1. 草原の村 ― リサ

文字数 2,196文字


 視界の限り鮮やかな青空が広がり、みずみずしい緑の絨毯(じゅうたん)が敷き詰められている。だが、西に見える地平線の向こうで、それは生々(なまなま)しい戦乱の爪跡(つめあと)、あるいは待ち伏せ襲撃の行われた(あと)に冒涜されている。西の彼方では、大陸の東がずいぶんと落ち着いてきた今でもなお、領土や資源を奪い合う激戦が繰り広げられているという。

 そして南には、すぐそこに大きな沼を持つシオンという森が(たたず)んでいる。森は隣村のカルノまで続いていて、そのさらに先には、東へ向かって連なるバファル山脈がある。ここから見渡せるのは、草原と森と尾根の高い山、そして大空。

 イオの村を出発して旅を続けている一行は、そんな自然に囲まれている土地に来ていた。ここは、リサという村だ。

 リサの村では、二日後に迫った祭りに備えて、着々とその準備が進められていた。祭りといってもイオの村のような大規模なものではなく、本来は村の人々だけで祝うつつましやかなものである。

 この土地は、かつては不毛の低湿地帯に過ぎなかったが、彼らの先祖は長期間の土地改良を行い、新しい土地に育てるうちに様々な作物を生き残れるようにした。祭りは村の誕生とその農業の成功を祝い、平和の永続を願って催される。

 なだらかな草原の丘の上に佇む大木の下で、目に少年のような(きらめ)きをたたえて馬の群れを眺めていたギルは、不意に立ち上がった。そして、青臭い風を胸一杯に吸い込むと、隣にエミリオが座っていたが、何も言わずに大股で歩きだした。

 ある一頭の馬に魅了されたのである。

 エミリオは横笛を吹きながらギルの背中を見ると、目だけで微笑して、そのまま演奏を続けた。すぐ周りで夢うつつの可愛い聴衆たちが、今にも閉じてしまいそうな(まぶた)を無理に浮かせて、この笛の音に聴きいってくれているからだ。

 だがそのうち、一人が少しずつ、体を草の布団に押し付け始めた。連鎖反応で、ほかの子供たちも次々と寝そべりだす。
 エミリオが笛を吹き止めた時には、楽の音に代わって小さな寝息が流れていた。
 目を細くしたエミリオは、視線をゆっくりと西の彼方(かなた)に移した。

 その瞳が、次第に悲しい(かげ)りを()び始める・・・。

 かの土地には深く死が染み込んでいる。大地が、猛々(たけだけ)しい(とき)の声や剣戟(けんげき)の音に震えている。西の空の下で親を殺され、あるいは生き別れて孤児となった子供たちが、空腹と寂しさに震え、道端(みちばた)にうずくまって、泣きわめきながら親をしきりに呼びたてている。
 西方から吹きつけてくるそよ風はどこか冷たく、肌に触れられると切なさで胸が苦しくなった・・・。

 隣で眠りに落ちたミーアが、腕にもたれかかってきたかと思うと、寝返りをうってずり落ちた。片腕でそっと受け止めたエミリオは、そのまま赤ん坊を抱くように自分の膝に座らせた。

「よくおやすみ。」

 エミリオはそっと囁いて、ミーアの(ひたい)にキスをした。

 ギルを惹きつけたのは、黒光りする(たくま)しい牡馬(おうま)だった。気性の激しいその馬は、乱暴に首を振りたてたり、高々と前脚を上げたりして、手綱(たづな)を必死でつかむ農夫を(もてあそ)んでいる。そしてついには、顔を背けたかと思うと派手に振り戻して、農夫の顔面に荒々しい鼻息を浴びせかけた。ギルは心の中で大笑いした。

「こんにちは。」
 ギルは満面の笑みで、飛びつくように(さく)に腕をかけた。

「旅のお人か、こんにちは。」

 農夫もつられて笑顔を浮かべた。日焼けした彫りの深い顔に、笑うと寄る(しわ)が親しみを感じさせる。

「聞いたよ。村長の病気を治してくれたんだって?」

「連れがな。おかげで、立派な空き屋を提供してもらえたんだが・・・。」
 柵にかけていた腕を腰に当てて、ギルはため息をついた。

 一晩の宿を借りるつもりが、もう三日もこの村に滞在しているのである。

「引き止められたんだろう。無理もない。この村には医者がいないからな。おっと・・・。」

 馬がまた乱暴に首をふりたてた。
 ギルは、そいつに触れたくてうずうずしていた。

「そっちへ行ってもいいかな。」
「ああ。それじゃあ、よければ手伝ってくれないか。」

 ギルは喜んでうなずき、切れ目が見つかるまで柵に沿って早足(はやあし)で歩いた。そして牧場に踏み入るや足を(はず)ませ、「ずいぶんと威勢がいいな。こいつの務めは何だい?」と、その馬の脇腹に触れた。

 馬は嫌悪感を剥き出しにして、うっとおしそうに(ひづめ)を踏み鳴らす。

「それがこのとおりの暴れ馬で、畑仕事もしなけりゃあ馬車にもならねえ。そこで業者へ売りに行こうかと思うんだが。」

「なるほど。この馬なら立派な軍馬になりそうだ。」

 ギルの頭には、真っ先に、(よろい)をまとった勇ましいその姿が浮かび上がった。この馬のほかの身のふり方など考えられない。

「これから?」
「いや、売りに行くのは三日後だ。祭りの日はここにいないといけないからな。」
「ああそうか。じゃあ、何をすれば・・・。」
「気分転換に、こいつの居場所をそろそろ変えてやろうと思ってな。向こうまで連れていくのに手を貸してもらいたいんだが。」
「それはどういうことだい。まさか、この馬はこの牧場から出たことがないとでも。いや、それにしては見事な体格をしている。どう見ても、運動不足の体ではないな。」
「こいつは、最近この村に来たんだよ。騎手が亡くなってな。それを知ってか知らずか、もらわれてきた時は、おとなしそうにしていたんだがな。」

 これを聞くとギルは(あご)に手をあてがい、青鹿毛(あおかげ)のその馬と面と向かい合った。



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