18. 呪術による治療
文字数 3,861文字
村の明かりがまだ点々としている頃、レッドとリューイは二人でカイルの部屋の前に来ていた。
「カイル、まだ起きてるか。入るぞ。」
リューイがドア越しにそう声をかけると、カイルの「どうぞ。」という返事がすぐに返ってきた。その声が意外にしっかりしていたので、ほっと笑みを交わし合う。そして、レッドから先に入室した。
中へ入ってみると、カイルの目の前には、色とりどりの小瓶 がズラリと並んでいた。どれも薬草を原料にした薬を入れているものだが、粉末ばかりだ。そして、薬包紙 と小さじを手にしているカイルは、そばにやってきた二人には目をくれず、量りの前に腰を据 えて慎重に薬の調合をしている。声をかけると邪魔しそうだったので、黙ってそばに胡坐 をかいた二人は、しばらくは、ただその様子を眺めていた。
「もうすぐ終わるから、ちょっと待ってて。包帯を替えに来たんだよね。」
「いや、そうなんだけどさ・・・。」と、声をかけてくれたことで、レッドはそう返事をしながら、カイルの目を覗 きこむ。「この傷な・・・あの不思議な力で、治したりはできないのか。」
不思議な力でというのは、呪術による治療のことに違いない。そうと分かって、カイルはすぐに的確な答えを返した。
「創傷 の程度にもよるけど、できないこともないかな。ただ、完治とまでは難しいよ。治る時期を早められるだけ。」
「それなりに使えればいい。やってくれ。」
「いいの?」
「簡単なんだろう?」
カイルは呆 れたというように言葉を失い、さじを置いた。
「簡単なわけないじゃないか。自己再生機能や免疫 細胞なんかの働きを、体に異常を起こさないように促進 させるんだから。」
レッドは、イヴと出会った夜のことを思い出していた。あの日の彼女は、毒に侵された自分に一夜付き添い、特殊な力をもってその毒素を浄化してくれた。※ 彼女の、神から授けられたとも言えるその力にかかれば、どのような病魔もおとなしく身を引いていくように思われた。額 に手を置いてもらうだけだったが、ただそれだけのことで、薄くて硬い寝台は、春の柔らかい陽光が降り注ぐ丘の上の草原になり、突然感じたそよ風の愛撫 には、全身をまさぐられるような快感さえ覚えた。そのあまりの心地良さに、レッドは思わず、手を引っ込めようとした彼女の手首を引き寄せ、もう少しとせがんだほどだった。※
そういうように、彼女がやってみせた時は造作も苦痛もなかったが、カイルが言うのとは原理が全く違うのだろうかと、レッドは思っていくらか不安になった。
レッドの意識が甘い記憶の方へとズレていたその間も、カイルは説明を続けている。
「そこには精霊による神秘の力が働く。奥の奥まで侵入させて、内蔵にまではさすがに手を出せないけどね。それができるのは神精術師の中でも限られているし、それでも下手をすると突然死に至らしめてしまうことがあるから、おじいさんでも滅多にやらないよ。焦 る必要のないものなら、自然に治した方が安全でいいに決まってる。」
「傷を治すぐらいなら、下手をしても死にはしないだろう? いいから、やってくれ。」
カイルは少し顔を引いて、レッドをじっと見つめた。上手くいけばそう時間もかからないし、レッドの忍耐力なら急に動くこともないだろう・・・自分の腕に自信はないけど。
「痛いよ。」と、カイルはレッドに目を据えた。
死ぬほどだろうかと正直恐ろしくもなったが、このあと考えている予定では戦いの予感がするので、念のために準備万端整えておきたかった。それに、何よりもアイアンギルスの名にかけて耐えうる自信がある。
レッドは改めて言った。
「やってくれ。」
ところが、カイルの方は頭を掻きながら、「自信ないんだけどなあ・・・しくじったら、ごめんね。」と、頼りない声。
レッドは、自分の口元が少し引き攣ったのが分かった。
やがて作業を終えると、カイルは立ち上がって一階へ下りて行った。そのあいだにレッドは上着を脱いで待ち、リューイが手を貸して包帯を外してやった。
傷口はまだ痛々しく腫 れたままで、少し出血している。そして、それと一緒になってこびりついている、練り薬の鼻をつく臭いがむっと立ち昇った。それは今朝してもらったものであるから、その時は平気だったのに、今のそれは鼻をつまみたくなるほどで、色素も乾いて不気味に変色している。
やがて、清潔な手拭 い二枚とタオル一枚、それと、ぬるま湯を用意したカイルが戻ってきた。
今朝と同じように、カイルはまた丁寧にレッドの肩を拭いてやった。だが、生地がそろっと触れただけでも、レッドは歯を食いしばらなければならないほど。そしてそれが済むと、カイルは、リューイにレッドの隣にいてやるように指示し、レッドには、リューイの肩に手を回すように ―― 何かしら掴 むことのできるものが必要だった ―― と言った。そのあとで、レッドは手拭いをくわえさせられた。それが何を意味するかは、レッドも察した。相当な激痛を覚悟しなければならない。密林育ちのリューイにも、大怪我 をして、ロブにこういうことをされた経験がある。つまりは手荒な治療を。気の毒そうな目を向けてくるリューイに、レッドは苦笑で応えた。
間もなく、カイルは患部に手のひらをかざした。それから目をつむり、精神を集中させ、深く自身の中に潜 ることができた時、厳 かな声で呪文を唱え始めながら、そろそろと手のひらを下ろしていった。
肩にその手が置かれた時、瞬間辛 い唸 り声を漏らしたが、レッドもあとは静かに目を閉じた。実は患部に触られる少し前から、カイルの温もりではない、何か異様な感触を感じていたレッド。だが今、肩が急速に燃えるような熱さを帯び始めたのである。それは焼け焦 げるような恐怖と痛みを伴 うものにまでなったが、カイルが三言ほど何かを呟くと、速やかに引いていった。おかげで、レッドは絶叫を喉で押し殺して耐えることができた。
ところが、それだけでは終わらず、続けてカイルが指先をいろいろと動かすと、今度は筋肉が実態のない手でいじられて悲鳴を上げ、とうてい耐えきれたものではない強烈な痛みが突き上げた。傷を治す細胞が不自然に活動しているせいなのか、何かに容赦なく傷口をえぐられている・・・! レッドは顔中に脂汗 を滲ませ、リューイがぞっとするほどの呻き声を喉から迸 らせた。
その数十秒後・・・レッドの口からポトリと手拭いが落ちた。
治療は完了した。
カイルがいわゆる手術を始めてからは十分以上経っていたが、レッドがもうこれまでと本気で泣き叫びたくもなった二度目の激痛を感じてからは、実際一分とかかってはいなかった。だが、何もくわえていなかったならば、レッドは、どんな意味不明の悪態やら絶叫を上げていたか知れなかった。これは局所麻酔 くらいしてもいいんじゃないのか・・・? と、レッドは思わず訝 しんだ。
リューイは、痛ましいほど乱れに乱れた息をしているレッドを、心配そうに見つめていた。その首筋やら胸は汗で光り、肩に掛けられている腕の重みは、そっくり自分に預けられている。
「レッド・・・横になるか。」
リューイは驚くほど優しい声をかけた。
レッドは、やっとのことで一つうなずいた。疲労が激しくて何もかもものうかったが、リューイにゆっくりと体を寝かせてもらった時には、「すまない。」と、声に出してきちんと礼を言った。
レッドの手が肩から放れた時、リューイの盛り上がった三角筋には、レッドの手形がくっきりと赤く残っていた。リューイは、汗ばんだレッドの背中から手を放したあと、使われていないタオルを取って、衝動的に顔と体を拭いてやった。
そうしてもらいながら、よほどのこと、一刻を争うほど極限まで命の危機にさらされない限り、こんな治療は二度と頼むまいとレッドは思った。傍 らでつぶさに見ていたリューイも同感していた。
そしてカイルもまた、呪術による治療はもう止めようと、今回のことを肝に銘じていた。なぜなら、実は、途中使役を誤ってしまい、ぎょっとするあまり動揺して、ますます余計なことをしてしまったからだ。つまり、まさにしくじってしまったけれども、言うと大変怒られそうだったので、レッドにはこのまま黙っておくことにした。苦悶 の声に内心ハラハラしながら処置を続けていたことは。最初にちゃんと痛いと知らせて ―― 脅 して ――― いたし。
「どうだ、具合は。」
心配そうにリューイがきいた。
レッドはまだ荒い息をついていたが、リューイを見てニヤリと笑い、機能しなくなっていた左腕を楽に動かしてみせた。カイルの言葉通り完治には至らなかったものの、傷口は見てすぐに分かるほど小さくなり、腫れも、痛みもすっかり引いていた。
「無理してまで早く治す必要があるの?」
「片手が使えれば剣は操れるが、肩にひびくからな。それに、いざという時には両手を使える方がいいだろう。」
怪訝 そうに問うてきたカイルに、レッドはそう答えた。
さすがに、カイルも何かあるなと気付き始める。
「いざという時って・・・どういうこと?」
レッドとリューイは顔を見合った。
「カイル、実は・・・。」
そしてレッドが、今朝、第三農場で見聞した全てを話し始めた。
黙って事情を聞いているカイルの表情が、みるみる深刻なものになっていく。
そうして始終を聞き終えると、カイルは二人に案内してくれるよう頼んだ。
レッドの体力が回復した頃に、三人はそろって立ち上がった。
※ 外伝2『ミナルシア神殿の修道女』
「カイル、まだ起きてるか。入るぞ。」
リューイがドア越しにそう声をかけると、カイルの「どうぞ。」という返事がすぐに返ってきた。その声が意外にしっかりしていたので、ほっと笑みを交わし合う。そして、レッドから先に入室した。
中へ入ってみると、カイルの目の前には、色とりどりの
「もうすぐ終わるから、ちょっと待ってて。包帯を替えに来たんだよね。」
「いや、そうなんだけどさ・・・。」と、声をかけてくれたことで、レッドはそう返事をしながら、カイルの目を
不思議な力でというのは、呪術による治療のことに違いない。そうと分かって、カイルはすぐに的確な答えを返した。
「
「それなりに使えればいい。やってくれ。」
「いいの?」
「簡単なんだろう?」
カイルは
「簡単なわけないじゃないか。自己再生機能や
レッドは、イヴと出会った夜のことを思い出していた。あの日の彼女は、毒に侵された自分に一夜付き添い、特殊な力をもってその毒素を浄化してくれた。※ 彼女の、神から授けられたとも言えるその力にかかれば、どのような病魔もおとなしく身を引いていくように思われた。
そういうように、彼女がやってみせた時は造作も苦痛もなかったが、カイルが言うのとは原理が全く違うのだろうかと、レッドは思っていくらか不安になった。
レッドの意識が甘い記憶の方へとズレていたその間も、カイルは説明を続けている。
「そこには精霊による神秘の力が働く。奥の奥まで侵入させて、内蔵にまではさすがに手を出せないけどね。それができるのは神精術師の中でも限られているし、それでも下手をすると突然死に至らしめてしまうことがあるから、おじいさんでも滅多にやらないよ。
「傷を治すぐらいなら、下手をしても死にはしないだろう? いいから、やってくれ。」
カイルは少し顔を引いて、レッドをじっと見つめた。上手くいけばそう時間もかからないし、レッドの忍耐力なら急に動くこともないだろう・・・自分の腕に自信はないけど。
「痛いよ。」と、カイルはレッドに目を据えた。
死ぬほどだろうかと正直恐ろしくもなったが、このあと考えている予定では戦いの予感がするので、念のために準備万端整えておきたかった。それに、何よりもアイアンギルスの名にかけて耐えうる自信がある。
レッドは改めて言った。
「やってくれ。」
ところが、カイルの方は頭を掻きながら、「自信ないんだけどなあ・・・しくじったら、ごめんね。」と、頼りない声。
レッドは、自分の口元が少し引き攣ったのが分かった。
やがて作業を終えると、カイルは立ち上がって一階へ下りて行った。そのあいだにレッドは上着を脱いで待ち、リューイが手を貸して包帯を外してやった。
傷口はまだ痛々しく
やがて、清潔な
今朝と同じように、カイルはまた丁寧にレッドの肩を拭いてやった。だが、生地がそろっと触れただけでも、レッドは歯を食いしばらなければならないほど。そしてそれが済むと、カイルは、リューイにレッドの隣にいてやるように指示し、レッドには、リューイの肩に手を回すように ―― 何かしら
間もなく、カイルは患部に手のひらをかざした。それから目をつむり、精神を集中させ、深く自身の中に
肩にその手が置かれた時、瞬間
ところが、それだけでは終わらず、続けてカイルが指先をいろいろと動かすと、今度は筋肉が実態のない手でいじられて悲鳴を上げ、とうてい耐えきれたものではない強烈な痛みが突き上げた。傷を治す細胞が不自然に活動しているせいなのか、何かに容赦なく傷口をえぐられている・・・! レッドは顔中に
その数十秒後・・・レッドの口からポトリと手拭いが落ちた。
治療は完了した。
カイルがいわゆる手術を始めてからは十分以上経っていたが、レッドがもうこれまでと本気で泣き叫びたくもなった二度目の激痛を感じてからは、実際一分とかかってはいなかった。だが、何もくわえていなかったならば、レッドは、どんな意味不明の悪態やら絶叫を上げていたか知れなかった。これは局所
リューイは、痛ましいほど乱れに乱れた息をしているレッドを、心配そうに見つめていた。その首筋やら胸は汗で光り、肩に掛けられている腕の重みは、そっくり自分に預けられている。
「レッド・・・横になるか。」
リューイは驚くほど優しい声をかけた。
レッドは、やっとのことで一つうなずいた。疲労が激しくて何もかもものうかったが、リューイにゆっくりと体を寝かせてもらった時には、「すまない。」と、声に出してきちんと礼を言った。
レッドの手が肩から放れた時、リューイの盛り上がった三角筋には、レッドの手形がくっきりと赤く残っていた。リューイは、汗ばんだレッドの背中から手を放したあと、使われていないタオルを取って、衝動的に顔と体を拭いてやった。
そうしてもらいながら、よほどのこと、一刻を争うほど極限まで命の危機にさらされない限り、こんな治療は二度と頼むまいとレッドは思った。
そしてカイルもまた、呪術による治療はもう止めようと、今回のことを肝に銘じていた。なぜなら、実は、途中使役を誤ってしまい、ぎょっとするあまり動揺して、ますます余計なことをしてしまったからだ。つまり、まさにしくじってしまったけれども、言うと大変怒られそうだったので、レッドにはこのまま黙っておくことにした。
「どうだ、具合は。」
心配そうにリューイがきいた。
レッドはまだ荒い息をついていたが、リューイを見てニヤリと笑い、機能しなくなっていた左腕を楽に動かしてみせた。カイルの言葉通り完治には至らなかったものの、傷口は見てすぐに分かるほど小さくなり、腫れも、痛みもすっかり引いていた。
「無理してまで早く治す必要があるの?」
「片手が使えれば剣は操れるが、肩にひびくからな。それに、いざという時には両手を使える方がいいだろう。」
さすがに、カイルも何かあるなと気付き始める。
「いざという時って・・・どういうこと?」
レッドとリューイは顔を見合った。
「カイル、実は・・・。」
そしてレッドが、今朝、第三農場で見聞した全てを話し始めた。
黙って事情を聞いているカイルの表情が、みるみる深刻なものになっていく。
そうして始終を聞き終えると、カイルは二人に案内してくれるよう頼んだ。
レッドの体力が回復した頃に、三人はそろって立ち上がった。
※ 外伝2『ミナルシア神殿の修道女』