19. 神の警告 ― ヘルクトロイで聞いた声
文字数 2,374文字
丘の上の大木の下に、類 い稀 なる美貌の男が、静かに腰を下ろしている。今は冷たい夜風に吹きさらされている彼は、かつては華々 しい世界に生き、その中でひときわ輝いていた男だった。その名はエミリオ。エルファラム帝国の第一皇子。本来、四つの名を持つ彼も、今はこの四文字しか語らずにいる。
エミリオは、背後の暗がりから近づいてくる気配に気づいて、おもむろに振り向いた。すると、星と月明かりに照らされた、少年のように無邪気な笑顔がやってきた。
「ここだろうと思った。」
ギルは、持ち出してきたランタンを点けながらそう言い、エミリオのそばまで来ると、それを足元に置いた。この丘の麓 までは村人の家が並んでいるし、ひと晩中点けられている、街灯のようなものも少し設置されてあるので、灯り無しでもやってくることはできた。
「胸騒ぎがおさまらなくて・・・起こしてすまなかった。」
起こされたわけではないギルは、エミリオのすぐ横に来て、太い大木の幹 に背中をもたせ掛けた。
「胸騒ぎって、あの畑の様子が気になるのか?」
エミリオはうなずいた。
実際には、それとは別の、毎晩のように思い悩んでいることでも眠れずにいたのだが、ギルもあえて口にはしなかった。
「あの場所に立った時、ただ気分が悪くなったわけでは無かったから。何か異様な・・・ぞっとするような・・・気配・・・・。そんな感じがした。」
「そうか。今はどうだ。」
「今は何ともない。というより、戻ってくると急に楽にはなったんだが、なぜかここが、一番気分がいい気がするんだ。」
「ふ・・失礼なヤツだな。」
ギルはわざと肩を落としてみせる。
「ああ、そうか。すまない、そういう意味ではないんだ。」
エミリオも申し訳なさそうな笑みを向け、それから眉をひそめて話を続けた。
「だが今日の事件、何度もあると言っていた。このままでいいはずは無い。」
「そうだな。恐らく、とんでもない誤解もしているようだしな。第三農場が壊滅 状態となれば、今度こそ別の農場も襲われるかもしれないし・・・明日調べてみるか? どうにかしてやれる自信は無いが。」
エミリオはうなずいた。
ギルもうなずき返して話にきりがつくと、二人は夜の風景に目を向けた。
ギルは今日一日、度々その面上に、何か不穏 なものを閃 かせるそんな相棒に、一杯どうだと酒でも勧めたい気分だったが、今朝、気分が優れないと言っていたのを聞いていたので思いとどまり、一度はすぐに寝床 に落ち着いたのだった。これといって特にすることもないため、シャナイアもさっさと一階の明かりを全て消してしまったし。それで否応なく、早くに寝かしつけられてしまったのである。
だが、背中を向けているエミリオの意識が、今夜もずっと途絶えずにいたことは知っていた。
「エミリオ・・・前に俺のことを、あの日とはまるで別人のようだって、言ったことがあっただろ。」 ※1
エミリオが何を言い出すのかと黙っていると、ギルは微笑してこう言った。
「お前もだぞ。」
エミリオが今度は理解しかねるといった顔でいると、ギルは言葉を続けた。
「ヘルクトロイの戦いで、どこまでも冷徹 に見えた敵の皇子が、実はこんな穏やかな優しい男だったとはな。」
仲間たちに目を向ける時、いつも穏やかにほほ笑むエミリオのことを、ギルは言った。そしてこの時もまた、エミリオは穏やかにほほ笑んで返した。
二人が初めて出会ったのは、ヘルクトロイの荒野で起こした、戦争の真っ只中 。対戦国の皇子、あるいは強敵として、そこで剣を交えた仲だ・・・が、今こうして共に生きていられるのは、ある突発的な天災地変により、結果的に、休戦という形で戦いが中断されたため。前代未聞の出来事だった。めまぐるしい剣の応酬 で、二人が激しく馬上で渡り合っているまさにその時、それは起こったのである。 ※2
「俺はあの戦 のあと、ずっとお前にききたいと思っていたことがある。まさか、こんなふうにお前と話ができる機会を得られるとは、あの頃は夢にも思わなかった。」
ギルはエミリオを見下ろした。その声も表情も真剣なものに変わっていた。
「お前はあの時、地震で俺との間の地面が裂ける間際 、いや、それより数秒前に、お前は〝下がられよ!〟と怒鳴った。俺には、あたかも神の警告のように聞こえた。あの場所に地割れが起こることを、知っていたかのようだったからだ。なぜ分かった? なぜ、俺に下がれと言ったんだ。」 ※2
それに答えようとするエミリオの表情は、困惑していた。
「突然・・・声がしたんだ。」と、やがてエミリオは、言葉を詰まらせながら答えた。※2
「声? 俺は何も言わなかったぞ。お前の剣を受け返すだけで精一杯で、それどころではなかった。」
「いや、そうではない。どこからともなく・・・だがすぐ近くからだ。君との距離よりももっと近くから・・・声がして、〝戦ってはならぬ。〟と。君と戦うな、と、そう言われたんだ。その直後に地震が起こった。だが、あの声・・・いやにはっきりとしていた。」 ※2
「何だと。本気で言っているのか。」
ギルは呆気 に取られた顔をしている。
「私は嘘も冗談も苦手だ。」
エミリオは本気できり返した。
二人はしばらく見つめ合ったまま、黙っていた。
「なるほど。」と、ギルは呟いた。「敵を助けるなんて、バカだな。」
「君こそ、私に隙 が生じた時、地震が起こるまでに殺せたはず。なぜ躊躇 した。」
ギルは、すぐには何も言わなかったが、「お前に落ち度はなかった・・・。」と、少ししてから答え、小声で続けた。「なのに、お前は剣を止めた。」
この返事を聞いたエミリオは、つい苦笑をお返ししていた。
「つまり・・・君も、敵を生かした。」
※1 『アルタクティス1 邂逅編』― 「第1章 失踪」
※2 外伝『アルタクティス zero』 ―「運命のヘルクトロイ」
エミリオは、背後の暗がりから近づいてくる気配に気づいて、おもむろに振り向いた。すると、星と月明かりに照らされた、少年のように無邪気な笑顔がやってきた。
「ここだろうと思った。」
ギルは、持ち出してきたランタンを点けながらそう言い、エミリオのそばまで来ると、それを足元に置いた。この丘の
「胸騒ぎがおさまらなくて・・・起こしてすまなかった。」
起こされたわけではないギルは、エミリオのすぐ横に来て、太い大木の
「胸騒ぎって、あの畑の様子が気になるのか?」
エミリオはうなずいた。
実際には、それとは別の、毎晩のように思い悩んでいることでも眠れずにいたのだが、ギルもあえて口にはしなかった。
「あの場所に立った時、ただ気分が悪くなったわけでは無かったから。何か異様な・・・ぞっとするような・・・気配・・・・。そんな感じがした。」
「そうか。今はどうだ。」
「今は何ともない。というより、戻ってくると急に楽にはなったんだが、なぜかここが、一番気分がいい気がするんだ。」
「ふ・・失礼なヤツだな。」
ギルはわざと肩を落としてみせる。
「ああ、そうか。すまない、そういう意味ではないんだ。」
エミリオも申し訳なさそうな笑みを向け、それから眉をひそめて話を続けた。
「だが今日の事件、何度もあると言っていた。このままでいいはずは無い。」
「そうだな。恐らく、とんでもない誤解もしているようだしな。第三農場が
エミリオはうなずいた。
ギルもうなずき返して話にきりがつくと、二人は夜の風景に目を向けた。
ギルは今日一日、度々その面上に、何か
だが、背中を向けているエミリオの意識が、今夜もずっと途絶えずにいたことは知っていた。
「エミリオ・・・前に俺のことを、あの日とはまるで別人のようだって、言ったことがあっただろ。」 ※1
エミリオが何を言い出すのかと黙っていると、ギルは微笑してこう言った。
「お前もだぞ。」
エミリオが今度は理解しかねるといった顔でいると、ギルは言葉を続けた。
「ヘルクトロイの戦いで、どこまでも
仲間たちに目を向ける時、いつも穏やかにほほ笑むエミリオのことを、ギルは言った。そしてこの時もまた、エミリオは穏やかにほほ笑んで返した。
二人が初めて出会ったのは、ヘルクトロイの荒野で起こした、戦争の真っ
「俺はあの
ギルはエミリオを見下ろした。その声も表情も真剣なものに変わっていた。
「お前はあの時、地震で俺との間の地面が裂ける
それに答えようとするエミリオの表情は、困惑していた。
「突然・・・声がしたんだ。」と、やがてエミリオは、言葉を詰まらせながら答えた。※2
「声? 俺は何も言わなかったぞ。お前の剣を受け返すだけで精一杯で、それどころではなかった。」
「いや、そうではない。どこからともなく・・・だがすぐ近くからだ。君との距離よりももっと近くから・・・声がして、〝戦ってはならぬ。〟と。君と戦うな、と、そう言われたんだ。その直後に地震が起こった。だが、あの声・・・いやにはっきりとしていた。」 ※2
「何だと。本気で言っているのか。」
ギルは
「私は嘘も冗談も苦手だ。」
エミリオは本気できり返した。
二人はしばらく見つめ合ったまま、黙っていた。
「なるほど。」と、ギルは呟いた。「敵を助けるなんて、バカだな。」
「君こそ、私に
ギルは、すぐには何も言わなかったが、「お前に落ち度はなかった・・・。」と、少ししてから答え、小声で続けた。「なのに、お前は剣を止めた。」
この返事を聞いたエミリオは、つい苦笑をお返ししていた。
「つまり・・・君も、敵を生かした。」
※1 『アルタクティス1 邂逅編』― 「第1章 失踪」
※2 外伝『アルタクティス zero』 ―「運命のヘルクトロイ」