5. シオンの森で
文字数 3,608文字
すると、小鳥たちにとっては奇妙なその生き物 ―― カイル ―― が、二本足でヌッと立ち上がった。
小鳥たちはパタパタと羽音をたてて、止まり木から飛びたっていった。
「うーん・・・これといったものがないなあ・・・。」
カイルは頭を掻きながら、深々とため息をついて顔を
ここは、シオンと名付けられた
心地良いその自然の音に、しばらく耳を傾けていたカイル。そうして気持ちを切り替え、視線を下げると、視界を何かが横切った。
その瞬間、反射的に首が向いた。
すると、目に留めることができたそれは、
好奇心から、カイルはたちまち引き寄せられていった。しかし近づけば、やっぱり逃げられてしまう。どうしても触ってみたくて、カイルは夢中で追いかけた。
木の下の光と影を
徐々に速度をゆるめたカイルは、
ああ・・・見失った。
目の前には、細い枝や
これ以上進むのは無理か・・・そう思いながらも、次にカイルは、その緑の壁に沿って移動してみた。
すると、あった。自然にできたものなのか、誰かが切り開いたものか分からないが、
その前にしゃがみ込んだカイルは、通り抜けることができるかどうかと奥に目を凝らした。目が届く限りは、行き止まりはなさそう。もっと先は? その向こうは? と探るうちに、カイルは自然と四つん這いになっていた。そして目の前にかかる細長いものを払いのけ、体をくねらせながら、気付けば
いくらか不安になったが、ふと気づけば、もう体の向きを変えて
そこから這い出したカイルは、「いてて・・・。」と
髪には緑の葉っぱが編みこまれ、腕には細い
まず自分の体の状態を確かめたカイルは、それから顔を上げて、辺りの様相をみた。
目の前に、大きくて綺麗な
カイルは、追いかけていた小動物を探した。そして、不意をつかれたような顔に。
水際の大木の陰から、人の後ろ姿が少しだけ見えていた。たぶん細身で、背中まである栗色の髪の少女。
そこでカイルは思いついた。そうだ、彼女に薬草のことを聞いてみよう。まだ少し距離があったので、カイルは様子をみながら静かに近づいて行った。少女はなかなか気づかない。それで、ほとんど真後ろまで来た時、できるだけそっと声をかけた。
「ねえ、君。」
少女は肩を飛び上がらせた。その驚きように、カイルもつられてビクッとなる。
少女がゆっくりと顔を向けてきた。長い髪が揺れて、
「あ、あの、ひどく驚かせちゃったようだね。謝るよ。ちょっといいかな。」
カイルは明るく振る舞いながら、そばに寄ろうとした。
ところが少女は立ち上がり、何か怖いものを見るような顔で離れていく。振り向かずにそのまま、横歩きで、少年が近づくにつれて少しずつ。
「ねえ、薬草って分かる? もし知ってたら ――。」
すると、カイルがまだ言いおおせないうちに、少女はとうとう逃げ出してしまった。
「えっ、待って、ちょっと待って!」
カイルも思わず追いかけた。
少女は脇目も振らず、飛ぶように走り続けている。追いかけてくる者をとにかく引き離そうと、無我夢中になっているようだ。
カイルにはまるで分からない。彼女がなぜそれほどまでに嫌がるのか。なぜ、それほどの嫌悪感を与えてしまったのか。ひと言声をかけただけなのに・・・。
少女は沼の向こう岸へ向かっていた。そこには立って通り抜けられる細道があるようだった。そして、そこを抜けると、わざと木立の密集する方へ向かい、小川にざぶんと足を浸けて派手に
「お願い、待って! 僕、悪い人じゃないよっ。」
カイルも叫びながら木々の間をすり抜け、同じ道を同じように、小川をざぶざぶと横切った。何か悪印象をもたれたままが嫌だった。
実際、少年と少女、男と女の体力、運動能力の差は歴然としていた。カイルがもう五歩も地面を蹴れば追いつくというところで、突然、少女の勢いが止まったのである。木の根につまづき、前のめりに突っ伏して。
「ごめん、大丈夫っ⁉」と声をかけたカイルは、素早く前に回りこんで、少女の肩を支え起こした。それから、顔をうかがった。
まともに見た。そして・・・
彼女の顔は、左右で違っていた。
左半分にひどい
その瞬間、言いようの無い痛烈な感情が殺到して、カイルは息が詰まった。息が詰まって、言葉を失った。ただ後悔だけが押し寄せた。そっとしておいてやるべきだったという後悔だった。きっと見られたくなくて逃げ出したのに、わざわざ追いかけて、
彼女の
カイルの呼吸は、ますます辛くなった。
「同じ目・・・もうたくさんよ。」
少女はそう呟いて、カイルの手を乱暴に振りほどいた。
カイルは、何かを言わなければと思った。何か言わなければ、彼女を傷つけたままにしてしまう。だが、何をどう言えば上手く取り
「あ・・・あの・・・。」
カイルは
少女はたまらないというようにその手を振りはらい、やにわに立ち上がった。
「皆そんな顔して私を見るのよ。そんなふうに無理して、ほんとは早く離れたいくせに・・・。」
少女はパッと背中を返して、来た道を駆け戻って行った。
カイルは追いかけなかった。追いかけることができなかった。ただ呆然と、彼女の姿が木々の陰に消えてゆくのを見送っていた。