31. 葬られた呪術 ―― 妖術
文字数 2,750文字
カイルの必死の警告は、レッドには届かなかった。どのみち、聞こえようが聞こえまいが、関係のないことだった。すでに手遅れであるのは分かっていたし、だからといって止まることなどできないのも分かっていたからだ。
リューイの目の先にいきなりレッドが飛び込んできて、子供を抱えた。少年がその術空間に踏み込んだのと、レッドがそこへ突進したのとはほぼ同時だったが、闇の中でもリューイにはその姿がすぐに分かった。それでリューイは、今まで持ち上げているのも困難だった剣を、なんと赤い二つの点の間をめがけ、とっさに投げつけていたのである。それがレッドの背中の上に下りてくる間際 のことだった。
呪われた石碑から生まれた化け物は、すんでのところで、うねりながら大きく仰 け反った。
レッドはそれに救われたが、これでカイルの力の支配は完全に断 ち切られた。もはやどうにもできなくなった。命令が途絶 えたせいで錯乱した精霊たちが飛び出し・・・闇があふれてしまったのだ。
だが真っ暗闇というわけではない。星は完全に隠されてしまったものの、月は霞 んで見え、目が慣れてくれば影の大きさや動きが、周囲の様子なら分かる程度の暗闇である。
カイルは思わぬことに仰天 して、一瞬頭が真っ白になった。
思わぬこと・・・それは、この予想外の事態とそして、それ以上に魔物が剣にかかったこと。本来、精霊で形成されるそれらは、同じ次元に立つ神秘の力をもってしなければ、対抗できないもののはず。それなのに、武器に倒れた。それらの剣には精霊文字を書き付けてはいたが、そのおかげだとも思えなかった。
しかし、何はともあれ幸いだった。
ただこの瞬間、カイルは不意に恐ろしい可能性に気付いた。
それは幼い頃に聞いた話・・・。葬 られた呪術・・・妖術によるもの。ほかの呪術との最大の違いは、霊能力を持たない者でも誰でも、その気になれば魔物を生み出せること。生き物を妖怪に変えてしまうという説まである。が、なにしろ撲滅 が図 られた邪術ゆえ、謎が多い。いずれにしろ、ほかの呪術で形成される魔物とは全く異なり、妖術で生み出されるそれには体があって、そのせいか明確な意思をも持つという。常に忠実 で従順であるとは言えない、飽 きることなく血を欲する凶暴な化け物 ―― 妖魔だと。
だがこの非常時に、そんなことをじっくりと思い出して、動揺している場合ではない。こうなった以上、とにかく魔物を片付けなければ。犠牲者がでないうちに、早く。
辺りが更に暗くなると同時に、たちまち腕が軽くなった。長い苦痛のあとではまだ満足に動かせる状態ではなかったが、エミリオは目の前に迫って来た黒い物体を辛うじて斬り伏せ、続けざまに二体を真っ二つにした。
そして、慌 てて声を張り上げた。
「ギル!」
「エミリオ!」
二人は、同時に互いの名を呼び合った。ギルも同様、化け物にぎりぎりの斬撃 を見舞ったあとのことである。やや離れた場所にいて、何が起こったのか分からないままの二人は、それから声をそろえて叫んだ。
「リューイ!」
返事が無い。
「リューイ!」
焦 った二人はもう一度呼んだ。
すると間もなく、「今、忙しいんだ!」という怒鳴り声が返ってきた。
エミリオとギルはよしと頷き、それぞれの無事を確認し合うと、もうあとの言葉は必要なかった。二人は素早く身を翻して、一斉に村人たちを襲いに向かった化け物を、手当たり次第に殺しながら走った。ここは殺戮 の場と化してしまう。
エミリオもギルも、相手がこれまでとは全く違う異質の生物、人外であることを自身が気にせず、体が戸惑うことも、怯 むこともなかったことに感謝した。それを持続させるためには、決して意識してはならない。
魔物どもは今や自由の身となった。生きた血の臭いに気も狂わんばかりだ。呪いは復讐であることも多い。呪術によってそれらを解決してきたカイルでさえ、その相手の死をもって血であがなわれ、鎮 められるのが相当と考えてしまう怨念 もある。
何か得体の知れない黒い影が、わっと押し寄せてきた。辺りはたちまち騒然 とし、方向がよく分からない暗がりの中、村人たちはパニックを起こして逃げ惑う。
悲鳴が上がった。
「くそっ。」と舌打ちして、すぐさまそこへ駆けつけたギルは、脳天から魔物を叩き割った。
「焚き火へ!」と叫んでいるエミリオの声がした。
ギルも気づいて目を向けてみれば、いちばん大きく組まれた焚き火には、まだ火が残っている。
早くこちらの守備が行き届く避難場所を作らなければ、そのうち誰かが殺られる。すぐに理解して、ギルも声を張り上げた。
「焚き火を燃やせ!」
それができるような精神状態ではなかった人々も、何度も必死で命令する彼らの声に、次第に応え始めた。
襲われた青年は肩を押さえて苦しそうに呻 いていたが、声をかければ応えられることから、ギルは彼を励まして明るい方へ誘導した。
クレイグもまた、先ほどから懸命に叫び続けていた。恐怖にかられて逃げ惑い、散り散りになり始めていた村人たちを、彼は懸命に呼び戻そうとしていた。
「無闇 に逃げるな! 焚き火の場所へ集まれ!」
近くにいた者や戻ってきた者たちも、声を合わせて叫んだ。
「ここだ! こっちへ来い!」
そばにいた少年の手を引いて、その声と灯りを目指していたレイラは、凍りついたように立ち竦 んだ。身の毛もよだつ羽音が聞こえたかと思うと、突然、大きな黒い影に行く手を阻 まれたからだ。レイラは悲鳴を上げながら、ただ夢中で少年を抱き寄せた。
すると、目の前で不意に化け物の腰がずれ、上半身が滑り落ちて地面に転がった。その後ろには、刃広の剣を持つ長身の人影 ・・・ だが、顔はよく見えなかった。剣は黒く濡れていた。
「無事か。」と、その人は声をかけてきた。
それで、レイラには瞬時に分かった。誰であるかが。思わず聞き惚れてしまう落ち着いた声と、その人のことを、何度もつい思い出してしまうからだ。
「ええ。」
レイラは恐怖が冷めやらずに、ぎこちなく返事をした。
「すぐそこだ、援護するから行け。」
レイラは言われるままに、また走りだした。後ろから付いて来てくれるその人を振り返る余裕はなかった。そして、ランタンを持つ者に迎えられて振り向いてみると、もうそこに、その人の姿はなかった。
リューイの目の先にいきなりレッドが飛び込んできて、子供を抱えた。少年がその術空間に踏み込んだのと、レッドがそこへ突進したのとはほぼ同時だったが、闇の中でもリューイにはその姿がすぐに分かった。それでリューイは、今まで持ち上げているのも困難だった剣を、なんと赤い二つの点の間をめがけ、とっさに投げつけていたのである。それがレッドの背中の上に下りてくる
呪われた石碑から生まれた化け物は、すんでのところで、うねりながら大きく
レッドはそれに救われたが、これでカイルの力の支配は完全に
だが真っ暗闇というわけではない。星は完全に隠されてしまったものの、月は
カイルは思わぬことに
思わぬこと・・・それは、この予想外の事態とそして、それ以上に魔物が剣にかかったこと。本来、精霊で形成されるそれらは、同じ次元に立つ神秘の力をもってしなければ、対抗できないもののはず。それなのに、武器に倒れた。それらの剣には精霊文字を書き付けてはいたが、そのおかげだとも思えなかった。
しかし、何はともあれ幸いだった。
ただこの瞬間、カイルは不意に恐ろしい可能性に気付いた。
それは幼い頃に聞いた話・・・。
だがこの非常時に、そんなことをじっくりと思い出して、動揺している場合ではない。こうなった以上、とにかく魔物を片付けなければ。犠牲者がでないうちに、早く。
辺りが更に暗くなると同時に、たちまち腕が軽くなった。長い苦痛のあとではまだ満足に動かせる状態ではなかったが、エミリオは目の前に迫って来た黒い物体を辛うじて斬り伏せ、続けざまに二体を真っ二つにした。
そして、
「ギル!」
「エミリオ!」
二人は、同時に互いの名を呼び合った。ギルも同様、化け物にぎりぎりの
「リューイ!」
返事が無い。
「リューイ!」
すると間もなく、「今、忙しいんだ!」という怒鳴り声が返ってきた。
エミリオとギルはよしと頷き、それぞれの無事を確認し合うと、もうあとの言葉は必要なかった。二人は素早く身を翻して、一斉に村人たちを襲いに向かった化け物を、手当たり次第に殺しながら走った。ここは
エミリオもギルも、相手がこれまでとは全く違う異質の生物、人外であることを自身が気にせず、体が戸惑うことも、
魔物どもは今や自由の身となった。生きた血の臭いに気も狂わんばかりだ。呪いは復讐であることも多い。呪術によってそれらを解決してきたカイルでさえ、その相手の死をもって血であがなわれ、
何か得体の知れない黒い影が、わっと押し寄せてきた。辺りはたちまち
悲鳴が上がった。
「くそっ。」と舌打ちして、すぐさまそこへ駆けつけたギルは、脳天から魔物を叩き割った。
「焚き火へ!」と叫んでいるエミリオの声がした。
ギルも気づいて目を向けてみれば、いちばん大きく組まれた焚き火には、まだ火が残っている。
早くこちらの守備が行き届く避難場所を作らなければ、そのうち誰かが殺られる。すぐに理解して、ギルも声を張り上げた。
「焚き火を燃やせ!」
それができるような精神状態ではなかった人々も、何度も必死で命令する彼らの声に、次第に応え始めた。
襲われた青年は肩を押さえて苦しそうに
クレイグもまた、先ほどから懸命に叫び続けていた。恐怖にかられて逃げ惑い、散り散りになり始めていた村人たちを、彼は懸命に呼び戻そうとしていた。
「
近くにいた者や戻ってきた者たちも、声を合わせて叫んだ。
「ここだ! こっちへ来い!」
そばにいた少年の手を引いて、その声と灯りを目指していたレイラは、凍りついたように立ち
すると、目の前で不意に化け物の腰がずれ、上半身が滑り落ちて地面に転がった。その後ろには、刃広の剣を持つ長身の人影 ・・・ だが、顔はよく見えなかった。剣は黒く濡れていた。
「無事か。」と、その人は声をかけてきた。
それで、レイラには瞬時に分かった。誰であるかが。思わず聞き惚れてしまう落ち着いた声と、その人のことを、何度もつい思い出してしまうからだ。
「ええ。」
レイラは恐怖が冷めやらずに、ぎこちなく返事をした。
「すぐそこだ、援護するから行け。」
レイラは言われるままに、また走りだした。後ろから付いて来てくれるその人を振り返る余裕はなかった。そして、ランタンを持つ者に迎えられて振り向いてみると、もうそこに、その人の姿はなかった。