4. 疑念1 ― エミリオの素性
文字数 2,856文字
農夫は腰を曲げてそれを拾ってやり、顔を上げた。そして見た。その若者のちょうど眉間 の上に刺青 ―― 鮮明で確かに鳥の形をしていた ―― があるのを。農夫は目を丸くした。
それが分かったが、レッドは手を伸ばして布を受け取り、「ああ、どうも。」と礼を言いうと、素早く額に結び直した。
だが農夫は、その刺青についてよく知っているわけではなかった。しかし、ある理由から気にはなった・・・が、こだわらずに、なだらかな丘の上を目で示してみせながら言った。
「あそこに、びっくりするくらい綺麗な兄ちゃんなら座ってるぜ。ずっといたようだから、きいてみるといい。」
レッドはひと言礼を言って柵から離れ、風をきって坂を上がっていった。
すぐに農夫も背を向けたが、ふと肩越しに振り返った。かつて、額に鷲 の刺青をした男が、この村を訪れた時のことを思い出したのである。嵐の夜だった。一晩の宿を求めてきたその彼は、長身で逞 しく、腰に剣を二本帯びていた。その名は、テリー・レイ・アークウェットといった。
急ぎ足で丘の上を目指していたレッドは、ふと中腹辺りで立ち止まった。そして、せっかく結び直したばかりの布を、額から外した。先輩の形見であるそれを、レッドはしばらくじっと見つめる。そのあと、また額にではなく、ベルトに結びつけてから歩きだした。
次第に、エミリオ一人ではないことが分かった。まだ幼い少年少女たちが、草の上で気持ちよさそうに寝転がっている姿が見えたからだ。ミーアもまた、特等席ですやすやと眠っている。
エミリオは、向かってくるレッドに気付いて微笑した。
「子守唄でも歌ってやったのか。」
レッドはエミリオの手元にある楽器に気付いていたが、声をかけ始めにそう言った。
エミリオは、相変わらずの穏やかな顔でミーアの寝顔を見下ろし、それから、周りにいる子供たちにも目を向けた。
「ちょうど昼寝の頃だったのだろう。示し合わせたようにこの通りだ。」
レッドは、その優しい眼差しに思わず見惚 れてから、同じように子供たちを眺めた。自然と目元が緩んでしまう。お子様らしいふっくらした頬 と、ぽかんと開けた口元。その安心しきった寝顔には、何とも言えない愛らしさと同時に平和を感じる。
「勇ましい名誉の象徴だな。」
不意にエミリオが言った。
レッドは、そこでこの額の紋章に注目されていることに気付いた。
「ああ、ここに来てまでそう神経質になることはないと思って。それにいつも隠してたんじゃあ、ここだけ肌の色が違っちまうからな。この機会に陽にさらそうと。」
レッドはそう答えて、首をのけ反らせた。
「形見だから、肌身離さず持っておかないと落ち着かないけどな。」
そのレッドは、いつもは二本帯びている剣を、ここでは一本しか備えていなかった。この明らかに平和な土地で物騒 なものを見せつけるようにするのは気が引けたからだが、戦士たる者、剣が手元から無くなるというのもまた落ち着かないので、一本だけにしたのだ。それに、その剣もまた形見であるから。
「形見・・・。」と、エミリオは小声で呟いた。
それがレッドには聞こえた。
「テリーっていうんだ。それしか知らない。俺に剣術を仕込んでくれた人だ。彼はアイアスで、それで勧められて俺もアイアスになった。だから、彼は俺の師であり、先輩であり、そして・・・恩人だ。」
これ以上はもしきかれても話したくはないレッドだったが、ここまでなら案外に淡々と語ることができた。
一方、形見や恩人という言葉は、エミリオにとっても辛い響きだった。自身にもまたそういうものがあり、人がいた。そこで目を伏せたエミリオは、少し首を捻 って、木の幹に立て掛けてある自分の大剣を見た。
「その紫の宝石は、はは・・・の形見なんだ。」
言葉を詰まらせてそう答えた美貌 の男を、レッドはじっと見つめた。この機会に多くのことを追求したい気持ちになった。このエミリオと、もう一人ギルについては、知りたいこと、確かめたいことがたくさんある。その容姿には惑わされるし、この二人はどこか謎めいていて、どうもとんでもない秘密ごとがありそうな臭いがするからだ。それがどうしても、馬鹿なとは思いながらも、最も気になることに結びついてしまう。なぜなら、その馬鹿げた推測と奇妙にも一致 する点 ―― それらは決して容易 いことでも、ありふれたことでもないのに ―― が多く、その疑念は、彼らと親しくなればなるほど薄れてゆくものの、彼らを知れば知るほど裏づけられてゆくのである。
レッドは、どう話を運ぶかを考えた。
「優しい人なんだろうな・・・あ、いや、エミリオが穏 やか過ぎるから。」
そう言われて、エミリオは微笑を返した。
「母は私を連れて、病人や老人の家をよく訪れていた。全ての人にとても優しい母だった。」
やはり考えすぎか。皇后や皇太子がそんなことするわけないもんな・・・。
「その剣・・・。」
「え・・・。」
「ちょっと見せてもらってもいいかな。」
「ああ。」
眠っているミーアを抱いているため、エミリオはなるべく姿勢を崩さないよう自分の剣に手を伸ばし、レッドに渡した。
エミリオとギルのものは、典型的な両手剣である大剣よりも小振りに作られていて、鋭さもある特注品。レッドは鞘 から少し引き抜いて、その刃の質と輝き、それに、ささやかながら精緻 な装飾にため息を漏らした。さらには、完璧に手入れがされてあるとはいえ、かなり使い込んでいることも分かった。
「やっぱり素晴らしいな。前に森で助けてもらった時に、少し見てから気になってたんだ。ギルの剣も見事だったが、同等の価値がある。いつから戦い方を?」
「十一の歳からだ。」
「こんなこと言うのもなんだけど・・・あんまり似合わないっていうか・・・その、戦いって、人殺しだから。」
「私は、剣術には全く興味を示さない読書好きの子供だった。」
「だろうな。そんな感じだからさ。けど、その強さは嫌々 習って身につくものじゃない。」
「教えてくれた人が、それは熱心に手厳 しく指導してくれてね。その期待に応えようと必死でついていった。そのおかげかな。」
手厳しく指導か・・・皇子に対して? やっぱり・・・二人がそうだなんてこと、あるわけないか・・・。
だが・・・普通なら、彼らだって、英雄と呼ばれるほど強くなれるわけがない。あの二人の皇子は、普通の皇族とは違う生き方をしてきたのだとしたら・・・あり得ないこともないんじゃないか。
無反応のまま知らずと難しい顔になるレッドを、エミリオも分かって見つめていた。
「どうかしたかい。」
「ああ、いや・・・何でも。」と、レッドは我に返った。「ところで、カイルを知らないか。」
「そういえば、森へ薬草を取りに行くなどと言っていたが・・・患者かい?」
「ああ、子供とじいさんが来てるんだ。」
「そうか、困ったな。早く戻ってくれればいいが。」
二人は南の森の方へ一緒に目を向けたが、はっきり聞こえた寝言につられて視線を落とした。エミリオの膝で眠っている少女の顔に。
それが分かったが、レッドは手を伸ばして布を受け取り、「ああ、どうも。」と礼を言いうと、素早く額に結び直した。
だが農夫は、その刺青についてよく知っているわけではなかった。しかし、ある理由から気にはなった・・・が、こだわらずに、なだらかな丘の上を目で示してみせながら言った。
「あそこに、びっくりするくらい綺麗な兄ちゃんなら座ってるぜ。ずっといたようだから、きいてみるといい。」
レッドはひと言礼を言って柵から離れ、風をきって坂を上がっていった。
すぐに農夫も背を向けたが、ふと肩越しに振り返った。かつて、額に
急ぎ足で丘の上を目指していたレッドは、ふと中腹辺りで立ち止まった。そして、せっかく結び直したばかりの布を、額から外した。先輩の形見であるそれを、レッドはしばらくじっと見つめる。そのあと、また額にではなく、ベルトに結びつけてから歩きだした。
次第に、エミリオ一人ではないことが分かった。まだ幼い少年少女たちが、草の上で気持ちよさそうに寝転がっている姿が見えたからだ。ミーアもまた、特等席ですやすやと眠っている。
エミリオは、向かってくるレッドに気付いて微笑した。
「子守唄でも歌ってやったのか。」
レッドはエミリオの手元にある楽器に気付いていたが、声をかけ始めにそう言った。
エミリオは、相変わらずの穏やかな顔でミーアの寝顔を見下ろし、それから、周りにいる子供たちにも目を向けた。
「ちょうど昼寝の頃だったのだろう。示し合わせたようにこの通りだ。」
レッドは、その優しい眼差しに思わず
「勇ましい名誉の象徴だな。」
不意にエミリオが言った。
レッドは、そこでこの額の紋章に注目されていることに気付いた。
「ああ、ここに来てまでそう神経質になることはないと思って。それにいつも隠してたんじゃあ、ここだけ肌の色が違っちまうからな。この機会に陽にさらそうと。」
レッドはそう答えて、首をのけ反らせた。
「形見だから、肌身離さず持っておかないと落ち着かないけどな。」
そのレッドは、いつもは二本帯びている剣を、ここでは一本しか備えていなかった。この明らかに平和な土地で
「形見・・・。」と、エミリオは小声で呟いた。
それがレッドには聞こえた。
「テリーっていうんだ。それしか知らない。俺に剣術を仕込んでくれた人だ。彼はアイアスで、それで勧められて俺もアイアスになった。だから、彼は俺の師であり、先輩であり、そして・・・恩人だ。」
これ以上はもしきかれても話したくはないレッドだったが、ここまでなら案外に淡々と語ることができた。
一方、形見や恩人という言葉は、エミリオにとっても辛い響きだった。自身にもまたそういうものがあり、人がいた。そこで目を伏せたエミリオは、少し首を
「その紫の宝石は、はは・・・の形見なんだ。」
言葉を詰まらせてそう答えた
レッドは、どう話を運ぶかを考えた。
「優しい人なんだろうな・・・あ、いや、エミリオが
そう言われて、エミリオは微笑を返した。
「母は私を連れて、病人や老人の家をよく訪れていた。全ての人にとても優しい母だった。」
やはり考えすぎか。皇后や皇太子がそんなことするわけないもんな・・・。
「その剣・・・。」
「え・・・。」
「ちょっと見せてもらってもいいかな。」
「ああ。」
眠っているミーアを抱いているため、エミリオはなるべく姿勢を崩さないよう自分の剣に手を伸ばし、レッドに渡した。
エミリオとギルのものは、典型的な両手剣である大剣よりも小振りに作られていて、鋭さもある特注品。レッドは
「やっぱり素晴らしいな。前に森で助けてもらった時に、少し見てから気になってたんだ。ギルの剣も見事だったが、同等の価値がある。いつから戦い方を?」
「十一の歳からだ。」
「こんなこと言うのもなんだけど・・・あんまり似合わないっていうか・・・その、戦いって、人殺しだから。」
「私は、剣術には全く興味を示さない読書好きの子供だった。」
「だろうな。そんな感じだからさ。けど、その強さは
「教えてくれた人が、それは熱心に
手厳しく指導か・・・皇子に対して? やっぱり・・・二人がそうだなんてこと、あるわけないか・・・。
だが・・・普通なら、彼らだって、英雄と呼ばれるほど強くなれるわけがない。あの二人の皇子は、普通の皇族とは違う生き方をしてきたのだとしたら・・・あり得ないこともないんじゃないか。
無反応のまま知らずと難しい顔になるレッドを、エミリオも分かって見つめていた。
「どうかしたかい。」
「ああ、いや・・・何でも。」と、レッドは我に返った。「ところで、カイルを知らないか。」
「そういえば、森へ薬草を取りに行くなどと言っていたが・・・患者かい?」
「ああ、子供とじいさんが来てるんだ。」
「そうか、困ったな。早く戻ってくれればいいが。」
二人は南の森の方へ一緒に目を向けたが、はっきり聞こえた寝言につられて視線を落とした。エミリオの膝で眠っている少女の顔に。