34.  ごめんなさい・・・

文字数 3,712文字

 辺りに静けさが戻った。

 シャナイアが思いきって(まぶた)を上げてみると、振り向いて唖然(あぜん)としているリューイと目が合った。辺りを一瞬にして包みこんだあの光の雨は消えていたが、薄暗い中でも彼のその表情が、髪や肌の色が分かった。太陽はまだ遠くの山の尾根に隠れてはいるものの、頭上には白みがかった瑠璃(るり)色の空が見渡す限り広がっていて、そこにうっすらと尾を引いている筋雲(すじぐも)が浮かんでいるのも見ることができた。

 朝になっていた。

 シャナイアとリューイは、言葉もなく呆然と顔を見合っていた。エミリオの着衣の片袖(かたそで)はぼろぼろになって、血が(したた)っている腕がそこから(のぞ)いていた。ギルの脇腹のあたりとレッドの背中にも、大きな引っ掻き傷ができていた。リューイの両足からも鮮血が流れている。シャナイアの髪はもつれて、くしゃくしゃだった。

 茫然自失で彼らはその場に(たたず)んでいたが、誰もがハッと我に返ってカイルを探した。

 村人たちに囲まれて、カイルは両手両足を付いていた。

 周りにいる人々は、そんな少年を複雑な思いで見下ろして、近くにいる者同士顔を見合わせている。最終的には、すべきことをやり遂げはしたが、上手くいったとは言えないこの結果に戸惑い、声をかけるのをためらっている様子だった。

 そんなカイルの姿を見つけると、仲間たちはよろよろと歩いて行った。苦しそうに(うつむ)いているカイルを、みな駆け寄って抱き起こしてやりたい思いだったが、その気持ちに反して、足はすんなりと前へ進んではくれなかったのである。しかもリューイは、精神的に参っているシャナイアを支えてやりながらであったので、なおさらできなかった。立ち上がったはいいが、シャナイアは力が入りきらず、ふとした拍子(ひょうし)にがくんと膝を折ってしまいそうだった。戦い慣れた彼らであっても、別世界で起こったようなこの出来事は、こうして終わった今となっても受け入れ難かった。

 何も無くなっていた。魔物の死骸(しがい)など、どこにも見当たらなかった。それらは太陽の精霊によって燃やし尽くされ、灰になって、風に吹き飛ばされたのかもしれなかった・・・が、カイル自身にさえ、それは分からなかった。ただ、石碑(せきひ)欠片(かけら)らしき石の破片が、所々に散らばってあるだけだ。

 カイルは闇を収拾し、太陽の精霊に命じて魔物を退治し、なおかつ呪いの浄化をも成し遂げていたのである。石碑はその瞬間、どす黒い紫色の炎を上げて、粉々に(くだ)け散ったのだった。

 これだけのことを、もはや疲労困憊(こんぱい)()え果てた体でやりおおせるのは、奇跡に近かった。それどころか、途中で失神して、まさに精霊たちに焼き殺されていても不思議はなかった。(すさ)まじい(のど)(かわ)き、胸の悪さ、疲れ果てた身体の震えは止まらず、着衣が汗でべったりと肌に貼りついている。体力は限界を超えていたはず。なのに意識を保っている。それは、村人や仲間に申し訳なく思う気持ちと、罪悪感などによる辛さが、カイルに意識を途絶えさせなかったからだ。

 カイルは手元にある草をぎゅっと握り、(ひじ)を折って地面に(ひたい)を打ち付けた。それから肩が震えて、嗚咽(おえつ)が漏れた。

 誰かが真横にきて、カイルはそのまま静かに肩を支えられた。だがカイルは、その人に顔を向けることができなかった。その雰囲気や仕草から、なんとなく誰であるかは分かった。

「俺が剣を手放したせいだ。」

 今度はすぐそばから、リューイのそんな声がした。

「ごめんな・・・絶対落とすなって言われてたのに。」
「いや、こいつにそうさせたのは、俺だ。」

 続けてレッドの声がして、そこでやっと、カイルは顔を上げる気になれた。やはり真横で肩を抱いてくれているのはエミリオで、その隣にはギルもいた。

「違う、僕だよ。僕のせいで皆をこんな目に・・・。」
「そもそも俺が急に声なんてかけたから。」

 レッドやリューイ、それにカイルがそんな言い合いをしていると、そこへ少年の声が入ってきた。

「ごめんなさい・・・。」と。

 少年の隣には若い娘がいて、少年の背中をそっと押していた。

「あの・・・弟を助けてくださって、ありがとうございます。ほら、ちゃんとお話しなさい。」と、彼女は少年を(うなが)した。

 七か八・・・それくらいの歳のその子は、レッドがあわてて助けた少年である。

「あの・・・女の子に一緒に遊ぼうって・・・言われて・・・。それで、気がついたら・・・お兄ちゃんに抱っこされてて・・・。」
「すみません、よく分からないんですけど、ちょっとおかしくなっていたみたいで・・・それで、あの中へ入ってしまったようなんです。私もつい目を離してしまって・・・本当に、ごめんなさい。」

 暗示(あんじ)・・・そんな用語がカイルの頭に浮かんだ。精霊の中には、幻覚を見せ、錯覚を起こさせることができるものも多く、それを扱う術もある。ただ、その場で命令もされずに、魔物たちが自らの意思でやったことだとすると、カイルには、祖父に報告の必要があるほど全く信じられないことだった。

 一方、ここで事情を知った村人たちのざわめきは、誰かを責めるどころか、むしろ称賛の声に近かった。これに、エミリオやギルは顔を見合ってほっとした。

「とにかく、つまりお前たちのそんな咄嗟(とっさ)の行動のおかげで、この子は助かったんだろう?責任の取り合いをしているなら、周りを見て見ろ。誰かそれを知りたがっている者がいるか?」
 ギルが言った。

「そもそも、この子の異変に気付かなかったのは、我々みんなだ。」

 いつの間にか、彼らのそばにクレイグも立っていた。彼の腕も赤く染まっていて、見るからに辛そうだった。

 クレイグは苦々しく続けた。
「いやそもそも、事件をどこか楽観的に受け止めて過ごした日々の数々が、その一日一日が失敗だった。ことを振り返れば、事態を避けられる点はいくつもあったはずだ。もっと思慮(しりょ)深く、深刻になるべきだった。」

 ギルも膝を付いて、カイルの肩に手を置いた。
「カイル、それよりも早く、負傷者の手当てをしてやってくれ。」
「あなたもね。脇腹、ひどいことになってるわよ。」
 シャナイアがそう言うと、ギルは肩越しに振り向いて苦笑した。
「俺は後回しで構わんさ。」
「俺のはほっといても治る。」と、レッド。

 今は後悔(こうかい)(なげ)いている場合ではないと、気を取り直して立ち上がったカイルは、周りを見渡した。幸い、一刻を争うほどの重傷者は見当たらなかった。負傷者のそばには、ほかを気使うことのできる者がついていて、相手を励ましたり介抱したりしている。

 だが、中でも傷が重いことが(うかが)われる青年のもとへ行った時、カイルは涙をあふれさせた。
「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・。」
 青年の(かたわ)らで(かが)みこんだカイルは、頭を下げたまま何度もそう言った。

 その青年の身体のあちこちから血がのぞいている。しかし彼は、無理に手を伸ばして少年の腕に触れ、辛そうに微笑した。
「残りたいと言ったのは、僕たちなんだから・・・。」
 彼はそれから、カイルの後ろにいる傷だらけの戦士たちを見た。
「それより、彼らに礼を・・・命の恩人に。」

 周りにいる人々は、今気づいた・・・というように、彼らの勇姿を口々に()(たた)えだした。そう、何より彼らは素晴らしい戦いぶりを見せ、この村を救ってくれたのである。

 肩を押さえたユアンが進み出てきて、レッドに感謝の言葉を伝えながら握手を求めた。リューイとキースのもとにはたちまち子供たちが殺到し、ギルとエミリオは青年たちに取り巻かれ、シャナイアのそばにミーアを連れたレイラと、ここにいる何人かの娘が寄ってきた。
 レッドに借りた剣は、今はリューイの手にあったし、女性と子供は男たちに(かば)ってもらって焚き火のそばへと押し込まれていたので、村の娘たちは彼女が化け物相手に奮闘していたことなど知らず、ただただ姿の無かった彼女の身を、誰もが恐怖に震えながら案じていたのである。そして、いずれ誰かから聞いて知るのだろうとは思いながら、シャナイアは上手くごまかし、正体を明かさなかった。戦士であったことは誇りだが、彼女たちに知られてしまうと、また延々と質問責めにあいそうな気がしたから。

 やがて、東の山の尾根から眩い暁光(ぎょうこう)が射し始めた。そして、(ゆる)やかな起伏(きふく)を成す草原の高くなったところに、大勢の姿が現れた。村長もいる。

 それが分かると、クレイグは声を張り上げてみなに言った。
「なにぼやぼやしてる。俺たち動ける者は早速(さっそく)準備にかかろうじゃないか。今日は祭りの日だぞ。忘れているわけじゃああるまいな。」




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み