5. シオンの森で

文字数 3,608文字

 木漏(こも)れ日で輝いている陽だまりに、カイルはいた。両手両膝を地面について、夢中で草の根を掻き分けている。周りに密生している高木の枝には小鳥がいて、何か珍しい動物でも見るように、少年のその様子を不思議そうに眺め下ろしている。  

 すると、小鳥たちにとっては奇妙なその生き物 ―― カイル ―― が、二本足でヌッと立ち上がった。
 小鳥たちはパタパタと羽音をたてて、止まり木から飛びたっていった。

「うーん・・・これといったものがないなあ・・・。」
 カイルは頭を掻きながら、深々とため息をついて顔を()け反らせた。

 ここは、シオンと名付けられた(かし)の森。そびえ立つ常緑樹に囲まれた小さな空き地に(たたず)み、枝葉(えだは)の間から差し込む陽光に(まぶた)を閉じると、カサカサとざわめく葉擦(はず)れの音が、今まで気付かなかった音が浮かび上がった。

 心地良いその自然の音に、しばらく耳を傾けていたカイル。そうして気持ちを切り替え、視線を下げると、視界を何かが横切った。

 その瞬間、反射的に首が向いた。

 すると、目に留めることができたそれは、希少(きしょう)な野生の小動物だ。大きさは生後二、三か月ほどの子猫くらいで、うさぎのような耳が下に垂れていて、少々毛が逆立っている・・・名前は出てこないが、とにかく珍しい種だ。それがなんと、すぐそこに立ち止って、こちらを見ている。ちょっと警戒しているようだ。

 好奇心から、カイルはたちまち引き寄せられていった。しかし近づけば、やっぱり逃げられてしまう。どうしても触ってみたくて、カイルは夢中で追いかけた。
 木の下の光と影を()って進み、小川にかかる間に合わせの板橋(いたばし)を渡ると、草深い鬱蒼(うっそう)たる陰鬱(いんうつ)な場所に入っていった。
 徐々に速度をゆるめたカイルは、湿(しめ)った空気を感じるところで立ち止まった。そして、がっかり肩をおとして、そこに立ち尽くした。

 ああ・・・見失った。

 目の前には、細い枝や(つる)(から)み合う(やぶ)が立ちはだかっている。
 これ以上進むのは無理か・・・そう思いながらも、次にカイルは、その緑の壁に沿って移動してみた。
 すると、あった。自然にできたものなのか、誰かが切り開いたものか分からないが、(やぶ)の壁に穴が開いたような小さなトンネルが。

 その前にしゃがみ込んだカイルは、通り抜けることができるかどうかと奥に目を凝らした。目が届く限りは、行き止まりはなさそう。もっと先は? その向こうは? と探るうちに、カイルは自然と四つん這いになっていた。そして目の前にかかる細長いものを払いのけ、体をくねらせながら、気付けば(ほら)の中を突き進んでいた。中は不気味に薄暗(うすぐら)い。

 いくらか不安になったが、ふと気づけば、もう体の向きを変えて後戻(あともど)りするのも一苦労。それで迷っているあいだも手足を止めずに進み続けていると・・・ようやく、はっきりと光を見つけた。

 そこから這い出したカイルは、「いてて・・・。」と(うめ)きながら、頭に手をやった。
 髪には緑の葉っぱが編みこまれ、腕には細い(かす)り傷ができている。
 まず自分の体の状態を確かめたカイルは、それから顔を上げて、辺りの様相をみた。

 目の前に、大きくて綺麗な(ぬま)があった。水はそれほど(にご)ってはいなくて青緑色。その中に、水草の群落(ぐんらく)がうっすらと見える。水際(みずぎわ)のところどころに、背の高い(あし)がかたまって生えている。周囲は密生している植物に囲まれているが、ここの沼のほとりは、何度か切り開かれたような空き地になっていた。

 カイルは、追いかけていた小動物を探した。そして、不意をつかれたような顔に。

 水際の大木の陰から、人の後ろ姿が少しだけ見えていた。たぶん細身で、背中まである栗色の髪の少女。(ぬま)の方を向いて座っている。その後ろ姿からは、カイルには同じ年ごろのように見えた。それに、さっき見失った小動物が、まるでその少女に化けたようにも思われた。それはもう、近くのどこにも見つけられなかった。

 そこでカイルは思いついた。そうだ、彼女に薬草のことを聞いてみよう。まだ少し距離があったので、カイルは様子をみながら静かに近づいて行った。少女はなかなか気づかない。それで、ほとんど真後ろまで来た時、できるだけそっと声をかけた。

「ねえ、君。」

 少女は肩を飛び上がらせた。その驚きように、カイルもつられてビクッとなる。

 少女がゆっくりと顔を向けてきた。長い髪が揺れて、(おび)えるように大きく見開いた灰色の瞳が、片方だけ見えた。

「あ、あの、ひどく驚かせちゃったようだね。謝るよ。ちょっといいかな。」

 カイルは明るく振る舞いながら、そばに寄ろうとした。

 ところが少女は立ち上がり、何か怖いものを見るような顔で離れていく。振り向かずにそのまま、横歩きで、少年が近づくにつれて少しずつ。

「ねえ、薬草って分かる? もし知ってたら ――。」

 すると、カイルがまだ言いおおせないうちに、少女はとうとう逃げ出してしまった。

「えっ、待って、ちょっと待って!」
 カイルも思わず追いかけた。

 少女は脇目も振らず、飛ぶように走り続けている。追いかけてくる者をとにかく引き離そうと、無我夢中になっているようだ。

 カイルにはまるで分からない。彼女がなぜそれほどまでに嫌がるのか。なぜ、それほどの嫌悪感を与えてしまったのか。ひと言声をかけただけなのに・・・。

 少女は沼の向こう岸へ向かっていた。そこには立って通り抜けられる細道があるようだった。そして、そこを抜けると、わざと木立の密集する方へ向かい、小川にざぶんと足を浸けて派手に水飛沫(みずしぶき)を飛ばした。草や木の根を引っつかんで岸に上がり、手足をどろどろにして一散走(いっさんばし)りに逃げ続ける少女。

「お願い、待って! 僕、悪い人じゃないよっ。」

 カイルも叫びながら木々の間をすり抜け、同じ道を同じように、小川をざぶざぶと横切った。何か悪印象をもたれたままが嫌だった。

 実際、少年と少女、男と女の体力、運動能力の差は歴然としていた。カイルがもう五歩も地面を蹴れば追いつくというところで、突然、少女の勢いが止まったのである。木の根につまづき、前のめりに突っ伏して。

「ごめん、大丈夫っ⁉」と声をかけたカイルは、素早く前に回りこんで、少女の肩を支え起こした。それから、顔をうかがった。

 まともに見た。そして・・・愕然(がくぜん)となった。

 彼女の顔は、左右で違っていた。

 左半分にひどい火傷(やけど)を負っていて、皮膚が醜い(しわ)を作っていた。若い、張りと(つや)のあるはずの(ほお)は崩れ、赤紫色のまだらな(あざ)に覆われていた。

 その瞬間、言いようの無い痛烈な感情が殺到して、カイルは息が詰まった。息が詰まって、言葉を失った。ただ後悔だけが押し寄せた。そっとしておいてやるべきだったという後悔だった。きっと見られたくなくて逃げ出したのに、わざわざ追いかけて、(はずかし)めた。彼女がなぜ逃げたのか。その本当の理由を知って、後悔と罪悪感が何度も胸を(むち)打った。

 彼女の双眸(そうぼう)は、悲しい炎を宿してじっと見据(みす)えている。
 カイルの呼吸は、ますます辛くなった。

「同じ目・・・もうたくさんよ。」
 少女はそう呟いて、カイルの手を乱暴に振りほどいた。

 カイルは、何かを言わなければと思った。何か言わなければ、彼女を傷つけたままにしてしまう。だが、何をどう言えば上手く取り(つくろ)うことができるのか、全く頭が働かない。

「あ・・・あの・・・。」

 カイルは(あせ)りともどかしさに邪魔されて、言葉にならない声を漏らすしかできなかった。そのあいだも見えている、彼女の腕の()り剥けた傷が気になっていた。血が出てる。きっと(ひざ)からも。僕が怪我(けが)をさせた。そう思い、カイルはおどおどと手を差し伸べていた。

 少女はたまらないというようにその手を振りはらい、やにわに立ち上がった。

「皆そんな顔して私を見るのよ。そんなふうに無理して、ほんとは早く離れたいくせに・・・。」

 (いきどお)っていても、それは涙声だとカイルにはわかった。けれども、声が出てこない。

 少女はパッと背中を返して、来た道を駆け戻って行った。

 カイルは追いかけなかった。追いかけることができなかった。ただ呆然と、彼女の姿が木々の陰に消えてゆくのを見送っていた。



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