53. 風に
文字数 2,130文字
フィアラの遺体はきちんと棺 に収められ、リサの村人たちの手によって手厚く埋葬 された。シオンの森の、彼女が大好きな場所が見下ろせる丘の上に。その場の葬儀では、多くの者が涙を流し、誰もが、とんだ勘違いをして助けてあげられなかったことを謝罪しながら、黙祷 を捧げた。
そしてそのあと、一行は急な旅立ちを告げることになった。夕方には身支度を整えて、荷台に馬をつないだ。ここへ来た時と同じ、彼らの馬車だ。
別れの時間になると、リサの村人はみな、一行を見送るために集まった。そのうえ旅人たちのために、長旅に適した食料から灯火に必要なものまで、じゅうぶんな用意をしてくれていた。
一行はそれぞれ、ここで親しくなった者と名残 惜しげに挨拶を交わし、村長と指導者のクレイグとは握手をして別れた。去り際には、そろって手を振り続けてくれる村人たちに応えて、御者台 に座ったギルとエミリオ以外の者は、その姿が見えなくなくまで手を振り返した。
そうして一行が旅立った、ちょうどその頃。シオンの森街道 を、郷愁 の念にかられながら歩く男がいた。
男は、丘の上を通りかかって、ふと足を止めた。
まだ色鮮 やかな花束と、果物が一つ供えられてある土饅頭 がある。
道を外れて、その墓の前に立った男は、帽子を胸に当てて会釈 をした。
不意に、柔らかい風が吹いた。
しばらくのあいだ、男は自然と身を委 ねていた。頬 を撫でられるような心地よさに、思わず。
残念ながら、特別な祭事の日に間に合わなかったその男は、やっと道に戻ると、もうすぐたどり着く我が家へと再び足を向けた。
夕陽が赤く大きくなって、西の空に輝いていた。
一行は、今はシオンの森の中にいた。高くなった所に、馬を停めていた。カイルだけが馬車を離れて、その丘の頂 に立っている。眼下には、フィアラと過ごした森の沼。そして目の前には、花と桃の実が手向 けられた土饅頭があった。
エール川に沿って、馬車を東へ走らせている時だった。ずっと森の方を見つめていたカイルが突然、「待って!」と叫んだのだ。
長くそこにそうしているカイルを、仲間たちは、馬車を降りた所で見守っていた。その後ろ姿には、いつまでも悩み苦しんでいた時の弱さや悲しみは無く、喪失 感や無力感に打ちひしがれていることもなかった。
「あいつ・・・少しもためらわなかったな。」
レッドが重々しく呟いた。
リューイがどういうことかと目を向けると、エミリオがそれに答えた。
「今はまだ逝 かせたくないと、必死だったからね。血を吐いた口に人工呼吸を行えば、感染するかもしれないことを承知で、あの潔 さは立派だった。治療法を心得ているとはいえ・・・。」
「ああっ、そうかっ。あいつ大丈夫なのかっ。」
「何かうってたよ。抗菌薬じゃないか。あいつの能力は、感染したかどうかまで、すぐに分かるみたいだな。」と、ギル。
「たいした医者だよ。」
レッドが腕を組んで言った。
カイルが速 やかに行った救命処置は、医師としての絶対の自信と、何より、まだ生きられる命を救いたいという、強い思いがあったからこそ。
すると、その時。
シャナイアの驚いたような声が聞こえた。なぜかは、それと同時に理解できた。夕焼けで今は赤みを帯びた亜麻色 の長い髪が、ふわふわと波打ちながら優雅にそよいでいる。
「なんて・・・優しい風。」
うっとりとそう呟いたシャナイアは、顔をそびやかして目を閉じた。
自然とエミリオもそうしていた。ギルもレッドも、そしてリューイも。
その時起こったのは、これからぐんぐん気温が下がりゆく夜の前触 れではなく、まるで春の、あるいは秋の訪 れに吹くような、穏やかで、切なく、すうっと心に沁 みてくる風。
カイルはもう土饅頭を見てはおらず、赤く染まった綺麗な空を見上げていた。自身はまだ少し無念さが残る痛みの中にあっても、密かに彼女を満たした真の幸せと安らぎ、孤独と苦痛からの解放、そして、悲願が成就 したと一途 に思う者の喜びは、全てが一つとなって感じられた。
「フィアラ・・・君はいつも一人きりでいたね。でも今は、パパとママも一緒だろ? それに、明日からはたくさん人が来るよ。綺麗な花を持って、君に会いに来るんだ。大丈夫、きっと仲良くなれるよ。みんな本当にいい人たちだ。」
カイルは少し黙って、柔らかいその風を受けた。
「嬉しそうだね、フィアラ・・・願いが叶って。それじゃあ、僕は行くよ。ようやく・・・とうとう旅立つんだ。あの村から・・・そして・・・この森からも。お別れだね。」
自由でのびやかな風が、花と緑の丘を喜び勇んで駆け抜けてゆく。
カイルは一人ほほ笑み、夕陽に映える沼に背中を向けた。
バイバイ・・・フィアラ。
―― 完 ――
そしてそのあと、一行は急な旅立ちを告げることになった。夕方には身支度を整えて、荷台に馬をつないだ。ここへ来た時と同じ、彼らの馬車だ。
別れの時間になると、リサの村人はみな、一行を見送るために集まった。そのうえ旅人たちのために、長旅に適した食料から灯火に必要なものまで、じゅうぶんな用意をしてくれていた。
一行はそれぞれ、ここで親しくなった者と
そうして一行が旅立った、ちょうどその頃。シオンの
男は、丘の上を通りかかって、ふと足を止めた。
まだ
道を外れて、その墓の前に立った男は、帽子を胸に当てて
不意に、柔らかい風が吹いた。
しばらくのあいだ、男は自然と身を
残念ながら、特別な祭事の日に間に合わなかったその男は、やっと道に戻ると、もうすぐたどり着く我が家へと再び足を向けた。
夕陽が赤く大きくなって、西の空に輝いていた。
一行は、今はシオンの森の中にいた。高くなった所に、馬を停めていた。カイルだけが馬車を離れて、その丘の
エール川に沿って、馬車を東へ走らせている時だった。ずっと森の方を見つめていたカイルが突然、「待って!」と叫んだのだ。
長くそこにそうしているカイルを、仲間たちは、馬車を降りた所で見守っていた。その後ろ姿には、いつまでも悩み苦しんでいた時の弱さや悲しみは無く、
「あいつ・・・少しもためらわなかったな。」
レッドが重々しく呟いた。
リューイがどういうことかと目を向けると、エミリオがそれに答えた。
「今はまだ
「ああっ、そうかっ。あいつ大丈夫なのかっ。」
「何かうってたよ。抗菌薬じゃないか。あいつの能力は、感染したかどうかまで、すぐに分かるみたいだな。」と、ギル。
「たいした医者だよ。」
レッドが腕を組んで言った。
カイルが
すると、その時。
シャナイアの驚いたような声が聞こえた。なぜかは、それと同時に理解できた。夕焼けで今は赤みを帯びた
「なんて・・・優しい風。」
うっとりとそう呟いたシャナイアは、顔をそびやかして目を閉じた。
自然とエミリオもそうしていた。ギルもレッドも、そしてリューイも。
その時起こったのは、これからぐんぐん気温が下がりゆく夜の
カイルはもう土饅頭を見てはおらず、赤く染まった綺麗な空を見上げていた。自身はまだ少し無念さが残る痛みの中にあっても、密かに彼女を満たした真の幸せと安らぎ、孤独と苦痛からの解放、そして、悲願が
「フィアラ・・・君はいつも一人きりでいたね。でも今は、パパとママも一緒だろ? それに、明日からはたくさん人が来るよ。綺麗な花を持って、君に会いに来るんだ。大丈夫、きっと仲良くなれるよ。みんな本当にいい人たちだ。」
カイルは少し黙って、柔らかいその風を受けた。
「嬉しそうだね、フィアラ・・・願いが叶って。それじゃあ、僕は行くよ。ようやく・・・とうとう旅立つんだ。あの村から・・・そして・・・この森からも。お別れだね。」
自由でのびやかな風が、花と緑の丘を喜び勇んで駆け抜けてゆく。
カイルは一人ほほ笑み、夕陽に映える沼に背中を向けた。
バイバイ・・・フィアラ。
―― 完 ――