2. 青年と暴れ馬

文字数 2,521文字

「お前、前の主人の所へ帰りたいんだろう。だが今は、それよりも恐らく・・・。」
 ギルはそう語りかけ、それから農夫を見て言った。
「放っておいたら何をしでかすか知れない。だからほかの馬のように野放しにできない。それでずっと牧場にくくりつけていた・・・だろ?」

「乗りこなせる奴でもいればいいんだが、こいつは誰にも馴染(なじ)もうとしないんだよ。」
 農夫はうなずく代わりに、そう答えた。

「こいつと遊んでみたいな。」
 ギルは無邪気な声で言った。
「無理だよ。こいつは嫌がって(くら)もつけねえ。」
「だが、かつては主人を乗せていたはずだ。仕方ない、その手綱(たづな)さえあればいいよ。乗るのに手を貸してくれるかい。」
 なんとも恐れ知らずな口調に、農夫は(なか)(あき)れた。
「怪我するぜ、兄ちゃん。」
「落ちなきゃいいんだろ。さあ早く手伝ってくれ。」

 ギルに急かされて、農夫はやれやれと言わんばかりに腰を落とした。それから(もも)に足を掛けろと(うなが)した。
「ほらよ。まったく、こんな兄ちゃんは初めてだ。」

 ギルは言われた通りにして、さっと馬の背中にまたがった。

 すると、それまでは妙におとなしくしていたというのに、とたんに馬は狂ったかのようにまた暴れ出したのである。不意を突かれた最初の一瞬、ギルは危うく(すべ)り落ちそうになった。

 ギルは、なんとか体をねじ曲げて食いついた。

 馬も負けじと首を振りたて、盛んに(ひづめ)を踏み鳴らす。ギルはすんでのところで腰をよじらせ、耐えながらえて、手綱を胸まで引き寄せた。

 馬はその瞬間、甲高い(いなな)きを上げた。

「ああほらっ、言わんこっちゃない。」
 農夫は素早く後ろへ下がり、手のひらで顔を覆った。

 黒馬はますます荒くれ、飛び跳ねながら体の向きをあちこち変えて、しぶとい荷物を振り落としてやろうと懸命になる。さすがのギルもかなり(こた)えたが、こいつはたけり狂っているわけではないと分かっていた。体が怒涛(どとう)の波にうまく順応していくにつれて、こいつから伝わってくるものは、殺気ではなく情熱だと悟っていた。これは、挑み挑まれた勝負だ。全身を、熱い血が駆け巡るのを感じた。

 そうして手が汗ばみ、しがみつくのも極限に困難になった頃、馬がまた(いなな)いて、ついには棹立(さおだ)ちになったのである。
 ギルは素早く手綱を手に絡ませると、膝と(かかと)を馬の脇腹に食い込ませてふんばった。これに耐え切れたならば、自分でも驚きだと思った。
 すると、馬はすぐに前脚を着地させて、急におとなしくなったのである。おかげでどうにか持ち(こた)えた。

「へ・・・勝った。」
 ふうと息を吐き出したギルは、そこからひょいと飛び降りてみせた。

「へええ、たいしたもんだ。」
 農夫は腕を組み、ふんぞり返って感嘆(かんたん)している。

 馬の首に手をやったギルは、何度も繰り返し()でてやった。馬の方はうってかわり、嫌がることもなく顔を向けてくれる。その眼差しからもう違っていた。

「俺の愛馬も強情(ごうじょう)でへそ曲がりだったからな。こうやって手懐(てなず)けたもんだ。誰もこいつを怖がって、真っ向からぶつかってやろうとはしなかったんだろう。だが、前の主人は堂々とこいつを受け止めてやったはずだ。負かされた相手にしか服従しない・・・か。いい根性してるよ。戦う馬はこうでなくちゃな。」

 農夫は、馬に優しく語りかける青年を見ていた。せいぜい二十四か五ってところだろうと、農夫は推測した。だが、馬との付き合いは長いらしい。腕も確かそうだ。
 農夫は、「ちょっと待ってな。」と言い残してそこから離れ、倉庫の方へ駆けて行った。それからしばらくして戻って来た時には、手に(くら)とあぶみを持っていた。

 ギルはそれを受け取り、農夫と二人がかりで馬に取り付けるあいだじゅう、期待が混ざり合った優しい眼差しで話しかけていた。馬の方はそれからというものじっとして、毛質の硬い漆黒(しっこく)の尾を満足そうに揺らしている。

「よしよし。お前、本当はめい一杯遊びたかったんだよな。早く新しい主人に出会いたかった、そうじゃないか。」

 農夫はすっかり感心していた。この青年の言葉は、獣の心を見事に言い当てているに違いない。

 ギルは作業が終わるや片足をあぶみにかけ、慣れた調子で優雅に鞍にまたがった。
「ようし、とりあえずは俺が間に合わせの主人だ。」

 ギルの胸は(おど)った。城内生活をしていた頃は毎日のように感じていた、しばらく忘れていた居心地を今また感じている。剣や弓矢を操るのはそれなりに面白かったが、馬の呼吸を汲みながら大地を駆け抜ける爽快感や、景色が後方へ飛び去ってゆく時のそれとは比べものにならなかった。それに乗馬は、誰を、何を傷つけることもない。唯一、素直に楽しいと言える特技だ。

 (なつ)かしさに(つか)の間浸ったあと、ギルはどこへ行こうかと首をめぐらした。南の森へ行こうか、東の草原にしようか。すると、そうしてさ迷っていた視線は、すぐに同じ牧場内のある場所で止まった。

「暴れん坊がいるかと思えば・・・。」
 馬首にそっと手を添えてやるだけで、ギルは馬をそちらへ進ませた。

 そこには、黄金(こがね)色の干し草をのたりのたりと()んでいる、いかにも愛想の悪そうな栗毛の馬がいた。ギルの受けたそいつの第一印象は、恐ろしく無気力な馬。そのひと言に尽きた。柵を挟んですぐ向かいには金髪の青年が立っていて、そんな様子を浮かない顔で観察しているが、彼の存在などどうでもよく、そこに見慣れないものがあると思うことすら面倒のようなのである。その馬の心の中、精神状態は空っぽのように、ギルには思われた。

 ギルは柵寄(さくよ)りに馬を歩かせて、さりげなくそっと近付いた。
「その馬が気に入ったのか。」

 そう声をかけられると、リューイはのろのろとギルの顔を見上げて、また同じ調子で視線を馬に戻した。



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