3. 青年と孤馬

文字数 2,486文字

「気に入ったんじゃなくて、気になるんだ。元気がねえからさ、こいつ・・・病気かな。」
「病気?」
 いくらか(あき)れたというようにギルは言った。
「へんに()せているわけでもないし、立てるくらいなら上等だ。俺にはすねているようにしか見えないが。」

「その馬は、もう何か月もその通りさ。落ち込んじまってな。」
 その時、そう言いながら歩いてくるのは、さきほどの農夫だ。

「え・・・なんで。知ってるのか。」
 リューイは、そばにやってきた農夫の目を(のぞ)きこんだ。

「その馬の母親がな、病気のせいで・・・そいつは目に障害をもって生まれたんだ。町の獣医に診てもらって見えるようにはなったんだが、離れて治療をしているその間に母親は死んじまって・・・。」
「父さんは。」
 リューイは言下に問うた。
「父親もだよ・・・。訳も分からず子供を連れて行かれ、そのうえ愛妻まで亡くしたからか、それからというもの、あいつは何も食べなくなっちまったんだ。そうしてみるみる痩せ細って、とうとう・・・。」
 語尾は囁くように小さくなり、それと共に農夫の顔も曇っていった。

「それじゃあ・・・それじゃあ、こいつは一人ぼっちじゃないか。」
 リューイは柵の天辺(てっぺん)に一度手を付いただけで飛び越え、馬の(かたわ)らに着地した。

「他の馬が気にして近づいても、誰が何をしてやっても、一向に心を開いてくれないんだよ。」

「両親の温もりをずっと肌で感じていたってわけか・・・。見えていなかったとはいえ、おかしいと気付くだろうし、違うと分かるだろう。」

 わけを知ったギルも静かな声でそう言った。そして、その馬の親子の間に悲しい勘違いが起きていたかもしれないと、ふと考えた。父親は、目の見えない我が子が連れて行かれて(ひど)い目に遭わされると思ったかもしれず、そんな時に(なぐさ)め合える愛妻を亡くしたのだとしたら・・・。一方、死んでしまったとも知らず、そばに来てはくれなくなった両親に、子供は見捨てられたと感じたかもしれない。自分ならと考えても、死にたくもなるだろうし、すねたくもなるだろう。人間も動物も同じだな・・・と、ギルはつくづく思い、痛切感にかられた。

 リューイは馬の真横にしゃがみ込んで、下へ向けられている(たてがみ)()でた。
「それですねてるのか? お前。」

 そうされても、馬はぜんまいが切れる間際(まぎわ)の玩具のように、のろのろと動作を止めただけである。

「そうか・・・母さんや父さんの顔知らないのか。」

 やがてもう片手が首筋をなぞったが、馬は何の反応も、微動だにもしなかった。

「俺と一緒だな・・・。」

 この時ギルは、馬の様子に変化が起きたのをやっと見てとった。長らく自分の殻に閉じこもっていたそいつが、かすかに面食らったような反応をしたと思った。

 リューイが、下から馬首を抱くように片手を回して、自分の頬を押しつけたところだった。

 リューイはそのまま動かなかった。風が髪を掻き乱しても、馬がそっと頭をすり寄せるのを感じても、そうして馬首にすがりついたまましばらくが過ぎた。

 ギルには、その孤独の殻に亀裂が生じ、剥がれ落ちてゆくのが分かった。そして何も無かった心中に、何か暖かいもの、彼のものとその馬との何か通じ合う感情が融合して、空虚な心を満たしてゆくのが傍目(はため)にも感じられた。

「リューイ、散策に行かないか?そいつに乗って。」
 それで、ギルがそう提案すると、そばにいた農夫は悲しげに手を振った。
「その馬は走らないよ。」
「走るさ。」
 ギルは力強く言って返すと、リューイを見て手綱を軽く持ち上げてみせた。
「な、行こうぜ。」
 何やら考えていたリューイも、とりあえず本人の意向を聞いてみることに。
「俺と遊びに行くか?」

 すると農夫が驚いたことには、その馬が元気良くさかんに尾を振ったのである。それが精一杯の意思表示なのだろうとリューイは思って嬉しくなり、早速ひょいと(くら)の上に乗り上がった。

「俺、馬には乗ったことねえけど、これ持って行きたい方言えばいいんだろ?」

 ギルが気付いた時には、リューイはもう走りだしながら手綱を握り締めてそう言い、瞬く間に柵の外へと飛び出して、行ってしまった。

 あまりの軽快さに思わず唖然となったギルは、それから(あわ)てた。
「何だと待て、そんなわけあるかっ!」
 ギルは柵の切れ目に馬を向かわせると、急いでその後を追った。
「だいたい馬にはって、ヒョウとかトラならあるっていうんじゃないだろうなっ。」

 二頭の馬は風のように去っていき、あとには農夫が呆気にとられた顔で、ただただ立ち尽くすばかりだ。

「おじさん。」

 農夫は、背後から耳慣れない声で呼びかけられた。振り向くと、そこにいたのは額に赤い布を結び付けている精悍(せいかん)な若者である。
「今突っ走って行ったのは、紫の眼の二枚目と、金髪碧眼(へきがん)の美青年かい。」
「ああ、二人共お前さんのお友達だよ。たいした男たちだ。使い者にならない馬をやすやすと手懐(てなず)けちまった。あの紫の目の兄ちゃんなんて、暴れ馬を見事に乗りこなしてるぜ。」
「あいつ、乗馬の腕もいいのか・・・。」

 レッドはそう呟くと同時に、アルバドルの宰相(さいしょう)が言っていた言葉を思い出した。確か、王子も右に出る者はいないくらいの乗り手だとか・・・。だがそれから、自分の考えに呆れたというように首を振った。

「じゃあさ、黒髪の少年も見なかったかな。探してるんだけど・・・。」
「ああ、もうすっかり評判の坊やだからな。だが、今日は見かけなかったぜ。」
「そうか。あいつらにきこうと思ったんだが。」

 レッドは草原の彼方(かなた)を見ながら、参ったなというように片手で前髪を掻き上げた。その時、額の布に指が引っ掛かって外れた。おまけに突風に吹き飛ばされて、それは農夫の足元に落ちた。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み