかなくなってしまった。
そしてなぜか、「すまない・・・。」とだけ答えていた。
レッドのこの反応に、ユアンは少々
「僕が悪かった。そんなつもりはなかったんだ。」
どういう関係かときかれた場合の返事なら決めていたが、ミーアを見つめる目に、どこか切なさや
ユアンは、また違うところを見ていた。その耳の上辺りまである真っ直ぐな横髪が、ときおり夜風に吹かれて優雅になびいた。ランプの明かりの中では、その髪は金色に見えた。
「あの子は不思議な子だな。えっと・・・精霊使いとか言っていたかな、確か。」
ユアンは髪を掻き流しながら、レッドの方を向いた。
その精霊使いカイルは、難しい顔をして、もう何周も石碑の周りを歩いていた。
「ああ・・・らしいが。」
その様子をチラっと見てから、レッドは答えた。
「らしい? 頼りなげだな、君がそう言うとは。」
「信用はしているさ。あいつにそういう力があるのも確かだ。ただ、超常現象ばかり見せられるもんで、それと受け入れるに、まだ抵抗があるだけだ。」
レッドが本心を返すと、ユアンも共感したようで
「それじゃあ、向こうの彼は。」
レッドも視線をやると、ミーアと少年たちに囲まれているリューイは、満面の笑みを振り撒きながら、子供たちと一緒にキースの頭を掻き回している。キースは何をされても何の関心もないようで、おまけに、レッドが見ている時に大あくびを一つした。
「ああ、あいつは子供みたいな大人で、武術の達人だ。それと怪力。」
「ずいぶん・・・変わったお友達だね。」
口調も非常に温和で知的ながら、ユアンは呆気にとられた顔をしている。
「変わってるなんてもんじゃないさ。あいつは、とても一言では語りつくせない男だ。まだあるぜ、ほら、猛獣使いってのが。」
ユアンは声をあげて笑った。
「なるほど、あの話は確かみたいだ。」
レッドが何のことかと黙っていると、ユアンは焚き火がある方を指さして言った。
「女子たちが、あそこで君の
レッドは少し首を伸ばして、そちらを見てみた。
すると、何人かの娘がさっと顔を
「噂って・・・どんな。」
「
「あいつめ・・・何言いふらしてんだ?」
レッドは囁き声で悪態をついた。そんな余計なことが言えるのは、シャナイアに違いない。
それにしても、優しいというより甘いという自覚があるレッドには、彼女にそんなふうに思われているとは意外だった。だが、一瞬どきりとした、アイアスであるところは一応気を使ってくれたらしい。イオでの一件で反省したレッドは、ここでは紋章を
そこでユアンがふと気付いて、二人は、若者が集まっている焚き火場所へ視線を変えた。ギルが口に手を当てて。何か言っている。その隣にいるエミリオも、こちらを見ながら微笑している。よく見ると、周りの青年たちも、みな。
そのうち一人が
顔を見合わせたレッドとユアンは、笑顔でうなずきながら立ち上がった。そして、最も盛大に燃え上がっている炎のもとへと足を向けた。