35. 疑念2 ― ギルの素性

文字数 1,825文字

 祭りは、水車小屋のある村の(はず)れで行われる。そこには調理台と大きな石窯(いしがま)があり、婦人や娘たちが、後夜祭の料理を共同作業で作っていた。パンを焼いたり、肉や魚の燻製(くんせい)を作ったり。それに酒。リサの村人は、葡萄(ぶどう)はもちろん、ほかにも数種類の酒を作る。全てがこの土地で手作りされたものだ。大わらわで、ふんだんに振舞う料理を用意しているその一方では、第ニ班が、会場を花や枝編(えだあ)み人形で飾りつけている。

 男たちは、老いも若きも、元気な者はみなはりきって会場へ向かった。食堂のテントを張ったり、競技場となる場所にロープを張ったり、後夜祭のメイン会場に大きな焚き火台をこしらえたり。

 その力仕事を、レッドとリューイの二人が進んで手伝った。カイルに頼まれたギルとエミリオは、助手として負傷者の治療にあたった。とはいえ、この二人も患者。ギルの背中や胸は包帯でぐるぐる巻きに、エミリオの腕の傷にもしっかりと包帯が巻かれている。

 今はそれも完了して、手当てを受けているあいだじゅう、うずうずしていた元気な怪我(けが)人たちは、治療が済んだ者から早速(さっそく)会場へ飛び出して行った。

 そしてカイルは、シャナイアに二人分用意してもらった朝食を持って、またシオンの森へ出掛けて行った。

 その頃には、問題なく会場設営も完了。ギルとエミリオもそこへ足を進めていると、牧場にいる馬の数が、めっきり減っていることに気付いた。すぐに競馬のためだと分かったが、ギルはふと気になった。そして、エミリオに先に行ってくれとだけ言い残すや、背中を返して(うまや)へ向かった。

 その途中、ギルは思わず足を止めた。香ばしい、肉や魚の食欲をそそる(にお)いが漂ってくる。ギルは鼻をすすりあげ、しばらく美味しそうなその香りだけを楽しんだあとで、この道の先にある厩舎(きゅうしゃ)へと踏み出した。

 やがてたどり着いたその中には、見事な体格の黒馬が、さも退屈そうに腹をつけて座っていた。だが、ギルが顔を出すまでのことだった。その姿に気付くなり、馬は途端(とたん)に目を(きらめ)かせてゆっくりと立ち上がると、策にぶつかるまでめい一杯近づいて来たのである。

 ギルは手を伸ばして、その馬首をなでた。
「競馬に出してやりたいな。必ずや優勝できるだろうに。」
 それに応えるかのように、馬は首を揺り動かした。
「そうしてやりたいのはやまやまだが、俺はここの人間じゃあないからな。」

 ギルは弓術(きゅうじゅつ)と並んで馬術が得意だ。なにも自惚(うぬぼ)れではなく、それは、これまでの不断の努力と訓練の賜物(たまもの)。戦闘能力を高めることには貪欲(どんよく)で、自分に厳しくやってきたという自信があった。何より、馬がいい。一度この馬に乗っていたことで、

確立の高さが分かっていた。数日過ごして分かったが、この村は非常に家族的である。だから、よそ者の分際で

は良くない。

 そうして語りかけ、無言の返事を聞き取っているうち、ギルは、誰かが小屋の入り口に立っていることに気付いた。

 レッドだった。

 ギルが気づいたと分かると、レッドは笑顔でそばまで歩いて行き、一緒に馬を眺めた。
「これが、あんたが手懐(てなず)けた暴れ馬か。」
「ああけど、ただの暴れ馬じゃない。新しい主人を探してるだけさ。」
「乗馬も得意なのか。」
「まあな。子供の頃はよく父親と遠乗りに出掛けたものさ。」
「剣に弓に乗馬、完全無欠だな。どこでそれだけの訓練を?」
「全部、父からだ。俺の父親は何でもこなす屈強(くっきょう)の戦士だからな。徹底的に叩き込まれた。」
「なるほど。」

 レッドは努めて自然に質問を重ね、ギルも淡々と答えた。

 父親は屈強の戦士か・・・。アルバドルの皇帝のことをよくは知らないが、これだけの戦士に育て上げられるだけの専門的な一流の技術力が、一国の君主にあるものなのか。やはり・・・考え過ぎか。

 そうして少し黙り込んだレッドを、ギルも様子を見ながら見つめていた。

「どうかしたか。」
「あ、いや別に。」
 レッドがそう口籠(くちごも)ると、ギルはわざと軽い声でこう言った。
「この村には酒場が無いんだな。」
「は?」
「地元では、毎晩のように仲間とそこで落ち合ってたからさ。」
「好きなのか? 酒。」
「アル中でない程度にな。」

 (うそ)を言っているようには見えないその表情に、レッドは自分の憶測(おくそく)にふっと笑い声を漏らした。

「ニルスで繰り出そうぜ。じゃあ俺、先に行ってるから。ミーアを祭りに参加させてやろうと思ってさ。エントリーしてくる。」

 ギルは、片手を振って別れたレッドの後ろ姿を見ていたが、その表情は次第に暗くなっていった・・・。


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