6. 不自然な食卓
文字数 2,639文字
その日の夜は、明るい月にうっすらと雲がかかっていた。次第に濃くなっているようなので、明日は雨の一日になるかもしれない。祭りの日をその翌日に控えている村人たちにとっては、憂鬱 な夜空だった。
その村で、一行 は大きな二階建てのログハウスに宿泊している。家主は、カイルが助けた村長の息子だ。彼は芸術家で、心の赴 く場所へ行き、思うがままに作品を作り続けているのだそう。そのため、今はたまたま空いているだけの空き家である。そういうわけで気が引ける一行を頷 かせたのは、もともと、宿泊を求めてきた旅人への指定宿とされていたことと、そして、もし壊されて困るような作品があるのなら、彼の旅はとっくに終わっているはずだという言葉だった。
そして村人たちは、彼らのために ―― 一日でも長く医者にいてもらうために ―― 進んで動いた。まずは足りない寝床を作るのに、急遽マットと毛布や布団を用意した。それを広い居間に二つ。それからアトリエと書斎、そして展示室に設置した。部屋割りは、居間をエミリオとギルの二人が、書斎をリューイが、展示室をカイルが、そしてレッドは、二階のアトリエを使うことになった。そういうわけで、もともとベッドのあった寝室には、ミーアとレッドではなく、シャナイアである。レッドが、ミーアのために気を利かせて、母親の温もりに近い、唯一女性であるシャナイアに頼んだのだ。
ただ、レッドが借りたアトリエは、村人たちよりも一足先に中を見てみた時には、ひどい有様だった。書斎も、展示室も、たまたま覗 いた物置部屋でさえも整理整頓がきちんとされていたのに、アトリエだけが滅茶苦茶に散らかっていたのである。
だがレッドは、芸術家の仕事場だということで特に気にすることもなく、やたらに手を付けないよう気をつけながら片付けた。床一面 に散乱していた木材や布きれ、それに彫刻刀や筆を。
芸術家のこの家の食堂には、都合よく長い食卓があった。椅子も、意匠 を凝らした手製のものがそろっていた。帰郷の度に、決まって友人たちが押しかけてきて、無事に戻った祝宴を開いてくれるためだという。
食事の一切はシャナイアに任せられていた。彼女の内面は、男以上に男まさりでありながら、女らしさもじゅうぶんに持ち合わせている。事実、黙っていればただの色っぽい美人だ。それを分かっているつもりなので、彼女が戦士であり、肉体的にも精神的にも強い女性だと知っていても、レッドは彼女のすることをいちいちひやかしたり、文句をつけることもなかった。
だが、今晩の食事には、レッドは思わず不平を零さずにはいられないものがあった。
「おい・・・何がやりたい。」
レッドは食卓に並んでいるものを見回して、最後、シャナイアの顔に目を据 えた。
「何よ、何のことよ。」と、シャナイアも睨 み返した。
「こっちがききたいね。このチーズづくしは何なんだっ。どうしてなんだっ。」
レッドは食卓に指を突きつけ、そうがなりたてた。
ここに来てこれが六度目の彼女の手料理だったが、これほどふざけた、もしくは嫌味たらしい献立をレッドは見たことがなかった。
見事に統一されている。たっぷりとチーズをふりかけて焼くグラタンに始まり、だがチーズのサラダ、チーズのサンドイッチ、胚芽パンの付け合わせにはクリームチーズ。それに、鶏肉料理からは白いチーズが溶け出している。絶対に余計だと思われる果物にまで、さりげなくチーズが添えられているのを見た時、レッドは確信した。これは遊んでいる。
彼女は確かに料理が上手で、いつも多種多様で満足のいくものを作ってくれる。しかし今夜のこのチーズ三昧 は、絶対にウケ狙いだ。
「さすがに味飽きするだろうっ。冗談のつもりか、これは。それとも何かの嫌がらせか?」
「私の工夫にケチつける気なのっ。いただいたのよ、ここの親切なおばさま方に。自家製でとても美味しいからって。あなた、さてはチーズ嫌いなんでしょ。」
「馬鹿ぬかせ。俺は、お前のその悪戯 好きな性格が気に入らないだけだ。」
そう、ミーアの髪だって、それでやられた、とレッドは思っている。
そのミーアだけは、エミリオやギルの許しを得て、先に「いただきます。」をしてからは、食べること一つに夢中になっていた。
「そら始まった。いつもの・・・」
「子供の喧嘩だ。」
リューイが半分楽しんで言い、ギルはやれやれといった顔をしている。
「ぶつくさ言う前に食べてみたらどうなのっ。種類もメニューも違うんだから、味だって全然違うわよっ。全部おいしく食べきれるわよっ。」シャナイアは口喧嘩の勢いのまま、「ね、カイル。」と、首を向けた。
ところが。
「ごちそうさま・・・。」
カイルはうつむいたままそう呟 いて、力無く席を立った。そしてもっと弱々しく、消えてしまいそうな足取りで玄関へ向かったのである。首をうな垂れ、肩を落とし、そして目線は常に床の上。出入り口で危うく額 をぶつけそうになった時でさえ顔を上げず、頭を下げたままノブをひねり、外へ出て、音もなくドアを閉じた。
ひんやりとした外気が食卓に滑り込んできた。
「ほらみろ。」
横目に玄関を見て、レッドが言った。
「あの子、チーズ嫌いだったのかしら。」
「二人とも・・・。」
エミリオが穏やかな声で、だが呆れ混じりに声をかけた。
「なかなかの茶番劇だったぞ。」と、ギルは歪 んだ笑みを浮かべている。それから、カイルが出て行った方へ視線を向けた。「帰ってから、ずっとああだ。」
「やっぱり変か・・・。」
「変ね。」
ため息と共に、レッドもシャナイアもようやく席についた。いつもなら、決まってカイルが笑顔を振り撒きながら、ここで仲裁役を務めてくれるはずなのに。レッドはリューイともよく戯 れに口喧嘩をするが、それを ―― 適当に ―― 止めに入るのもカイルだった。
カイルの食器を見てみれば、パンを一口かじっているだけである。
「分からねえな。」
リューイが呟いた。どう考えを巡らしても、この数時間の間にカイルの身に起こった、少年をあのようにしたことの見当がまるでつかない。
仲間たちはそろって、カイルが出て行ったあとの玄関ドアを見つめていた。
重く、しんみりした沈黙が続いた。
「俺・・・。」
誰よりも早く、レッドは立ち上がった。
「ちょっと行ってくる。」
そうしてレッドが外へ出ると同時に夜風が流れ込んできて、窓のレースカーテンがふわりと泳いだ。その冷気は、すぐに室内の暖かい空気と混ざり合って消えた。
その村で、
そして村人たちは、彼らのために ―― 一日でも長く医者にいてもらうために ―― 進んで動いた。まずは足りない寝床を作るのに、急遽マットと毛布や布団を用意した。それを広い居間に二つ。それからアトリエと書斎、そして展示室に設置した。部屋割りは、居間をエミリオとギルの二人が、書斎をリューイが、展示室をカイルが、そしてレッドは、二階のアトリエを使うことになった。そういうわけで、もともとベッドのあった寝室には、ミーアとレッドではなく、シャナイアである。レッドが、ミーアのために気を利かせて、母親の温もりに近い、唯一女性であるシャナイアに頼んだのだ。
ただ、レッドが借りたアトリエは、村人たちよりも一足先に中を見てみた時には、ひどい有様だった。書斎も、展示室も、たまたま
だがレッドは、芸術家の仕事場だということで特に気にすることもなく、やたらに手を付けないよう気をつけながら片付けた。
芸術家のこの家の食堂には、都合よく長い食卓があった。椅子も、
食事の一切はシャナイアに任せられていた。彼女の内面は、男以上に男まさりでありながら、女らしさもじゅうぶんに持ち合わせている。事実、黙っていればただの色っぽい美人だ。それを分かっているつもりなので、彼女が戦士であり、肉体的にも精神的にも強い女性だと知っていても、レッドは彼女のすることをいちいちひやかしたり、文句をつけることもなかった。
だが、今晩の食事には、レッドは思わず不平を零さずにはいられないものがあった。
「おい・・・何がやりたい。」
レッドは食卓に並んでいるものを見回して、最後、シャナイアの顔に目を
「何よ、何のことよ。」と、シャナイアも
「こっちがききたいね。このチーズづくしは何なんだっ。どうしてなんだっ。」
レッドは食卓に指を突きつけ、そうがなりたてた。
ここに来てこれが六度目の彼女の手料理だったが、これほどふざけた、もしくは嫌味たらしい献立をレッドは見たことがなかった。
見事に統一されている。たっぷりとチーズをふりかけて焼くグラタンに始まり、だがチーズのサラダ、チーズのサンドイッチ、胚芽パンの付け合わせにはクリームチーズ。それに、鶏肉料理からは白いチーズが溶け出している。絶対に余計だと思われる果物にまで、さりげなくチーズが添えられているのを見た時、レッドは確信した。これは遊んでいる。
彼女は確かに料理が上手で、いつも多種多様で満足のいくものを作ってくれる。しかし今夜のこのチーズ
「さすがに味飽きするだろうっ。冗談のつもりか、これは。それとも何かの嫌がらせか?」
「私の工夫にケチつける気なのっ。いただいたのよ、ここの親切なおばさま方に。自家製でとても美味しいからって。あなた、さてはチーズ嫌いなんでしょ。」
「馬鹿ぬかせ。俺は、お前のその
そう、ミーアの髪だって、それでやられた、とレッドは思っている。
そのミーアだけは、エミリオやギルの許しを得て、先に「いただきます。」をしてからは、食べること一つに夢中になっていた。
「そら始まった。いつもの・・・」
「子供の喧嘩だ。」
リューイが半分楽しんで言い、ギルはやれやれといった顔をしている。
「ぶつくさ言う前に食べてみたらどうなのっ。種類もメニューも違うんだから、味だって全然違うわよっ。全部おいしく食べきれるわよっ。」シャナイアは口喧嘩の勢いのまま、「ね、カイル。」と、首を向けた。
ところが。
「ごちそうさま・・・。」
カイルはうつむいたままそう
ひんやりとした外気が食卓に滑り込んできた。
「ほらみろ。」
横目に玄関を見て、レッドが言った。
「あの子、チーズ嫌いだったのかしら。」
「二人とも・・・。」
エミリオが穏やかな声で、だが呆れ混じりに声をかけた。
「なかなかの茶番劇だったぞ。」と、ギルは
「やっぱり変か・・・。」
「変ね。」
ため息と共に、レッドもシャナイアもようやく席についた。いつもなら、決まってカイルが笑顔を振り撒きながら、ここで仲裁役を務めてくれるはずなのに。レッドはリューイともよく
カイルの食器を見てみれば、パンを一口かじっているだけである。
「分からねえな。」
リューイが呟いた。どう考えを巡らしても、この数時間の間にカイルの身に起こった、少年をあのようにしたことの見当がまるでつかない。
仲間たちはそろって、カイルが出て行ったあとの玄関ドアを見つめていた。
重く、しんみりした沈黙が続いた。
「俺・・・。」
誰よりも早く、レッドは立ち上がった。
「ちょっと行ってくる。」
そうしてレッドが外へ出ると同時に夜風が流れ込んできて、窓のレースカーテンがふわりと泳いだ。その冷気は、すぐに室内の暖かい空気と混ざり合って消えた。